2014後期 文学部
①社会思想の講義を前後期と通年で受けてきましたが、講義の中で必ず書く小論文によって日々の物事に対して賛成か反対かの意見を常に持つような意識がでてきました。講義の内容もスライドを使用してわかりやすいような形式で進めていただいたので理解しやすかったことはもちろんどうしても休んでしまったときの復習もとてもしやすかったです。一年間自分にとってためになる講義でした。
②三年生から社会思想がとれなくなることには正直反対です。学生がいつどのタイミングで新しい学問を学びたいと思うかはわからないことであり、大学がその自由を奪ってしまうのは学生にとってはとても耐えがたいことなのではないでしょうか。遅い時期から学んで無駄ということは決してないのではないかと考えています。
①この社会思想の講義は他の講義とは大きく違うところがある。それは2回で1つのテーマを終わらせて、2回目のテーマ終わりには小論文がある点だ。通常よくある講義体系はテーマを様々な回数で終わることが多いと思うが、毎回のリアクションペーパーの提出をするところが多い。これは社会思想202の大きな特徴である。それと同時に私がこの講義を良いと思った点である。1つのテーマを2回で終わらせることは履修している私達からしても分かりやすい。この点は今後も続けてほしい。講義内容に関しては、普段あまり考えることのないテーマなので考えるいい機会になった。レジュメも2つの立場を比較しながら書いてあるのでとても理解しやすい作りになっていた。
②なぜ3年生以上の生徒が履修できなくなってしまったのか詳しいところはわかりかねるが、私はこの変更についてあまりよく思わない。というのも、私自身今3年生で卒業要件単位数の一般教養のところは足りているが、自由選択科目のところがまだ足りないため1年生の時に履修していた社会思想201と同じ形態のこの講義を履修した。私はこのような理由で履修しているが、他にも様々な理由で履修している生徒がいるだろう。学びたい・履修したいと思ったときにそれが履修できないのはあまりにも勿体無いのではないだろうか。
①後期期間だけでしたがありがとうございました。
二年の初め友人に騙されたと思ってこの講義をとってみろ面白いから。
と言われ、受講しました。初めのほうは、自分が怠惰な生活が続いてためもあり、論文に戸惑うことがありましたが、いや今も論文を書くのは得意とは言えませんが、
あるテーマの対論を見たり、対論に、対して意見を言うのが楽しくなっていきました。来年度も単位としては余分になってしまいますが、受講するチャンスがあるならば、受講します。ありがとうございました。
①人生において今まで深く考えなかったことを、よく考え自分の考えを自分なりに文章にするということを今までしてこなっかたので苦労したが、何回かやっていくにつれて楽しくなり、表現力を少しかもしれないが身についたのですごくいい経験になった。
②学校側が授業の自由を奪うのはよくない。必ず受けなくてはならない授業や受けてほしい授業を指定するのはいいが、受けてはいけなと学ぶ権利を奪っては可能性を否定することと同じである。何を学ぶかは生徒の自由であるべき
②本科目が1~2年次までしか履修できないということは、とても残念に感じる。本講義は普段小論文という機会はあまりないことができ、意味のある事業であるため三年次で履修できなることは理に適っていないと感じる。
①前期も履修し、前期が終わる頃には、レポートを書くことへの苦痛がなくなり、文章を長く書くことができるようになる実感が得られていた。後期は、講義中からある程度文章が想像できるようになり、前期は講義を聞くことで精一杯だったが、ポイントになりそうなところにチェックを入れるなど、少し余裕が生まれたことを実感できた。テーマも、自分の身近に起こっていることが多いので、考えやすく、取り組むことができた。
②大学では、自分の学部の分野以外も学べるということが魅力の一つであると感じていたため、履修できなくなるということは、非常に残念であると思う。大学生活を通して、学びたいことが変わってくることもあるし、もう少し計画的に改革を行ってほしいと思う。
① 前期から通して授業を受けられた影響が、生活の端々に表れている。新聞を読む時の心持が変わり、電車の中で子供を叱る親への視線も変わった。以前より一段階多く物事を考える力が付いた。自分の考えに結論を持とうとする姿勢だ。
毎回結論は一つにはならない。葛藤の末、迷宮入りしまうこともしばしばだ。だが、一応でもけりをいくつも考える。立場を変え、順序を変えて思考してみる。ずいぶん殊勝な心掛けに聞こえるが、大半は数瞬の逡巡で終わる。頭を使う機会が増えたのだ。
レポート執筆の時は、一貫して自由主義を唱えた。人間は本来助け合う。社会保障のように助けたら、お礼の代わりに報酬をもらうシステムにはどこか人間味がかけている。多文化主義においてもまた自然においても、拒否して遠くに置くだけでは、いつか追いつかれると太古の昔から経験している。だからこそ時に人は損得なしに助け合う。そのように、考え至ることができた。数ある結論の一つだが。
前後期を終え、最初は苦痛だった作文も徐々に筆が乗るようになった。文章自体はうまくならなかったかもしれないが、理論を積み重ねる経験は貴重だ。講義中に出てきた例はごく身近なものが多かった。これからも、身の回りを当たり前と受け止めず、少しでもいいから考えを巡らせて、機会があれば記録することを心掛けたい。そのために、日記を始めた。この講義の成果物と言っていいかもしれない。
②前期の意見を繰り返しになるが、大学の講義は、大学の生徒であればだれでも受けられるシステムではないという事実にも驚きだ。この講義は特に、日本語が理解できるのならだれが受けてもわかりやすい講義だ。理由はとやかくあるのだろうが、この決まりを作ったことは失敗であると言わざるを得ない。
①様々な問題について万遍なく学べたため、とても有意義な講義だったと思います。また、2週ごとにレポートを書くため、自分の語彙力や文章を書く能力が把握できるという利点が個人的にありました。
②本来、大学というのは様々なことを学び自分の視野を広げる場だと思います。4年間で受けられる講義は限られているのだから、その範囲が狭められてしまうのはとても残念に思います。
①私がこの授業を履修したのは、木曜日の3時限目を埋めるため。という安易な理由でした。初回のガイダンスにでて、隔週で論文を書くと聞いたときは、大丈夫かな?書けるかな?と思ったのが正直な感想です。
授業の内容も、色々な角度からの意見や考えが示されていて、それを自分の頭で考えるというのがとても身になったと思います。結論を出すことが難しい議題もあったけれど、どちらが正しいか。という質問に対して答えを出すために、どの意見を優先したらいいか取捨選択することもできるようになったと思いました。
一番心配だった論文も、授業の内容を理解し、自分で考えたことを整理することさえ出来れば、一枚の紙を埋めることに苦しむことはありませんでした。しかし、文の構成を組み立てるのは繰り返し行うことで身に付くということを実感しました。
②私は、後期のみの履修でしたが大変身になると感じたので、来年度の前期もぜひ履修したいと考えています。
①この講義を通して、社会に対する考えを今までは特に持っていなかったけれど持つことができました。また、私は自由主義者の考えを支持しましたが、ここまで深く自由について考えることはなかったので、この授業を通して機会をいただき、よかったです。
②この授業を履修できるのが1,2年生までというのはそのほかの学年にとって残念なことだと思います。1,2年生は必修科目が多く、この授業を履修できない人も多いと思います。しかし、社会思想という、今までにない未知な科目にはに興味がある人は多いと思うので、ぜひ3,4年生にも履修できる権利があれば、と思いました。
①一年間社会思想の授業を受けてきて思ったことは、特に困ったというわけではありませんが、一回の授業内で扱う内容が多いように感じました。後は何事もなく授業を受けることができました。
②私は今まで通り全学年が受けられるようにするべきなのでは、と考えました。少数ではあるかもしれませんが、留学などで受ける機会がなく受けたくても受けられない人が出てきてしまうのでは、と考えたからです。また、大学に通う間に何か自分の興味に変化があって受けたいと思ってもすでに授業が取れないということもあるのではないでしょうか。