2014年後期経営学部(M)

 

一年間通して社会思想の授業を受講し、自分の価値観を変えるような内容や、自分の価値観を正当化してくれる内容などあらゆることを学んだ。そしてなにより、書く能力があがった。週に二回レポートを書くのは簡単なことではなかったが、それを一つ一つこなすことで確実に書く力はついたと思います。

②いかなる学年においてもこの授業を履修できなくなるのは非常に残念です。よりおおくの生徒にこの授業を履修してほしかったです。

 

 

①前期・後期と松井先生の授業を履修したが、松井先生の授業は自分で考え、言葉にする力がしっかりと身に付くと思った。板書を漠然としていては何の力も付かないと思うので、学生に考えさせるのは非常に大事な事であると思った。それは、松井先生の授業を履修している学生はみな思っている事だと思うので、授業に取り組む姿勢が他の授業に比べて良いものに見えた。松井先生の意図は学生にしっかりと伝わっていると思うので、まとまりある授業が展開でき、学べる雰囲気ができている授業になっているのだと感じた。このような素晴らしい授業に参加できた事を幸せに思います。1年間ありがとうございました。

②教養科目の履修を各学部が指定する事は何か意図があるのだと思うが、自分の学部以外の科目を学べる事は自分にとって大きな成長要因になる。教養科目で学べる事はたくさんあり、学んだ事は自分の学部の科目におおいに参考になるからである。そのような機会を減らす事はあってはならないし、人間として成長できる松井先生の授業は後輩達に受けてもらいたかった。

 

 

①松井先生の社会思想を一年間受講して、書く力が身についたと実感しています。2週間に1度小論文を書くのが最初はとても大変で、書きたいことはなんとなく浮かんでいてもうまくまとめられませんでした。でも何度も書いていくうちに自分の意見をうまくまとめて書くことができるようになってきました。

本講義で文章書くことの難しさ、また大切さを再認識しました。だんだん文章を書くという機会が少なくなってきている中で、松井先生の講義を受講して書く力を身に着けることが出来て良かったです。ありがとうございました。

 ②大学の講義で文章を書くということは少なくなってきていると思います。レポートなどはあるけれども、それは多くても2回ぐらいだと思います。文章を書く力は社会に出る上でもとても大切なことでと思います。でもこの力を身につけるには習慣的に文章を書くことが必要だと思います。そういった面でも松井先生の授業はみんなが受講することが出来るようにするべきだと思います。日本のことだったり世界のことであったり様々なことを授業で取り上げるので知識も豊富になると思うので、私は商学部や経営学部が受講することが出来なくなることについては反対です。

 

 

 

①この社会思想の授業を通じて、普段目に留めないで過ごしていることについて、自分がどちらかの立場に立って、意見を述べることで、双方の主張している内容について、理解を深めることにつながった。授業のプリント自体が対話のようになっていたり、理解しやすいように工夫されていたので、すんなりと内容が入ってきた。

②経営に関する知識だけでなく、一般教養として、自分が興味のある授業が自由に取れないことに、不満に感じる。どういう意図で、授業の選択の余地を狭めたのかはわからないが、そもそも学校の意思で、なっていたのだから、年度によって、ころころ変えないでほしい。

 

 

①社会思想の授業は環境が徹底されており、とても受けやすい授業でありました。

そして何より感謝したいのが前期後期とこの授業を受けたことで最初は辛かったのだがこの授業を受講したことで自分の意見をまとめて書く力が付いたのではないかと思っています。本当にありがとうございました。

②この授業を経営学部の後輩たちが受けられなくなるのは反対です。

書く力の向上もそうですが、様々な意見に触れることで価値観が変わることの授業だと思うからです。

 

 

①私は前期の社会思想論201と共にこの後期の社会思想論202を履修しました。

後期に入ってから議題となるテーマが少しランクアップしており深く考えさせられるテーマが多かった印象がある。

その中で私が最も難しいと考えたテーマは「生命」である。この人の命に対しての医療の適性を考えたことがなかったからである。そして命というものに対して医療は切っても切れない関係性があることも学んだ。私はこのテーマに賛否をつけるのにすごく悩んだ覚えがある。自分のこととはいえ、素直に賛成といえるものではなかったからだ。とくにクローンの話は本当に信じがたい話だし現実に人のクローンが増えていくのは良いことだとは言えない。このテーマは今でも考えさせられる。

1つの科目を6テーマに区切り2回に分けて授業を行い、最後にそのテーマについて賛否の2通りの意見の中から自分の主張に合った論について述べるというこの授業のスタイルはとても斬新で楽しかったです。たとえていうならば短編小説だ。同じ本の中に色々のテーマの小説が入っている、話題がコロコロ変わるから、頭を柔軟に切り替える能力も育まれる、そんな授業だと思う。ときにはその賛否の判断が難しく、自分1人じゃ決められないときも多々ありましたが、友達などにこの話題を持ちかけ議論することでまた新しい視点から考えたりもできるようになった。それがこの授業を受けて感じた、1番の成長した部分だと思う。 

②経営学部の学生は2014年度入学生から、いかなる学年においても一切本科目を履修できないことになりました。このことについてみなさんのご意見をお聞かせください

私の所属している部ではスポーツ推薦で入る枠が経営学部と商学部しかない。つまりこれから入る私の後輩はこの科目を受けられなくなるということになる。それはものすごく残念でならない。私はこの授業で文章を書く力を養い自分の意見をしっかり書けるようになったし考え方少し変わってきた。色々な成長のきっかけを持っているこの授業を後輩が履修できなくなるのはとてもさみしい。 

 

 

①今年度の前期もこの授業を受講していて、一年を通じて社会思想を学びました。自分の考えをしっかりもち、文章を書かなければ、二つの考え方の間を揺れ動くことになります。このことを、私は一年を通して一番意識して講義に臨みました。講義を積極的に聞き、自分はどちらに賛成できるか?を常に自らに問うていました。このような、授業に対する姿勢は、この講義だけに限らず他の講義でもこれくらい積極的にならなければいけないのではないか、と気づくきっかけになった講義でした。

②前期の授業が終わった後に感じた感情と同様で、この講義を後輩の経営学部の学生が受けられなくなることは、非常に残念です。経営学部を卒業して、みな社会に出ていくうえでは、社会思想で学んだ社会システムを知っておく必要であると、講義を受けていて感じる。この講義で教わる、社会システムの基本を大学生のうちに学ぶことが出来てよかったなと、毎週講義を受けていて痛感していた。

 

 

①普段何気なく過ごしていたが、あるテーマについて賛成か反対かどのような考えをもっているのかを問われることによって自分の意見を確実にもてるようになりました。どっちでもよいとはならず、私の考えを言ったうえで自分がどちらの立場なのかはっきりつける癖ができたのでよかったです。

②経営学部が一切受講できないということは残念に思います。何気なく過ごしていたら、自分が飲んでいる薬は動物実験されたうえでできていることや私が今生きているのは、他の動物を食べてきたからということを考えないと思います。経営学部でもこのような思考は大切だと思います。経営学部でも履修できるようにしたほうが良いと思います。

 

 

①社会思想と言う教科は大学に入ってから初めて履修したので、どのような内容を勉強するのか楽しみにしていました。授業では2回に1回小論文を書くと聞いて、難しい授業をとってしまったÉと思いました。しかし、いざ授業が始まると、2通りの考え方の言い分を聞いて自分の考え方に照らし合わせていき、小論文を書く形式でした。意見を聞きながらスライドで補助資料を見て、また先生の解説を聞くことで、授業中にかなり深いところまで自分の考えをまとめることが出来ました。この授業形式はただ単に聞いているだけではないのでしっかり授業をきくことができるし、目で見る資料で飽きさせないためとても面白かったです。小論文も初めはノルマの行数まで書くことで精一杯でしたが、後半の授業ではスラスラとまとめた内容が書けるようになりました。

②教養科目の履修に制限をかけることには反対です。教養科目とは本来自分の教養を養うために自分で選択する授業であり、学部ごとに履修できる科目が異なってしまっては、知識に偏りがでると思います。今回私はこの社会思想202を履修して非常に自分のためになりました。「社会思想」という教科が経営学部に必要のない授業だとも思いません。幅広い知識を身に着け、世界の人々の考え方を知り、自分の考えを見つめなおす授業だと感じています。その点で2014年入学生は1つ大事な知識を得る機会を失ってしまうと思います。

 

 

①先生がおっしゃるように最初は小論文に対して面倒だと思っていた。私は自分の意見をまとめるのが苦手で自分の主張もうまく表現できない。しかし、この講義を通して多少改善されたと思う。

 授業内容はいつも考えさせられるもので、毎回良い意味で疲れてしまう。生命の分野では特に考えさせられ、どちらかに意見をまとめるのがとても難しかった。やはり人の命は重いと実感した。この他にも多くのことを学んだがこれら全て日々の生活では考えないことばかりである。むしろ避けてきた事なのかもしれない。また、そんな事考えもしなかったかもしれない。正直この講義は将来の就活や仕事をしていく上で役に立たないかもしれない。しかし、こういったことを考えることができたことは自分のマインドアップに繋がったと思う。

 授業の進め方も私に合っていたと思うし、授業を妨害するものを一切排除するので毎回の講義に集中して臨むことができた。毎回の小論文を最初こそ嫌がっていたが、今になるとテスト勉強をする必要がないのでかえって楽だったかもしれない。

②私は経営学部なのですが、今年から社会思想を受けられなくなるのは残念なことである。この講義は先ほども言ったように、普段考えないことを考えることができる、教科書では学びえないことが学べるので、後輩のためにもどうか講義を復活してほしい。

 

 

①後期の授業を受けて抱いた感想は、テーマごとに自分の考えを取り入れたレポートを書く講義であったため、文章を書く力と自分の考えをどう表現するかという力が身についたと感じます。授業の中では、課せられたキーワードを用いて労働・ジェンダー・多文化主義・生命・自然・市場というテーマで、対立する2つの立場のどちらに自分の考えを照らし合わせるべきなのかを決定することが大変だった。その理由として、最後まで授業を聞かなければお互いの主張が見えないからである。漠然とした思いから、ある主張の立場に立ったとする。しかし講義を進めていくとどちらの立場も自分の考えと共感する部分が多く、主張の入れ替わりが激しくなることがあった。そのため、毎回の授業を集中して聞いていなければならなく、自分の考えを強固にするために授業を聞く必要があった。それは決して苦のものではなく、楽しいものであった。また、どちらの主張にも共感するところがあるため、どちらかの立場に一方的に立つということはまずなかった。だからこそ、どちらの主張に近いかということを理解するのが重要だったのではないかと考える。

特に、関心をもったテーマの一つは「生命」である。医療技術の発展を生命の操作に用いて良いのかという議題であった。中絶や不妊治療に対して自分の考えを述べることが非常に大変だった。それは、生命の操作という点で優生学に傾いているということが自分でわかったからだ。普段は意識していなくても講義の中で取り扱うことで潜在的な社会の問題に対しての考え方を知ることが出来たと感じる。さらに楽しかったテーマは「市場」である。労働市場や教育制度に対して国や政府による規制が必要か否かを議論するものであった。義務教育を受けていた私たちにとって身近な話題であり、これから就職活動をしていく学生にとっても色々考えさせられるものであった。

後期の授業を受けて、身についたものとして自分の考えを述べながら社会システムの規範について述べること。そのために必要な知識とレポートを書くときに必要な文章力である。非常に楽しい講義でした。

②「社会思想と現代」というこの科目が2014年度入学生から履修できないことについて、私は『良くない』ことだと考えます。その理由として、経営学部や商学部の生徒も専門的な知識だけでなく世の中の様々な問題について考察する必要があるからです。例えば、ジェンダーのことに関していえば、各々の主張を聞いた場合と現状自分が知っている知識を照らした場合では、物事に対する考え方が変わってくるからだ。現在、保守主義者の立場にいたとしても講義でジェンダーについて学んでいるうちにフェミニストの立場に立つかもしれない。他の社会システムについて自らの規範理論を考える際も今の知識と授業で学んだ知識を手に入れた時は、主張が変わるかもしれない。そういった意味で、「社会思想と現代」という科目を学ぶことで、社会に顕在する多くの問題に対して、自分の考えを手に入れる数少ないチャンスだと考える。また、大学を卒業した後に社会人になる私たちにとって、社会問題について学ぶことは、社会人としての視野を広げ、教養ある大人に近づくであろう。

もう一つの理由として、本授業以外にあの文章量でレポートを書かせる授業はあまりないため、文章力を付けるという点。自分の考えを取り入れながら文章を書くということが身につくために必要な科目であると考える。履修できないとそのような力を身に付ける機会が少なくなってしまい、そういった力を身に付けることなく社会人になってしまう学生もいるかもしれない。

以上のことから「社会思想と現代」という科目が経営学部や商学部で履修できないということは良くないことだと考える。

 

 

①この授業を一年間受講しましたが、考える力が身についたと思います。他の授業では一方的に話しを聞くだけのものが多いのですが、この授業では必ず自らの意見を求められ小論文を書かなくてはいけないので、嫌でも考えさせられました。ですが、そのおかげで考え自分の意見を持つことがそれ程苦痛ではなくなりました。大学に入って初めて自分の力になる授業を受けられたように感じます。一年間ありがとうございました。

②この授業を自由に取れなくなってしまうことは大変もったいなく感じます。自分の意見を持ち形にするという、今の学生に足りてない部分を学ぶことのできる数少ない授業だと思うからです。専修大学はぜひ考え直してほしいと強く思います。

 

 

①授業中に携帯などの機器をいじると、即単位を落とす授業は初めてでした。最初は怖く感じましたが、より授業に集中できるようになった。

そして賛成派と反対派による論争も自分は面白く感じた。なるほどと思わせられることも多々あり、勉強になったし考えさせられる授業となりました。

小論文も難しかったですが、書くのが難しい分より授業を聞こうと思うようになったのでよかったです。

②教養科目はあくまで教養なので社会思想を履修出来ないのは、違うような感じがしました。文系の大学であれば、必要ないのは種類の多い理系の教養科目であると私は考えます。経営学部や商学部にも社会思想の授業は不必要ではないと本科目をこれまで受講してわかりました。色々なことを考えさせてくれる社会思想だからこそ、会社経営に関わるような経営学部の授業にも必要であると私は思いました。

 

 

①私は社会思想をとってよかったと思います。なぜなら普段あまり考えないようなことをしっかりと考えることができて自分のためになったからです。

②後輩たちにも社会思想はうけてほしいと思います。なぜならさっきも述べたように普段あまり考えないようなことをしっかりと考えることができて自分のためになるからです。だから社会思想を後輩たちがうけれなくなるのは残念です。

 

 

①この授業を受け、私は社会規範について考える機会ができ、それについての理解が深まったと同時に、自分の意見を文章にまとめる能力がついたと感じる。はじめのうちは上手に文章を作ることができなかったが、回を重ねるうちにスムーズに文章を作ることができるようになってきたと思う。文章を作る能力は、これから先一生必要とされる能力だと思う。私はこの授業を履修して本当に良かったと思う。

②本科目が学校の指定から除外されたことについては、たいへん残念に思う。どの学部の生徒でも本講義はためになると思うし、本科目を履修したいと思っている生徒もいるだろう。私は、本科目は学部に縛られず、広く学生に履修されるべきだと思う。

 

 

①この授業は後期から履修したが、履修してよかったと思いました。今まで小論文を書くのが苦手だし、嫌いだったけど、この授業で小論文を書いていくうちにだんだん慣れてきて自分の考えを書くのが楽しいと思えるようになりました。講義の内容は身近なものから普段あまり意識していない問題など様々だったけど、とても面白かったし、いろいろな視野から物事を考える力がつきました。

②この授業は今の1年生からとることが出来なくなったことについて、私は否定的な意見を持っています。この授業は経営を学ぶ上で必要ないとされたのかもしれないが、私は履修して得たことがたくさんあったし、文章力や思考力が身に付く授業なのに履修が出来ないのはもったいないと思います。選択の自由が奪われているように感じました。経営に関係ない講義は受けられず、その代わりに経営に関する専門的なことばかり学ぶのは、より深く経営を学べるというよい面もあるが、専門的なことばかりではなく、自分自身の成長のためにもいろいろな講義を履修することが大事だと思います。

 

 

 

①私は一年の前期に社会思想を受講し、はじめは自分の意見をはっきりと述べることに慣れていなかったため、小テストでは文字をかせぐことで精一杯でした。しかし、講義を受け小テストを重ねるうちに文字をどうしたら稼ぐことができるか、ということより自分の意見をどうしたら相手にうまく伝えることができるだろうか、ということを考えるようになりました。今期の授業の初めは一年の前期から少し間が空き久しぶりに自分の意見を述べることを求められたので、多少の戸惑いもありましたが、すぐに慣れました。自分の意見をはっきりと述べることが楽しいと思うようになり、小テストでも毎回裏面までかけるようになっていました。日頃の生活の中でも自分の意見をはっきりといえるようになった気がします。

②「社会思想と現代」は学部に関係なく全学部で受講できるようにしたほうがいいです。自分の意見を述べることは、就活を控えた私たちにとってとても必要なことであると感じます。そういった機会が少なくなっている今、社会思想の講義のように自分の頭で考え、文字にすることは大切なことです。私はこの社会思想の講義を友人にも勧めたくらい、私の中では自分の糧となる授業になったと感じています。以上の理由から、私は「社会思想と現代」はすべての学部の学生が自由に選択できるようにするべきだと考えます。

 

 

①私は今回、労働、ジェンダー、多文化主義、生命、自然、市場の6つの課題でさまざまな視点から学んで、さまざまな考え方、とらえ方があると感じた。普段は1つの方向でしかとらえていないことを、少し離れたところから見ることによって、自分の中で固定されていた考えが変わった。

 私は授業を受けるまで「労働」は生活費を稼ぐためという考えでしかなかった。しかし、そうなるとお金が稼げればどんな職業でもよくなってしまう。そうではなくて、自分のやりたいことを行いつつ所得を得るということが大切であると思った。

 社会思想の授業は普段の生活では変わらない自分の労働や生命といった考えを、変えてくれた気がする。講義の内容はもちろんのこと、さまざまなものの見方、とらえ方についても学ぶことができた。固定された概念に縛られず、いろんな角度、視点から考えれば新たな発見があると思った。

 

②自分の後輩たちがこの授業を履修できないと知って残念だなと思った。また驚いた。この科目は社会系の内容であり、私たち経営学部が学ぶのは望ましいことだと思っていた。そのため私は1年生も変わらず履修してもよいと考える。

経営学部は卒業するのに138単位修得する必要がある。しかし2014年度の1年生は124単位で良いという話を聞いた。経営学部は経営学や会計学、経済学、マーケティングなど幅広いジャンルの専門科目を必修としている。卒業に必要な単位数が減ってしまったため、その分経営学部に必要とされる学問やそれに関わる学問を重点的に履修すべきと考え、社会思想は除外されてしまったのではないだろうか。

 

 

社会思想202の授業を受講し、文章を書く力が、以前より身についたのではないかと考える。私は、他の授業で本授業のように頻繁にレポートを書くような科目は受講しておらず、最初は苦痛だと感じることもあったのだが、回数を重ねるごとにすらすらと自分の考えを書くことができるようになった。やはり、継続は力になるのだと思った。

授業では、パワーポイントでの説明とプリントの二種類で講義が行われるため、理解しやすい。また、コースパワーにもアップされるため、後で見返すことができる点もよい。

授業環境について、静かな状態で講義を受けることができるため、集中しやすいと感じた。他の授業では、時々話をしている人がいて講義に集中できないといったことがあるため、そういった点において非常に良い環境だといえる。

②私は、本科目が学部によって受講できなくなることに反対である。なぜなら、学部に関係なく人の考えを知ることは必要だと考えるからである。また、本科目での授業スタイルは、文章力の向上のために役立つスキルが身に付くと考えるため、経営学部でも履修可能であるべきだと考える。人の興味は学部に関係なくそれぞれであるといえるため、学習の機会を増やしてほしい。経営の場面でも、様々な考え方を持つ人がいるとため、社会思想の授業が全く必要ないということはないといえるのではないだろうか。

以上のことから、社会思想の科目が履修不可になることについて反対である。

 

 

①私はこの社会思想の授業を初めて受け、一番印象に残っている内容は自然についての浅いエコロジー派と深いエコロジ―派の考え方についてです。自然と共存していく中で自然を破壊してしまう行為は絶対的に良くないことであるが、肉や魚を食べるのは私たち人間にとって生きていくうえで必要なことで、医療を発展させるために動物実験を行うことも人間にとって必要である。このように自然環境と人間との絶妙な関係を保つことがいかに難しい問題であるということを学びました。自分の結論を出すのが難しい内容だったが、非常に興味の持てる講義内容でした。

②社会思想の授業は自分の意見の他に真反対の意見を持つ人々の考え方があることなどから多くの価値観を学ぶことができ、より広い視野で様々なものを見られるようになったりと、非常に楽しく発見ができる充実した授業となりました。そのためこの社会思想の授業の履修が不可能になってしまうのは非常に残念であり反対です。

 

 

①私はこの授業を前期から通年で履修しています。前期の初めのころは、毎回小テストがくるたびに四苦八苦して、なかなか自分の意見をまとめられずにいました。     しかし、回を重ねるごとに、文章を書くことに慣れてくるようになり、

後期の終わりを迎えた今では、前期とは比べ物にならないくらい、自分の意見をまとめ、それを文章にする力がついたのではないかと思います。

これは大学生活を送っていくうえでは、必要な力であり、それをこの授業を通じて培うことができて、嬉しく思います。

最初はとても厳しい授業だなと感じましたが、取り扱う内容は自分に身近なものばかりなので、だんだん興味をひかれるようになりました。

②私はこのまま社会思想という授業をカリキュラムに残すべきであると思います。

理由は、この授業を通じて得られるものはたくさんあるし、その重要な機会を奪ってしまうのはもったいないと思うからです。

そもそも、教養科目改革が何の目的で行われたのかは知りませんが、生徒は学ぶ意欲があるかもしれないのに、勝手な都合で制限されること自体おかしいのではないかと思います。

 

 

①前期も受講していましたが、初めは小論文を書く回数が多く、大変だと思っていました。しかし、回数を重ねるごとに書き方のこつをつかみ始めました。社会思想202を受講し、自分で考える力や、自分の考えを文章にする力が身についたと思います。

②私は経営学部に所属しています。社会思想202は確かに「経営学部」としては必要ないかもしれません。しかし、私は考える力を身につけるためにも受講したほうが良いと考えています。

 

 

①前期・後期と1年間社会思想の授業を受けてきて、自分の知識が増えたと思いました。初めのころは小論文を書くことがとても苦手でした。伝えたいことを文章にすることが難しく、何度も書き直しては消すという方法をやっていました。しかし、後期になり内容がさらに難しくなりましたが、小論文を書くスピードが速くなり自分でも驚きました。一番に伝えたいことを最初と最後に書くことで、書きやすくなったと思いました。文章を書く能力が成長してとても嬉しいです。

②経営学部はもう受講できないと聞き、とても残念だと思いました。経営学に関連がない授業だとしても、教養として身につけることができるのでわたしは受講を再開してほしいと思います。

 

 

前期で社会思想201受講したことがある201では、自由、民主、社会主義について授業われたよく誤解する民主主義の反対は共産主義という認識があったがこのような認識め、社会思想についてもっと関心をつようになり, それらに関する自分して読むようになった

 自由主義か社会主義であれ、我々の生活めようとすることはのようだが、接近方法によって方法がずいぶん変わってそれによって紛争がきたことについては少し残念な姿である。 202では高校の教科書でもられる生命観、労働観性役割、多文化などについて勉強することになった。映画でも生命観や自然についてわれアルバイト卒業して就職することになったらえるようになる「なぜ仕事をしなければならないのか?」国際化社会となり、外国人をる機会がくなっているがこれがどうるべきだろうかただ社会的現象とたり深く考えるには頭痛くてそのまま放置したものを易しく接近できる機会となった

 高校理科だったのであまりく学べなかった。今回の機会にもっとることができるようになった。今回に学んだことを現在に当てはめてみると、政治政党の公約でも生命観、 労働観性役割がずいぶん違うことが分かる 成人で参政権をっているたちにもっと広い視野てるようになった機会だったとっている

は大学では高校のよりよりみのある知識を学ぶためているのだとっているしかし最近入ってるとただの就職活動をするため学生たちが大学に入学して、大学側はわせて就職有利な勉強をカリキュラムにれることになるとっている。私っている大学像がいとは思うが、就職のためカリキュラムを組んでしまうと大学ではなく就職塾になるのではないかと思っている。4年制大学であれば、多様な知識することができて興味のある学問にく学べる環境になるべきではないだろうかと

 

 

2014年から社会思想の講義を履修することができなくなったようだが私はそのことに反対である。社会思想を履修することによって現在の社会で起こっている問題についてもう一度見つめなおすことができ、その問題について自分の考えをしっかりと持つことができるからである。

②また二回に一回小論文を書くことにより文章を書く力も身につくことも良いことであると私は考える。よって私は全学部の生徒が履修できるようにするべきであると考える。

 

 

最初の授業で先生がおっしゃっていたように、初めは自分の意見を書くということがなかなか大変できついなと感じていたのですが、回数を重ねていくうちに書く量も増えていき、苦に感じなくなっていきました。授業プリントも二つの意見がディベートのような形で書かれていてすごく理解しやすかったです。半期の間ありがとうございました。

経営などには内容など関連性はあまりないけれど、一般教養科目の中でも自分たちの生活やこれから社会に出た時に考えさせられるような身近な内容であったのでこれから履修できなくなるのは残念に思います。

 

 

①私はこの講義は後期のみの履修で、最初に毎回のように小論文を書くと聞いたときはもちろん嫌に感じた。しかし回数を重ねれば確かに文量を書くのは慣れてきてあまり苦にならなくなっていた。問題も毎回興味深いテーマで楽しく講義が聴けたと思っている。

②私はこの講義を受けて能力が身についたと思っているため、経営学部の後輩が履修できないのはもったいないと感じる。文章を書く能力はどの人にも大切なことなので皆が受けられるのが理想だと思う。

 

 

①経営をおこなうにあたり、人の育成や、その育成する側の人間がそれなりにまともな人間じゃないといけないと思っています。そこでこの科目がかなりそのことについて適していると思いました。具体的な内容の対立を主としたプリントの形式は、とても分かりやすく、立体的に内容を理解することができました。毎回思うのは、対立した両者のいいところだけをとって、よりよいものにできないのかなということです。そのため二回に一回のテストの時に少し戸惑ってしまいました。結果的に人の人格が成長できる科目として、大学生活の中でこの科目をとったことは自分にとってかなり意味あるものになりました。ありがとうございました。

②私は経営学部なのですが、一見直接的には関係なさそうな社会思想の授業について、私は間接的な意味で関係していると思います。社会思想とは人の人格を育てる科目であると思っているので、経営する側、それに従う側もそれなりに何がいけないか、何がいいことなのかということがあいまいなこの世界で、自ら論じてみるという授業スタイルもそうですが、やはり経営学部には必要な科目だと感じました。極論は経営学部だけでなくどの学部にも、人間の人格形成にかかわる科目という意味で必要だと思っています

 

 

①前期からこの授業を履修し、文章を書くスキルが上がったと実感する。また、生活上の様々な題材について深く考えるいい機会となった。深く考えることによって友人や家族と議論を交わすことができた。

②履修の自由について、学校側はどのような目的で規制したのかはわからないが、少なくとも私は経営学部としてこの授業をとれてよかったと実感している。そもそも一般教養はそのようなものだと思う。

 

 

①一年間松井先生の講義を受けて、当初は苦手であった小論文のテストも回数を重ねるたびに多くの量が書けるようになりました。また、言いたいことを上手くまとめて伝えることもなかなか出来ませんでしたが自分なりに意見を持ちながら論じることができるようになりました。通常の講義ではこのようにして自分の意見を論じる能力を養うことがあまりできないので大変ありがたいことだと思っています。

②私自身、上の感想で述べたように松井先生の講義で素晴らしい能力を養うことができたからこそ、2014年度以降の経営学部商学部の学生が私たち同様に講義を受けられないことは非常に残念なことだと思います。学ぶ権利は学生にあるにも関わらず、学ぶことのできる範囲を制限してしまって良いのだろうかと疑問に思います。

 

 

①さまざまな社会の論争について、学んで自分で考えられて知識が増えて、意味のある授業であったと思います。また、この授業で一番身についたのはやはり文章力だと思います。小論文をたくさん書いて、最後のころは書くことが苦じゃなくなり、楽しくなりました。

②これからこの授業を経営学部の学生が履修できなくなるのはもったいないと思いました。私はこの授業でさまざまな知識を得たし、小論文を通して文章力もつきました。すごく興味が持てる話題もたくさんあり、この授業をとってよかったと思っています。ぜひ、後輩にもこの授業を履修してもらいたいです。

 

①前期から1年を通して受講し、だいぶ自分の意見を持ち、文章にすることができるようになったと自分でも実感できた。受講してよかったと思える内容のある講義だった。

②1年から履修できなくなるのは残念であると思う。どの学部の生徒でも必要な知識が得られるように感じた。ぜひなんとか少しでも履修できるチャンスを与えた方がいいのではないかと感じた。

 

 

①この授業では通常では学べない掴みどころのない、正解のないものを習ったと感じる。その解答のない講義で得られたのはÒ考えるÓということだと思う。選択肢は毎回与えられるものの、自分で選んだ結果が正しいとは限らないのでレポートを書いているときでさえも探り探りという感じだった。所得や労働では今後働く際に考える指標に、ジェンダー・多文化・市場では社会問題に、生命と自然では大きな枠組みとしての問題として授業で扱うことで文字通り「社会」を知ることができたと思う。世間をにぎわせている話題もその都度ふれた内容だったので非常に興味を引くものでした。授業環境も、当たり前のことではあったがしっかりとルールを設けて取り締まることで、より能動的に講義をうけやすいものでした。私は前期も社会思想201を履修しましたが全課程を終えて、考えることは勿論、それを書いて表現する・アウトプットする力も養えたと感じている。そのおかげで今後の自分の課題も見えた。それは、次のステップである、話して伝える・表現することだと考えられる。最終的には総合的なプレゼン力を身につけられたらよいと感じた。

2014年度からこの講義を履修できないものが増えるのは残念だなと感じる。しかし、私自身は履修できたので幸運だったなと、受けられなくなったものは仕方がない、惜しかったと感じる。学校側が急に制度を変えるのはいかがなものかとは思うが、半期ではなくÕ14年度以降の経営・商学部生と線をちゃんと引いた部分は良いのではないかと感じた。中途半端に知ってしまうのではなく、線を引いたことである意味では平等だと感じた。ただ、その分他の授業を受けられるようにするなど引いた分補うことはしてほしいとは思う。また、学費というお金を払っているのでそういった情報面はしっかり公開してほしいと感じた。私はこの授業を取っていなかったら制度が変わって履修できなくなったことすら知らなかったと思う。そのため、せめて情報開示の面で工夫してほしいと今回の件で感じた。この授業を受講していたからÕ14年度以降の学生を惜しいなと思えてはいるが、入学したての何も知らない学生からしたら履修を組むという大変な作業から選択肢が減って楽になったという見方もあるのではということも感じた。

 

 

①初めは自分の意見を考え述べることが難しく、20行に達する程度しか書けなかったものが、回数を重ねていくうちに、裏面まで達するようになり、明らかに能力が上がった。

②教養を深めるためにも必要な科目であると考えるため、除外するのはもったいない。

 

①初めは自分の意見を考え述べることが難しく、20行に達する程度しか書けなかったものが、回数を重ねていくうちに、裏面まで達するようになり、明らかに能力が上がった。

②教養を深めるためにも必要な科目であると考えるため、除外するのはもったいない。

 

 

①自分はこの社会思想の松井先生の講義を通年で受けてみて、思ったことは映像を使っての授業はとてもわかりやすく見やすかったことです。ワードもでかく表示されておりすごく受けやすかったです。また、小論文を書くのは自分得意ではなく、書いていて内容がぐちゃぐちゃになってしまいがちでした。この講義中では題材に沿って例題を途中途中にいれることにより、まとめることを意識してやりました。労働や、ジェンダーや、自然などいろいろな国の文化に触れ社会思想について学べたことはとても良かったと思います。授業は先生によって授業のスタイルが違うし、教えてもらえることも違う。レポートがあったり、テストがあったり、小論文があったり、質問形式であったり、様々だから授業の受け方が今年は変わりました。そういう面を観察しながら授業を受けるのはとても刺激的でした。これから社会思想はどう人生に生きていくかはわからないけど、自分が思うことは他国の他文化に触れて世界を知れたことには間違えはないと思いました。社会では日本では起こることがありえないことも起こっていて、自分がこうして文を書いている内にも事件は起きていると思うととても悲しくなります。もしかしたら次は自分の身になにかが起こるかもしれないと感じ、今後の人生は後悔せず精一杯やりたいなと感じました。自分は経営学部であまり理由なく入ってしまったけど、経営には興味があり、店の仕組みや戦略を知ることが好きなのでもっと大学で学びたいなと感じました。

松井先生の人柄がとても明るくて厳しいところは厳しくするのがとても印象的で自分的にはとても話してみたいなどと感じていました。本当に通年ありがとうございました。

②教育方針により経営学部が外されることに関しては自分はいいと思います。決めた人たちもなんらかの意図ややむおえず行うことだと思うから自分や他の経営学部の人がとれる授業を全力で受けることが自分たちの使命であり、本来の目的であると思います。

 

 

①私はこの講義を受けてから、自分の意見を積極的に発言できるようになった。今まではどっちつかずの立場で自分の意見も主張できなかったが、この講義を受けてから自分の意見を持ち、それを言葉で表現することの大切さを学んだ。また、文章を書く能力も向上したと思う。私は4月から講義を受けているが、当初は2回に1回提出するレポートの量は苦痛に感じていたが、今ではその規定量に満足できず、裏面まで文章を書けるようになった。そして、そのレポートが評価されると自分の考えを評価された気分になり、とても嬉しかった。1年間、様々な視点において主に2つの対立する立場から社会を捉えてきたが、それを学び自分はどのような意見を持ち、自分の人生に生かすのか、自分を見つめ直す良い機会となったと思う。

2014年度からこの科目は除外されたが、私は例え専門科目以外であっても自分の視野を広げる、価値観を変化させるためにもこの科目は履修できるようにするべきだと考える。固定概念にとらわれずに様々なものを吸収して価値観を変化させるのは自分にとってプラスに働くことがある。しかし、その機会はただ専門科目のみを学習するのでは得られないと考える。専門科目以外でも自分の興味のある分野で学ぶことが当人に新たな可能性を生み出すので、大学側はその環境を提供すべきだと考える。

 

 

①社会思想202の講義を受けて、自分で考え、意見をまとめてそれを文章にするということはあまりやったことがなかったので自分にとってとても良い経験になりました。最初は中々考えがまとまりませんでしたが、後半はある程度自分の考えを伝えられるようにまとめられるようになったと思いました。今後、自分の考えや意見を伝えなくてはならない状況と遭遇することが多くあると思うので、この社会思想202で学んだ事を活かせていけたら良いと考えています。

2014年度入学生の経営学部、商学部は一切社会思想の講義を履修出来ないという件について、私は反対の意見を持ちました。その理由は、社会について考えていくということは、学部関係無く今後生きていく中で大切なことであると考えているからです。この科目は考えるということが重要であり、生きていく中で考えるということは沢山あると思います。その考えるという力を付けてくれる科目を履修出来なくなるというのは、残念であり勿体無いと私は思いました。

 

 

①私は前期後期ともに社会思想の授業を受講しましたが、後期もこの授業を受講したことでより文章を書くことがうまくなったと実感しました。考え方もスムーズに出てくるようになり、内容に関してももう一歩進んだ内容について書くことができるようになってきました。授業スタイルも前期と同様非常に徹底しており快適に授業を受けることができました。一年間この授業を受講することで新しいものの考え方やとらえ方が身に付き、文章を書く力も養うことができて非常に充実した授業内容でした。また機会があればこういった授業を受けてみたいものです。

②私は経営学部に所属している。前期での感想で述べたことと同様の内容になってしまうが、教養科目と銘打っているのになぜ制限を設ける必要があるのか疑問に感じる。感想の部分でも述べたが、このような授業を受けることは大きくいえば、物事に関する見識が広く深くなり、さまざまな事象を考えていくうえでより柔軟且つ多様な考え方ができるようになると考える。現に私も授業を何回か受けた後にそのように感じている。

 

 

①社会思想という講義を通して、社会システムの基本となる様々なカテゴリーを学習していると、今まで当たり前だと思っていた価値観は、「絶対ではない」ということに気が付きました。あくまで、私が持っていた価値観というのは一方的なものであって、その一方的な価値観に対して反対意見を持つ人が存在するのが当たり前です。しかし、そんな当然なことでさえ自分は気付けておらず、普段の自分の考えがいかに視野の狭いものなのかを痛感しました。

社会思想を受講したことで、小論文を書く力が成長できただけでなく、こうした価値観の捉え方の面でも成長できたことがよかったです。

②今回の教養科目改革によって、学部ごとに受講できる教養科目、受講できない教養科目が出てきたというのは、学生にとっての選択の自由を阻害しているように思いました。「その学部の学生にとって、その一般教養科目は必要でない。」と勝手に決めてしまうのは間違っていると思います。人によって価値観は違うものであり、その人にとって将来タメになる授業になりうるかもしれません。そういった可能性が存在するのに、教養科目改革によって勝手に選択の範囲が狭まってしまうのは、教育機関として筋違いなのではないかと思いました。

 

 

①この授業では、自分の今まで何気なくしてきたことや今現在していることについて深く考えられました。世界には自分とは違う思想を持った人がいてそこに面白い考え方やいいなと思うシステムがあり、自分の所属しているグループをより過ごしやすくするためにその思想やシステムをとり入れてみたいなと思いました。また、小論文などを書くのが苦手でしたが、この授業のおかげでかなり文章力、自分の考えを他人に伝える力が向上したと思います。

②本当にこの授業は受けていて楽しく、また深く考えさせられ、もう受けられなくなると思うととても残念です。この授業はどの学部でも受けれるようにした方がいいと思います。むしろ全学部の必修にすれば、自分の考え方の幅が広がると思うし、文章力、自分の考えかを他人に伝える力(プレゼン力)も向上するのでいいことずくめだと思います。是非来年度はダメでも再来年には受けれるようにして欲しいです。

 

 

①この授業で、社会問題に関する様々な思想を知り、社会に対して自分の考えをもとに議論し合う事が、より良い社会を築いていくために必要な事だと分かりました。授業では、自分にはない違う立場の意見に関心する部分もあり、さらに自分の思想を深めていく事につながったと思っています。

また、これらの議論を他者と交わす際には、自分の考えが正しい事を証明するために、物事をあらゆる角度から考える力や自分の意見を論理的に相手に伝える力が大切だと感じました。私自身、この授業を受講する前までは、新聞やテレビなどの媒体からの情報をそのまま受け入れ事が多く、問題に対して深く掘り下げる事をしていませんでした。しかし、この授業をきっかけに、新聞などの記事への批判や自分で深く考えた上での共感など、自分の考えを追求していく習慣を付ける事が出来ました。今後、この経験を活かし、社会人として、さらに自分の中の思想を深め、新しい社会システムのデザインに貢献していきたいと思っています。

②本科目が除外される事は、反対です。なぜなら、学部指定で教科科目を指定する事は、学生個人の意見を尊重していないと考えるからです。仮に、本科目を除外した場合、本科目を履修したいという学習意欲の高い学生が大学に対して不満をもつようになり、その割合が少数であれ、それは学びを重視する大学教育にとって由々しき問題なのではないかと思っています。また、本科目は文章力や思考力など、大学生として最も重要な自己を表現する力を養う事ができ、これから就職活動を行う学生にとって有意義な科目である事は、就職活動を終えた身として確信をもって言える事です。そして、卒業を間近に迎えた4年生にとっても、これから社会人として必要な力を身に付ける事が出来ます。このように、本科目は学部問わず、人間的成長を見込める科目であり、学部によって除外してはならないと考えています。

 

 

2週に一度ずつテーマが変わっていきましたが、どれも面白く感じられるものばかりでした。中でも「生命」は、自分が将来家庭をもって子供を授かった時のことを考えるような良い機会となりました。

②私が大学に入って一番心が躍ったのは好きな科目を履修できるという点です。この社会思想の講義のような、高校までの授業では学ぶ機会がなかったような講義が好きだと気付いたことも、自由に履修することができたからこその発見だと思います。学ぶきっかけを奪われたことと同じに感じるので、この改変には賛成できません。

 

 

①毎回の講義や小論文のたびに、自分自身はどんな意見なのかを深く考えることができる。

こうした機会は日常の中でないから、いつも新鮮な気持ちで臨めて楽しかった。

②この講義は、両極端な考えを選択し、それについて自らの意見を述べる訓練になると思う。講義内容としては、そりゃ経営学や経済学には直接つながらないが、この講義を通して自己の持つ考えを主張し、文字にして表現する力を養えると思う。専門分野にこだわりすぎてむやみに講義を除外していくのは、ちょっと視野が狭いような気がする。

 

 

①社会思想202について、私は前期201も履修していたのですが、本講義は、人間の倫理的観念から、真逆の立場の二つを、それぞれの立場に立った景色から、是非を問うことを通し。自分の頭で考える講義で。これは人の成長の意味そのものと言える行為であり、うまくそこに促すばらしい講義だと思っています。

②来年度から、履修されなくなるのはとてももったいなく、悲しいです。ありがとうございました。

 

 

①社会思想という授業名から、最初はどのような内容なのか見当もつかずに授業に参加していたが、毎回のテーマとスライドがおもしろくてとてもためになった。

②来年度から経営学部がこの授業を履修できなくなることは理解しがたいことだと思う。他の授業よりも、普段の生活とつなげやすく将来の役にも立つと思うので全学部が履修できるようにすべきだと思う。2回に1度の小論文も力が付くしとても良いと思う。

 

 

①社会思想202を受講し、様々なテーマに関する講義は自分にとって非常に興味深い内容であった。自分があるテーマについて考察し、論じていくことは、これから社会にでていくために最低限必要な能力である。いろいろな講義を受講しているが、毎回論述を要する講義は松井先生の講義だけなので、文章を読みとり、考察し論じる能力が向上し、試験などで論じる際に活用することができた。そして、講義のテーマを絞ることなく、労働や生命などの幅広い内容は自分にとってとても新鮮で、普段何気なく行っていたり、自ら考えたことのない分野に関して自分の知識の乏しさを痛感し、社会の複雑化した問題に対する興味と影響を受けた。特に生命に関する内容の論述はテーマとして非常に大きく、難しい内容であったため、自分なりの答えを出すのに苦労したが、自分にとって良い経験となった。

②松井先生の講義を受けられなくなってしまうのは非常に残念であると自分は思う。なぜならば、経営学を学んでいる自分たちにとって、いかに自分の意見を確信ある根拠として説明できるかが必要であり、論証力も重要な能力であるからである。そしてこういった能力を身につけるうえで、社会思想のような内容が少なからず今後、社会に出ていくために必要となってくる。なので、自分は松井先生の社会思想の講義を受けられなくなるというのは残念であると感じた。 

 

 

①広い視野で物事を考え、今ある問題を改めて見つめなおすきっかけとなった。 

②「社会思想と現代」を学びたい人がいるのかのニーズを調べて、考え直すべきだと思う。

 

 

①私はこの講義は社会の事柄を二つの側面からとらえて、自分が正しいと思う意見を決めて論述していくという授業形式がとても新鮮で楽しいと感じた。この講義を通して文章を書くことに慣れていったこともよくわかり履修してよかったと思う。

②非常に残念だと思う。専門科目を学ぶことがすべてではなく、教養科目でも学べることはたくさんあると感じる。

 

 

①松井先生の講義は自分の思想を押し付けるわけではなく、私達生徒に二つの与えられた立場のどちらかわ選択し、自由に自分の意見を書かせてくれます。そのため自分の考えを文字に起こす能力や、一貫性のある考え方ができるようになりました。教養も身に付き一石二鳥、いや、それ以上のものを得ることができました。一年間ありがとうございました。

②前期にも述べましたが私は反対です。この授業で培える能力はどの学部に対しても必要不可欠であると考えます。

 

 

①全後期と社会思想を受講し、世の中の様々な事柄に対して、自分がどう思っているかなど自ら考える機会が増え、とてもためになる授業でした。自分の考えを文章で述べる形式は文章力、思考力が養われよかったと思います。

②二週に一度のテストや、自らの考えや文章力が身につく授業だったので多くの人が受講できる教養科目に残すべきだと思います。

 

 

①この授業を受け、私は社会思想について初めて深く考えることができました。

また、多くの視点を知ることで自分の考えも多角的になり、是非の判断を深めることができたと思います。

②経営学部では新入生が社会思想の授業が取れなくなるのは、大変残念なことだと思います。基本的な論述のスキルや論理的な思考を身につけるにも役に立つ授業だったので、是非経営学部の教養科目に復帰して欲しいです。

 

 

①まず松井先生の社会思想202を受けての感想です。最初のイントロダクションで二回の講義のうち一回は論文を提出ということで、それを聞きすごく不安な気持ちになりました。なぜなら、私は論文や文章を書くことがとても苦手だったからです。実際講義が始まり一回目二回目の論文提出では文字を埋めることで精いっぱいですごく大変だった覚えがあります。ですが先日行った最後の総括の論文を書いた際にはするすると書きたいことが出てきて、この講義を受けた成果を身に染みて感じることが出来ました。

②私が所属する経営学部では、本講義を一切とれなくなったことについて、私は学部関係なしに本講義を受け様々なことを得られました。上で述べたように、論文、文章を書く力がついたと思いますし、何より私たちが置かれている世界の状況や社会システムなどについて学ぶことができました。生きていくうえで知っておかなければならない知識を得ることができたと思います。ですので本講義を選考できなくなったのは残念に思います。 

半期という間でしたが松井先生の社会思想の講義を受けることができ、たくさんのことを得ることができました。ありがとうございました。

 

 

①社会思想という授業は様々な面で私にとってとても役に立ちました。普段、軽く考えてしまうかもしれないテーマに対して二つの立場から細かく聞かせていただき、自分の考えを確立できるよい機会になりました。たまにはどっちの意見も合っていると思ってしまうこともありましたが、きちんと、考えを整理して立場をはっきりすることを学びました。授業の2回ごとに小論文を書くのは確かに大変な課題でした。しかし、文章を書くことによって作文に対する拒否感がだんだんなくなりました。慣れてきたというよりはテーマに対する自分の考えを書く楽しさが分かったからだと思います。また、様々な考えをすることで気づけなかったことも分かるようになりました。何よりも楽しい授業だったと思います。

②経営学部の学生として社会思想という授業を受けてよかったと思う。教養科目として受けられなくなることは非常に残念だと思う。これには二つの理由がある。一つは、あるテーマや意見などについて考えを整理する能力が伸びた。経営者は組織を経営するうえで様々な選択をすると思う。自分が気づかなかったことによって間違った選択をすることもあるかもしれない。社会思想の授業を受けてこのようなことを実感した。もう少し、考えれば、最初の選択が間違っていたことに気づき、判断することは出来た。二つ目は、授業で取り上げるテーマである。労働や自然など、社会からの認識をきちんと把握し時代の流れを読む機械になると思う。簡単に扱ってしまうかもしれないが、授業で取り上げたテーマは経営をするうえでとても大事な問題だと思った。たとえば、労働のテーマは経営をするうえで従業員に対する管理や理解をする時必要なテーマだと思う。それゆえ、私は経営学部の学生は教養科目として社会思想を受けたほうがよいと思う。

 

 

①私は、通年で社会思想を受講した。最初は、この授業のシステム・体系が、他の授業と少し異なっていたため、慣れるのに大変だった。けれども、一年間を振り返ると、テストの際に、何十行も書くことも苦ではなくなったし、ペンが自然に動くようになったように思えた。

 その中でも、私が後期の授業で一番印象に残っているテーマは第8,9回の「生命」である。私は女性なので女性の立場でこのテーマを真剣に考えると、とても奥深い内容だと感じた。人工授精や人工中絶やクローン化は、現在の医療技術においても新聞や、ニュースでも取り上げられるほど重要な問題である。授業では、衝撃的な画像などを見たが、しっかりとその画像を見て、どのようにして中絶が行われているのかを学ぶことで、命の重みを私は再確認することができた。また、自分もいずれ結婚して妊娠をすることがあるかもしれない。その時に、この授業を思い出すくらい私にとってはとても印象深い授業・テーマだった。

②また、2014年度から実施された教養科目改革により、どの教養科目を履修するかは各学部が指定することになったという問題において、私は経営学部や商学部が社会思想の授業を除外されたことをとても残念に思う。大学に来たということは、自分が学びたいことにお金を出して学べるからである。それなのにもかかわらず、受けることができない授業が発生するのはおかしいのではないか。

 この授業は、経済的背景などから社会の考え方や思想をとらえるものであるから、経営学部や商学部に必要ないと判断されるのは間違っていると思う。私は、社会思想の授業を受講して、社会のシステムや社会の望ましい姿を考えることができた良い機会だった。

 

 

①社会思想202では、労働・ジェンダー・多文化主義・生命・自然・市場の6つの課題について考えた。その中でも私が最も印象深かったと考えるのは生命についてである。私はこの課題に対し、医療技術の生命への適用を賛成した。なぜ、生命に関する課題が最も印象的であったかというと、私もいつか母親となった時、生命に対する決断をする時がくるのではないかと考えたからである。この世には生まれてきてほしくない人間など存在しないと思うが、やむを得ない事情によって生まれてくることのなかった命があることも事実である。もしも自分がそういった状況に立たされた時、果たして決断することができるかと考えた。また、外国の貧しい国などでは、自らの臓器を売って生活している人もいるということを初めて知り、自分の今の生活のありがたみや、そういった人たちの生活をどうすることもできないのかと思い、とても印象に残っている。

 この授業を通して、書く力というものが自分に身についてきたことを実感し、レポートに関してもやはり回を重ねるごとにより内容も濃く、文章の量も増えていったように思う。

②私は現在経営学部の2年生であり、松井先生の社会思想の授業は1年生の前期にも受講した。その時から社会思想で取り上げる、現実にある社会システムについての考えに興味を持ち、もっと学びたいと意欲を持った。また、履修している間は毎回の授業で取り組む課題について、本気で向き合い自分の考えをレポートにぶつけるという作業がとても自分の力になったと感じていた。そのため、来年度から経営学部の生徒は社会思想を履修することができなくなってしまうと聞き、ぜひ来年度の多くの生徒にも私と同じような感覚を味わってほしかったため、少し寂しくなった。 

 

 

①この授業では毎回様々な課題を通して社会について学ぶことができた。特に、生命という課題は興味深かった。医療技術というものがあることで私たちは困難な病気にかかっても生きることができる。また、臓器を提供し、売買することによって一人の命を救うことができる。しかし、人間の命を商品化してよいのか、というようにとても考えさせられた。この授業は二択に対してどちらにもメリット、デメリットがあり、それを自分の言葉で表現し、論述にするので、自分の考えを表現する力が少しは伸びたと思う。とてもためになる授業だった。

②私はこの授業の1011年生の時履修しており、とても興味深かったため2年生でも履修した。確かに自分の選んだ学部であるからこそ、その学部で学ぶべきことを学ぶことが一番大切であるが、大学のいいところはそれ以外にも自分が興味を持っていることを自由に学べるところであると私は思う。その自由を奪われてしまうのは私はよくないと思うので、従来通りのシステムに戻したほうが良いと思う。

 

 

①この社会思想論は、現在社会で起きていることを学び、それをレポートに記すというスタンスは非常に良いと思います。勉強はインプットとアウトプットが必要だと考えており、単元ごとにこれらを行えるのは効果的だと思います。

②また、2014年度入学生から教養科目の指定が行われたことに関しては、残念です。今はいろんな視野から学ぶことが重要だと考えます。また、社会思想が受講できないのも気の毒です。自分の意見を素早く端的書くことによって文章力が身につきます。こういった授業を大切にするべきだと考えます。

 

 

①私は1年生でもこの講義を受講し、自分の意見をアウトプットする能力が身についたと感じています。なかなか授業を聴いて自分の意見を紙に書くという内容の講義はないので選択して後悔していないです。前期と後期で合わせると通年授業を受けたのですが、最初のころはあの量の文章を書くのに苦戦していましたがだんだんと慣れ、しっかりと自分の意見がまとめられるようになりました。

②こういった授業はどの学部にも求められる能力を身につけることができるので教育改革で経営学部の生徒が社会思想を選択できなくなるのはとても残念に思います。

 

 

①この授業は私が大学生になってから受けた中でも、かなり有意義な講義であった。携帯電話の使用禁止・先生からの質問等により授業中は緊張感があり、他の授業にありがちな他の生徒による私語などで悩まされることがなかった。授業内容も大変おもしろく、説明も具体性があって非常に分かりやすかった。参考資料も豊富であり、レジュメの穴あき部分の量も適切で、まったく飽きることなく授業を受けられた。そして何よりÓ生徒自身に考えを書かせるÓというスタイルが良い。なんとなく、で終わらせがちな授業の内容を復習し、理解し、再度自分の言葉で表現することにより、学んだことを自分のものにできたからだ。また受けたいと思える素晴らしい講義をありがとうございました。

②来年から経営学部の生徒が受講できないという事実は大変残念である。この授業は教養という面で自分を高めることができるからだ。他の大学の友人や、学費を出してくれている両親にも「こんなことを勉強しているんだよ」と話せるくらい有意義なこの講義を、ぜひ多くの生徒が受けられるような制度にしてほしい。

 

 

①この講義ではなにかを学んだという意識はなく、自分の意見を以前よりも強く主張できるようになったと思う講義であった。ほかの講義は内容重視が多くみられるが、本講義は実践できる力が身につく講義だと思う。

②年度によって学べる教科が変わってしまうのはおかしいと思う。

 

 

①世の中にあるものが見方を変えれば、違うことも見えてくることを学べた講義であった。自分ではそれが一番世の中にとって良い考え方である、と思っていた事柄が悪い側面も持っていたことに気づけたのだ。自分が良いと思っている考えの良いところばかりだけでなく、欠点も見ることで他の考えにたどり着くこともあった。そうしたことを何度も講義を通してやったことで、この先をどうしていけばよいのかを容易に考える力が身についたのではないかと私は思っている。

また、講義内容はどれも、過去のことではなく現在進行形で世界の誰かが抱えている問題であるように思われた。学んだことをそのままにせずに、どこかで生かしていけたらよいと思う。

②私はこの社会思想を通して、普段は気づけない問題に一部なのかもしれないが学べた機会であったと考えている。確かに、学部によっては必修にすべき科目が多い場合や、専門科目を多く履修してもらいたい場合があるのかもしれない。しかし、経営学部にとってこの科目で学んだことは企業経営に利用していける内容だと私は考える。今回の講義で学んだ、労働、ジェンダー、多文化主義、生命、自然、市場のどれも企業が関連しているのではないだろうか。講義で学んだ欠点だと思うところを補えるようなビジネスを将来、考える可能性がないとは言い切れない。むしろ、欠点だと思うところを覆せるようなビジネスを始めるかもしれない。今後、経営者を目指す者が多い経営学部にはなくてはならない科目であるだろう。また、この講義を履修していなければ気づけなかった、社会の仕組みが私は多くある。大学で社会の仕組みを学べたことは非常によい経験をしたと言える。なので、自分の学びたいことを学べる機会を大学側はつくるべきだと私は、考える。

 

 

①自分の考えを文にする楽しさ、そして難しさを知りました。もっと文章力を鍛えていきたいです。

②自分の考えを文にすることを強制される講義はなかなかないので、それが出来るこの講義は貴重だとおもう。なので全学部受けられるようにした方がいいとおもう。

 

 

①社会思想の講義では、さまざまな議題について考えさせられた。個人の考えがあり、それは正解がなく、いかに自分が日頃物事に目を向けていないかを実感した。私が本講義で印象に残っているのが、生命倫理に関する医療技術の生命への適用に関するという問いである。医療技術の発展に反対する意見として人間がクローン化し、操作された人間を生み出す社会になることの危険性が生じる。また、優生思想の考え方は、一種の考え方として人間の感情が欠落したように思える。しかし、医療技術が発展してくことで今まで治ることのなかった病気の治療を施すことができ、新しく誕生する命の可能性を広げることもできる。私はここで反対という決断を下したが、もし実社会で私の意見が施行するとなると必ずメリットもデメリットも生まれる。つまり一人一人の意見はそれほど重要な役割を果たし、社会に反映される。本講義でアイデンティティを持つことの良さを感じた。生まれ育った環境や価値観が異なるため、多くの人の意見が吸収できるように感じる。こういったことを考える機会が生活の中には少ないように感じる。そういった意味でも、社会に対する問題意識を考えるよいきっかけとなった。私はこれからも身近な社会問題に目を背くことなく、当事者意識を持って自分が社会に貢献できるような役割を果たしていきたいと考える。

②この講義は、他の講義とは異なり回答があり答えを出すようなものでもなければ、ビジネス用語を使って説明するようなものでもない。私たちが日々感じてきた感情や培った考え方を社会問題に目を向けて自分自身に問う講義だと私は考える。普段の生活では見えてこない社会の現状を知り、Ò自分ならどう考えるかÓと向き合うことができ、有意義な時間を持てた。それが本講義の良さだと感じる。私は、一人でも多くの人に本講義を受講してもらい私自身が実感したような思いを感じてほしい。なぜなら、普段の生活ではそういった場面がとても少ないからだ。社会問題はもちろん自分自身と向き合うことのできる時間を持つことはとても重要な意味を果たすだろう。よって、私はこの本講義が学部問わずに学ぶことができるようなシステムにすべきであると考える。

 

 

①私は社会学202を受講できて本当によかったと思っています。定期的に自分の意見とまとめ、文字で書くという授業は最初本当に嫌でした。ですが、シラバスにあった通り、回を重ねるごとに自分の意見を文字にしていくことが苦ではなくなっていきました。まだまだ文章を書くことは下手ですが、こうして文を書く場を与えてもらえて感謝しています。また、自分が今どれだけの点数を取れているのかが、わかるため非常に安心で、授業に出席して小論文を書いただけ点数が入るということで、評価方法もとてもいいと思います。この授業を受けることができて本当によかったです。

②今年度の入学の人たちから、この授業を取れなくなるのは非常に残念です。自分の意見を持つ場や、文章を書く練習の場が失われることもそうですが、この授業の内容を聞くことができないというのはもったいないと思います。学生の学べる領域を狭めることは教育改革ではないのではないかと思います。大学でいろいろな分野を学んでみたいという学生は少なくないはずです。むしろ自分の学部の授業よりも他学部の授業のほうがおもしろいと感じることさえあります。なので、私は教育改革には賛成ではありません。

 

 

①この社会思想の授業を受けて、自分の身近なことから、社会全体を取り巻くことまで、様々な問題を知ることが出来ました。その問題について、自分なりに考えることもでき、とてもいい経験になりました。履修してよかったです。

②自分は経営学部で簿記やマーケティングについてまなんでいますが、このような一見、経営と関係ないことでも、自分の知識や経験として蓄積されるので、2014年度入学生から、いかなる学年においても一切本科目を履修できないのは、よくないと思います。

 

 

①この科目を受ける前は難しい内容をやりそうで不安もあったが実際は先生の説明やスライドの写真や図なども非常にわかりやすく面白いものであった。また講義に出席していくうちに、今まで知らなかった知識がどんどん増えていくのがとても楽しかった。動物関係の話も聞いてみたかった。

②感想でも書いたが、本講義は日常で生活していく中で考えさせられる内容を是か非かの立場で比べ自分自身意見感想を書いていくという形で、文章力も身につくし、知識や今まで考えたことのなかった考え方も学ぶことができるのでとても良い講義であると思う。よって本講義が履修できなくなることはとても残念である。

 

 

①この講義は後期から履修し、最初のころは小テストの記入に苦労しました。述べたいことがうまく書けず、何とかして量を書くのが精一杯でした。前期から履修している人もいて、書く内容と量、早さに驚きました。講義で扱った課題はすべて興味深いもので、課題に対して多くの考え方を知ることができました。今までの教養科目のなかで、印象に残る科目でした。

 ②経営学部がこの講義を一切履修できなくなるのはよくないことだと思います。まず講義が学生も参加できる形式のもので、自分の意思表示をするようになります。2回ごとに行われる小テストによって、書く力もつくようになると思います。意思表示、文字を書くというのを苦手にしている人が多くいるので、この講義はそういった力を身につけるのにとても効果的です。そして講義の内容も学部に関わることなく、現在では重要な課題だと思います。社会について考える、このことについてはどの学部においても大事なことではないでしょうか?これらの理由から経営学部がこの講義を履修できなくなるということには反対です。