2014年後期 ネットワーク情報学部

 

①今回社会思想202を受けて数多くの社会のシステムについてよくわかりました。知らなければいけないことを知り、更に知識がついたように感じます。また、各授業ごとに小テストが行われたことに関し、ますます知識が増え、また復習をするような環境になり、理解度が増しました。ありがとうございます。

 ②今後の教養科目改革により、履修できる人間の幅が減ったことに対して、この授業はこれから先役に立つことを教えてくれる授業、一般教養がつくので、どのような人間でもりしゅうできるようにするべきである。

 

 

①私は自分の意見を論理的に作文する機会があまりなかったため、作文がとても苦手だった。なので講義の前半では文を書くのがあまり進まず授業がつらかったが、回数を重ねていくうちにだんだんと書けるようになった。そして最終的には書くスピードも上がって文を書くのが楽しくなっていた。この講義を通して苦手で嫌いだった作文が楽しくなったので。この講義を受講してとても満足している。作文の能力が上がっただけでなく授業で取り上げた内容もとても興味深いもので楽しかった。

②私はネットワーク情報学部に所属している。ネットワーク情報学部は必修の授業でレポートを書く機会は多いが、そのレポートの技術を向上するための授業がすくない。ましてや論理的に考えて作文する授業はほとんど無い。この講義を受講することで論理的に作文する能力を向上させることができるので、この授業を受けられなくなるとネットワーク情報学部だけではカバーしきれない分野を学べなくなってしまう。なので3年生以上が受講できなくなるのは良くないと思う。

 

 

①2回に1回レポートによるテストがあることが非常に印象的だった。最初は少なからず抵抗を感じる部分もあったが、実際にやってみると2回毎ということで授業の内容にメリハリができることに加え、内容も覚えているためレポートに取り組みやすかった。

 また授業中の規約違反の生徒に対する厳正なる処分も印象的だった。授業中の携帯電話の操作に対して、使ってはいけない意思を明確に伝えられることは大学の授業においてとても珍しいことだと思う。もちろん授業中に携帯電話の操作などは前提として禁止されていることだと思うが、それに対して特に厳しい対処はされていないことが多い。しかし、本授業は発覚した瞬間退出を促されるものだった。個人的にそのような厳しい対処がされるおかげで、私も含め他の生徒はより集中して授業に取り組むことができたと思う。私語もとても少ない授業だったので、授業の内容に集中して臨むことができ、結果レポートを書く力も以前よりはついたと感じる。2回に1回のレポートテストや携帯電話使用に対する厳正な対処、全体を通して私語の少なさなど、生徒が授業に集中しやすい環境が非常に整った授業であると感じた。

 ②そもそも大学は必修科目を除き、基本的には生徒が受講したいと感じる講義を選ぶことが出来る環境であるべきである。生徒の自主性を重んじなければ、特に興味無い講義を受け、何となく単位を取得するという繰り返しになりかねない。こうした傾向は大学生に多く見受けられることだが、非常にもったいないものだと思う。単位の為のみに講義を選択するようなことが多いと、結果的に講義中の携帯電話の操作や私語、居眠りなどにつながり、先生にとっても生徒にとっても意味がない講義になってしまい、大学としても損失だとも思う。

 その中で、人文・社会系の教養科目は講義内容に興味を持つ学生が多いと感じる。せっかく講義内容に興味を持っても、履修することが叶わなければ結局妥協した授業選択を行っていまい、ただ単位のためだけの講義になってしまうかもしれない。そうしたことを避けるためにも生徒の自主性を重んじ、多岐にわたる講義選択が行える大学であってほしいと考える。

 

 

①自分の意見は多少前から共産主義側に傾いていたような気がしてはいたが、この授業を通して、より自分が現代社会の中では、比較的共産主義的な人間なのだと再認識することができた。

レポートに書かれた議論の中では、私が小論文を書くために必要な前提があやふやになっているものも多いように感じ、意見を主張する上で、自分自身が自分自身の小論文に疑問を持ちながら書いていることも多かった。

 また、やはり、毎回時間内に満足できる、かつ、しっかりとした論文を書くのは難しかった。ほとんど論理的な出来ではなく、先生を満足させる出来ではなかったと思う。

 この授業以外の予定との兼ね合いもあるが、当日量さえ書いてしまえば、単位はなんとかなるという感覚に事前にしっかり文章が書けるよう、レポートをまとめるなどを行わなかった原因だとも思う。しかし、前述したように授業形態に原因を求めることはできるが、本来、私の怠慢が原因であり注意したい。

4年間大学にいて、私のような能力もない大学生にとって、人文社会系の教養科目は、比較的簡単に単位を入手できるように感じます。これは同じ学部の友人間でも言われていることです。その点では、大学卒業しているにも関わらず、大卒程度の学力もない卒業生をつくる温床に、人文・社会系の教養科目がなっていることも、もしかするとあるのかもしれません。

しかし、一般教養はやはり、好きなことを気になったときに、履修し、学習できるというメリットがあるように思います。私も、ネットワーク情報学部に在籍していますが、哲学や人文などの科目に興味があり、そういった一般教養を中心に授業を受けさせていただきました。

入学当時、芸術に興味関心などなかったのですが、学部でデザインを少しかじり、アートなどの芸術にも少し知識があれば良いなという気持ちや、デザインへの反発からなどの理由から三年時に芸術学を履修しています。

結果、大して学部で良い成績も収められず、どこか自分のやりたいことなのかどうかという疑問も、うかびつつあった学部の勉強よりも、楽しく、かつ私の価値観や考えに大きな影響をいただいたと感じており、大学生活において忘れられない授業となりました。人文社会系の授業が3年次以上に解放されなくなったのは、それなりに理由のあることだとは思います。

しかし、どのような理由があろうとも、学生が学びたいと思っていることを、専門家である先生方に学ぶ、機会を減らすようなことがあっては、学生にとって、損になることはあるのではないかと考えています。

 

 

①最初は、厳しい授業だと感じた。携帯など授業に必要ないものを使わないということで、正直めんどくさいと思っていた。しかし、最初はめんどくさいと思っていたが、講義を重ねるうちに改めて授業に向かう姿勢を考えさせられた。授業内容だけでなく授業に打ち込む姿勢まで学ぶことができてとてもいい経験ができたと思っている。

②大学は学ぶための場所であると私は考えている。なので、在学中教養科目であるならば学部・学年関係なく学べるようにするべきではないかと私は考えている。なぜなら、教養科目に制限をかけてしまっては学ぶ意欲を阻害してしまうと私は考えているからだ。

 

 

①最初はレポートを毎回書くということで、長い文章を上手く書けるか不安でした。案の定、意見や考えが飛んでしまい、何が言いたいかまとめるのが大変でした。しかし、書いていくうちに、段々と慣れが出てきたように思えます。最後のほうのレポートも、上手くかけていたとは言えず、反省点は多々あります。しかし、一貫した主張を最初に決めて、それに向かって文章を組み立てることを意識できるようになり、意見を述べるのが楽しくなりました。

②自分にとっては非常に勉強になった授業だったので、来年度は三年次のため、友人に薦められないことを知って残念です。そもそも学生が学びたいのに授業が取れないというのは意味が分からないです。大学生に勉強させようとしているくせに、取りたい授業は取らせてくれないのはどういう意図があるのでしょうか?専門科目は必修として学び、他に学びたいことがあるからこそ一般教養科目があると思っていたので、非常に残念です。

 

 

①社会思想202では、前期後期ともに履修したが、意見の対立する考えの立場にたって自分の考えを述べるので、自ら考えそれを文章に起こす力が付いたことが非常に自分のためになったと思う。自分で考えることが多かったため自分の考えや意志を相手に伝える就職活動の面接などにも、役に立ったと思っている。3年次に履修すればもっと就活に役立てられたのではないかと感じている。授業中の電子端末の規制によってもより引き締まった良い授業になったのではないかと感じた。

②個人的にこの授業で多くのことを自らの力にすることができたと思っているので3.4年生になってこの授業の評判を聞いて履修しようと考えている学生は非常に気の毒であると思った。

 

 

①前期に開講された「社会思想201」に引き続き、各週のテーマについて論理的に考えることの難しさ、重要さが学べたと感じました。

個人的意向や思想を踏まえて考えるとどっち付かずな結論になりがちで、小論文を書く時には、個人的な意向ではなく完全な論理として考えて書き出す必要があり、特に週を重ねる毎に、前回のテーマでの意見・意思を意識し過ぎて書きづらくなることが多くなりました。

②ネットワーク情報学部では、1年次に「アルゴリズム的思考法」という所謂プログラミングに必要不可欠な論理的思考を養う必修科目があります。しかし、2年次以降ではそうした必修科目は存在せず、また、レポート類よりも、デザイン作品やプログラムといった成果物の提出が多くなり、必然的に文章を記す字間が少なくなります。その中で、文章を書き出す力、構文を考える力、論理的に考える力を養える授業は少なくなっています。34年次で履修ができなくなることで、履修の機会が単純に半分になり、かつ、2年次までに取り逃がしてしまった場合、完全に手遅れとなってしまうことは問題であると考えています。