文学部

 

金曜2時 限

 

@この授業を受け、普 段生活をしていて無意識にそうだと思っていた社会の規範理論を自分なりの根拠を持って改めて学ぶことができた。また、社会のあり ふれた出来事や現象に関心を持つようになり、そのプロセスを探求するようになった。それぞれのテーマに基づき、小論文を提出する ことで自分の意見を持ち、伝えようとすることで、自分自身でも文章能力が確実に上がっているという手ごたえを感じることができ た。

授業のおこない方も他のどの授業よりも緊張感のある ものだったので、この授業に対しての取り組む姿勢がとても意識の高いものとなっていた。自分の知らないことを学べるだけではな く、そこで社会に対しての自分の意見をもち、論述でまとめることで、自分の力をより引く出すことができ、とても満足感のあった授 業であった。

Aそしてこの授業が1.2年生だけの対象となり、3年 次から履修することができないことについて、私は反対である。この授業で社会について学ぶことが出来るだけではなく、学生の論述 などの能力を向上させることができるのだ。その対象を狭めることで多くの学生から、このようなチャンスを奪うことになってしま う。私自身、この授業は取り続けたいと考えている。この授業の利点が多いのに反して、なぜそのような変更が行われてしまう必要が あるのだろうか。

どのような授業を受けるにも対象がこのようにまで限 られるようになってしまうと、学ぶ権利はどうなってしまうのだろうか。学生の学びたいという意思に背いてしまっていいのだろう か。学生の意見に耳を傾けることもなく、大人や職員の考えだけでこのような決定がされてしまっては、我々の権利はどうなってしま うのだろうか。この授業で学ぶのは我々学生たちであり、このような決定に意見を述べ、参考にされる権利があるべきだと考える。

 

@この授業を受けるよ うになってから日常生活において当たり前のように存在している幸福や自由など授業で取り扱ったテーマをよく深く考えるようになり ました。また私は元々文章を書くことが苦手であり、授業を受け始めた頃は上手くまとめることが出来ず焦っていましたが、隔週で書 くようになって苦手意識が徐々になくなっていき、今ではスラスラ書けるようになりました。他の授業で苦労することなく短時間で書 き終えることが出来ました。この授業を受講して本当に良かったです。前期の3か月間、ありがとうございました。

A教養科目は自分の専 門としている分野以外で学びたいことや興味のある内容を学べる時間です。受講したいという気持ちが強くても人数の関係上受けられ ず、来年受けようと考えている人に違いありません。それなのに履修できる学年が限られていたら仕方なく受講を諦めざるをえない人 も出てくるでしょう。これは不平等だと思います。自分のやりたい授業を受けないと生徒もやる気は起きません。人それぞれで興味や 関心は異なるので、どの学年も関係なく平等に受講できる形にしてほしいです。

 

@         本科目を受講し、まず 第一に論述力がついたことがとても印象に残っています。隔週に小論文という若干のハードワークでしたがきちんとその課題に取り組 むことにより予定にたいしきちんと準備することにもなれました。また、考えたこともない問題に向かうことで新たなことを考える能 力もついた気がします。総じて、この授業をとることによっていろいろな能力が向上したと思います。

A 感想でも書かせて いただいたように自分としてはこの授業をとったことで様々な能力、技能の向上を実感できているので自分の後輩になるであろう学生 たちやまだ松井先生の授業を受けていない学生にも松井先生の授業をうけて欲しいと思うので履修制限には反対します。

 

@私は今まで自分の考 えを文章にすることが苦手だったが、この授業を通して少しずつ克服できたように思える。小論文のテーマは、どの立場を選ぶか非常 に難しかったが、今まであまり考えなかったことも深く考えることができ、またそれはとても楽しかった。

Aこの授業が教養科目 改革により、履修できるのが1,2年生に制限されてしまうことは残念だ。 文章力や論理的に考える力をつけたり、様々な視点からのものの見方を学ぶことができるので、この授業はなるべくたくさんの人に 取ってほしい。またこの授業に限らず、学生が学ぶ機会が制限されてしまうのはよくないと思う。

 

@この授業をとって、自分の考えを文にする力が以前よりついた。また、普 段考えないような内容だったため、深く考えることができ、自分の考えをまとめることが出来たと思う。Aこの授業を限られた学生し か受けることが出来なくなったことについては、残念に感じる。この授業は、学部学科関係なく、人として考えさせられる授業だっ た。

@この科目は、社会学 とは何かを1年の自分にも大変わかりやすく説明されていて、非常に聞いていて興味がわきました。

A         2年だけではなく、 3,4、年でも受けられたらうれしいとおもいます。

 

@         「社会思想と現代」という授業であったが、「幸福」や「正義」については私が今学んで いる哲学の分野と似通っているところがあったので、考えを進めていくのがとても楽しかった。後半は自分でプリントを用意しなけれ ばならなかったり、早めに教室に行かないと座る場所がなくなったり、小論文をたくさん書かねばならなかったりで少し授業に出るの が億劫になる時もあったが、終わった今はこの授業を取って良かったと思う。

A         人文・社会系の教養科目の中にたくさん興味のある講義があったので、一、二年の間のみ しか取ることができないのは少し寂しく思う。@でのべたように、文学部で学ぶ内容と似通っている部分もあるのだから、学年で限定 されたり学科で弾かれるというのは少し違うのではないかと考える。

 

@一言で幸福といって も自由主義と社会主義では示していることが異なるといったような、幸福や平等、民主主義などは日頃よく耳にする言葉の中にも多様 な見方があるということを学びとても良い収穫でした。2回に1回の小論文は初めのうちは負担に感じていましたが、回を重ねるにつ れ小論文の要領を掴めるようになり、自分の意見を文章におこして表現することが楽しくなってきました。

A私は3年生以上も履 修できるようにするべきだと思います。大学の利点であり特徴でもあるのが、学生は履修したい講義を履修したいときに出来ることだ と思っています。友達の通っている大学では学科間の縛りも緩和して、講義の選択の幅を広げているそうです。学生の履修のタイミン グを大学は縛るのはいささかおせっかいだと感じますし、周りの流れにも逆らっているように思います。

 

@ 私は哲学科ですが 元々社会学にも興味があったので、教養科目としてこの講義が受講できたことは良かったと思っています。毎回リアクションペーパー を提出することでそれぞれのテーマについて自分の考えを明確にすることができたので、ただ話を聞くだけではできない深い学びを得 られました。

A 文学部は必修科目 も多く、取りたい講義と必修が被ってしまって受講できないということが12年生の内は多いのではないかと思うので、受講できる学年を限定してしまうという のは、学生の学ぶ機会を奪ってしまうことになりかねないのでよくないのではないかと思います。

 

@         色んな目線からの色々な意見をしることができて、とてもためになった。

A         何年生でもこの授業を 受けられるようにしてほしいなと思う。たくさんの人に受けてほしい。

 

 普段考えない幸福や 正義について考えさせられ新たな見方を持ててとてもいい講義を聞けたと思う。しかし幸福や正義、平等などは人によって考え方が違 うので答えがないので見つけるのは難しいだろう3,4年生もこの講義を受けていいと思う。

 

1.         感想

幸福、自由など普段あ まり深く考えないことを深く考えることができた。簡単そうに見て実は奥が深くとても難しいなと感じた。私は授業を通して自由主義 派なのだなと実感したが、他の意見も一理あったりして面白く感じた。さまざまな思想を理解して上で今後自分がどのように生きてい くかを創造したりした。難しいことではあるが、社会人になる上で自分のしっかりした考えを持つことは重要であり、そこのことにつ いてこの授業は役にたった。また、考えを文章にまとめるということも大事なことであり授業を重ねるごとに上達していったと思うこ とができた。

2.         意見

私は1年生だからまだ人文・社会系の授業を履修することができるが、このような科目は 社会人になる上でもとても役にたつと思うので3年生以上でも履修できたら いいと思う

 

1.本科目を受けての感想

 この科目を選んだ当 初、社会思想、という言葉にひかれて選択した。シラバスを読んだら自由や正義といった言葉が並び、ますますよく分からなくなっ た。率直に言えば、受けてよかったと感じている。普段ならほとんど考えないことをこんなに考えたのは初めてに近いかもしれない。 また、学部が学部で普段パソコンでレポートや小論文を書くことが多いそんな中、この科目では手書きの小論文を提出していたという ことだ。手書きで書くのは中々に難しかった。しかしパソコンと違って自分の手を動かして書いた文字を読むというのも面白かった。 とても考えさせられる授業だったが、自分の今後に役に立ってくれると考えている。

2.意見

 率直に言えば、もっ たいないと思った。12年 が受けられるのは良いが、もうあと数年で社会に出るという3年生以上がこ の科目を受けられないということが残念だと感じた。12年生が社会に出るのはまだまだ先と考えてしまうのもおかしいかとは思うが、それ よりも先に社会に出る人達にこそ、自分が生きていく、受け入れていかなくてはならない社会のことを考えて欲しい。そして、自分の 考えを持って社会へ出て行って欲しいと考える。

 

@とても興味深かっ た。生活していて1度は聞いたことのある言葉、でもよく意味はわかっていないことが手に取るように理解できた。それに加えて、社 会はどうあるべきなのか自分で考えるいい機会になった。この授業は自分で考える力と伝えたいことをまとめる力がつくのでどの学生 も受講して損はないと思った。

A私は、どの学生にも 履修するチャンスを与えてほしいと強く思う。私の経験上、12年は専門科目で忙しく、教養科目はあまり履修することができなかった。そのた め、34年に なって初めて興味がある教養科目を履修することができた。このような私の経験があるので、どの学生にも履修する権利を与えてほし い。

 

 今回、履修して何よ りも実感したのは、自分の視野が広がったということです。専門の授業では教わらないようなことを学べたと思います。社会には多く の思想や考え方があると分かり、自分はどの考え方なのかを知ることによって、以前より思慮深くなったと思います。先生が重要視し ていた、自分の考えを言葉にするということは、ゼミや専門の授業でやっていたので、あまり苦痛にはなりませんでした。

Aまずは生徒に意見を 聞いてから行動に移すべきだと思います。大学とは自分が興味あることを学べる機会になるべきなのに、大学側が勝手にその幅を狭め ることは良くないと思います。新しく入ってくる新入生たちに、今まで通り自由に選択させた方が生徒たちの学習意欲も高まる筈で す。

 

 この授業は幸福から 始まり、民主主義まで様々なテーマを扱ってきた。特に幸福の講義では個人の価値観や社会規範を考慮し、答えのない問題について考 えるため、自分であらゆる角度から考察することができたので思考力を養成することができた。この思考力こそ今の大学生を始めと し、ありとあらゆる学生に必要になってくるものだと考える。社会に出た際に思考力がなければ、企画をすることができなくさらに皆 との差異化を図ることができない。そういう意味ではこの社会思想201は 記述力や思考力を伸ばすのに重要な役割を果たしていると言えるだろう。実際、私は初めの授業では筋道を立てて文章を書く事ができ なかったが後半に進むにつれて、量や質共に向上させることができたと実感している。

 今後の社会思想の授 業についての自分の意見について述べていきたい。教養科目改革により履修できるのは、12年生のみに限られる。つまり34年生は受講できなくなるのであるが、私はこの考えに反対だ。文章力が必要とされ るのは低学年ばかりではない、高学年も卒業論文や、就職活動の際の自己PRカー ドなど様々な部分で文章力は必要になってくるのだ。先述したように答えのない問題に取り組むことほど面白いものはない。ぜひ社会 に出ていく34年 生にも開講して欲しいものである。

 

 昨年の後期も授業を 受けさせて頂きましたが、やはりとても面白かったです。松井先生の授業がもっと増えたら良いと思います。

大学に通っている以上、受けたい授業が受けられない というのは如何なものかと思います。こちらからしたら高い学費を払っているのに興味がある事を学べないというのはとても理不尽で あると思います。

 

@         感想

学生に問題を投げか け、考えさせる形式の授業で、思考する力が付いた。今まで自分が当たり前だと思っていた価値観を崩されるのが面白かったです。ま た、授業の2回に1回 は持ち込み不可で小論文を書かなければならないので、文章を構築する力が身に付きました。数週間後に成績が開示されるのもやる気 を引き立てられました。

A         意見

大学というものは、専 門的な知識を習得するための教育機関ですが、これから社会に出ていく上での基礎的な教養を身に着けるための場でもあると思いま す。確かに3年生以上では専門的な知識の習得に力を入れるべきですが、自 分にとって必要な授業の組み合わせを考えて時間割を組むのは学生が自分でできることですし、学校側が必要以上に介入するべきでは ないと思います。専門科目を履修していくうちに新たな分野に興味が出てきて、その分野の教養科目を履修したくなることもあるので はないでしょうか。

 

 2014年度から実施された教養科目改革により「社会思想と現代」を含む人文・社 会系の教養科目を履修できるのは、12年 生に限られ、3年生以 上は履修できない。と聞いて残念に思うと同時に不思議であった。「社会知性の開発を目指す」と謳っている専修大学が教養科目を疎 かすることに対して理解に苦しむ。

 

 最初は二回に一回の 小論文で評価を決めると聞かされ、ややげんなりとしたことは事実だ。だが、講義のはじめに松井先生が述べたように、書くという行 為がだんだんと苦痛にならなくなっていき、書くという行為そのものに抱いていた嫌悪感が、今はむしろその内容の苦難に目が行って いる。これは大きな進歩ではないだろうか。授業内容はわかりやすく、哲学科の自分としては倫理的な内容も含んでいるので親しみや すかった。大学に来て、九十分を集中して先生の話に耳を傾けたのはこの授業が初めてだといっても過言ではない。

A履修できないことに ついて

上記の理由から、この授業はおそらく社会に出る誰も がとっても利益になるものだと感じているので、自分としては大学の方針に首を傾げざるを得ない。

 

私がこの講義を履修したきっかけは、12年のうちに松井先生 の社会思想を受けていた友達数名から「あの講義は面白い」と聞いたからである。事実、ほかの教養科目よりも中身が濃く、幸福や自 由とは何かといった、普段あまり考える機会はないものの生きていくうえで非常に重要なことについて真剣に考えるいい時間であった と思う。

教養科目改革について。松井先生の社会思想を履修で きなくなる学生がいる、というのは非常に残念だと感じる。私が所属しているサークルでは毎年様々な学部学科の学生に授業評価のア ンケートをお願いしているのだが、教養科目の多くは単位の取りやすさが重視される中で、松井先生の講義は「先生は少し厳しいけど 面白い」「真面目に受けるとためになる」といった、講義の内容に言及したコメントが多くみられていた。「○○先生の講義は寝てい ても大丈夫」などと平気で書くような学生たちがそれほどまでに記述する程に魅力を感じている講義だというのに、それを大学側が 「この講義は履修しなくてよい」としてしまうのは少し残念に思う。また、私は今年3年 次で本講義を履修しているので、3年生は一律に受講できなくなるというの もどうなのだろうかと感じている。

 

@身近なテーマを例に して話を進めてもらえるので、実際の自分の体験と照らし合わせることができ、とてもテーマに入り込みやすい。そのため、考えが広 がるし、最初に思っていたイメージと、レポートを書くときとでは、気持ちの変動もあり、様々な方向から考えられるようになった。 最初はレポートを書くことが、苦痛であったけれど、回数を重ねるごとに、文章を長く書けるようになったと、実感することができ た。

Aカリキュラムの変更 は、仕方のないことだと思う。しかし、学生は、単位取得を計画的に行っているので、急に今年から「履修できません」とされても、 大変困る。数年後を見据え、在籍している学生に影響がないように、カリキュラムの変更を行ってほしいと思う

 

@         講義の中で出てくる例え話が、とても面白かった。講義内容も簡潔で分かりやすかった。

A         それは少し残念だと思う。自由に選択できることが1番望ましいと思う。

 

1.      この授業は社会についてどうあるべきか考えさせられ る授業だと思う。受講していて面白いと思う内容もあった。

2.      教養科目の学部によって履修できる、できない科目を 作ることはよくないことだと思う。さまざまな教養科目の分野を自分で決めて自分で履修できたほうが良い。

 

 主に主観的か客観的 かという問いに疑問を感じていた。客観的も言うなれば他人の主観であり、あえて客観的を言い換えるなら集合意識的だろう。みんな がどう捉えるか、が客観的となるのだから、主観の集合に過ぎないのだ。よって、テーマとして主観的か客観的かの問いにはいつも主 観的立場で回答していた。しかし、講義の中で「パターナリズム」を学んだ際に、自分にも無意識のうちに客観的思考とも呼べるもの があるのだと気が付かされた。人の幸せを祈ることも、確かに人からみた幸せだった。

 また、いかなる時も 自由を優先に回答した。人は生きる上で自分の意思ほど必要なものはないからだ。自分の体を動かすのは自分だし、考えるのも自分 だ。人に決められ考えることもしないで行動することは、人ではなく文字通り「動物」だ。自分のことは自分で決めることは人として 生きる大前提であり、人と他の生き物、物体との境界線である。

 自分の考えを実際に 文章に書いて論ずる形の課題は貴重な機会だった。自分の考えを整理することもでき、自分の無意識に考えていたことも浮き彫りにす ることができた。これきりにせず、随所で続けていきたい。

 

金曜3時限

 

 この科目について私はとてもいい授業だとわかりまし た。最初の授業で小論文があると知り、「本当に終わったな」と思っていました。案の定、最初の小論テストで20行まで書けなくてしょげてしまいました。そしてそのまま次の小論テストに臨み 「また書けないのか〜」と思いながら書いていたら、「いや、今日は書ける!」となり成長を感じました。その日を機にすらすら文を 書けるようになり感謝しています。文を書く能力を上げるには書き続けるしかありません。この授業はいつも静かで集中できていい環 境で勉強ができるので最高です。やはり携帯電話、スマートフォン、電子機器の使用を禁止していることもとても良い行いだし賛成で す。私は高校時代の時も文章の作成が苦手だったので本当に役に立ちました。

 この授業が3年生に受けられなくなってしまうことについての意見としては、私は悲しい限りで す。この頃この授業の良さがわかってきた私にとってこの知らせは痛いです。この授業をとってない人もこの授業の良さを知ったほう がいいと思っています。なので私はこのことについて反対です。来年もこの授業をとって、文章力を上げて、いろいろなことに視野を 向けてこの授業を受けていきたいと思っています。

 

社会思想と現代を通して、私は物事を色々な角度から 見る力がついたと実感している。また、今まで習ったことのないような内容だったので、非常に興味深い講義内容だった。中でも自分 が特に成長できた部分は、2回ごとの小論文である。最初は、上手く馴染め ずにとても苦戦を強いられていたが、回を重ねるにつれて、徐々に起承転結がうまくできるようになった。なにより、自分を文字で表 現する力がついたと思う。これは、就職の自己PR文などで、経験として生 かされるであろう。本当にこの科目を履修して良かったと感じている。

 文学部なので、この 科目は3年以上から履修することができないことについて、私は3年からだからこそ、この科目を履修すべきだと考えている。理由は、上記にも記し てある通り、自分を文字で表現する力が圧倒的に上昇するので、就活の時期にだからこそこの力が必要になってくると考えている。こ の科目は不要だ、その学部の専門的な内容だけを学んでおけばいい、というのであれば専門学校にすればよいのではないかと思う。な ので、3年から履修できないといった制度は変えるべきであり、それを私だ けではなく、ほかの受講者の方々と共に共有すべきだと私は考えている。

 

@         社会思想は人によっていろいろな考え方があり、とても難しく奥が深いと感じた。最初は 小論文を書くことは大変だったが徐々に出来るようになった。しかしまだまだ甘いのでしっかりとした訓練が必要だと感じた。

A         人間を取り巻くことについて学問であるので将来、役に立つだろうし4年生までとはいかなくても3年 生までは取れるというシステムでいいと思う。

 

 この授業は普段考え たこともないようなことをやって、最初は戸惑いもあったが一つ一つの内容に違った考えを持つことができ非常に充実した授業だっ た。

 この授業は絶対に 3、4年生の方にも受けていただきたい。なぜなら、社会に出るのが近くなってきた3,4年生に一番考えてもらったほうがよい内容 の授業だからだ。

 

@         最初にこの「社会思想と現代」の授業を受けた時は、正直に言うと「うわあ〜この先生厳 しいなあ〜この授業やばそう…」と、少し不安な気持ちが大きかったです()。 しかし、授業を受けていく中で、だんだんとそうしたマイナスの気持ちはなく なっていき、むしろ「次の講義ではどういうことを取り上げてくれるのだろう」と、毎回わくわくしていました。また、毎回のレポー トを書くというのは最初かなり苦痛でしたが、いま振り返ると、自分の気持ちを表現するいいトレーニングになったと思います。こう した機会を提供してくださった松井先生には感謝の気持ちしかありません。本当にありがとうございました。

A         私が考えるに、大学というのは一番自由にものごとを勉強できる期間だと思います。小学 校から高校までは学ぶ内容は決められていましたが、大学では自分の学ぶ内容を自由に選ぶことができ、またそれが大学の良さだと感 じます。そうした意味でも、人文・社会系の教養科目を履修できるのは、12年生に限られ、3年生以 上は履修できないことになったというのは、学習の自由を奪うことであり、いきすぎたパターナリズムであると思います。ですから、3年次になってもそうした科目を受けられる体制を維持することが重要であると私は 強く考えます。

 

 3か月間、松井先生の授業を受け、とても成長できたと思います。4月の私は、レポートの書き方も全く分からず、最初のレポートに至っては、思い出 すのも恥ずかしいようなつたないレポートだったことでしょう。高校のときは、自分の言葉で文章を書く、ということが非常に少な く、机にただ向かっているだけだったように思います。しかし、2時間ごと にレポートを書くことで、今まで聞いたことはあっても使ったことはなかった言葉を使ったり、小中高時代に習ったことを思い出して 自分の頭で自分なりに整理し、それを書き起こすという経験ができ、これはこれからの大学生活にも活きていくものだと思います。

 この講義は、12年生のみが受講でき るようになった、とのことですが、私はわざわざ限定する必要はないと思います。学生個人が学びたい科目・講義を取るべきだと思い ますし、大学とはそういう場所だと思っています。私は、自分が本当にやりたいものは何なのか、いまだによくわかりません。わから ないからこそ大学に来ました。今は、興味のあることには全てチャレンジして、そこから糸口を見つけようとしている段階です。しか し、こうしてできることが限られてしまうと、それだけ自分の可能性も限られてしまうように感じられます。文学部の学生でも、経済 の勉強をしてもいいと思いますし、また逆も然りです。したがって、教育科目変革によって学年を限定する方針には反対です。

 

@         普段ニュースや教科書などで耳にする私にもなじみ深い単語が、いろいろな角度から考 察、議論していくと新たな発見があったりしてさらに理解が深まって面白かったです。

A         抽選もれや途中退出を命じられた人々がもう一度授業を取りたいと思ったときに三年生 だったら少しかわいそうな気もしますが、在学四年中半分の年数は履修登録することができるので問題はないと思います。

 

@         この講義は授業の二回に一回はレポートを書くということで最初は自分の考えを文章にし て表すのがとても大変でつらかった。しかし、回を重ねるごとに慣れてきたのか最初に比べると書けるようになったのが自分でも分 かった。講義内容は今まで生きてきて全く考えたことのないことばかりだったはずなのに、よく考えてみると身近な問題で毎回なるほ どと思うことが多かった。例を交えた説明や解説は分かりやすく、理解しやすかった。また、考えさせられることがたくさんあった。 これから生きていく中で自ら進んでこのようなことを考えることは絶対なかったと思うので、今回こうして考えるきっかけになって良 かったし、短い期間だったが少し成長できた気がする。

A         人間であれば生涯に一度は講義で扱ったような問題について考えてみるべきだと思う。だ からこういった授業を1、2年時でとりそびれた人の為にも3年生以上でも履修可能にするべきだと私は考える。

 

@         最初は社会思想と聞いて、あまり関心があったわけでもなかったんですが、授業でいろん な対立した考えを聞いたり、比較していくうちに楽しくなってきていて、またきれいごとだけの考え方だけではうまくいかないんだと いうことも学びました。人それぞれ考えや意見は異なる中で、自分はどう考えるのかを言葉として書いていくことがスムーズにできる ようになったことも嬉しかったです。

A         私は、今回受講してすごくいい経験となったし、こういった意見を述べたり考えることは 年齢なども関係ないと思うので、色んな学年の人が受講できたらいいなとは思います。

 

 私は大学に入って最 初の学期でこの「社会思想と現代」という講義をとってよかったと思います。大学に入って自分が学びたいことを学びたいと思ってい ましたが、あまり興味がなくても取らなければならない科目もたくさんあって、正直面白くない講義もあります。この講義も最初は教 養科目で取らなければならないから取りました。講義を受け始めて初めは、自分は文章を書くことが得意ではないので、2回に1回文章を書くことは辛かったのですが、回を重ねていくごとに最初よりはスラスラ と書けるようになったのではないかと思います。これから社会に出ていく中で自分の思っていることや意見を自分の言葉で表現してい くことは大切だと思います。でも、今の若い人たちはそれを苦手とする人が多いのかなと思います。このように与えられた課題につい て自分で考え、一方の立場から意見を述べる、というように自分の意見を自分の言葉で表現するような講義は少なくとも自分が前期に 取った科目ではありませんでした。なので、とても為になりました。

 今回、3年生以上はこの講義をとれなくなるということでしたが、私はこの講義はただ単に 知識を増やすということではなくて、人生において必要なことを学べる講義だと思うので、ぜひ3年 生以上もとれるようにして欲しいと思います。半年間ありがとうございました。

 

@         小論文は苦手でありましたが、少しでも出来るようになろうと思い履修をしました。本当 にこんなに短期間で書けるようになるか疑問がありましたが、完璧かどうかは別として、自分で論述する筋道を立てられるようになり ました。また、授業内容は自分の身近なことを、普段は考えないような視点で考えていくことに新鮮味を感じました。自由はまるきり 放任で勉強せずにやりたい放題やることや、命をとるか人権をとるかなどと、極端であったり究極の選択があったりと、非常に悩むこ とが多かった。自分が書こうと決めた主張が少数派であることが多くあった。特に権威主義を主張したときは本当に少なく、過去に小 学校から高校までの現代文の時間に人と違う意見を持っていた理由が分かった気もした。

しかし、多数派の主張のときももちろんあった。自分 は幸福は自分がよければいいし、大勢でいるときよりも割と一人でいるときも好きだと思っていた。論文でその根拠を説明しようとし たとき、なぜそう思っていたのか分からなくなった。自分がいかにいままでなんとなく生きてきたかが分かった瞬間だった。説明しよ うと思えばしようとするほど、自分さえよければいい幸福も、自分が他者と違うことを分かっているからゆえの意思だし、他者と価値 観が違うとき知らぬうちに本当にこれが幸せなのかと考えていたことも自分の中で判明して、他者、客観あっての自分だと思うように なり、主観ではなく客観を主張するようになった。一人でいる時間も、他者と楽しく過ごした時間があるからこそ落ち着きたいがため に一人の時間を大切にしていると気付いたし、なにより他者に支えられていて、他者あっての自分と思えるようになった。この授業で 社会システムを考えることで自分の人生の価値観が変わったように思えた。

A         教養科目は12年生の科目のように捉えていたが、このように思考することで自らの生活を考える 科目は3年生になっても、あるいは学生だけでなくても身近なことを思考す ることは重要だと思うから、詳しく学習し思考の時間がたくさんある学生にはどの学年にも必要だと考えた。

 

@         私は社会思想と現代を受けてよかったと思いました。私は、正直自分の意見を文章にして あらわすことが苦手です。しかし、社会思想と現代を受けて自分の意見を書く力がつきました。授業の内容もすごく考えさせる内容ば かりで答えがなくて楽しかったです。

A         3年から受けられないのは残念です。私は3年からでも受けられるようにするべきだと思 います。書く力と考える力が付くからです。

 

@         この授業をとって初めはレポートをまとめるにも書くにも時間がかかっていたが数をこな すうちに自分なりの書き方というものが出来上がってきました。そして授業内容は毎回難しい内容であったが先生の説明を聞いている と深いなと思うところがいくつもでてきて考えさせられました。

A         この授業が1.2年しか受講できないことに関しては3年 生以降も受けられる権利を与えるべきだと思います。自分の意見を主張する練習 にもなるし、今まで考えてこなかったことを学べるので学年は関係ないと思います。

 

 私は、半年間この授 業を受けて今までは気付くことができなかった社会の構造についての思想やその細かい説明などが学べたので履修して良かったなと思 いました。矛盾なくどちらかの主義について小論文を書くというのはとても難しかったけど、高校の時とは違う雰囲気でおもしろかっ たです。また、文章を論理立てて書くといったことも今まではしたことがなかったので、いい勉強になりました。これからもレポート とか小論文とか文章を書く機会がたくさんあるので、今回学んだことを生かして頑張っていきたいと思いました。自分の意見を素早く まとめてすぐに文章にする力がこの前期の間で身についたと実感しました。

 今年からこの授業は1年生と2年生しか受講で きないとなってしまいましたが、私はわざわざそのように制限する理由がわかりません。この授業を3〜4年次にとっていい刺激にな る人だって確実にいるはずだしその年になって改めて履修したいと思う人だっていると思うからです。

 

@政治思想や倫理思想 とは異なる独自の社会思想というものに触れとても刺激的で面白かったです。

A1,2年でこの教科のことを知らなかっただけで3年 から受けられなくなるのはとても悲しいことだと思います。

 

@自分は文学部の英文 科に所属しているため、必修科目では社会思想のような内容には触れません。そのため、松井先生の授業はとても興味があり、そして 毎回の授業を楽しみにしていました。私は現4年次である為、今年は就職活動に忙しく、又、体調を崩すなどしてなかなか出席できな い日々も続き、もどかしい気持ちでいっぱいです。その中でも自分なりに真剣に向き合い、提出課題に臨んだつもりですので、ご確認 頂けたらと思っております。社会のシステムについて、また、自由主義者と社会主義者などの論争を学び、自身が社会の一員であるこ とを今まで以上に意識させて頂きました。来年から社会の一員として働くに当たり、松井先生の授業を受け、学ぶことが出来た事を幸 いと感じております。ありがとうございました。きちんと先生に直接感謝をお伝えしたかったのですが、このような感想を述べる機会 を頂けたため、こちらに失礼いたします。

A教養科目改革の実施 について

 人文・社会の教養科 目の履修が2014年度から34年の履修が不可となったこと、個人の意見としましては賛成できません。このよう な授業は就職を事前に控え、社会に出ることをきちんと意識している生徒こそ受けるべきかと存じます。改革にはなにかしら意図があ り、このような実地に至ったことは承知しておりますが、来年度4年になる後輩に、松井先生の社会思想をお勧めするつもりでしたの で、残念です。実地するに当たり、明確な理由のアナウンスがあることを願います。

 

@         本科目を受講して、社会の中における考え方の規範や人間としてのモラル、社会でのルー ルなどにおける理解が少し深まった。内容的には頻繁に小論文で自分の意見をまとめる機会があり、大変であるがアウトプットによっ て自分の理解も一層深まっていったと思う。

A         履修における制限は意味が分からない。本来は大学で学ぶべき内容は様々でよいとおも う、それはこの学部はこの教科、などといったパターナリズム的考えで進めていっては、受講し、勉強したいという意欲も薄れてしま う。学校側の考え方には賛同できない。

私は様々な分野を学び たいし、それによって知識もより豊かになると思う。本来知をつけるための大学の講義に対して、抑制をかける必要性がどこにあった のか疑問である。

 

 今期初めて「社会思 想」の授業を受けましたが、普段語学や異文化などを学ぶことのほうが圧倒的に多いため、触れることが少なかった分野の授業に参加 できてとても新鮮で楽しい授業でした。また、授業ごとにプリントと二回に一回の小論文テストも、より内容を理解する事ができたの で良かったです。ただ、穴埋めに関しては自分がどうしても授業に出られなかった時の分を埋めることができず、小論文を書く際に少 し困りました。

 三年生以上が履修出 来なくなったことに関して、特に異論はありませんが、自分の学科には留学を希望する人や実際にしている人も多いため、そのような 人たちにとってはどうなのかと思いました。

 

 この授業を受けてと ても良い勉強になりました。この授業はとても厳しく毎回の小論文がとても大変でしたが、回数を重ねていくうちに書けるようになっ ていると実感ができて今後にも活かせると思いました。また、この授業は後輩にも勧めたいと思いました。

 

@         この講義を通して、社会に対する考えを今までは特に持っていなかったけれど持つことが できました。また、私は自由主義者の考えを支持しましたが、ここまで深く自由について考えることはなかったので、この授業を通し て機会をいただき、よかったです。

A         この授業を履修できるのが1,2年生までというのはそのほかの学年にとって残念なこと だと思います。1,2年生は必修科目が多く、この授業を履修できない人も多いと思います。しかし、社会思想という、今までにない 未知な科目には興味がある人は多いと思うので、ぜひ3,4年生にも履修できる権利があれば、と思いました。

 

 最初に受けた日、松 井先生は厳しそうで毎週小テストのような試験があるしで履修したことに後悔していた。しかし、授業は、パワーポイント方式で、た だプリントを配られて穴埋めするのとは違い、写真や資料などが使われていて興味深く講義を聴いていた。先生の講義に対する熱意が 非常に伝わってきて、とても聞き入りました。これから、生きていく上で社会に対して、どういった考えをもっていこうかということ を学べた気がする。民主主義である日本で幸せに今生活しているけれども、このままでいいのかなどの今まで感じることのなかった疑 問も持てるようになった。社会思想と聞いただけでは、とても興味の持てるテーマではなかったけれど、実際に講義を受けてみるとす ごく自分の為になった。また、私は英語英米文学科なので学部でこういった内容を学ぶことはできないので、もっと学生のうちに視野 を広げるという意味で、教養科目を制限することはよくないと思った。

 

 2年で初めて社会思 想を選択受講したのですが、とても有意義なものでした。ほかの一般教養の授業ではテストをする以外ほとんど受け身のような形で進 行していたので、この授業のように自分自身の意見を考えて、それを小論文として書き上げるものはとても新鮮であったし、自分の考 え、それからみんなの考えをより知ることができた。それだけでなく、社会情勢などの話も授業では多くでてきたため、他方の面での 知識が広がったと思う。

そのため、このような授業が強制的に選択できない新 入生はとてもかわいそうに思う。それに、総合大学の専修において、選択できない科目がある、というのはなんとも奇妙なことであ る。

 

@この授業は私がこれ まで取った授業の中で最も面白い授業でした。この授業の問題は正解がないと思います。その為、色々と考え自分の最もしっくりくる 解答を考え出しました。とても充実した時間でした。また先生の講義の仕方、サンデル先生が真似したという先生の授業はとても面白 かったです。私は先生がそう言ったとき笑いを堪えるのに必死でした。他にも所々で、にやにやしてしまいました。授業の内容もとて も興味深く、後期も取っているので楽しみです。

A私は三年生でこの授 業を取りとても楽しい時間を過ごせました。一般教養は授業が多くて何を取ればいいのか全く分かりません。これまで取ってきた授業 も単位は取れこそしましたが、面白くありませんでした。だから、こういう風に受講できる年数を決めてしまうのはいいことだと思い ません。そうすることにより、他の楽しい授業に出会う可能性が狭まると思います。また、三年になって興味を持つということも考え られます。そう言ったときに、選べない教科があるのは、その人が学習意欲を失ってしまうのではないかと思います。

 

@         最初はレジュメを見ずにレポートをかなりの文字数書くなんて不可能ではないのかと思っ ていましたが、意外とやってみたら(時々きつかったときもありますが)いけました。この授業のおかげでレジュメを見て書くことが どれだけ簡単なのか分かることができました。ありがとうございます。後期に取っていなかった事を後悔するレベルで講義もレジュメ もわかりやすく、議論のどちらが優れているかという問題は自分でも必死になって考えたため、自分で考える力というものも身につい たと思います。

A         個人的な事ですが、三年生の後期でこの授業を取ろうと思っていたのでショックを受けま した。教養は専門以外の事でも知っていって、自身の見聞を広め、それでいて自分の専門に生かすために取るものだと思っていたの で、今回の改革で来年以降取れなくなったというのはとても残念です。

 

@6つのテーマ2週ずつに分 けて受講して、正直、もっと一つ一つのテーマをゆっくりと進めて欲しかったけど、半期を終えてみて、次の週の論述を意識しながら 聞いていたせいもあるからか、授業の内容がすごく身についていて、受講して良かったなと思いました。普段、普通に生活しているう えではあまり深く考えないようなテーマばかりだったので、最初は自分の意見を持つのが難しかったけど、わかりやすい例を挙げて説 明していただいたので、とても入り易かったです。

A本年度からのシステ ムには、反対です。学年によって受講できる授業を制限するのは良くないと思います。純粋に、自分が受けてみて良かった授業は、知 り合いに進めたいと思うし、それが制限されているのは悲しいと思います。まして、一般教養なのだから、すべての学年が、幅広い知 識を身につけることのできるいいシステムだと思っていたので、制限するのはよく分かりません。従来のまま変えないで欲しかったで す。

 

@この講義を受講して 最初に驚いたのが、ほかのどの科目よりも受講時での生徒の態度に対する厳しさであった。確かに講義中は携帯やスマートフォンを使 うのは常識的に考えてマナー違反であるが、そのマナー違反があった場合は単位取得不可と聞いて気が引き締まったのを覚えている。

 そして、二回ずつの 講義で持ち込み不可での小論文作成。最初は正直「単位はとれないかな。」とただただ不安でしかなかった。しかも取り扱うテーマが 毎回私たちの生活にかかわっていて、いくつかの主張があってどれも頷けるものであったし、自分の意見を述べる難しさが大学二年目 にして分かった気がする。しかし、回数を重ねるごとに少しずつではあるが自分の考えがまとめられるようになったのではないかと感 じている。

A今年度からの教養科 目改革で本科目を含むいくつかの教養科目が履修できる学年が限られることになったと聞いて、私は大学側の勝手な判断で私達が受講 できる科目が限られるのはおかしいのではないかと正直思っている。学生の意見が反映されない大学生活を送っても充実しているとは 言えない。今の日本は民主主義寄りになっていて、国民の意見が尊重される時代にあるのだから、大学側も学生側の意見を尊重するべ きではないのだろうか。

 

@         講義の最中の私語や携帯電話などを禁止していたため、静かに講義が受けられたのでとて もよかった。これからも継続してほしいです。講義の内容については、民主主義や資本主義のどちらが優れているか、など、必ずしも 答えのない題材について自分なりの意見を毎回まとめることは、正直大変ではあるが、自分としては文章を書くことが苦にならなくな るなど、文の構成をしっかりと考えるようになり、楽しい講義の一つだった。

A         専修大学は一般教養科目も様々な分野があり、またその分野の中でも細かく分かれている など、自分自身の学びたいものを個人が自由に選択して学ぶことができるのでよいと考えていた。しかし、学年によって制限がつけら れてしまうと、後に興味を持てる分野が見つかってもその分野における講義を履修できないのでは、意味がないのではないかと思う。 わたしは、今回履修できたが、これからこの分野やこの講義に興味をもつ後輩のためにも、今回の改定は見直されるべきだと考えた。

 

 概念について考え、 述べる事の楽しさを体感できる面白い授業でした。授業のテンポもちょうどよかったと思います。ただ、単位の不可の基準は理解でき るのですが、幾分厳しいかなと思いました。ほぼ不可にされている人はいませんでしたが。

 学校としての開講科 目に制限があるので、本来取って欲しい科目が選択してもらえないから削った、ってことなら分からないでもないのですが、そういっ た制限がないなら、この方針はいまいち意図がわからないかなと思います。幅広い科目から自分の好みで授業選択できることは、専修 のような総合大学に限らず、「大学」という施設全体の特徴だと思うので、大した意図がないのであれば、この方針はいいものとは思 えません。やはり選択肢は、全学年元のまま幅広い状態がいいと考えます。

 

@幸せ、自由、平等な どといったことについて、今まではそれほど深く考えることはなかったが、この講義を受けて自由主義者と社会主義者の両者の思想、 考え方を学習することやどちらかの立場になって考えることで、こういった身近な事柄に対して改めて考えることができ、また講義を 聞いている途中でも新しい発見や気づかされたこともあり受けていて非常におもしろい講義でした。

A3年生以降になると履修ができなくことについては反対である。それぞれの学科の専 門的な科目を優先して取ることも必要かもしれないが、受けたくても受けられなかった、抽選漏れをする可能性がないわけではないの で、12年生に 限らずそれ以上の学年でも取れるようにした方が良いと考える。なぜ専門科目以外でも受ける学年を決められなければいけないので しょうか?教養科目くらいは自由に好きなタイミングで受けてもいいのではないでしょうか?

 

 今回半年間講義を受 講して私語が一切なく毎回快適に受講することができた。今まで講義で意見や発言を求める教養の講義は初めてだったので初めは戸 惑った自分の意見を即時論述する経験は今までほとんど無かったのでいい経験ができたと今は思っている。

意見

 確かに三年次からよ り専門科目に比重を置くべきだとは思うが専門とは違う他分野からの視点を専門研究に取り入れるようになった現代の学問の流れに逆 行しているように思えて、果たして正しい判断であったのか甚だ疑問である。

 

@         意見の違う二つを論争形式で説明しているところがわかりやすかった。どちらにも肩入れ がなく納得できるような説明で深く考えることができたと思う。

A         従来通りすべての学年で履修できるべきであると思う。1,2年は必修が多く自分の興味 のある授業を組み込むのは難しい。3,4年で余裕ができて自分の興味のある科目を学べる機会を作るべきだ。教養と言っても興味は 人それぞれだから今まで通り自由に履修できるほうが私は望ましい。

 

@         この授業は、本当に毎回いろいろなことを考えさせられるものであったと思います。内容 や出てくるワードが難しく、自分の意見をまとめるために、まず講義内容をしっかりと理解することが大切で常に頭を働かせていまし た。そしていざ考えをまとめようと思っても書いているうちに、本当にこの考えが正しいのか、あるいはもう一方の意見の方が正しい のではないかと揺れてしまうこともありました。この授業で扱った内容は、普段じっくり考えることがないけれどとても大切なことな ので、とても良い機会だったと思います。

A         従来は自分の学びたいタイミングで履修をすることができたので自由があり、よかったと 思います。私の1、2年生の頃はまだ自分がなにを履修したいのかはっきりと見えていなかったので、従来の方式の方が自分には合っ ていたと思います。