経営学部
金 曜2時限
1 私はこの社会思想
201の
授業を通して「書く力」というものがさらに磨かれたと感じることができた。これまでもさまざまな小論文などを書く授業を受けてきたが、こ
の授業の「幸福」・「正義」などの概念的なテーマについての論文を書く機会がなかったこともあり非常に新鮮な気持ちで授業に臨むこと
がで
きた。授業環境についても徹底的に行われており、とても快適に、また集中した環境で授業をうけることができた。後期もこの授業を受講するつもりなのでこの
ままの授業形態で今後もおこなってほしい。少し改善点を挙げるとすれば、穴埋め形式の回答をスクリーンに写す際に少々見にくい部分が
あったのでそこに注意していただけると幸いです。
2
意見。私は経営学部の人間なのでやはりさまざまな分野に対して広い視野を持つことが今後の社会に出たうえでとても大切なことであると考えている。心理学や
社会学、法学などについても同様でこれらの考えをもとに新しい経営システムの構築や新しい商品の開発などに生かすことができるかもし
れな
い。この授業でも扱った「共同体」という課題でもさまざまものとのふれあいによって社会性を学ぶという話があったが、これも同じでさまざ
まな考えを持つ教員の考えを聞くことで自身の価値観の幅を広げていく。このようなことの積み重ねがのちに社会に出たときにいろいろな
人と
話すうえで必要になるコミュニケーション能力の基礎になっていくと私は考える。以上のことより、教養科目という枠から社会思想の授業を選
ぶことができないのは間違っていると思う。
@についてですが、僕はこ
の授 業を受けられてよかったです。たしかに、この授業では2回に1回レポートがあり、大変ですが1つ1つの授業が人生に役立つものでとても有意義な時間でした。僕はこの授業を受けられて
よ かったです
Aについてですが、僕は大
反対です。どういった理由かはしりませんが、人生の役に立つこの授業を受けさせないのは訳が分かりません。
@
感想
この講義では、何といって
も自分の意見を述べる文章能力が抜群に身についたと思っている。他の講義では文章を書く習慣がないため、その内容について自らの意見
を持ったり、まとめたりする機会がなかった。椅子に座り、受動的に学ぶだけのものがほとんどであった。しかし、この講義だけは違う。
私はこの講義を通じて、いかに自分の意見を持ち、表現できるかの重要性を学んだ。この講義を履修しようと決めたきっかけは、シラバス
を読み、内容自体
に興味を持ち、学びたいと思っていただけだったが、前期の講義を終えて社会思想の知識だけでなく、以前よりも驚くほど意見がスラスラと書
けるようになっていた。まさに一石二鳥の講義であると言えよう。
講義はプリントとスライ
ドを
利用して進めるが、プリントがとてもわかりやすく、また、スライドも見やすい。例え専門用語の意味がわからなくとも、先生の説明やスライ
ドをきちんと確認しておけば理解できる内容だ。毎回のテーマは幸福、自由、平等、正義、共同体、民主主義と、身近なものばかりを取り
上
げている。身近なものであるがゆえに理解しやすいし、自分の意見も述べやすい。しかし、このような身近なテーマでもここまで深く考えたことはなかった。ま
た、問題にある、2つのどちらの意見も正当なことを述べている
ように感じた。そのような講義内容の中で、私は相手の意見も聞き入れながら自分の意見を述べる大切さを学び、今後、ゼミナール活動などで
生かしたいと思った。
この講義は他の講義とは
違う
方式で進めているが、その内容、自分の意見の表現方法、どれを取っても私にとって身になるものばかりであり、この講義を受けて本当に良
かったと感謝している。
A
履修できないことについて
履修ができなくなること
に反 対だ。というのも、わたしは、大学1・2年次は教養科目を通じて幅広く学び、土台を形成し、3・4年次でその土台のうえに
専門科目で学んだ知識を上乗せすることによって人間形成をする必
要があると考える。今回のように教養科目の履修が制限されることは、土台形成も狭くなり、結果として限定的な知識や考え方を導くことにな
ると考える。狭義的な人間に、どのような魅力や将来の有望性があるのだろうか。将来、活躍する人や夢を抱いている人を育て上げる大学
教育 で、今回のような制限があって良いのだろうか、いや。履修が必要ないと考えるのは、それは大学の意見であり、社会思想に興味を
持っている生徒が自由に履修できないというのはおかしいのではないかと考える。自分の専門分野だけでなく、幅広い分野に興味を持ち、
知識を深める
ことは大学生活を通じて身につけるべきものだ。以上のような意見から、私は引続きこの授業を全学部に受講できるようにするべきだと考え
た。
1.
私はこの講義を受講するま
で、
文章構成能力の乏しさにコンプレックスがありました。文章を書くことが苦手というわけではないのですが、論理的に文章を組み立てることが
できず、内容の薄い文章になってしまうことが多くありました。しかし、この授業の小論文を書くごとに、どういう順番で何を書けばいい
のか ということが理解できるようになり、文章をかくスピードも格段に上がったと自負しています。2年生になり、レポートの数も1年
生の頃とは比べ物にならないくらいに増えましたが、
どれもスムーズにこなすことができました。社会思想という言葉からしてあまり自分とは関係のない分野かと思っていましたが、受け身でな
く、自分から積極的に授業に臨むことでたくさんのことを得ることができました。
2.
本来教養科目というものは
学生が自分の分野ではなかなか得られない知識を得られる科目であり、その科目の選択を大学が制限することに何のメリットがあるのか、
私には
理解しかねます。学生にろくに意見を聞いていないというのも憤りというよりは呆れの気持ちが強いです。また、この社会思想という授業は、
単に特定の知識を得るのではなく、論理的思考能力、文章構成能力といったどの分野でも役に立つ授業です。この授業を選択できなくする
こと は学生の勉学の選択の幅が狭まり、デメリットしかないと思います。
@
この授業を通して、大学に
入ってからの自分を見直すことができた。というのも、全講義を通して自分をいかに客観視できるかが重要かと認識を改めさせられた。専
門的知識
を学ぶと言いつつも自らがやりたいことが本当に「コレ」というものがない学生にとってこの講義は非常に刺激を受けるものであり、大学に
入ったことを考えるきっかけになると思う。教養授業とはこういうものをいうのだと感じられる。哲学的箇所も身近な例を挙げてわかりや
すく
説明していただけるのはありがたかった。欲を言えば、偉人たちの提言をもう少し噛み砕いて学生が理解しやすいようにしてほしい部分はある
が90分の枠組みでは仕方ないとも感じた。個人的にはこの授業は大学1年、もしくは2年次までに受けて(履修して)大学生活を有意義
にす るために自己を振り返る場として捉えられたら非常に良いと感じた。
A
私は経営学部であるが、経
営学部とは幅広く学べる場だと考えている。そのためこの講義は専門科目でも人間関係(企業論)を学ぶ上で関連も深かったと感じた。む
しろ、こ
ういう内容を経営学部でより磨けると考えていたが、むしろ逆で、学部で軽く触り、この講義でより“人”に対して踏み込んで学べたと考えている。2014年以降の経営学部入学者がこの講義を履修できないのは非常にもったいないと感
じる。幅広く学べるということは、一般教養で知識を深くすることも可能だと考えている。大学側で判断するのではなく、
せめて現在履修している、もしくは過去に履修していた学生から意見を募ったほうが良いのではないかと感じた。
@最初は小論文書くのがす
ごく辛かったけど、後半からは要領よく書くことができるようになって成長を実感した。また、授業で取り扱った内容は、普段はあまり考
えるよう な内容ではないが、生きていく中で、とても重要なことだと思ったので、考える機会となってすごくよかった。
A1年から履修できなくな
るの
は残念であると思う。どの学部の生徒でも必要な知識が得られるように感じた。ぜひなんとか少しでも履修できるチャンスを与えた方がいいの
ではないかと感じた。
@社会思想という授業は中
学や
高校の授業とは少し違う分野である。私も大学に入って初めてこういった分野の講義を自ら聞いてみたいと思った。社会思想では思った通りに
数学など頭を使って必ず答えがあることはなかった。十人十色でどんな意見があっても良く松井先生も私たちもわかりやすいように、毎回
プリントの穴埋めで飽きないような楽しい講義をしてくれた。
A来年から経営学部の後輩
が社会思想を履修できなくなるのは本当に残念でならない。今までの勉強とは少し違うこの講義はぜひとも体験して頂きたかった。
この講義をとおして、自
分の日々の当り前の日常に改めて向き合う機会ができました。なにをもって幸福となすとか、なんで戦争が起こるのか。世界規模で考えて
みればあ
るものが正しいと思っている人がいるのに対して、またある人には間違っていることだってあると気づくことができる講義でした。また、自分が賛同している意
見とまったく対立した意見が登場して講義が進められていくのも特徴で、このことにより自分の意見でないことに対してもよ
り耳を傾けることが増えて、違う価値観に対して模索する姿勢ができました。それらの考えをまとめて、咀嚼して解釈して、受け入れるという
ことを応用してこれからの生活に役立てていきたいと思います。
@ 小論文を書くことで、そのテーマについての考えがまとま
り、
知識が身につく講義になっている。授業では、日常的に自分が考えることと、違った視点で考えることができ、とても面白かった。特に、幸
福、自由の講義では、主観的な考えではなく、客観的に考えることができ、新しい考えを見つけることができた。平等、正義、共同体、民
主主義については、考えることがなかったので、また世界を広い視野でみることができ、知識が増えたと思う。
授業は、穴埋め形式で重
要な部分がわかりやすくてよい。最終授業では、生徒の意見より、穴埋めの答えがひとつずつではなく、ある程度のかたまりで見えるよう
になり、
タイミングのずれが生じなくなり、授業を受けやすくなった。このように、生徒の意見を積極的に取り入れてくれる講義であるから、とてもよ
い。
A 必修科目は指定されている
のだから、教養科目は自由に選択できてもよいのではないかと思う。私は、経営学部であるが、社会思想を受講してよかったと思ってい
る。さらに、必修科目ならば、経営学部だから、文学部だからなどのくくりで決めてよいと思うが、教養科目では様々な科目を受けること
で、視野が広 がり知識も身につくと思うので選択する科目が決まることは望ましいことではないと考える。
@
今まで専修大学に入学して
から
社会思想の講義を受講する機会がなく初めて学ぶことばかりでした。普段は経営に関する講義ばかりで退屈に思うこともありました。しかし、
人間の思想や社会について様々な視点から学ぶことができた上に、毎回の小論文で文章力も鍛えられました。講義が始まったばかりの頃
は、一枚書くことが精一杯でしたが講義の回数を重ねるにつれて自然と書けるようになり裏面まで書くことが当たり前になっていきまし
た。沢山書くことができるようになったということは、それだけ講義内容を理解していうことにもなります。大学の講義では一方的に受
け 身の講義になってしまいがちですが、小論文を書くことによって自分も成長することができるという大変ありがたい講義でした。
A
私は経営学部に所属してい
ま すが松井先生から2014年度の1年
生からこの講義を受講する機会がなくなってしまったと聞き本当に驚きました。それと同時に、2013年
に専修大学経営学部に入学していて良かったと心の底から思いました。私が思う教養科目の良さ
は、
自ら学びたいものを選択し学ぶことができることにあると考えています。それゆえ、選択のできない教養科目をつくるということは、学校側が学ぶ機会を無くし
ているように思えます。私自身この社会思想201の講義を受講して様々なこと
を学び、考え方を改めさせられるようなこともありました。だからこそ、これからも新しく入学してくる経営学部の後輩にもこの
講義を受講する機会を与えるべきだと思います。
@ この科目は、「思想」とい
うことで人の考え方に着目しているため、改めてそれに向き合って考えるのは難しかった。普段の何気ない判断はよく考えたらどのような
考え方からきていたのか。また、それは正しいのか。異なる視点からみると自分の意見は本当に言いたかったことではなくなっていたりし
て、困惑し た。しかし、この授業を受けたことで、普段では考えなかったことに気付けるいい機会を設けられたと感じる。
A この授業を受けた身からす
ると、とてももったいないと思う。学校全体ではなく、学部によって受講に制限をつけるのは理解しがたい。
@ この授業を受け、社会のシ
ス
テムについて見直すことができた。また自分のなかの考え方も改めて思い直すことができた。なにも見ずに長い文章を書くという練習ができ、
自分の文章力もついたと思う。最初のほうは何を書けばいいのか思いつかず、文章を書くことに手間取ったが、最後のほうになってくると
だんだんスラスラ書けるようになってきた。この講義を受けてよかったと思った。
A 教養科目改革により、自分
たちの所属する経営学部と商学部がこの授業を受けられなくなったと知り驚いた。教養科目というものは自由に受講ができるというのにな
ぜ2つの学部だけが履修できないのか疑問である。必修科目というものは自分が
その学部に入ったのだからほかの学部のものは受けられないということはわかる。特に疑問に思うのが、他の学部はこの教養科目を履修す
ることができるのに
経営学部と商学部だけが履修することができないのかということである。もう一度教養科目の履修について考え直すべきであると思った。
@ 今回初めて社会思想を履修
した
のですが、非常に自分の生活や考え方を考えさせられる科目でした。社会主義者と民主主義者の論争など、この意見は賛成できるのにこっちの
意見は全く賛成できないというようにどちらの考え方を支持すればよいのか迷うことや誰もが考えられるような難しい問いではないもの
の、ど
ちらかを選べと言われると非常に難しい問いになる回もあり何度も悩まされました。また、最も深く考えさせられたのは自由主義者と社会主義者の論争の中にあ
る、社会主義者の野良犬についての意見です。「…野良犬は確かに自由だ。では人間と野良犬のどちらが自由なのだろう。人間の方だ。野
良犬は拘束から解放されているという意味で消極的に自由だが、人間のような〜できる自由がないから積極的自由がない。…」
自由という概念の難しさを学びました。社会思想を履修し、私たちの日常には様々な問題が残っていることを知りました。今後は、履修して得た知識をさらに増
やし行動に移していきたいです。
A 社会思想が2014年度の1年生から履修
できなくなったことに対して私は賛成できません。なぜならば、様々な分野の自分の興味があることを学ぶところが大学だと考えているか
らです。
今までの小学校、中学校、高校はカリキュラムを自分で決めることができず選択することと言えば、文系か理系、世界史か日本史などというよ
うな選択範囲でした。しかし、大学では必修科目はあるが選択科目が必修科目以上に充実していることが、今までの学生生活と異なった魅
力な のではないでしょうか。自分で選んだ選択科目に興味を持てれば3年次に
ゼミを選ぶ
ポイントになるかもしれませんし、かならず将来の何かに繋がるはずです。履修してみないと面白さがわからない科目もあります。実際、私は
社会思想に対して難しい内容をやるのだと思っていたので、マイナスのイメージを持っていました。
しかし、受講してみると
自分の生活に直結したものが多く考えさせられる場面が多くありました。また、経営学を専攻している側からの意見としては、経営者には
社会思想
を理解することも重要だと思います。社会思想を勉強することは今までの社会仕組みと現在の社会の考え方が変化していることや、今の世の中
に足りないことを学ぶ機会だと考えます。経営者になるときや、経営者になったときにこの会社でどう社会を変えていくのかを考えること
は重
要です。どのような社会に変えていくのかを考えるときに、社会思想で学んだことは役立つでしょう。だから、社会思想を経営学部と商学部の
学生に履修できないようにしたことには賛成できません。
@ 社会思想を去年の後期にと
り、
内容が面白かったため、今年の前期もとった。去年の社会思想とは内容がかなり異なっていたのではないかと感じた。今回受けた社会思想は去
年とは違い、社会的な内容で、私があまり知らない内容であったため、とても勉強になった。専門的な用語の所は難しかったけれど、様々
な例 が挙げての説明はとてもわかりやすかった。二回に一回書く小論も他の授業ではないことなので自分にとって力になったと思う。
A 私は、一年生の時にこの授
業を とって面白いと感じたため、二年でも同じ授業をとった。経営学部の人にとっても必要な科目であると思うので今回2014年度の経営学部の人から取れなくなったということを聞き、ショックであった。
しかし、ある意味自分の年度の人までがこの社会思想を履修できたことは運が良かったと思う。
@ 1年生のときにも松井先生の社会思想の授業を希望したのですが、抽選で落選してし
まい、受講することができなかったので、今回2年生で受講することができて良
かったです。
この授業では、テーマごとに自分の意見を述べる小論文を書くということは知っていましたが、短時間で自分の意見が明確に述べられるかとい
う不安がありました。しかし、回数を重ねていくことによって、自分の意見が明確に述べられるようになりました。そのため、この授業を
通して、自分の意見を論述する力も身に付いたのではないかと実感しています。この授業では、プリントと
パ
ワーポイントを使って説明してくれたので、とても分かりやすかったです。特にパワーポイントは、グラフや図をたくさん利用していたので、
授業の内容がより理解しやすくなりました。
六つのテーマについて学んできましたが、それぞれの内容について様々な視点から、自分な
りにじっくりと考えることができたと思います。またその中で、自分の経験したことが当てはまっていることもあり、今後活かせるような
こともたくさんありました。そのため、これからはこの授業で学んだことを活かしていこうと思います。
A 教養科目は、全ての学
部の学
生が自由に選択できるということが大きな特徴であると思います。専門科目とは違って、自分の学びたい興味のある授業を自由に選べることは、私たちの勉強に
対する意欲を掻き立てることができると思います。また、自由に選択できるということは、私たち学生にとっての特権であるのではないか
と思います。そのため、2014年度から実施された教養科目改革により、どの
教養科目を履修するかは各学部が指定することになったということには反対です。
私たち学生の意見も聞か
ずに、大学側が勝手に決めてしまうのは、私たちの自由に選択できるという特権を奪われたといっても過言ではないと思います。この授業
のように、自分が受講してためになったと思った授業であれば、後輩に勧めたいと思うし、私たちが受講できた授業が選択できないと後輩
たちが知ったときには、不満が生じるのではないかと思います。そのため、大学側はどうしてこのような改革を実施したのか、また、この
改革を実施することでどのようなメリットがあるのかなどを、私たち学生に示してほしいと思います。
この科目は印刷したプリ
ントをもとに授業を進めていく形式だったが、その内容が、二つ、三つの対立する関係にある者同士の会話からそれぞれの特徴を様々な視
点から客観的に見ていくことで、内容の理解を深めていくといった形式で、淡々と説明していく普通の授業よりも、理解がしやすかったと
思います。それぞれの討論を客観的に見ることで、じぶんがあたかもその場に参加しているのではないかといった感覚がして、授業を受け
ていて退屈しませ んでした。
この科目と経営学部が関
係ないという学校側の考えからこのような結果になったようですが、計算や管理などといった実質的な勉強だけでなく、この科目のように
内面的に
成長できる科目も学べるような環境のほうが、自分としてはいいと思います。わざわざ履修できなくするほど一切関係ないことは絶対ないと思うので。
今回の受講で社会思想
は、2回目になる。松井先生の体験談などを踏まえて話してくれるので、内容の
理解が速くできる。また、その体験談は面白く、今でも覚えていることは、最近の学校の在り方だ。私たちが通っていた頃と変化していて
驚いた。教わる子供たちがお客様扱いとなっている事が普通となっている事に驚きをかくせない。そんな雰囲気がある学校は、学校ではな
いと思うし、日本自体もおかしいと思う。また、この授業では普段普
通
と思っていたことが極端な事例を用いる事で、深く考えさせられ、考えれば考えるほど矛盾があり、間違っている事にも気づかされる事があ
る。普段生活していたら、ここまで深く極端に考えないので、良い機会だったと思う。また、2回
に1回小論文を書くので、自分の意見を書くことが苦痛ではないと思うように
なって いる。
経営学部だからといっ
て、それに関するものしか履修をとれないというのは、意味が分からない。また、教養科目なのだから、偏った知識だけを身に着けるので
はなく、
色々な知識をもち色々な事に興味をもつことはいいことだと思う。大学とは、自分の学びたいもの興味の幅や知識の幅を広げさせてくれる場なのに、そこの選択
の自由を経営学部には、必要でないと勝手に判断して、狭めていいものなのかと思う。
社会思想は、自分たちの
私生活と少し近い部分があり、考え深い内容もあるのだから、そういった事をじっくりと考察する授業を受ける権利があってもいいと思
う。そこ で、新たな今まで知らなかった自分の考え方を発見できるとも思うし、そういった時間をとる事も重要だと感じる。入学時に、私は心理系の学
部にいこうか迷っていたが、教養科目で心理を履修すれば、勉強ができると知り、であれば違う学部で教養科目として心理を履修するのも
ありだ
なと感じて、今の学部を選んだ。そういった決め方もできなくなってしまっては、新入生がかわいそうに思えてくる。従って、学部に関係なく
教養科目を受講できるように戻してほしいと思う。
@ 幸運、自由、平等、正義、
共
同体、民主主義の問題について学んできた。これらの問題は、正解がなく様々な答えがある。この講義では、正解を決めずに、学生自身に問い
かける形式をとっていた。キーワードを踏まえ自分の考えを書くというレポートのおかげで、書く力、繋げる力、論理的に考える力が付い
たと
実感できる。特に私は、論理的に考える力がついた。自分の肯定する考えがいかに正しいか、自分の否定する考えがどのような理由で間違って
いるのかを説明できるようになった。自分の考えを書く、説明するという難しさ、楽しさが味わえた。答えのない問題だからこ
そ、
他の人がどのような考えを持っているのか知ることが出来たら、次回の問題に活かすことが出来たと思うので、良いレポートを閲覧できるよう
な仕組みがほしかった。
A 私は、社会思想が履修でき
ないことに反対である。なぜなら、「書く力、論理的に考える力」が付くからだ。自分の考えを書き、説明するという講義は他にはなかな
かな
い。ほとんどの講義が暗記を要するテストになっている。経営学部、商学部は、将来、人に何か伝える、説明するという仕事が多くなる。その
時に、この講義がとても役立つだろう。物事を順序立てて説明する、論理的に繋げるというのはこの講義で学べる最大の利点だ。また、講
義の
内容によって、今までの自分の考えが大きく変わる事がある。今まで自分が正しいと思っていたことが、(いい意味で)覆されるという魅力が
ある。今まで考えてこなかったこと、否定していた立場の考えも知ることが出来て、知識の幅が広がる。私はこのような理由から、社会思
想が履修できないことに反対である。
@私はこの講義を通して、
人間
とはどうあるべきなのかという事に対する自分なりの考えを持つことができた。今まで少しは考えたことがあっても、ここまで深く考えさせら
れることはなかったと思う。最初は何か難しいことを言っていると思ったけれど、自分の考えが明確になるにつれ、毎回の講義が徐々に面
白いと感じるようになった。
さらにこの講義では、2回に一回小論文を書かなければならなかったが、正直最初はあまりかける気がしなかっ
たの
で、家で文章を考えそれを暗記し、講義の中で暗記していたことを書いているだけだった。しかし、何度か小論文を書いていくうちに、家で準
備をしなくても自然と文章が書けるようになっていき、最後の方では自分の力を試すために、ほとんど何も準備をせずに臨んだが、今まで
と同
じような文章を書くことができた。この講義を取ったおかけで、自分の考えをはっきりと持つようになれたし、文章を書く力もついたので、履修してよかったと
思っている。
Aしかし、本年度から入学
した
私と同じ経営学部の学生はこの講義を履修することができなくなったという。その理由は、経営学部に来たのだから経営に関することだけを勉
強すれば良いという考えから来たのではないかと思う。確かに自分の学部の専門知識を学ぶことは重要だが、自分が履修したいと思う一般
教養も学べるようにしておくべきだったと思う。特にこの社会思想においては考える力や文章を書く力が身につくので、できるだけ多くの
学生が履 修できるようにしておいてほしかったと思う。
社会思想を経営学部の人
たち
は履修できなくなったらしいが私は反対である。私はこの授業を取り、自分の考え方についてはもちろんの事、自分とは違う考え方の人についても学ぶ事が出来
たので、これから社会に出ていく上でいろんな考え方の人たちに出会うと思うので、これから社会に出ていく上で非常に為になると考えた
からである。
私は今年度に資本主義と
共産
主義などの社会思想や、母国の政治に関心を持つようになったが、そのことについてよく知らないこともあり、私が尊敬する映画俳優の発言の
中で「自分を知りたいなら、哲学を勉強してみればいい。」という言葉が私の心に刻まれ、やはり哲学は難しそうに見えるので社会思想を
履修
登録をした。正義、平等のような抽象的で難しい話題をある程度理解できるようになり、前から興味を持っていた社会主義に対してもっと深く
知るようになって学びの楽しみを感じることができた。
特に共産主義や社会主義が中国やソ連のものと誤解されやすいがこのことを確実に見分けることができるようになった。残念なことに母国で
は、社会主義のような思想について論じれば、北朝鮮共産主義者と誤解される点が非常に気の毒だ。新聞奨学生で朝ごとに仕事をして遅刻
をし てしまったのが非常にもったいない。後期にはもっと誠実に授業を受けたい。
私は経営学部で経営学を専攻している。国際経営などを学ぶことや、新聞奨学生として他国
の留学生と生活することなどで社会思想は、大変役になった。今はほとんどの国家が、市場経済を導入しているが、旧共産圏国家、福祉社
会主義国
家など私たちとは違う社会思想を導入した国がある。彼らの行動や考え方を社会思想を通じて、現在他国の留学生たちをもっと理解することが
できるようになっており、今後、国際的経営にも役立つだろうと思う。日本や韓国も含めほとんど
の国が民主主義というシステムを導入しており、それぞれ社会思想によって数多くの党がある。選挙権を持っている私たちは社会思想を学
んで政 治に参加しなければならない。
個人的な経験では、東京
都選挙の時に日本人友達に「今日は選挙する日なんだけど、選挙はしたの?」と聞くと、「選挙なんかどうでもいいよ。」と答えた。する
と、職場 の先輩が「選挙しないで日本はどうでもいい国になってもいいのかな?」
と言った。
このように選挙というのは重要である。選挙で大切な一票を自分の意見の代わりに言ってくれるまともな候補に投票をするためにも社会思想は
基本教養で、学んでおけばいいのではないかと思う。
金曜3時限
私は、この授業を履修して本当に良かったと思いまし
た。現 在4年生なのですが、これから社会に出るにあたって考えなければなら
ない大切なこ
とを考える機会ができたと思っています。1つ要望を言わせていただくと各テーマに関する松井先生個人の見解も聞くことができたらよかった
なと思いました。
社会思想201が2014年度から経営学部の1年
生 は受講できなくなったとの話ですが、私は出来ることならこの授業を1年生
の時に受 講したいと思いました。1年生の時にこの授業を受講すれば、もっと
様々なことを考 えもっと有意義な大学生活が送れたのではないかと思いました。
@ 二
極化、対極的な考察、わかりやすい例などありとても聞いていて面白く思いました。先生がどちらの意見も贔屓目に言わないあたりがとてもよ
く思えました。
A 私
は履修できない学生がでてくることには不安を感じます。生物学や宇宙科学はともかく思想や思考は人間社会においてもっとも学ぶべき学問だ
と思います。そして様々な思
想に触れ対立案を検討しどちらがより優れているかを思考する力は社会においてとても重要であることは明らかです。また理路整然と論理的必然性を求める松井
先生の授業は今の学生には必要ではないかと考えます。
@ 自
分の意見をまとめる際、いったいなにが正しいのか分からなくなってしまうことがよくありましたが、普段ふつうに生活していく中ではなかな
か考えないテーマを勉強することができて、視野が広がったと感じています。いままで考えもしなかった意見や主張を、授業を通して知ること
ができ、非常に面白かったで す。
A 私
は経営学部ですが、今回この
講義を受講して自分自身が今まで持っていた考えの見直しにも繋がりました。直接「経営」という分野に結びつく内容でないにしろ、教養科目から外すという結
論に至る意味は果たしてあるのかなあ、と思います。私は履修していて毎回の講義で新しい発見があり、楽しく授業を受けら れました。
@
半年間の講義、ありがとうござ
いました。一言で言うと、難しい講義でした。特にレポートを書く回は、今までの自分の考え方や生き方を見つめなおす時間のようでとても考
えました。毎回のテーマに上がる考え方は、両方理解できて、場合によって使い分けている場面が多かったので悩みました。正解が無い事ほど
難しい事はないと思います。
また、講義とはそもそもそういったものなのかも知れま
せん
が、この社会思想という講義は特に、今まで知る事のできなかった知識を多く知る事ができたなと思います。この考え方にはこういう名称がつ
いているのか、という部分はもちろん、こんな風に考える事ができるのかという事も知る事ができました。考え方を豊かにできたと思いま
す。
先生の例えは分かりやすく、難しい講義ながらもそこに
助けられた部分が非常に多かったと思います。シラバスによくあった、あるひとつのケースに対し、対立する両者からの意見を会話形式で
書かれているのは、これからもぜひ続けてほしいです。
A望ましくないと思います。この講義は一般教養の中でも
群を
抜いて今後生きていくために必要な事を考えさせられる講義だったので、自由に選択できるようにして欲しいです。ましてやほとんどの人が大
学を卒業すれば社会に出る現状で、政治的な言葉の意味や世界の現状を講義を通して学べるのはとても大切な機会なのでなくしてほしくは
ないです。
@ と
ても良い授業でした。前に後期だけ受講して、とても面白かったので今期も取りましたが、予想通り良い授業でした。自分の言葉で書くという
ことがあまりなかったので、 自分の文章力が少しでも上がっていれば幸いです。
A こ
の授業が受講できなくなる生徒はとても残念です。自分で文章を書く授業があまりないため、貴重な授業が一つ減ったことになると思います。
@
私はこの講義を通じて、様々な視点からの思想や見解を知り、物事一つに対しても多角的に考える力
を 養えたと感じています。その中で自分の意見を持ち、人に説いていくという力もこの講義を通じて得られたと感じました。
A
従来、一般教養科目はすべての学部の学生が自由に選択できたが、2014年度から実施された教養科目改革により、どの教養科目を履修するかは各学部が
指定
することになったということですが、私はこれに反対です。やはり一般教養という分野は、どの学部にいても自分が学んでみたいことを自ら選択して履修できる
点にメリットがあったと思うのでそれを大学から指定されるというのはいかがなものかと思います。また、特にこの「社会思想」という科目では講義内容以外にも文章を書く能力が身に付くとてもため
に なる講義であり後輩にも薦めたい科目であったので、経営学部と商学部が指定から除外されたというのはショックです。
@ こ
の授業は扱う題材が身近で考
えやすく、しかし普通に生きていたら考えることがないようなことなので、ためになった。授業を通して自分で考えてみて初めて、今の世界の、日本の秩序を形
成している根本的な「人権」という概念を創造した、偉人たちに、大きな尊敬を覚えた。
A そ
のため、本年度入学者から、
履修がなくなることを非常に残念に思う。このような自分で「考える」授業こそ、本学部に必要なのではないかと思う。
@ 深
く考えさせられる課題が多く、考え方や視野が広がった。
A 後
輩がこの授業を受けられないことは、非常に残念だと思う。
@ こ
の授業は二回に一回授業内レポートを書く授業で、そのかわりテストがない授業でしたが。初めて授業を受けた時には、すごく難しい内容でレ
ポートもうまく書けませんでしたが、回を重ねるごとに先生のおっしゃることもわかっていき、レポートもうまく書けるようになった気がしま
す。受講して良かったです。 ただ皆さん携帯には気をつけたほうがいいです。
A あ
くまで教養として学ぶので、 どんな授業でも取れるという従来のスタイルがいいと思います。専門科目はテーマ科目などでも学べるので。
@ こ
の講義で私は、これまでに当然のものと考えてきた価値観はあくまで私の主観的なものであり、時代や思想、社会のあり方で様々なとらえ方が
あると学ぶことができた。今まで幸福や
自由はただ漠然としたものとしてしか考えていなかったが自由主義や社会主義の考え方の違いでだいぶ形が変わったものになるのは純粋に面白
いと感じた。講義を受ける前までは堅苦しいものだと感じていたが、教授の茶目っ気のある喋り方や語りかけ、そして現代の漫画やアニメの引
用によって、親しみやすく面白いものなのだと感じた。
A こ
の教養科目改革は出会いの機
会をつぶしているように思える。私は大学に入学するまでは読書は好きではなく、本は漫画しか読まなかった。しかし、一年生の時たまたま履
修した文学でとある教授が「文学とは何か、それは読んでいて面白いもののこと」という言葉を聞き、私は衝撃を受けた。今では作品名だけ覚
えていたような分厚い小説も漫画を読むような感覚で楽しんで読んでいる。あの講義を取らなければ私は読書の素晴らしさに気づくことができ
なかった。故に、この改革は出会いの幅を狭めていると思う。
社会思想201を受講し、現代社会において全ての人間が個々
で持っている幸福であれ、自由であれ、平等への価値観は、交わる事はない唯一無二の答えが存在しない非常に難しい議題への論点について自
分なりに考察することができたと感じ
た。自由主義者としての意見、民主主義者としての意見、彼らの論点としていた内容全てが反対すべき内容でなかったため、自分がどちらの立
場から論じるかが悩ましい講義であったが、そこから自らが考え、結論を出すことにより、今後社会にでていくための重要な基盤となる自分の
意思決定ができたのではないだろうか。現代社会には絶えず取り組んでいくべき議論が飛び交っている中、自分の価値観の表現の重要さを改め
て痛感した講義であった。
@ 今まで考えたことのない議題だったので、さまざまな角度から物事を考えるようになった。
A結論から言うとこの授業は必要ないと思う。確かに考え方が理論的にはなったが、果たして将来、「社会思想」という分
野が役に立つのか私にはわからない。
@ 私が社会思想の講義で感じたことは、自分のまだ全然知らない世界を見たように感じました。普段から考えもしなかっ
たようなことを、講義で話してくれる先生を心の底からすごいなと感じ、ほかの講義の先生の話はつまらなくて寝てしまうこともありました
が、松井先生の講義の中に自分の興味が詰まっているの で毎週楽しみにしていました。
A 学部によっては履修できなくなる学部があることについては「損しかない。」の一言です。絶対に人生のためになる講義だと思うので正直全
員履修できるようにしてほしいなと思います。
@ 松井先生の授業は今回初めて受けました。そして私にとっ
ては
とても充実した時間となりました。〈社会思想〉というと始めは正しい答えはないから理解するのにはとても時間がかかるのではないかなと
思っていましたが、2回ごとの小論文があったおかげで毎回プリントを何回も読
み直
し、自分の考えをそのまま書けばいいんだと思えば苦手だった小論文が次第にすらすらと書けるようになりました。普段の授業では最後のテストだけであった
り、1〜2回のレポートだけなのでなかなか文章を書くということが
日常化していなかったのでこの授業を受けることで他の授業でもレポートが書きやすくなったり、いろんなことに生かすことができました。
A 2014年
度からこの科目が経営・商学
部の学生(1年生)が履修できないと知って驚きました。たしかに経営・商学部生が専門的に学ばなければいけないこともたくさんありますが
学べる範囲を指導者側が狭めてしまうのはどうなのかな、と思いました。必修だけ勉強していれば卒業できるならまだしも教養科目もとても大
事な科目だと思いますし、自分が学びたいことを選択できているのが大学だと思っています。自分に必要のないものだと思うなら履修しなけれ
ばいい話で、この科目を履修したいと思っている学生は0ではないと思うので先生がおっしゃるとおり指導者側ではなく学生にアンケートを
とってから決めるべきだったのではないかなと思います。
@ この授業を通して社会の在り方にはたくさんの思想家
が様々
な観点から主張していて何が正しいということはなく自分が興味を持った立場を選択してレポートを書くという授業を進め方が非常に面白かった。レポートの書
き方もこの授業を通して少しずつ分かるようになりすらすらと書けるようになった。専門科目より教養科目の方が自分は楽し い。
A この授業が受けられなくなるのは残念である。教育科
目にも学生が学びたいと思うものを選ばせる自由があるべきだと考える。
@ 私はこの社会思想201を半期にわたって学び、授業内のそ
れぞれのテーマにおける対立する二つの考え方を
知って、どちらの言い分も正しく聞こえてしまい、小テストの際にどちらの立場を支持するかとても迷った。その迷いが自分にとってプラスに
なったような気がする。二つの立場のメリット、デメリットを比べ、どちらの立場を支持する方がいいか試行錯誤する力を養えた。また、先生
の提示する例が身近なものなので、まったく知らない用語なども理解しやすかった。こういった思想系や哲学系の先生は偏った考え方をする先
生が多いが、松井先生は二つの立場のどちらを選択してもいいというスタンスなので、自分に合った考え方を養うことができた。
A 経営学部でこの科目を履修で きなくなるのは誠に残念なことである。『イノベーションのDNA』という本の中
で、イノベーションはまったく異なる分野、学問との結び付けから生まれることが多々あると書かれている。専門知識だけに偏ってしまうと、
こういったイノベーションの可能性を低くするとともに、発想の柔軟性の幅をせまくしてしまうのではないかと思う。何よりふつうにこの科目
は興味深いし面白い。
@ 社
会思想の授業を受けて、私は
今まで深く考えたことのない二つの視点からの見解をすることができ、とても自分のためになる授業でした。最初のテーマで幸福は客観的か主
観的かというものは非常に考えさせられました。その後も色々なテーマで選択をしていき、そこから多くを学ぶことができ、非常に面白い授業
でした。後期もよろしくお願いします。
A 私
は教養科目がより多くの授業
から選べることが大学の魅力であり、目的であると思います。この授業は社会を知ることにおいて大事な授業だと思います。ぜひ、経営学部の
教養科目に復活してもらいたいと思います。
@
今回社会思想を履修して、今まで考えていなかったことを色々な方
面から考え、学ぶことができ、個人的にとても楽しかった。自分はこうだななどと普段の生活態度を考えたり、また自分と逆の立場の考えも知
ることが出来て毎回の授業がとても充実していた。事柄などの例が身近であったことも頭に入ってきやす
かったことであると思う。また幸福の授業では将来こういう感じで子供を育てたいなど将来的なこともたくさん考えることができた。体調不良
で数回休んでしまったことが本当に悔やまれる。後期は抽選で外れてしまって履修することは出来ないが、まだまだ色々なことを学びたいと思
えたので来年また後期で履修出来たらと思う。媚を売るとかそうゆうことではなく、今までの2年
半一般教養を履修してきた中で、この社会思想の授業が1番楽しかったし、早く授業
がしたいなと思えた。
A
非常に残念なことだと思う。確かにその学部に入学したことはその
学部のことを専門的に学びたいからであるが、専門的なことばかり学んでいても大学自体楽しくないのでは
ないかと思う。社会思想は色々な方面のことを学ぶことで教養力が身につくと感じている。専門的なことだけやっていたら気づかないことを本
授業では知ることが出来る。これから社会に出ていくうえで大切なことも学ぶことが出来ると思う。廃止にするのは1回でも授業を実施し、生徒の意見を聞いてからでもよかったと思う。生徒全員がいらないと
思う授業では決してない。また頭を柔らかくし考えることも大切な授業の一つである
と思う。
1年
生がこの授業が履修できないことについて書かせて頂きます。率直に残念です。この授業により人としての教養が少し身についたと思いま
す。 今まで当たり前と思われていたこともこの授業で初めてした。
@ 私は経営学部の学生ですが、
社会思想のお話はとてもためになる授業でしたので一般教養の科目として残すべきだと思います。なぜなら「一般教養」という科目は専門科目
と違い幅広く、自分の専攻する分野とは違った知識を身につけるためのものだと思うからです。凝り固まりがちな思考をほぐすのに様々な社会
思想に触れる機会は貴重でした。
A なぜ短慮にこの科目を履修できないものにしてしまうのか理由が判りません。詳しく納得できる理由を授業を
受ける生徒に説明をすべきだと思いました。
@資料の分量が多く、印刷も大変だった。空欄の答えを出
すタイミングがずれていたりして面倒臭さを感じた。授業内容は、とても興味深かった。
Aこの授業は一般教養として適切であり、1年次から履修できた方が良いと思ってい
た。社会思想という授業を始めに受けた時は、とても大変な授業だと思った。しかし、この授業を受けることで、様々な考えをする機械になっ
たと思う。普通に今、私が過ごしているこの社会がいつも正しいであるのか、それとも常に悪い認識を持っていた思想のほうがむしろ優れてい
る点があるのかということを考
えた。それを自ら整理し、文章で書き、とても意味がある授業だったと思われる。様々な立場の見解を読み、どの立場も納得が出来るテーマもあって面白かっ
た。
@ 経営学は組織をマネジメントする学問である。組織は社会の中で様々な影響を及ぼしている。例えば、CSR(企業の
社会責任)その例である。経営者として、社会のシステムとの関わりは非常に高いと思われる。それゆえに、この授業は経営学部の学生が受け
るべきである科目だと思われる。社会を知ることが組
織のマネジメントの基礎だと思われる。私はこの授業から学んだことを基づいて、今の社会にあてはまり、よい影響力を持っている組織を作りたいと思われる。
A その意味でこの授業はとても意味を持っている授業であり、経営学の学生は履修すべきだと思われる。
@ 本科目を学習して私は人としての心情と国のための規則を重ね合わせて最も理想とされる社会を
創造することは極めて難しいことだと感じた。人として周りの人を思いやる気持ちは大事なことだと思う。しかし世界中の人々全員が幸福
を実現させ
ることはなかなかできない。人の気持ちだけで行動することがすべて許されることになれば規則の緩みから対になる気持ちを持ち欲望を実現さ
せようとするものが、ほかの人の幸福を実現させようとしてしまう。そのようなことが起きないように規則は存在するのではないだろう
か。
人とは一体どうあるべきか、という一見根本的ではあるが深く根強い問題ではないかと思った。今
まで生きていることが当たり前だと思っていたが、生きている自分たちの在り方の答えは明確になっていない。答えはあるのだろうか。人
間の在り 方は未来の私たちの将来に大きく影響すると感じた。よって本科目を履修したことは自分にとってプラスになると思った。
A 私は教養科目として本科目は経営学部の全学年履修可能にしておくべきだと思う。大学は本人の
希望す
る学問を学び、専門的な分野の能力を伸ばす環境にあると考えている。学部によって元から主体的に学ぶ学問があるが、それ以外で教養科目として自分の知識、
能力を膨らませたいという意思で受講するものであるから、各学部で指定した科目のみを受講するのではなく、自由に科目を
履修することが各生徒にとって力になると思う。今だから学べることがたくさんある。このような機会をなくしてしまっては、大学に通う中で
損が生まれてしまうかもしれない。後で後悔するよりも今自分にとって必要なことや興味があることに挑戦することが大切ではないだろう
か。
学問において幅を広げることは悪いことではない。私はこのようなことにおいて必要ないということは一つもないと考える。よって経営学部で
全学年が履修可能にしたほうが良いと思う。