ネットワーク情報 学部

 

金曜2時限

 

 色んな目線からの 色々な意見をしることができて、とてもためになった。何年生でもこの授業を受けられるようにしてほしいなと思う。たくさんの人に 受けてほしい。

 

 幸福、自由など普段 あまり深く考えないことを深く考えることができた。簡単そうに見て実は奥が深くとても難しいなと感じた。私は授業を通して自由主 義派なのだなと実感したが、他の意見も一理あったりして面白く感じた。さまざまな思想を理解して上で今後自分がどのように生きて いくかを創造したりした。難しいことではあるが、社会人になる上で自分のしっかりした考えを持つことは重要であり、そこのことに ついてこの授業は役にたった。また、考えを文章にまとめるということも大事なことであり授業を重ねるごとに上達していったと思う ことができた。

 私は1年生だからまだ人文・社会系の授業を履修することができるが、このような科目は 社会人になる上でもとても役にたつと思うので、3年生以上でも履修できた らいいと思う。

 

@この科目を選んだ当 初、社会思想、という言葉にひかれて選択した。シラバスを読んだら自由や正義といった言葉が並び、ますますよく分からなくなっ た。しかし今、率直に言えば、受けてよかったと感じている。普段ならほとんど考えないことをこんなに考えたのは初めてに近いかも しれない。また、学部が学部で普段パソコンでレポートや小論文を書くことが多いそんな中、この科目では手書きの小論文を提出して いたのだ。手書きで書くのは中々に難しかった。しかしパソコンと違って自分の手を動かして書いた文字を読むというのも面白かっ た。とても考えさせられる授業だったが、自分の今後に役に立ってくれると考えている。

A率直に言えば、もっ たいないと思った。12年 が受けられるのは良いが、もうあと数年で社会に出るという3年生以上がこ の科目を受けられないということが残念だと感じた。12年生が社会に出るのはまだまだ先と考えてしまうのもおかしいかとは思うが、それ よりも先に社会に出る人達にこそ、自分が生きていく、受け入れていかなくてはならない社会のことを考えて欲しい。そして、自分の 考えを持って社会へ出て行って欲しいと考える。

 

@この講義を受けたこ とで、普段は考えようともしなかったことについて考える機会を得ることができた。様々な問題について考えて自分の思想を形成する 基盤ができたことは、とても有意義であると思う。この講義を受けるか受けないかで大きな違いが生まれると思われる。また、自分の 考えを文章化する訓練をすることができたという点でも貴重だと思う。この経験は今後のレポート等にも活かせるのではないだろう か。

A1,2年生しか履修できないことになることは、良いことではないかと思う。1,2年限定となることで履修科目を決めるときに注目することが出来るし、この講 義は早い段階で受講した方が後々の大学生活にも活きてくると思うので1,2年 生限定になることは良いと思う。

 

@この講義を受講する ことで、各課題について自分がどのように考えているのかを知ることができ、非常に良い機会だった。具体的には、私は一貫して自由 主義が優れていると考えたため自由主義であることが分かった。また、自分とは別の考え方の主張を知ることができて面白かった。

 小論文はきついと 思っていたが、実際書いてみると自分の意見を自由に述べることができるのが楽しくて、1枚 書くのはあっという間だった。ただ、教授があれほど注意しているにも関わらず見えないところで携帯をいじったり漫画を読んだりし ている人がいて非常に残念だった。

A教養科目改革につい て。社会思想では自分の意見を述べる能力が伸びるため、学部や専門分野を問わず、就職活動や社会人になってからも非常に役に立つ と思った。それだけに、受講できる学年が限られてしまうのは良くないと思う。この講義はおそらく人気だと思うので、1年生と2年生でもし抽選 が外れてしまったら受講できるチャンスは無くなってしまう。必修にしてもいいくらいに非常に良い授業だと思うので、受講できる学 年や学部を決めるべきではない

 

@本講義の感想とし て、非常に授業に集中出来る環境であった印象がとても強いです。携帯の使用禁止や授業中の生徒同士の喋りに対して、厳しく対処す ることで生徒1人1人が授業というものにたいして、真剣に向き合う環境が出来ました。本来の授業とはこのようなものを当たり前と しているのかもしれませんが、大学の授業では本講義のように生徒1人1人がしっかりと集中した授業はあまりないように感じます。 私自身、携帯の使用禁止となっていなければ特に気にせず携帯を使用してしまうかもしれません。しかし、あえてそこにしっかりと対 処し、出席等に関してもしっかりとしたボーダーラインを設け、2回に1回 の小論文テストがあることで、予習復習を意識して行い、とても強い達成感が得られる講義でした。

 また講義の内容に関 しても非常に興味深いものが多かったです。シラバスを見ただけではあまり分からない部分も多かったですが、実際に講義を聞いてみ ると私たちの生活にとても近い内容を扱っており、とても興味深く学ぶことが出来ました。1つのテーマにおいて、様々な思想から学 ぶことで多面的な思考を知ることが出来、またそこから私自身の感じ方に対しても新しい発見がありました。1つ1つ関係のないテー マに感じても、前期を通して振り返ってみると私たちの生活に繋がるものであり、講義やテストを終えたからといってそこで忘れては 意味がないものだと非常に強く感じています。

A 2014年度から実施された教養科目改革による履修科目の縮小は、非常にもったい ないことだと感じます。大学というものは本来自分が学びたいことや興味があることを学び、思考の幅を広げるものだと思います。そ うした生徒1人1人の可能性を学年のくくりによって奪ってしまう傾向は、個人的にはとても残念な決断です。特に人文・社会系の科 目というものは、私たち個人の生活に近いテーマを扱う授業が多く、聴いていてとても興味深いものである印象があります。そうした 授業は学年や年に関係なく、自分が興味を持ったタイミングで履修し、学ぶべきことだと考えています。

 

1.私はこの授業を履 修して、とてもよかったと思う。私達が生活をするうえで重要視する価値につい決して完璧なものはないいのだなぁと思った。その中 で私達はどうやって生きていくべきか選択する際の良い判断材料になると思ったため、良い授業だと思った。

2. 履修の意見。私は3.4年生も履修しても良いと考える。3.4年 生は「就活」があるため、自分の生き方について考える良い機会になると思うからだ。

 

@普段はあまり考えな いような事柄について、時間をかけて考えることが出来て非常に有意義な授業であったと感じました。幸福や正義についてなどは、普 段はあまり考えないものの全く考える必要が無い事ではないと思うので、この授業を履修できたことは自分の生活に何か重要な影響を 与えるのではないかと予想します。

 自由主義や社会主義 等の言葉の意味についても、聞いたことはあっても正しく意味を理解していなかった言葉が多かったため、その辺りの知識を付けられ たことも教養としては大きな価値があるように思います。

A 教養科目も、大学 の授業においては重要な科目であると自分は考えます。その教養科目において、履修の選択肢を減らすことはあまり良い事ではないと 思います。自分の所属するネットワーク情報学部では、1,2年の間、特に 1年の間は必修の授業が多く、自分の取りたい科目が思うように履修できない事が多かったように思います。そんな中3年時以降は履修できない科目が出来てしまうと、履修を組むのが現在よりも困難に なってしまう事が予想され、問題が増えるのではないかと考えられます。とにかく、履修したい授業が存在するのに履修することが出 来ないという事があっては大学としての意義が薄れてしまうと考えるので、このような変更には反対です。

 

@              本科目は、人間が生活していくなかでよく直面するような身近な問題をテーマにしていた ので普段、人が考える物事の思想を分析することができて楽しかった。また、2回 に1回の小レポートをこなしていくことで文章力もついたので大きく自分の ためになったと思っている。社会思想の授業は初めてだったが楽しく受講することができた。

A              専修大学は、一般教養科目の履修に当たって抽選を行うので、しかも科目によっては倍率 が非常に高くて抽選に落ちる生徒も多いので社会系の科目を履修したい生徒には、12年に限られることは納得いかないと思う。もし、3年以上が履修できない制度をとるならば、受講枠を増やし抽選漏れする生徒を減ら すべきだと思う。

 

@二回に一度テストが あり、多少の緊張感を持って毎回の授業に出席できたように思う。しかし、テストが授業内で毎回行われるために、それに甘え、復習 をせず知識が整理されないままテストに向かってしまい、思うように小論文が書けなかった。

 厳粛な雰囲気がある のは素晴らしいのだが、その範囲の中で、プリントの穴埋めをせねば、テストに向けなければ、という意識が強すぎて、自分で自由に 授業の内容について考えようという意識が芽生えにくかったようには思う。

A教養科目改革に対す る意見。あまり良い選択とは言えないと思う。私はネットワーク情報学部の4年生です。ネットワーク情報学部において、もっとも力 を入れるのは、三年次に行われる「プロジェクト演習」です。この授業のために、本学部の学生は一年間長期休暇も利用しながら、成 果を出すために奮闘します。そのため、三年次がもっとも履修が圧迫される可能性が高く、そもそもの上限単位が少なく設定されてい ます。

 要領が悪く、かつ無 気力になりやすい私の場合、比較的単位習得が容易(出席さえしておれば良いもの、比較的量の少ないレポートを毎回提出すればよい ものなどが多い)な一般教養の単位を三年次にできる限り、まとめて取ることで、三年次の「プロジェクト演習」の時間を確保するこ とができたように思う。そのため、3年次以降で人文社会系の教養科目が履修できないのは、私のような人間にとっては、本分である 「プロジェクト演習」に集中する時間が減るのではないかと思うからだ。

 

@今回この講義を受講 し、社会思想のイメージが180度変わった。これまで社会思想に対して難 しい印象を持ち、受講した事が無かった。しかしこの講義を受講した事で誤った印象を取り払う事ができた。本講義は討論という形式 を用い、重要な言葉を自ら記述して授業が進められていたため、他の講義に比べ率先して受講する事ができた。また具体例や時には先 生の解説を交えて授業を進めていたため、非常に分かりやすかった印象がある。

講義内容としては、講義を通し、自分の思考や周りの 思考の根本的な所を深く考えることができる内容だったので、自分がどのような思想に当てはまり、どのような思想を嫌うか等々、自 分の中にも新しい発見があり非常に面白かった。

A教養科目改革につい て。総合大学において履修できる教養科目も指定してしまう事は非常にもったいないことだと感じる。本来、教養科目は自分の興味関 心で自由に選び、履修できる科目のはずだ。私は現在4年生のためこれまで 指定も無く、自由に自分の興味関心を抱いたものをその年その年で履修してきた。取る事のできる教養科目を指定する事は学生の学び の幅を狭めてしまう可能性もあり、少なくとも学生にプラスに作用はしないと考える。

また各学部、1、2年時には専門教科を多く履修する 必要があり、履修できる教養科目も少ない。この点を考えると学部ごとに履修できる学年を指定する事は不平等ではないか。また今 回、松井先生の社会思想201を受講して自分自身多くの知識を得たので、 より多くの学生に自由に受講できる環境を大学には整えて頂きたいと思う。

 

@社会思想という科目 を初めて履修したが、どちらかの考え方にたって文章書くということは非常に新しく表現はおかしいが授業を受けていて楽しかったと 感じた。最初に感じたことは理想と現実の考え方の違いを知ることは大切だということである。問題に対する解決は一般的な考え方を もとにしているのもあったが、現実的に考えた時、綺麗事を言ってはいられないものだと考えさせられる一面もあった。様々な題材を もとにそれぞれの立場に立って自分の意見を書くということは非常にためになる勉強であったと思う。機会があればまたぜひ履修した かったと思った。

A大学生として1年 次、2年次は大学を真面目に行くようにしていたが、3年次、4年次から段々と休む機会が増えてしまったと感じていた。そのときに 履修した授業が今回の社会思想であった。はじめは出席のため、テストのために授業に参加してプリントを読みテストに挑んでいた が、次第に授業が面白くなっていった。

 それぞれの立場に 立って物事を考えるということに関して、私が上京してきて大学での人間関係の中で様々な価値観を知る事ができ、そうして過ごして きた3年間があったからこそ、書くことのできた文章があったのではないかとも思った。だから私は学生の締めとして社会に出る前に このような授業を受けることが出来てよかったと思っているが、1〜2年次のうちに履修してこのような社会系の授業で学んでおいた ほうが、より広い視野で物事を考えることも出来たのではないかと感じた。いつ学んだほうが良いというのは私には分からないが私の ように4年になってからこのような授業に出会う人も少なからずいるはずであり、3年以上は履修出来なくする必要はないと思った。

 

@感想

 自分の意見をある キーワードを使った範囲で自由に書く、ということが最近はあまりなかったので、私自身としては授業にとても楽しんで参加すること が出来ました。文字にして実際にそれぞれの課題についてどちらの意見に賛成か、ということを書くことによって自分がどういった価 値観をもっているのか、正しいとしているのかがすこし整理できました。共同体では自由主義で自分は自分で見つけるものと述べまし たが、やはり周りに自分とはなにかを気付かされる部分も大きいと感じました。

A授業の履修について

 言葉を覚えて理解す る科目というのも知識の蓄積としてもちろん大切だとは思いますが、社会系のような自分の考えをまとめてアウトプットする様な授業 も人間性を高めるために必要だと思います。学校教育とはなんぞや、と問われてもまだその期間の内側にいるためなんとも言えない部 分はありますが、大学生とは言え2年生以上になれば成人なので自分の意見 をしっかりと言えないようでは社会にでてから困ります。その準備としても大学で自分の考え方をまとめる授業は必要だと思います。

 

 感想。この授業にお いて社会には様々な考え方が存在するのだと知る事ができました。またそのほとんどに支持できる部分と支持できない部分があること もわかり、一概に正しいといえる考えを見つけ出す事は容易ではなく、また存在していないのかもしれないとも思いました。

 自分がこの先どんな 人生を歩んでいくのかは、私を含め誰にも分からず社会システムが私にとって良く働くか悪く働くかわかりません。しかし今の日本の 社会システムは他国にくらべればすぐれた物であると私は考えています。またその社会システムの下で何十年も生活をしてきた日本人 の人間性や考え方が私はとてもすばらしいものが多いとも考えています。そういった事を再認識することができたこの講義は自分に とってとても有意義なものでした。ありがとうございました。

 2014年度からの教養科目改革について。社会に関する授業は私たちの身の回りに 起こっていることについて考える良い機会であり、それには学年は関係ないと思います。自分がおかれている社会に関して興味を持ち 意見を述べるきっかけは多くの学生にあるべきだと思いますし、多くの人が好きな時に好きな授業を受ける事ができるということから も学年によって履修できない学生がでることはあまり好ましい事ではないと思います。

 

@本科目を受講して、 最初に思ったことは「めんどくさい」ということです。平等、自由、正義などのテーマごと(2週に1回)に小論文を書かなくてはな らなかったからです。初めはどのようにして20行を埋めようかと、少し大きく文字を書いてみたり、小論文を書く用紙に20行目の ところに線を引っ張ってみたりいろいろ試行錯誤をしました。しかし、いつからかは把握できませんでしたが知らないうちに書く内容 が思いつきました。それと同時に「自分だったらこのようにする」というように、自分に置き換えてテーマについて考えることもでき るようになりました。その効果はこの授業だけではなく、ほかの授業のレポート、小論文や就職活動の履歴書、エントリーシートまで 効果があったと私は思います。松井先生もテーマについて偏った見解ではなく中立の立場で講義を進めるので自分自身の意見を考える 余裕もありました。このように少しめんどうな授業だとは正直思いましたが、そのリターンはすごく大きかったように思います。

Aこの改善はただただ チャンスを奪っているように感じます。私は大学5年目で初めてこの授業を受けましたが学ぶべきものがたくさんありました。文書を 書くことや物事を論理的にみることは今後の人生でも重要なことだと思い、それと同時にこのようなことを気づかし、学ぶことができ る授業はとても少ないようにも思いました。だからこのチャンスを3年生以上の学生から奪ってしまうというのはあまりにも勿体無い と感じました。

 

金曜3時限

 

1. 講義を進めて行 く中で、非常に論理的な進め方を最後まで一貫し徹底していた所と、一切の例外となる前例を作らない厳しい対応が、講義での集中力 を高める中で非常に良いと感じました。パワーポイントの使い方に関しても、映像や派手な演出に頼らず、口頭でのスピーチで補完し ている授業の進め方から、話しながら進めるやり方が非常に上手いと感じています。タイムスケジュールの管理など、授業の進行に十 分注意を払い、上手くまとめられていると感じました。

 授業の回が進むにつ れて論理的な思考の求める難易度が高くなっていき、過去回での思想が次の回での考え方にも大きく反映されるというながれに気付 き、講義内でのランクアップを実感できました。

2.実際にこの講義を 履修して感じたこととして、まず講義中の私語や携帯の使用に関して非常に厳しく対処するスタンスが、講義中の気持ちの切り替えを 学生に意識させる役割を持っていること。これは授業に直接関係のある内容ではないものの、教養として身につける集中能力を発揮す るにあたって重要なことだと考えています。

 次に、授業そのもの に関しても、論理的な思考を行うことは社会でも非常に重要なスキルとされ、その思考をそのまま文字としてアウトプットすること は、特に現代における書く力を身につける為にも極めて重要であると考えています。

 学生には、自由に講 義を選択する権利があると考えています。この講義を履修するも履修しないも個人の自由として判断の権利を与えられるべきです。そ の上で、大学はすべての学生がこの講義を履修可能な環境を準備するべきです。

 また、こうした、普 段の専門科目では身につけられない思考能力をまとめて養うことのできる講義として、この社会思想は非常に素晴らしい講義で、是非 とも全学部、全学年の学生が受講できるべきであると考えています。

 

@本科目の講義は、2 週間に一度のペースで小論文を書いてきた。始めの頃は小論文の内容を事前に用意して記入していたが、講義の後半になると、その場 で自分の意見をまとめ小論文を書くことができるようになった。また、小論文の書き方も以前より理解し、構成を考えながら書けるよ うになった。このように自分の成長を感じたことができ、本科目を受講して良かったと思えた。

A履修制度について。2014年度から実施された教養科目改革により、履修に制限が付くことは反対だ。 私が専修大学を志望した理由の1つとして”総合大学”という点がある。自 分の専門の学部以外の総合大学ならではの幅広い分野の講義を受講することができることに魅力を感じたからだ。専修大学は1年間の うちに履修することのできる単位数が限られており、また抽選に落ちた場合は履修することもできない。これに加えて、教養科目の履 修期間が1〜2年生に限られた場合、さらに自分の専門の分野以外の教養科目を学ぶ機会が減り、専修大学の魅力が下がってしまうと 感じる。

 以上の理由により、 教養科目改革に反対だ。

 

1.社会思想201の感想

 一般教養の授業は、 比較的私があまり馴染みのないテーマが取り上げられていることが多く授業を聞いても理解に苦しむものが多いです。でも、この授業 は一つひとつ丁寧に語彙の説明があって、それを踏まえた上で個々の意見主張者同士の会話形式になっていてスッと頭に入ってきて理 解しやすかったです。

2.履修科目の制限に ついて

 私は一般教養の選択 範囲を制限するのには反対です。学部にはそれぞれ必須で専門科目があるので学部に合った学習は義務付けられています。もし、それ だけでは足りなくて、もっと専門的なことを極めたいのであれば学部に合った一般教養の授業をとれば良いと思います。しかし、皆が 皆そうではなく、違う分野の授業もとって知識を広げたい人もいます。自分の学部専門の授業でなくても将来役立つ授業は沢山ありま す。その“他のことも学びたい”という思いを制限してしまうのは、私たち生徒から選択の自由を奪っていることになります。1つの 専門的なことそれだけを深く追求するのが必ずしも良いことだとは思わないので、私は3年 生以上になっても自由に一般教養の授業を選択できることを望みます。

 

@本科目の感想

 自分で考える力、書 く力が身に付く講義だったと感じます。レポートで提出するというシステムよりも、本科目のように授業内での小論文といったその場 で考えて書くことの方が力になると思います。そして、二回に一回はこの小論文を実施して、テーマ毎に行っていくのは、学生がテー マ毎に理解を深め、理解度を確認できて良いと感じました。各テーマの幸福・自由・平等・正義・共同体・民主主義は、社会について 学ぶことができ、非常にためになりました。しかし、授業内のPC・スマー トフォン等の電子機器の利用は可能にしていいのではないかと思いました。文明の発達を活かし、授業内の内容でわからないことをそ の場ですぐに調べることができると思います。確かに、分からなければ、先生に聞くことがベストですが、性格的にそれができない学 生もいると思います。そのため、授業内のPC・スマートフォン等の電子機 器の利用は可能にしていいのではないかと思いました。

A私は、履修システム において、履修人数の上限をかけての抽選をなくし、学年ごとの履修規制はしない方が良いと考えます。教養科目において、授業を取 りたいにも関わらず抽選なってしまい落選することがある。そこに、さらに履修できる学年まで規制をかけられては、学生が学びたい と思う科目を取れないで学生生活を終えてしまうことになってしまうと思います。大学という場は、学生本人が本人の意思で学びたい ことを深めていく場だと考えます。それなのにも関わらず、履修できる科目を規制されて、さらに抽選というシステムにふるいをかけ られて履修できないことになってしまいます。これでは、学生の学習に対する意識も低下してしまうと思います。

 確かに現在、単位が 取りやすい講義を履修するだけという学生が多いという問題があると思います。それはそれで、その学生の選んだ道ということで流す べきだと思います。それよりも、意欲的に学ぼうとする学生が自由な学びができるようにするべきだと考えます。今のシステムだと、 意欲的な学生が高い学費を払っているのにも関わらず、損をしてしまうと思います。そのため、私は、履修システムにおいて、履修人 数の上限をかけての抽選をなくし、学年ごとの履修規制はしない方が良いと考えます。

 

@         最初はコンピュータとか使えなくて厳しい授業かと思ったが決まり事が厳しいだけで、内 容はとても面白かったと思う。討論形式になっているプリントだったので互いの問題点がよく見えて知っておくことでこれからに役立 つと感じました。

A         自分たち4年生はこの時期になると単位に困ったりすることが多くなってくると思いま す。一般教養の部分では特に自分たちネットの学生は理系が多いので社会学系のものに強い人間が多くいたりします。そのため、実際 に受けてよかったと思えたこの講義をとれなくなることは結構厳しい学生が多くなってくるのではないかと感じます。実際に1〜2年 生はまだわからないと思いますが、この時期になって選択の範囲が狭まるのはつらいと思うので一般教養は好きな科目が少しでも多く とれるようになってくれるといいと思いました。

 

 最初に履修したとき には、面倒な講義を選んでしまったかもしれないと思いましたが、だんだんと回数を重ねて行くうちに、講義を聴きながら「自分はこ う考えるだろうな」などと自然と考えるようになり、小論文を書くことも苦痛にならなくなっていきました。この講義を受けて、自分 の考えをしっかりと論述することの楽しさを知ることができました。

 教養科目改革によ り、「社会思想と現代」を含む人文・社会系の教養科目を履修できるのは、12年生に限られ、3年生以 上は履修できないことについて、私は生徒の意見を取り入れるべきだと考えます。授業を受けていない偉い人たちが必要ないと決めつ けてしまうのは、ひとりでも履修したいと思っている生徒の意志を無視していると思います。

 

@私はこの講義がとて もためになるものだったと感じています。理由は、授業の内容の展開の方法が「○○主義対××主義」となっていたからです。この形 は私にとってとても内容の理解がしやすかったです。また、議題のテーマごとに「どの主義が優れているか」という小論文を課される ことで、自分はどの主義の考え方を持っていたのかということがわかるので、自分を理解するということにも繋がりよかったと思いま す。

A私はこの科目がきっ かけで、社会系の分野に興味を持つことができたので、社会系の教養科目を履修できるのが12年生に限られ、3年生以 上は履修できないというのは非常に残念なことだと思います。ぜひ3年生以 上でも履修ができるようにして欲しいです。

 

@講義は、自分自身の 意見をレポートとして書くため、表現する力が身についたと思う。

 また、他の講義と比 べ、講義に対する先生の環境づくりが徹底されており、そのおかげで「大学で講義を受ける」ということの本来の目的を体感すること ができた。緊張感のある講義を受講できて、とても満足している。専修大学に入ったのならば、ぜひこの講義を受講してほしいと思 う。

A 受講できる講義の 専門化は、目標に向かうという意味では効果的かもしれないが、各学

部に所属した生徒が、 必ずしも学部ごとの方針や目標に適しているとは限らない。むしろ、私の周りの友人たちは、将来何がしたいかなど具体的な目標がな い人のほうが多い。このような状況下で、受講できる講義の範囲を狭めることは、生徒の可能性をつぶすことになる。したがって、こ の教養科目改革は誤った方針であったと思う。

 

 わたしがこの科目を 履修するに至ったきっかけは、友人が履修するから一緒に、といった軽いものでしたが、全授業を終えた今、わたしは履修してよかっ たと思っています。この授業は一つ一つの内容が濃く、関心させられるものばかりで、小論文を2回 に1回の授業内で書く ことにより、自分の考えも明確になっていきました。この授業内で取り扱った内容を家に持ち帰って両親に話したりするほど、わたし は社会のいろいろな人の意見を取り扱うことが本当におもしろかったです。前期の授業お疲れ様でした。

 教養科目改革で履修 を制限されてしまうのは、本当にもったいないです。負けないでください。教養科目は、専門的な勉強よりも必要であるとわたしは、 思います。わたしの個人的な意見ではありますが、この社会思想201を履 修して、小論文の書き方なども学びましたし、なにより社会に対する自分の意見を持つようになりました。

 今の日本の若者は、 政治・国に対する強い意見があまりないように感じます。それこそが選挙の投票率の低下などに繋がっています。民主的な政治を行っ ている日本がそれでは、どんどん良くないほうへと向かっていってしまいます。教養 科目改革を行って、このような社会系の授業に対して、履修の制限をかけてしまうことにわたしは反対です。