商学部
金曜2時限
@本科目を受講することによっ
て、普段の自分がどのような考えに基づいて行動をしているのか分かるようになりました。様々な思想に触れることによって、自分が何を考え
ているのかを客観的につかむことが出来るようになったために、自分自身の考え方がより整理されて理解できるようになったのだと思います。
A大学という場所は自分で何を
学ぶかを決められるというのが大きな利点の一つであると私は考えています。その中で、教養科目としての社会思想を選択する機会が減るとい
うのは幅広い視点で学ぶというチャンスを捨ててしまうことになると思います。私はこの授業で、自分の考えをしっかりと持ち、その考えを文
章にする力を養うことが出来るようになりました。この力は今後の人生のすべての場面で役に立ちます。もちろん、専門的な科目を学ぶ際にも
役に立ちます。つまり、今回の教養科目改革により、教養科目として学ぶ機会を失ったのはもちろん、専門的な分野においてのより一層の理解
を深める機会までも失ってしまうこととなり非常に残念な結果となったと私は思います。
@
本講義により、様々な考え方
やモノの見方を学ぶことが出来た。正しい社会とはなにか、その為にどう在るべきか、改めて考えてみると最適な答えを見つけるのは難しいこ
とではあったけれど、その中で自分なりの考えというものを見つけられた様な気がしてこれが今後に生きてくれればな、と強く感じた。
A
大学は学びたいことを自由に
学べる機関として存在するべきであると思う。数ある選択肢から自分の学びたいことを選び、学ぶ、それが社会にでたときに、生かされるのだ
と思う。その選択肢を削るというのは一つの可能性を削るものであり、それが一部の人間の独断の意見で決定されるということには疑問を覚え
る。大多数の意見を無視して決定するほど専門的なこととは到底思えないし、この講義が必要かどうかは受ける私たちが決めることであって、
必要ないだろうという判断は明らかに偏見だと思う。むしろ必修とされる専門分野よりもこうして自分たちの意思で履修する科目のほうが重要
なのではないかとも思う。この“社会思想”は自分で考える力を身に着けるのに適した土台となると思うし、今の社会にもっとも必要なのは専
門知識などではなく、それだと思う。それを削る、というからにはそれなりの理由があるのか、しっかりと言及してもらいたい。
今回、この講義を受けて自分
の考え方とゆうのが改めて自己中心的であるというのがわかったような気がしました。幸福や平等について自分の考えを述べるとき自分以外の
周りの人間のことをあまり気にせず、主観的な物の見方を重点に置いて論文を書きました。今まで一般教養科目を受講していて、ここまで真剣
に考えて論文を書いたことはないと思います。来年もぜひこの講義を受けたいと思います。
@
最初に比べ論理的に考えられ
ることができた。改めて、幸福や自由と本講義で取り上げられている内容は、今まで中高時代の公民でしか考えたことないが、本当に大切なこ
とであると思う。誰もが自分は不幸だ。と考えてしまう人も多いだろう。しかし、幸福の定義とはなにか。幸福に基準があるのだろうか。たく
さんの意見があるが講義を聞いて、人はなにかに夢中になることがあれば幸せなのではないかと私は思った。
A
商学部だから社会思想はいら
ないと制限されるのはおかしいと思う。商学部・経営学部にもこういう考え方や視点は大切であると思う。ただ、経済の勉強をすれば良いの
か、会社の経営の仕方を勉強すれば良いのか。それは違うと思う。人と人が共に働き生活するのに、こういった考え方や視点を持つことで、よ
りよい社会が築けるのではないかと思う。もし、こういった勉強をしたくないのであれば、専門学校へ入学すれば良いと思う。
この授業は社会に対する考え
方を学ぶことが出来、また自身で文章を書くという機会が少なかった私にとってはとても有用な授業でした。来年この授業を後輩にお勧めしよ
うと思っていましたが残念です。他の形をとって授業を受けることの出来るようにしてほしいです。
私はこの前、父親と自宅で戦
争ものの映画を見ていたときに、父親が「日本も昔かなりひどいことをしてきたけど、実際アメリカもひどいことをしているよね」といいまし
た。私は「アメリカはこれが正義だと思っているからしょうがないよ」と言うと、父親に「よく勉強しているな」と褒められました。私はこの
時、社会思想という授業はこのようなところで効果を発揮するのだと気づき、非常にうれしかったです。
私は、この授業は商学部に
とって必要だと思います。なぜなら、専門科目に特化するということはある一つの部分を強化しているにすぎず、知識をリンクさせる能力(い
わゆる応用力)が専門科目だけでは、決して身に付くことができないからです。
私はこの講義を履修して今ま
で深く考えていなかったことを考える機会を得ました。平等や幸福などは日本にはどこにでもあるものであると思っていましたが、そこの中で
もやはり格差というものがあってそれは一人ひとり違うものだということを実感しました。そして、長文を書く機会があまりなかったので練習
になりました。普段答えを書くだけのものしかないのでこういった時間はとても貴重だと思いました。
そして、2014年
度から教養科目から外れてしまったということですが、経済学部や商学部の人でもこういったことを考える機会は必要だと思います。この講義
は考えを養う上でとても大切な講義だと思います。これが履修できないのはもったいないと思います。
1、僕はこの授業が好きです。先生はユーモアがあるし、授業の
内容も面白いです。そして、この授業はとても考えさせられます。授業が終わった後などに、友達と「それは自由だ。」や「それが幸福だ。」
などとよく話していました。二回に一回の小論文は最初とても大変でしたが、今ではすらすらと書けるようになっていました。「書く力」をつ
けることができました。半年でしたが、ありがとうございました。
2、 来年から受けられない学
部があるというのは問題だと思います。教養はどの学部の人もどの学年の人も受けられるべきだと思います。
今まで生活してきた中で考え
たことのないことを真剣に考えるのは新鮮でした。人間の考え方はここまで違うものなんだなといろいろと聞けておもしろかったです。最初は
長く文章を書くのがつらかったけれど最後のレポートは格段に書くのが早くなったのがわかりました。
履修できなくなるということ
ですが、この教科は日々の生活でためになることを学ばせてもらいました。あとから入学してくる後輩にもぜひ勧めたい教科です。指定からの
除外には反対です。
@
論文というものをこの講義で初
めて書きました。最初は順序よく話を進めることもできず、ただただ思ったことを書くことしかできませんでした。これでいいのかな?と自分
の意見を書いているにも関わらず、わからなくなることもありました。しかし、回数を重ねていくにつれて少しではあるが、順序立てて話を組
み立てることができるようになったと思います。この講義を通して、自分は成長できたと思います。
A
1年生のうちに専門的な知識を集中的に身に着けることは大切だ
と思います。しかし、教養科目を制限してしまうことには賛成できません。教養科目では、学ぶことで人として成長できるものであると思いま
す。この社会思想でも、私は論文を書く力を身に着けることができました。教養科目で得られるものは、専門科目やこれからの大学生活に活か
せるものがあると思うので、学部関係なしに自由に選択できたほうがよいと考えます。
@
本科目の感想
今年初めてこの授業をとった。内容は少し難しかった部分も
あったが小論文は何とかかくことができた。小論文を書く回の授業で前回の復習をやってくれたときはその時の小論文が書きやすくなった。
A
履修できないことについて
履修できるようにしたほうがよいと考える。学部では専門科目
の勉強を中心にやっていっているから、専門知識を養うことはできる。だが、専門知識をどんなに養っていても、1方向の考え方しかできないのはよくないと考えるからだ。専門科目以外の一般教養科目をと
ることで、他学部の人と交流できたり、その授業を受けることで違う視点から物事をみれるようになるかもしれないから、履修できるようにし
たほうがよいと考える。
@
本科目の感想
・今まで文章をあまり書く機会
がなく、自分が考えていることを文章にまとめることが難しかった。しかし、本科目を受講してから文章を書く力がついたため、考えたことを
書くということが好きになり楽しくなった。この科目を受けて、自分が少しでも成長できた気がした。この科目を受けてよかった。
A
履修について
・この科目を後輩に薦めたいと
考えていたため、すごく残念です。この講義のように自分で考え、それを伝えるという力が付くような講義が受けれないのは残念です。
@本科目では、商学部では考え
ない社会について考えられさせ自分の意見、感想、考え方をまとめていく中で周りの人とは違う考え方を持ち自分の考え方を書くのは、少し難
しかったがやっていくうちに社会や現在の経済のことを深く考えていけるようになりました。
一番に周りとは全然違ったり、
自分の考え方が最初と授業後とでは違っていることが驚きでした。前期だけでしたがありがとうございました。
Aのことは、経営学部や商学部
は社会についてあまり勉強しない学科が多いので一年から履修しなくてもいいと思います。
@
松井先生の授業を履修したのは
初めてです。講義中に意見を聞かれたりすると聞いていて少しですが嫌だなという気持ちがありました。しかし実際、授業を受けてみると一言
でも意見を述べることはみんなの意見を聞けて参考になるし良いことだなと気づきました。 そして最初の「幸福」の授業を受けて、話しなが
ら問いかける授業スタイルにこの授業をとって良かったと思いました。小論文を書くために普段から考えることでとても自分のためになったと
思います。
A
とても反対です。教養科目は自
由に選べるべきだし、自分の興味がある科目を選択出来なければ学ぶ意味がないと思います。
@
教養でここまでいろいろ考える
授業は初めてでした。先生のわかりやすく考えさせられるレジュメや授業で悩むことも多くありましたが、自分の意見を考える作業は楽しさも
感じられ、結果的に今までの授業なかで一番有意義な講義であったと思います。自分の文章能力の無さを再確認できたのも本講義のおかげで
す。先生の講義は魅力的だとおもうのでこれからも専修大学で教鞭を取り続けてほしいです。短い間でしたがまた機会があれば先生の講義に参
加したいです。
A
商学部の学生が2014年度1年生から本科目を履
修できないことになった事はとても残念なことだと思います。もちろん専門的な学部であるので専門分野に特化することも大切だとは思います
が、社会にあがるうえでの準備段階である大学生活の中で社会の思想についての教養を深めるべきであり生徒に選択の権利もあるべきだと思い
ます。
@
私は、社会思想201の授業を履修して違った視点の勉強ができてとても新鮮でした。この授業では、最初は
インプットしたものを自分の考えをまとめてアウトプットすることが難しくて大変でしたが、授業回数が増えていくうちにだんだん自分の考え
をまとめられるようになっていくのが分かりこの授業を履修してみて身につくものがたくさんありました。
A
私はこの科目を履修できない学
生がいることに対して良いのか悪いのかは、よくわかりません。しかし、この授業を履修することで簿記や会計科目を学ぶ時とは違ったイン
プットとアウトプットの仕方が学べることは身をもって体験させていただくことができました。
@
今まで考えたことのないテーマ
ばかりだったがとてもわかりやすく興味深い内容だった。考える力が身に付くだけではなく小論文の回数が多いので、考えたことを表現する力
も付く。自分の意見をかけたことのほうが多く、意外と点数もとれていたため自信がついた。後期もとるべきだったと後悔している。また来年
とるつもりだ。
A
教養科目は自分たちの取りたい
ものを取らせるべきであって学校が決めるのはどうかと思う。主体性云々が大切なこの時代に、興味関心のある科目が取れないのはよくないだ
ろう。しかし、この講義を一年生が取れなくなったことで上級生はこの科目をとることのできる人たちが増えるという面では一向に構わないと
思う。この授業は考えたり書いたりする能力の向上には役立つので就活に役立ちそうだ。
@
最初の授業で言っていた通り、
考えてそれを書く力が身についたと実感できた。自分の場合は考える力が大きく上昇したと思う。一見興味のない事項について今までなら無視
してきたが、今ではとりあえず注目してみて、意外と面白いものであったと発見することが多くなりました。これは自分の可能性を広げられる
し、なによりも日常生活が少し豊かになった気がする。この授業では本当に有意義な時間を過ごせたと思う。
A 意見。非常に残念だと思う。教養科目は自由で選べるもの
であるべきものあると思うし、大学に来ているのに勉強したいことを勉強できないというのは大学としてどうなのか?と思う。実際、自分はこ
の授業に興味を持って受講している。指定されるなんて高校と変わらない。時間割を考える時間は大学生にとってとても大事な時間だと思う。
どの科目を取るかによって将来のことを考えたり、自分を見直す機会だったりするので、指定されて機械的にその科目の単位を取ることだけを
考えたら、自発的な欲求が失われてしまうんじゃないかなと思ってしまった。正直言ってこの事については反対です。
@今回、講義をうけて、小論文
は書く回数を重ねるごとに書きやすくなると思いました。はじめは、小論文を書くことに抵抗があったため、文字を大きくして何とか字数を稼
げないかと考えていたけれど、回数を重ねるごとにそういった努力をしなくても自分の意見をかけるようになりました。また、小論文のお題に
なる部分が興味のあるものであればあるほど、小論文が書きやすかったです。
A従来、教養科目はすべての学部の学生が自由に選択でき、2014年
度から実施された教養科目改革により、どの教養科目を履修するかは各学部が指定することになり、本科目「社会思想と現代」については、経
営学部と商学部が指定から除外された件については、社会思想を学びたい人がいるのであればその人たちが取れないのはかわいそうであると思
いました。
@
普段考えないことを考えて文章
に書くということが最初は苦痛でしたが、だんだん慣れていき文章を書く力が身に着けることができたと思います。正しい答えはなく、自分の
意見を一つに絞り、述べることは難しかったけど、一つ一つのテーマはとても興味深く、物事を様々な視点から考えることができました。今後
もこの講義で学んだことを活かしていきたいです。とてもためになる講義でした。ありがとうございました。
A
本科目は考える力、文章を書く
力など様々なことを身に着けることができ、これらは今後必要とされるものだと思うので履修できるようにした方がいいと思う。
1 思考力を鍛える練習になっ
た。他の人の意見をもう少し知りたかった。例えば論文を書いた後に幸福について客観的幸福の方が優れているという考えと主観的幸福の方が
優れているという考えの両方について他の人の考えを改めて比べてみると自分の考えを強化し、また視野を広げることができると思う。
2 現在の日本人は思考能力が
著しく衰退してきている。特にゆとり教育を受けてきた若者はこれが如実に表れている。競争を抑止され、協調性を重視し周りに同調すること
を強制する教育をされてきた我々は、個性がなく自分の意見をもつことをしないまま大人になってきた。また、社会問題としてネットスラング
で社畜と呼ばれる存在が近年注目されてきている。彼らは会社の歯車として労働基準法違反等に反発することができず経営者に酷使されている
現代の奴隷そのものである。過酷な労働環境に置かれた彼らは心身をボロボロにし、中には自ら命を絶つ者もいる。若者の思考力の欠如がこの
ような社会問題を増進させていると私は考える。
そこで社会思想201の
授業と思考力について述べる。この授業では生徒がある論点について自ら思考し論文を書くことにより思考力を鍛えることができる。他の授業
との決定的な違いとしては問いについての回答を自ら作り上げることにある。商学部の学生は社会学を学ぶことができない為、大きな括りとし
ての哲学すなわち考える為の学問を学ぶことができないのである。そのため一般教養科目としての社会思想によりのみ唯一我々は思考力を鍛え
ることができると言っても過言ではない。教育改革により我々の後輩はこれすらも抑止されてしまっている。これには誠に遺憾である。日本の
将来を支える学生は積極的にこれを学ぶべきであり、近視眼的選好を避けるためにも思考力を鍛えるべきだと私は考える。
@
この科目の講義を受けるにつれ
てさまざまな考え方が世の中にあるのだと新発見、再確認しました。私の主義や考え方は講義ごとにぶれぶれであまり一貫性がありませんが私
なりの意見を正直に小論文にまとめたつもりです。やや難しい単語などがあり混乱したときもありましたが、大変勉強になりました。
A
教養科目は自由に学部関係なく
受講できないのであれば意味がないと思います。
学部によって制限があっては、
本当にその講義を受けたいものが受けられなくなる事態がおき、受けられなかった者にとってはマイナスでしかありません。
@
授業が始まったばかりの頃
は、正直2週間に1回の小
論文を書くことが出来るかどうか不安でした。ですが書き始めてみるといろいろな考えが浮かんできて、短時間でそれなりのものを書くことが
できるようになりました。大学に入ってから、自分の意見を書くという授業は少なく、昨年も教養科目に1つあるだけでした。また、書いている内容も今までに考えたことのないものばかりで、理解
することが困難なものもありましたが、すべての小論文を書くことで、少なからず自分の意見をもち、文章にする力がついたのではないかと思
います。今期、この科目を履修してよかったと思います。
A
正直、商学部会計学科は1年次に履修しておくべき専門科目が多く、一般教養は多く履修できません。そのうえ今年度
の1年生から履修単位の上限が48単
位から少なくなったので、より一層一般教養が履修しづらくなったのではないかとおもいます。単位の上限の都合上、履修可能な一般教養科目
が少ないのであれば、本人の意思でどの科目を履修するのか選択できたほうがいいと思います。正直、私自身が今年度入学ではなくてよかった
です。
@
本講義で取り上げたテーマは
身近なものばかりであったが、その割に今まで深く考えた事がなく、その意味で非常に自己の考えを振り返り見直す良い機会になった。そして
限られた中で自分の考えを論理的に簡潔にまとめるよい練習になった。時間制限のある中でどのように結論へと導くかを考えるのは非常に頭を
使う作業であり、よい頭の体操になった。読み手に論旨を明確に伝えるため、頭と末尾に主張を置いた。文の中は論旨の根拠(理由)と具体例
で構成することでより明確性を持たせた。また、反対意見の根拠の欠陥を指摘し、より論旨に説得力を持たせた。このように、自己表現能力と
小論のスキルアップを図れたため、良い収穫となった。
A
本科目が今年度から商学部、
経営学部が一年時より履修不可になった事に対して私は不賛成である。理由は大きく二つある。まず一つ目は、履修中止決定が学生の意見を聞
かずに行われた点である。これは教育の公平性を欠き、不平等である。講義を受講する主体の学生自身がその講義に関する決定権を持っている
はずなのに、それを奪うことは教育の場においては許されざる行為であり、学生ひいてはその保護者への侮辱に他ならない。教育の場は本来公
平に行われることが筋である。公平な場には講義を構成する学生と教員がある。何かの決定が行われる際、この両者の意見を尊重し話し合うべ
きだ。これを経てよくやく公平な場が保障されるのだ。しかし、今回の決定は学生の介在しない場で決定が下され、学生の選択権・自由を奪う
行為に他ならず、一教育機関としてのモラルに関わる問題であると思う。
@
授業を受けて文章を書く力が少
し向上したと思います。始めは何から書けばいいのか解らずやみくもに書いていましたが、レポートを何回か書いているうちにどのように書け
ば上手く文章を書けるようになるか理解できるようになり、最後のほうになるとあらかじめ下書きを書かなくてもすらすらと書けるようになり
ました。すごく自分の力になったと思います。
A
私はこの授業を履修して、文章
を書く力はもちろんのこと、多くの言葉の意味や歴史的な出来事など様々な知識を得ることができたと思います。この授業で得た知識は専門科
目では得られない知識ばかりだと思うので、自分としてはこれからも教養科目として履修できるようにしてもらいたいと思います。
@
私は、今まである議題について自分の考えをまとめるということをあまりしたことがなく一枚分書ききれるか不安でした。また、考えることが苦手でもあったた
め、最初のころは小論文を書くぎりぎりの時間まで何を書こうか迷って焦っていました。けど、3、4回目と回数を重ねるうちに慣れていき、手を止めて悩む回数が減っていきました。それと同
様に小論文の点数もよくなっていき、今では一書くことに抵抗はなくなりました。どうやって埋めようかと考えていたのが、内容を重視するよ
うになり、両方の立場の意見に賛同するときはどっちの視点で書こうか悩み、考えることが少し楽しく思うようにもなりました。普段物事を考
えたりしない私にとっては貴重な授業でした。社会思想の授業を取ってよかったです。また、取りたいと思います。
A
私は、この授業をとってよかったと思っているので商学部の1年生がこの社会思想の
授業を選択できないのは嫌だなと思いました。教養科目改革によって、商学部の1年
には必要がないと考慮した結果、履修できないようにしたのだろうと思います。しかし、私は商学部会計学科のため授業は数字を取り扱うもの
が大半で、物事を考えるということはあっても、自分の考えをまとめるという授業は他にはありません。そのため1年生も履修できるようにしてほしいです。物事を考えることはこれからも大切だと思うし、
文章にまとめることによって自分の考え方に改めて思い知ることができるからです。
それに、1番納得がいかなかったことが、生徒にアンケートを取らずに勝手に決めてしまったことであ
り、そのようなやり方はよくないのではないかと思いました。少なからず、私と同じ意見の人がいると思います。社会思想は自分の考え方を育
むことができるため、学年問わず1年生にも必要だと思いました。早く今の制度が変
わればいいなと思います。
1.
本講義を受けて社会のシステムや、様々な思想について学べてよかったです。また、これからの社会のあ
り方や、システムのあり方についていろいろと考える機会ができたので本当に本講義をうけてよかったと思います。
2.
本講義は社会について考える機会を設けてもらえる物なので、ぜひ後輩たちにもできれば1年のうちに受講してもらいたいとおもいます。
@
この授業を受けて教養科目とし
てはとても良いと思われる。自分の人生において考えなければならないことで自分にとってとても良い教養がついたと思われる。
A
1年生がこの授業を受けられないのはかわいそうだと思う、上記
のようにこの授業は教養科目としすばらしい授業なので他にいらない授業があるのではないかと思われる。
@社会思想201の授業の感想として、この授業を受ける前は自分の意見はある程度考え方は固まってい
ると思っていた。しかし、社会思想201の授業を受けて、様々な状況での様々な考
え方の意見を聞く度に自分の意見は変わっていった。様々な角度からの考え方があっていいと感じた。これからも、様々な出来事をひとつの方
向性だけでなく、いろんな角度から考えようと感じた。
A授業変更について。社会思想201の授業が商学部の生徒が受講できないことに関して、上記の感想で感じたような様々な
メリットがあると感じたので来年度から受講できないのは残念なことだと感じた。生徒の考え方を豊かにするという面でも続けた方がいいと感
じた。
@
私は、モノを考えるときは直感
的で論理的にとらえるということがとても苦手です。自分の意見を文章にしなければならないときは、論理的に考える力がないととても大変で
す。さらに文章を書くことも私は苦手なので、最初の小論文は苦戦しました。この講義を半期やり通してみると、講義が後半に進むにつれて、
多少は苦痛がなくなり以前よりも考えをまとめることができるようになったと思います。松井先生の講義は確実に、私の文章力と考える力を成
長させてくれたと思います。
A
教養科目として、この講義は最
適だと私は思いました。何を根拠に自分はどう考えているか、を社会に関するテーマを通して問われるため少なくとも専門科目に分類すること
はではないと思います。また、松井先生の扱ったテーマは、教養として全学部が身につけることが望ましいと思います。そのため商学部の学生
が履修できなくなる後輩のことは、とても残念に思います。
@私はこの授業を取って良かっ
たと思っています。中々、社会思想を学ぶ機会がないため、どのような場面でどのように行動するのかを勉学ということで自分自身で考えたこ
とが余りなかったです。そのため毎回の授業が新鮮で答えのない学問だと自分自身の考えが答えになるということは真剣に考える良い場になっ
たと思っています。また、文章を書くきっかけになっているため文章を書くのが苦手だったのですが小論文の回数を重ねるうちに自分の考えを
書くのが楽しくなっていました。以上の点からこの授業を取って良かったと思っています。
A 私は商学部マーケティング
学科です。今年度から新しく入った一年生が受講できないのは残念です。正直なところ、このような一般教養を取れなくなると自分で調べるこ
とがない限り一生学ぶことがないと思います。就職活動を通して学んだことがあります。それは色々な事を知っていることは自分自身の武器に
なることを学びました。また小論文を書く授業は余りないと認識しています。就職活動でエントリーシートや面接の時に何を伝えたいのかを考
えるのに良い授業だと思います。受講できないようにするより、むしろ強制的に受講させる方が良いのではないかと思います。
@社会思想201の授業を受講してきて多くの小論文を書き、文章能力が身につきました。また、授業で
使用するスライドがとても分かりやすく、難しい内容でもしっかり内容を抑えて授業を受講することができました。授業で学んだことをこれか
らの人生で活かせたらと思いました。
A私は商学部の四年生ですが、今年この授業を選択できて良かったと思いました。とても興味深い授業なのでこれから専修大学
に入学してくる商学部の後輩にもお勧めしたい授業の一つです。教養改革を行うことも大切ですが、もっと多くの授業を受講する機会はあって
も良いのではないかと思いました。
社会思想学は私の人生で初め
ての勉強だったので、楽しめてやることができました。毎授業知らない知識を吸収できることは、単純に喜びであり、驚きでした。抽選が行わ
れるほど人気なのも頷けました。
特に印象に残っていること
は、第8回の正義についての講義でおっしゃっていた、山口良忠判事が法律に違反す
る闇市の食糧を拒絶し続け、果てに栄養失調により死亡した、正義とは何かの例題です。いったん正義派非正義派のことは置いておきますが、
弱冠34歳でありながら一つのことを貫き通すことは同じ人間として尊敬でき、感動
しました。ここで問題に挙がるのは、命の危機に迫られたときでも、自分の信念を曲げずに貫き通せるか?ということだと思います。私の経験
から、これがいかに難しく達成しがたいことであるかは一目瞭然です。多くの人も私と同じ意見だと思います。私は非正義派であり、法によっ
て幸福が阻害されることに反対ですが、この行為は賞賛されるべきだと思いました。
社会思想学は本屋さんへ行っ
て参考書を買えば学ぶことができるというものではないです。幸福・正義・平等など普段生活していく上では当たり前のことですが、あまり考
えないようなことを改めて一から考えるという授業は私の人生を見つめなおすいい機会でした。私は前期の受講だけしか行っていませんが、4年次になったら抽選を掻い潜って後期を受講したいです。
A講義時に先生から聞き、残念
なことだと思いました。商学部において一年次から商学の基礎を固めておくのはとても大事なことだと経験しました。その反面、社会思想学は
商学についてまったく役には立たないです。商学部の教授の方々もそう判断してこういった決断に至ったのだと思います。ですが社会思想学
は、人としての大事なことが学べる講義です。言わば人生の必修科目だといえます。一年次に商学の基礎を学んでおくことはいいことですが、
一年次に人間としての基礎を学んでおくのも悪くないと思います。社会思想学の第2、3回の幸福についての講義を学べば、商学に限らず全ての勉強がはかどります。以上の理由か
ら一年次から社会思想学を履修できなくなることに反対です。
松井先生の講義は教材、パ
ワーポイント、講義中の話を含めすべてに関して分かりやすく、聞きやすかったです。何よりも講義中の携帯電話、スマートフォンの使用の禁
止のおかげでとても気持ちよく集中できたと感じています。本来自制すべきところを出来ていない人が多いので、全ての講義で実施してほしい
くらいです。先生のお話は生徒達が飲み込みやすいように身近な例を使ってくれるので聞いていて面白かったです。
私は学部ごとに講義を限定す
ることには反対です。大学は幅広い考え方や価値観に触れる場所であるにも関わらず、一方的にその権利を取り上げる事は許されないと思いま
す。商学部の先生達は他にやるべきことがあり時間がもったいないと言われたそうですが、こういった普段の生活では考えないことを考える機
会を失う方がはるかに損失が大きいと思います。私達は機械や道具ではなく、一人の人間なので教養も必要だと思います。
1、
私は一年生の時も社会思想を受
講していたのですが、授業の内容がかなり異なっており驚きました。しかし、授業を聞いているうちに人間のそれぞれの思考の違いを知れて楽
しかったです。一つの事例に対して真逆の意見を持った者同士が、自分の主張の正当性や相手の主張の矛盾を述べているのは、読んでいて感心
させられました。今回は六つの題材を学習しましたが、ほかの事例も見てみたいと思いました。
2.本来、大学は高校などの義
務教育とは違い、自分が学習したいことをできる場所だと思っていたので、学生の学習の選択幅を狭めてしまうのはあまり好ましくないと思い
ます。自分の学部と関連性のない科目でも、受講して興味を持ったことにより将来の仕事に繋がってくる可能性もあります。なので、社会思想
が履修できなくなることは反対です。
本科目を履修するにあたり、
一番はなんといっても考える力が身に付きました。松井先生の教え方も丁寧でわかりやすかったし、何よりもこの講義で今自身の心情をみつめ
なおすキッカケになりました。また、ケータイやスマホ等を講義中にいじっていたら単位をくれないということもあり、最初はかなりビクビク
しながら講義を受けていましたが、おかげで集中力があまり散乱せず、真剣に授業に耳を傾けることができました。後期でも松井先生の社会思
想202を履修していますので楽しみにしています。密の濃い講義を受けさせていた
だいて、本当にありがとうございました。
さて感想はこの辺にしてお
き、次に教養科目改革が実施されたことについてです。内容は教養科目がすべての学部の学生が自由に選択できましたが、2014年度からこの改革により、どの教養科目を履修するかは各学部が指定することになっ
たということです。つまり、本科目の「社会思想と現代」については、経営学部と商学部の学生は2014年
度1年生から本科目を履修できないことになったということです。
私はこの改革について反対で
す。大学生に通っている人は皆学部に関係なく将来無限の可能性を持っていると私は考えます。それに対してこの改革はその可能性を限定して
いる、または潰していると思います。特に松井先生のような人間の道徳を重んじる講義内容は特別で、正直受けられないと思うと悲しいです。
なので、私はこの改革が諸個人の学習の幅を狭めているという点で間違っていると思い、私は反対という結論に至りました。
この授業では、普段の生活で
中々考えないことについて考え、またその考えを文章で表現するという授業である。この授業は自分の考えをよく見直すことができるためとて
もいい機会になりました。また、二回に一度行われる小論文のテストでは文章表現力が回数を重ねる度段々と上がっていることが実感できまし
た。やはり、文章で表現するには回数を重ねないと力がついて来ないと思うので、この講義では大分文章表現力がついたなと思いました。来年
もしくは再来年にまた同じく社会思想を履修したいなとおもいました。
社会思想の授業では幸福の
テーマが一番印象に残っています。授業で先生の言っていたような、なんでも望んだ通りになることは本当に幸せなのか。本人が幸せと思って
いれば本当に幸せなのかなんて考えたこともありませんでした。授業で客観的か主観的かを考えて、幸せといっても色々なとらえ方があるなと
感じました。そのほかに自由や平等、正義などのテーマについても同じようなことが言えましたが、同じことでも様々なとらえ方があるとすご
く実感した授業でした。この授業を受けて、自分の考えを書くということを初めてやったように感じ、この授業を受けてよかったと思いまし
た。
今自分が所属している学部
は、もちろん興味があって選んだ学部なので、その専門的知識を深めていくことはもちろんだと思いますが、教養科目も魅力的な授業だと僕は
思っています。専修大学の学部にはない理系科目や、自分の所属する商学部では学べない歴史などの人文系科目、この社会思想についても同じ
く自分で興味があって取った授業がほとんどです。専門にはしなくとも学んでみたい科目は人それぞれあると思います。
教養科目の幅広さはとても魅
力的だと僕は思っているので、学部が受ける授業を指定して、取れない授業があるのはちょっとよくないと思います。自分が学びたいことを学
べるのが大学のいいところだと思うので、いままで通り自由に授業を選べるようにしてほしいと思います。
この授業をとって文章を書く
ことが苦手だった私が少しはうまく書けるようになったかと思います。社会思想の内容は難しく45分
間でレポートを書くことが大変でした。この授業の小論文はうまく書けたと思わなかったですが、他の授業の課題で前までの自分よりうまく書
けるようになったと思いました。授業の内容は難しかったですが私にとっては興味の持てるような内容でした。全学部の興味がある人が受講で
きたらいいと思います。
@
人間ってこうも考え方が違うん
だなと思いました。とても興味深かったです。
A
なくなるなんてもったいないと
思います。
知識を身につけるというより
も、自分の考えを広げられ、それを文章として書く力を身につけさせてくれる授業で、履修してよかったと思います。
商学部の一年生からは履修で
きなくなったと言うことですが、教養科目というのは、専門科目ではなく、教養を身につける授業なので、誰もが履修できる科目であるべきだ
と思います。実際、自分は後期の社会思想も履修しようとしたのですが、抽選で落ちてしまったと言うことは、定員以上に履修したい人がいる
と言うことなので、みんなが履修したい科目なのに、特定の学部の人しか履修できなくなってしまったのは残念だと思いました。
ということは、学生は必要とし
ているのに、学部はそれを提供しないということになると思います。
今回この講義を受けさせて頂
いてとても良かったと思っています。普段生活していて正義や平等、幸福などについて真剣に考える機会はほとんどありませんでした。しか
し、この講義を受け改めてしっかりと対立する二つの立場からそれらの物事について考えることができました。そして二回に一回自分の意見を
書く機会があり、今となっては講義を受ける前よりも文の構成がしっかりととれ、自分の意見をかけるようになったと感じます。
商学部では2年からこの講義を取れるようになりますが、1年
からとれるようになってもいいと思います。初めのうちに書く練習をすることで、文の構成が上手くなり他の試験のときまわりと比べあまり苦
労せず書けるとおもいます。また、自分の意見を述べることで自身のステップアップにもなると思います。
僕は社会思想の講義を受けこ
れまで考えることもなかったことがら例えば、初めての講義であつかった快楽について自由主義、社会主義の両方の立場から学びどちらがいい
かという質問にたいして答えなどなくとても困りましたが、授業を重ねていくにつれ物事を広く見ることができるようになり、レポートについ
ても手が止まることなくかけるようになっていきました。たしかに社会思想というのは数学のように一つの答えがある訳ではありませんが教養
を深めることにおいて重要だと思います。なので商学部、経営学部の一年生にも受講して欲しいと考えます。
@自由主義、社会主義、民主主
義…社会の中でよく耳にする言葉ではあるけれど説明はできないそのような言葉の意
味と何が違い、どれが正しいのかを考える授業でした。今までよくわかりませんでしたが、今なら簡単に説明できます。何が正しいというのは
人それぞれで答えがあるわけではありませんがよく考え、自分の考えを記すというのはとてもおもしろかったです。
Aこの授業はとても「大学らし
い」授業でした。哲学や思想などは高校まではまずやりません。社会に出てから学ぼうと思う人もほとんどいないと思います。(経営系の学部
を出ればなおさら)しかし哲学や社会思想は生きていくうえで筋道を定めうる学問だと思います。ですから大学で学ぶべきだと思います。思想
という考える機会はあり続けるべきだと思います。
@
この講義はとても面白く興味深
いものでした。一見難しそうな単語がたくさん出てくるけれど、わかりやすく講義してくださったので私にも理解することができました。ま
た、小論文を書くことによって自分の文章力が少なからず上がったと思います。それだけでなく、社会に対する知識や考え方が広がったと感じ
ています。なので、この授業を履修してよかったと思っています。約半年間ありがとうございました。
A
後期に履修はしていませんが、
また機会があれば履修したいと考えていました。また、ぜひ後輩にも履修してほしい科目だったのでどうして除外されてしまったのだろう、と
非常に残念に思います。
@
文章力、表現力が身についたと
思います。小論文の書くスピードを明らかに授業が進むにつれて早くなっていたと感じました。
A
この授業は好き嫌いはっきりと
別れると思うのですが、それでも1年生にも履修をしてみてほしいという気持ちはあ
ります。できないというのは少しおかしいかなと感じます。
1.
初めて社会思想の授業を取りま
した。初回の授業でのイメージはとても難しい政治などを取り扱うのかと思いましたが、身近なもので例を挙げていてとても分かりやすかった
です。先生の説明の仕方もわかりやすかったです。初回のころは長く述べることができませんでしたが、最後の方の授業では裏面に行くほどま
で書けるようになりました。
2.
妥当だと思います。一年のうち
は教養科目よりも専門科目に重点を置いて勉強するべきだと思います。
@
科目に関する感想
当初は思想や哲学(また別の
ものだとは思いますが)などの学問には興味を抱いていませんでした。この授業に関しても単位が修得できればいいという気持ちで受講してい
ました。しかし、先生がおっしゃっているように文章力が身につくという効用があり、今では受講してよかったと感じています。これは決して
お世辞ではなくほかの一般教養のテストにおいて知識が希薄にもかかわらず、すらすらと論述問題に答えられたと感じたからです。また、同テ
ストではただ字数を埋めるだけではなく、自分の意見をしっかりとある程度のボリュームで述べることができたと感じています。また授業内容
そのものに対しても、例えば子供に対するパターナリズムの行使などのわかりやすい例で主観説や客観説、自由主義や社会主義に関して学ぶこ
とができ、若干ではありますが興味を持つことができたと思います。
A
カリキュラムの変更に関する意
見
私自身の本心は、一般教養は学ばず専門科目に専念したいと考
えています。また2013年度入学者までにおける商学部のカリキュラムでは他学部
とは異なり人文系、社会系、自然科学系、総合科目など教養科目内においてもとるべき単位数が規定されており不満を感じています。しかし、
社会に出るうえで、専門科目外の知識が必要となることもあり、だから一般教養があるという話を、どこかの授業で伺い納得せざるを得ません
でした。にもかかわらず、2014年度カリキュラムから社会思想の授業を受講でき
なくなってしまったのは疑問を抱きます。また前述の感想のとおり、受講することで授業の良さを発見できたのに後輩がこのような授業を発見
する機会・チャンスを失うことは残念だと思います。
1.
社会思想の授業で少しは自分の
主張や思いを文章にして伝える能力が向上した気がします。小論文がすごく苦手なのでこういった授業は苦しかったのですが、少しだけ書ける
量が増えました。授業内容に関してですが、ごく当たり前の自分の生活環境を顧みるきっかけになって、いろいろな主義者の掛け合いも良い刺
激になりました。
2.
1年生がこの授業を受けられなくなるのは選択の自由としてどう
かと思うが、指定するということは専門の先生の意見を反映して教養科目を選んでいるということなので不足はないのではないかと思う。確か
に選べないのは不自由に感じるかもしれないが、素人目で教科を選ぶより、専門家の意見を参考にすることは必要である。
金曜3時限
面白かったです。ありがとうございました。
教養科目は必要不可欠です。教
養があると豊かな人間になれます。大学は専門学校ではないので、教養科目を外すのは馬鹿です。
@ わかりやすく、とても興味深い講義であった。普段あまり幸福だとか自由について考えたこ
とがなかったし、また今の日本の自由資本主義社会が当たり前だと感じながら生きていたので、ほかの主義について学習することができ、とて
もためになった。講義を受けていく中で自分のなかでの考えや主張が変化していったと思うので、それが見えるように提出した小論文を返却し
ていただけるとより面白く講義が受けられるのではと思った。
A 今まで受けた教養科目の中でも、とても興味の持てた科目であったので、除外しないでほし
いと思う。そもそも選ぶことのできる教養科目の種類を絞ることにメリットがないと思うし、より専門的な知識を学ばせたいとの考え方なので
あれば、教養科目の必要単位数自体を減らせばいいと思う。
@今回履修させていただくにあたり、授業環境としてとても受けやすい授業でした。私語や内職を
する生徒に注意をきちんとされていて整った環境で履修できたことでとても勉強がはかどりました。また、自分の見解を広げることにつながり
ました。さまざまな考え方を紹介していただくことにより自分の見解についてよく考えるきっかけになりましたしそれを文章にまとめることで
頭の整理もすることができました。後輩に進めたい授業の一つです。ありがとうございました。
A私個人の意見としては初めからすべての授業をとる機会を与えていただきたく思います。なぜな
ら、学年が上がるにつれ専門科目も増える上に就活などにより履修可能な時間が限られていきます。そのため本当は履修したくてもそれらの兼
ね合いにより履修することができない可能性が出てくると思われるからです。なので、一般教養科目については初めから開かれた選択肢がある
ことを望みます。
私は、商学部だから関係ない科目を受けなくていいという意見
には、反対です。様々な分野のことを学びたいから大学に通っているのであって、そこに学費を払っているのに大学側で勝手に規制をかけ選択
の自由を奪うことに関してどうかと思います。教養科目の内容に関して、この社会思想の授業に関してもそうですが、自分が今まで知らなかっ
た世界について知れる、知識を新たに取り入れられることで自らの成長を実感できる部分があります。専門の知識だけに偏っているのはただの
○○バカ、〇〇オタクと同じで、様々なことを知っているからこそ、その分野の新たな視点での考え方を養えると思います。
@正直四年の履修期間の時に社会思想って難しいだろうな、と思いつつ履修しました。いざ講義を
受けてみると案の定難しかったのを今でも覚えています。ただこの講義では何かをそのまま暗記記憶するわけではなく自分の意思、考えを改め
る、そして今まで気づかなかった自分というのを発見できた気がします。
A上記にも申したように、この講義では新たな自分を見つける
ことが出来ます。この講義は私にとってとても大切な時間だと思い授業を受けています。それが来年度から選択できなくなるというのはとても
残念であり、後輩たちには無念であると感じています。なので私は決まってしまったことに口出しはする気はないし、言える立場ではないこと
は承知のことですが、この講義は続けていくべきだと思いますし、続けてほしいと願っています。
日頃生活していく上であまり深く考えないようなことについて様々な角度から知ることができ、
関心を持って授業に取り組むことができました。自分の考えだけを押し切ってしまいがちな性格ですが、1つの話題について2,3この立場
の意見を示してもらえたことで、より深く理解することができたように感じます。
履修の制度ですが、私自身、これについては改悪だと感じます。コースによって履修できる専門
科目が変わってくる、というのはわかりますが、教養科目まで制限されるというのは学生の学びたい気持ちを阻害しているように感じます。た
だでさえ商学部(経済学部については把握してませんが)は教養科目の中でも人文から4単
位、社会から4単位、など細かく指定されています。これ以上指定されてしまうと勉
強したいと思っていることが勉強できなくなってしまうことも考えられます。学生の意見も尊重したカリキュラムになってほしいです。
@
普段、なんとなく生活している
とありがたみを感じることも少ないし、改めて考えることも無いような「幸福・自由・平等・正義・共同体・民主主義」について考える良い機
会を与えてくれる講義だったと思う。様々な考えを聞くのは面白かったし、聞いた後、「自分のこれまでの考えは少し間違っていたのかな?」
と考え直す事も多かった。2回に1回は自分でレジメを印刷しなければならなかった点は少し面倒に感じたのと10号館の比較的、大きな教室
といえども受ける人が多くて少し窮屈だったのは改善して欲しかったなと思う。
A
大学は高校までと異なり専門的
な分野を学びたいから入学するのであって、専門外の分野の講義を受け、単位を取らないといけないのは面倒だなと感じる。しかし、それだと
別にわざわざ大学に入学してもいいのではないか?と思う。単に専門分野を学ぶのならば専門学校で充分ではないだろうか。最初に記した通
り、自分の専門外の分野を学ぶのは面倒であり、単位を取るのは簡単ではない講義もある。でも、その大変さを乗り越えて単位を取れた時の喜
びは大きいし、なにより自らの知識(教養)の範囲が広がっていくので、他人と話す際にも「この人って何にも知らないバカな奴だな。」とは
思われないだろう。
「勉強は出来るけど、知識・教養がない人間」こんな人間を言葉が悪いが“大量生産”するために
大学は存在するのだろうか?と思う。興味持っても在籍する「学部」のせいで講義が取れない・・・こんなバカな話があっていいのだろうかと
思う。
@
普段考えたことのない知識、思
想を得ることができた。また、得た知識を元に自分の意見を持つまでを授業で行い、さらに一歩深く考えることができた。受容するだけではな
く自らの考えをめぐらすことは、とても有意義でこの授業のおかげで考えの選択肢が増え受講して良かったと思う。
A
商学部では、専門的な知識を
深めることは最も必要なことであると考える。ただ大学では、それだけではなく様々なことを学ぶことも必要だと思う。後輩がこの授業を取れ
なくなってしまうのは、とても残念に思う。
授業をうけて感じたことはとても静かな授業であり、わかりやすい内容や説明でした。二回に一
回行われる小論文を書きましたが最初はなかなか大変であり、最低限書く所までいくのにもやっとでしたが終わりにいくにつれ書くのが楽に
なっていき、他の授業やレポートを書く際にもこれが生かされたと思いました。この科目が今の一年生が取れないのは非常に残念だと思いまし
た。社会思想で習ったことは他の分野でもいかせる内容だと思いました。
この講義は、同じテーマの講義を2回
受け、2回目で自分の考えを述べた課題を提出するスタイルでした。容量はA4サイズの紙で、プリントやノートを見ることはできず、時間も制限されていたので書く量
に戸惑いを隠せませんでした。講義をよく聞き、かつ自分で考えていないと書く事は困難でした。キーワードを含め書かなければならない時も
あり、思い出し頭の中で整理しながら書くという作業は慣れていなかったのでとても辛かったことを覚えています。しかし、講義の回数を含め
聞きながら物事を整理する力や文章量・道筋をたてて書く力が身に付いたと思います。社会思想という講義に関心がある人はもちろんのこと文
章力を身につけたい人にもすすめたい講義でした。
社会思想の講義はとてもためになり、社会問題になっていることや普段自分では考えないことも
とりあげ、わかりやすく例もあげ講義してくださるので、2014年度の経営学部・
商学部の1年生が受けられないことはもったいないと思いました。決して無駄な講義
ではないので、履修を受けられるようにしていただきたいです。
@
毎回の課題で2者に分かれて討
論する形が、理解するにはわかりやすかったと思います。先生が書いてある討論の補足をするので、内容が頭に残りやすく、細かく用語の説明
や、画像を使った授業の進め方は分かりやすかったです。キーワードがあるせいで、思うように書きにくい時はよくありました。日々、思うこ
とや考えることを改めるよいきっかけだったので、すごい良い経験ができたと思います。後期の社会思想202も楽しみです。
A
義務教育ではない大学の授業
で、どの授業を履修するかを学生が決められないのは、おかしな話だと思います。自分の学部の専門教科を深く学ぶという考えは大切ですが、
それも含めて、教科を選択することができることが、専門学校ではない、大学の利点だと考えているので、話を聞いたときは、残念に思いまし
た。
@ 初めはまとめの文章を書くことに多少の抵抗はあったが、文章が上達したかは別として、今は
それほどの抵抗を持たずに自分でも驚くほどすんなりと作業に入ることができるようになり、この講義を受けて良かったと今では心底感じてい
る。このことは将来にもおおいに役立つことであると思う。
A とても残念なことであると思う。この講義は文章をまとめる力を身に着けるのに最適であると
考えていたので学部にとっても痛手であると思う。
@
感想
今期、初めて松井先生の社会思想を受講して非常によかったと思っています。普段の生活では決
して考えないであろう問題について向き合うことで、改めて自分が社会に求めているものを認識することができました。また、テーマごとに小
論文を書くことで自分の考えを表現する良い経験にもなりました。商学部ということもあり、なかなか講義で自己を表現する機会がありません
でした。なので、今回の講義は自分にとって非常に有意義なものとなりました。ありがとうございました。
A 教養科目改革の実施について残念に思います。専門科目を学ぶことも大事ですが、それ以外の
教養科目を学ぶことはそれ以上に大事だと思います。その教養科目を自由に選べず、制限されてしまうのはどうかと思います。専修大学は総合
大学であり、多くの専門知識、教養知識を学ぶ場です。それを制限されては、専門学校に通うことと変わりなくなってしまいます。他学部の教
授の教養科目によって、価値観や考えが変わることもあると思います。なので、教養科目改革には反対です。どの学部の学生も自由に、自分が
興味のある分野を学ぶ機会を与えてほしいです。
@
私は、最初小論文が書くのが苦
手だったのですが、回を重ねるごとにだんだんと自分でもわかるくらいに文章が書けるようになっていて、最終的には思い描いていることを、
ほとんど文章で表現できる能力がつきました。
A
この授業は本当に文章構成力が
つく授業だとおもっているので、ぜひ、復活してほしいとおもう。
初めはとんでもない講義を履修してしまったなと後悔しましたが、今まで生きてきた中で幸福と
は何か、自由とは何かなどのテーマを考えたことはなかったので正面から向き合う良い機会となった。テーマはどれも難しく、その場その場で
なんとか埋めていたため納得のいく小論文は一度も書けなかった。後期も履修しているので、そこではもっと深く考えて自分で納得のいく小論
文を書きたい。
後輩がこの講義を履修できなくなったことについてはお世辞でなく純粋に残念だと感じる。おそ
らく講義で取り上げたテーマについて日頃から意識して考えたことのある者はそう多くないはずであり、そうした者から考え学ぶ機会を奪って
しまうのは大学としてどうかと思う。専門科目に力を入れるのは大事なことだが一般教養をおろそかにすることには賛成できない。
1.
感想
前期の社会思想201を
履修してよかったと思っています。最初は二回に一回のペースで小論文を書くような授業を履修してしまい面倒だなと考えていました。しか
し、実際に授業を受けてみて、興味深い内容であったし回を重ねることに自分の考えていることを文章にしていくことにも慣れました。前期に
履修した授業の中で専門科目よりも興味を持って取り組めた授業でした。
2.
意見
大学のやり方には反対したいです。専門的なことをやるという
ことは悪くはないと思します。しかしそれならば専門学校に行けばいい話だと私は考えました。専門的な知識を身につけたいひとは専門科目
を、総合的に様々なことを学びたい人は社会思想の履修できるといったようにこれまで通り選択可能な形の方がいいとかんがえます。
また、社会に出た時など、専門的な知識だけではやっていけないことも多々あると思います。そ
ういったところを補うためにもこういった科目というものが必要なのではないかと考えました。
@社会思想201の授業を終えて、人間
の暮らしの中には様々な論点があり、それを自分の意見を交えながら論じていくことに面白さを感じた。すべての論争にはお互いに長所と短所
があり、どれだけ長所を押し出すことができるか、また、どれだけ短所を正当化し相手を納得させられるかという部分が非常に興味深かった。
この講義によって、これからの人生観が変えられたように感じた。
A私は学部ごとに履修できる教養科目が制限されてしまうことには反対する。商学部だからと言っ
て、延々簿記の授業をやっていても飽きる。そんなことなら専門学校に通っても大して変わらないと思う。専門的な科目に加えて、その他にも
興味のある科目や学習しておきたい教科を自由に選ぶことができるということが大学の魅力の一つであるので、教養科目の履修制限には反対す
る。
@
この講義は、私語をする人や携
帯をいじる生徒を積極的に先生が注意してくれたので、全講義通して引き締まった空気で集中することが出来たと思う。そして、いろんな思想
等を学べて、とても充実した講義だった。
A
先生が言っていた通り、専門的
な科目ばかりを学んでいては見えないことはあると思う。社会思想の講義のように色んな物の考え方を学べる講義は無くさないでほしいと思
う。
@
本科目をとって、よかったと
思っています。授業中は静かで話を聞きやすいし、なにより講義を受けていて自分はどっちの考えなのか、いつの間にか真剣に悩んでいるのが
不思議でした。普段考えないことを考える良い機会になったし、自分の意見を言葉にして書くのは難しくて大変だけど大切なことでもあるの
で、良い経験になったと思います。また、友達と自分はどっちの意見で書くつもりかを話し合ったりして、友達の意見を聞くのも楽しかったで
す。
A
商学部は専門科目が多くて大
変ですが、だからこそ私は、教養科目も沢山とっています。確かに専門的知識を学びたくて大学に来ているわけですが、興味のあることや好き
な分野は他にもたくさんあります。専門知識を扱うのは難しいこともあり、煮詰まったときには、良い気分転換になっています。
私は、様々な知識や学びの場を得られるのが大学だと思っています。だから、様々な授業が選べ
る環境を奪われることは、見聞を広める機会も奪われることだと思います。どの授業をとるかは生徒次第なのだから、必修科目でもないのに教
養科目まであらかじめ限定されるのは良くないと思います。私は社会思想の講義を受けて、自分の意見を書く力が身について良かったと思って
いるし、後輩にも是非勧めたいと思います。
1. 私は社会思想の講義を受けるまでは、幸福や正義などについて考えることは全然なかったで
す。頭の中では、自分が正義派だと思っていても講義を受けて改めて考えてみると、非正義派の考えかたをしていたりして、講義を受けること
によって自分がどのような考えを持っているかわかることができました。また講義環境は、とても良く楽しく講義を受けることができました。
2.意見。私はこの講義は商学部の人でも学べることはたくさんあると思います。この講義は自分
を見つめなおすことができると思うので、商学部が除外されたのはとても残念です。
@
社会思想の授業を受けてみて最
初は社会思想という言葉の意味が分からなかったが勉強していくと人間にとっての幸福とは何かなど今まで具体的に説明ができなかったことが
少しだけ説明できるようになった。今までの勉強と違い計算などではなく自分で考えなくてはいけなかったので難しかった。
A
社会思想という科目は各学部に
必要な知識などは必要ないので今年度の経営学部と商学部の1年生が社会思想の授業
を受けられないのはおかしいと思う。社会思想とは人間にとっての考え方やあり方などを勉強するのですべての学部が受けられると思う。
@私は社会思想の講義を受けて自分の中にある漠然とした考えが少しずつ表面に現れるのを感じま
した。現代だからこそ起こる問題や課題を取り上げることで、高校で習った倫理とは違う感覚がして積極的に講義に参加し、一歩踏み込んで考
えるようになりました。人権などについての思想が唱えられるようになった時代に比べてより自分に近い問題であるのに、今まで深く考えてこ
なかったことが意外であったのと同時に、社会的弱者や貧困に喘ぐ人々の問題を直視しないようにしていたことに対して恥ずかしくも思いまし
た。今後、少しでも社会やシステムの中で生まれた問題に目を向け考えて自分の考えを理論的にまとめ、意思表示できるようになりたいと思い
ました。
@
社会思想を学びたいというニー
ズがある限り履修を望む学生の意思を尊重すべきだと思います。そもそも専門科目ならまだしも教養科目に制限を設ける理由がわかりません。
知識や教養を身に着ける場においてこのようなことは学習意欲の妨げにしかならないと思います。
@私はこの授業に参加してよかったと思う。なぜかというと、物事を考えることが増え
たし文章を書くことにも少しは慣れたと思う。それに自分がどういう生き方をしたいのかも考えられたからです。
Aどの授業を必要だと思うかは生徒が考えることだと思うし、必要不必要で言ったら他
の一般教養の科学などの授業も同じではないのだろうか。物事を考える力や書く力もつくしいい授業だと思う。
@
最初この授業の進め方を聞いた
ときは何回もレポートを提出するなんて嫌だなと正直思いました。一回目のレポートの時も内容が難しいので考えるのがとても大変でした。し
かし、回を重ねていくごとにだんだんと慣れてきて最終的には裏面にまで書けるようになることができました。今後レポートなどを書く機会も
増えると思うのでいい練習になったと思います。そして、幸福や正義についてなど普段は考えもしないような議題について考えることによっ
て、自分がどのような考えを持って生きているのかを知ることができてよかったと思います。
A
教養科目は以前のように全学部
が自由に選択できるほうが良いと思います。専門科目ならばそれを専門に学びたい人がとるのだから、全員が選択できなくてもいいとは思いま
すが、教養科目は全ての人がとれるはずだと思うからです。
@感想
私はこの講義を通していろいろなことを感じ学ばされました。
今まで社会問題に対してあまり関心がありませんでしたが講義の中で様々なことを学んでいくうちに関心を持つようになり、これまで自分の中
にあった価値観がどんどん変わっていっていくのを実感するようになりました。特に貧困の問題に触れた際、知識として認識していたことを改
めて目の当たりにして自分が不自由なく生活してきている反面、世界のあちこちでは常時生活環境に
悩まされて苦しんでいる人々がいるということを忘れていました。これまでそのような人のことを
何も考えることなく生きてきた自分がとても恥ずかしくなりました。これからはもっと社会問題に目を向けて生活していくことを心掛けていこ
うと思います。普段こんなに多くの社会問題に触れることのできる機会があまりないので、この講義を履修してよかったと思いました。
A意見
教養科目改革によって今年度の1年生からこの講義を履修することができなくなったと聞いて残念だと思いました。大学生は
あまり社会問題に触れる機会がないと思ったのでせっかく多くの社会問題に触れることのできる機会が失われてしまうのがとても残念です。商
学部の教養科目にも社会問題にふれることのできる科目が生まれたらいいなと思います。
様々な主義があり、その意見はその主義の考え方なんだなと思うことが色々ありました。
自分の中に無い考え方が沢山あってこれから生きていく上で少し物の見方を違う視点から見ること
ができるようになったような気がします。
この講義で一番得た大きなものは自分の考えを文として書く力を少しでも得られたことだと思い
ます。とても良い授業でした。履修科目を学校側で色々と制限されてしまうことは、学生としてとても残念に思います。大学は専門学校ではな
いので様々な講義を受けられるほうが良いと私は思います。
1.
感想
この授業を通して物事について多少なりとも深く考えることの重要性を学んだ。始め、幸福につ
いて主観か客観かという話でよくわからない授業だと思い、小論文も支離滅裂な文章を書いてしまったが、文章を書いていくうちに次はもっと
じっくり授業を受けてみようと思い、理解できるように努力した。それでも先生が話していた半分も理解できなかったが深く考えるということ
は体感できた。この授業で「幸福」や「自由」などについて学んだがそのことについて、しっかり理解できたかと聞かれたらNOだが、考えるということについては学べたと思う。
2.
意見
教養科目で受けられる科目を削るのは反対です。自分自身、会計学を学びたくて大学に来たわけ
ではなく大学でやりたいことを見つけようと思い大学に浪人してまでも進学したからです。専修大学は専門大学ではないので選択肢を削るのは
いかがなものかと思います。
専門科目でその学部・学科の専門分野を学んでいるのだから一般教養ではほかに興味があるものを
受けられるのが良い事だと思っているので、この社会思想だけでなく他の削られているものも後輩たちにも受けられるようにしてほしいと思い
ます。
商学部の証券や株価など普段使うことが少ないですが、 社会思想の授業は人間の幸福とは何
か?真の自由とは?など今後の人生に影響を与えるような内容に感じました。数学のように一つの答えを考えるのではなく、答えのない論題に
ついて考える楽しさを後輩にも感じてほしいと思います。
@自分が普段生きていくうえで考えないといけない事を考えさせられる授業だと思った。論争似つ
いてもお互いの主義者が交互に論争を対話形式であったため分かりやすかった。
A一般教養は、学部の授業内容とはまた別の興味のあることを学ぶためにあるべきだと思う。むし
ろ大学生活において学部の勉強よりも教養科目では今までの学校生活では学べない事が学べると思うから学部長の判断で選べなくするというの
は後輩がかわいそうだと思う。
@この講義で、人はどのようなことを考えて生きて、どのような決断をするのかなど、様々な視点
で考えられた。そして、社会に出れば、他と違う考え方を持っている人がたくさんいる。そんな人たちと出会うことで今回学んだことが生かせ
ればいいと感じた。
A私は4年生だから関係ないかもしれな
いが、1年生は学ぶことを学校側が閉ざしていることが問題だと思う。学んで悪いこ
とはないし、むしろ学んだ方がいい。それなのに履修させないことがおかしいと考えられる。
@社会規範・社会システムにおいて、毎回二者択一のテーマを挙げ、小論文を書く。このような講
義スタイルは初めてでしたがとても新鮮で充実的でした。小論文に慣れないうちは中々ペンが進まず苦戦しましたが、今では理路整然とまでは
いきませんが読める程度までには成長したと感じます。ボキャブラリーが増え、論理性が上がり、社会システムにおける知識が備わったと実感
しています。
A大学においての一般教養は専攻にとらわれず、広く深く学術の基礎を学び人間性を涵養する課程
であると考えます。これは将来どのような職業に就くにしても、様々な分野の知識を隔たりなく幅広く修得することが必須であり、大事だとい
う前提に立っているということです。
今回の科目除外の件は大学のパターナリズム的な科目改革であり、学生の選択の自由を狭めてし
まいます。教養教育が軽視され就活予備校と揶揄されぬよう、
大学の成り立ちの本流であるはずのリベラル・アーツ教育という原点に戻り、誰のための”大学”なのかを今一度考えて欲しいです。
@
この講義では、社会思想につい
て普段考えないことを取り扱うため、そのような考え方もあるのだと新しいことが学べてよかったと思う。ただ、携帯を触っただけで単位を落
としてしまうのは厳しすぎると感じた。
A
講義で、小論文をかくため、文
章力と自分の意見を伝える力はかなりつくと感じたのでこの講義は存続するべきである。私は、履修するにあたって特別興味があるわけではな
く、なんとなくこの授業を履修しました。授業を重ねていくうちに、世界では、色々な考えを持っている人がいたんだと驚きました。授業を通
して、論文を書く力や色々な思想に触れることでこれからの人生にとってとてもプラスになる授業でした。一年次からこんな面白く、ためにな
る授業を見つけたかったです。
また、商学部の一年次はこの授業を履修出来ないことについて。私、学生たちは高額な学費を
払っているのに自分が興味あるような授業を取れないのは、とても寂しいことだと感じています。私は、商学部に入ってくる後輩にこの授業を
勧めたいです。
@ 非常にためになりました。もっと早くに履修したかったです。普段自分のなかでもやもやして
いたものを、朧げながら形に出来たように思います。
A 上でも書きましたが、もっと早くに学びたかったです。それこそ中学、高校のうちから学んで
もよいような教科だと思います。誰もがこの授業で学んだことすべてを理解できなかったとしても、一度でも考えたということに意味があるの
だと思っています。この授業を選択できなくなるなんてもっての外です。すべての学部の必修科目にしても良いと思います。
私は、この社会思想について、履修の制限がかかるというのはおかしいと思っている。この授業
は今まで受けた授業の中で1、2位を争う面白さを持っており自然と興味が湧く授業であった。後輩にも積極的に勧めていきたいと思ってい
た。松井先生の授業が受けられないのは悲しいことだと思う。どうにかして商学部の後輩たちが松井先生の社会思想を履修できるようにお願い
したい。学生の意見をしっかり聞いてから教養科目改革を行ってほしいと思う。こんなに面白い授業ができる先生は他にはいません。
@民主主義や共同体など普段は深く考えたことのないテーマに対し、社会思想201の講義を通して考える力や相手にわかりやすく自分の意見を伝える力が身についてきた
と感じました。
A文系科目から理系科目までいろんな種類の教養科目を受講できるのが総合大学のメリットである
のに、生徒が自由に学びたい教養科目を選択できないことはおかしいと思います。こちらが学費を払って、学びたいという気持ちを持っている
のに、その学習意欲をそぐような事をしていては、学生の不満もたまっていくことは間違いないと思います。
@私はこの授業を履修し、板書を写して、後に復習し授業のことを定着させていくのではなく、授
業内で講義を聴き、自分なりの考えを持ち、その考えを文章にすることで、自分はどういったことを考えているのかが明確になった。社会にお
いて重要な考え方を学ぶことができ、日常においても役に立つ部分もあると思い、非常にいい授業だったと思う。
A視野を広げるための、教養科目だと私は考えており、日常生活において考えなければならないこ
とを、本科目では取り上げられていると思っている。そのため、学部によって指定されるのは、私は間違いだと思っている。
@
社会のあり方考え方には大きな
選択肢がたくさんあるのだと気づけた。
A
これからの世の中には社会思想
のような社会のあり方を考えさせられる授業は必要だと思う。なので2014年度以
降の生徒にも受けさせるべきだと感じた。
社会思想では、今までとってきた教養科目の中で一番深く考えることの出来た講義であり、選択
が難しい問で、自分ならどちらを選ぶのかと、自分の思っていることへの問いかけが出来る講義でした。講義もわかりやすい例を出しながら話
していただいて、納得しながら聞くことができました。普段当たり前のようにしていたことを深く考えることが出来ました。
商学部が履修できなくなるということについては、なぜなのかはわかりませんが、どの学部でも
社会思想を考えることは教養を深めるためにも必要だと思うし、後輩にこの講義をすすめたくてもすすめられない状況になるという点では残念
だなと感じます。
@自分は社会思想の授業を受けさせていただいて、自分の意見をしっかりと文章と
して、その中でも、自分の考えやなぜこちらを選んだのかを明確にすることができるようになりました。文章を作って、自分の思っていること
を言葉にするのがとても苦手なので松井先生の講義に参加させていただき、自分自身のステップアップに繋げられたと思っています。
この講義で習ったことをいかしていきたいと思います。半期の間ありがとうございました。
A学部によって履修できる、できないというのを一般教養の科目でも決めてしまうのは良くないと思います。商学部だから、
マーケティング、ファイナンスについての勉強しかしないのはただの頭でっかちになるだけだと思います。学部ごとの学ばなければいけないこ
とを学んで、その他に学びたいと思うものが自由に選べる方が学ぶ側の人間としては、良いと感じます。学校は学力をつけるだけでなく、人と
しても成長させる場でもあって欲しいので様々な講義をとることでたくさんのことを学ぶべきだと思います。また、大学ではこれを学びたいと
いうのがあって入った人でも、他の講義を受けていて、こういうこともできるということであったり、自分はこっちの方が向いているのかなと
わかることもできます。こういったことから、自分はこれからもどの学部でも履修できた方が良いと思っています。
@
それぞれのテーマにおいてどの
考えが優れているかを自分の中で結論を見つけていくこの講義を受けて感じたことは物事を比較することで新たな発見があるということです。
どのテーマのどの考えももし、それ単体で解説されていたらそれは良いものだと僕たちは鵜呑みしていたと思います。しかし、いくつかの考え
を一緒に提示することで前者と後者の考えにそれぞれ良い点と悪い点があることが見えてきて、それによってどちらが優れているかを考えるこ
とができました。しかし優れている方を選んだからといってそうでない方は不要だとは思いません。そちらの考えもやはり良い所があるのは事
実であり、完全に切り捨てることはしたくないのでなるべく尊重し、取り入れることができるようにしていきたいです。日常においても二者択
一をしなくてはいけないことはありますが、どちらのほうが「不要か」というマイナス面ではなく「より優れているか」というプラス面を考え
て物事を判断していきたいと思います。
A
自分の学科では絶対に触れるこ
とのないものを学べる教養科目で選択肢が少なくなってしまうのは非常に残念です。
@
様々なテーマ、観点から自由主
義と民主主義について学び、非常に難しいと感じました。あるテーマにおいては自由主義の考えに賛同し、またある観点においては民主主義の
考えに賛同したりと毎回テーマによって考えが変わってしまうということに気が付きました。しかし、すべてのテーマにおいて考えをどちらか
一方にするのは難しいとも感じました。最終的にまとめてみると自由主義の考えに賛同していました。様々な事例から自由主義、民主主義につ
いて学ぶことができて面白かったです。
A
学部以外の授業である教養科目
を自由に選択できると自分の興味がある科目、好きな科目を選択することができて授業を受けていても意味があると感じます。しかし、学部以
外の授業で教養科目があり、その受ける授業を指定されてしまうと興味のない科目も受けなくてはならなくなり、その授業に対して意欲がなく
なり実にならないと感じます。そして、社会思想の授業が履修できなくなるということで非常に残念であると感じました。実際に授業を履修し
て、自分の意見をしっかり考え、小論文を書き、半期を通してたくさんのことが学べたと思います。なので、残念だと感じました。
@
講義の感想
「規範理論」という言葉は知らなかったが、この講義を履修す
る前後から「理想的な社会とはなにか」「理想的な生活とはどのようなものか」という事を個人的に考察していたため、大変興味深く聴講する
ことができた。それ故、授業時間の関係などもあるのだろうが、あまり深いところまで授業で触れられていなかったのが残念であった。しか
し、配布されたレジュメには、様々な思想家達の理論が簡潔にまとめられていて、今後自分でその思想家達の本を読んでみたいという風に思え
たので、満足している。
A
本講義が履修できなくなるとい
うことに対して
私の個人的感想としては、この授業の質が高かったとか低かっ
たとかいう以前に、履修できる範囲が学部ごとに指定されるのは、好ましくないことに思われる。
実際、自分の経験上、自然科学系の教養科目などを、必修とは別に履修している友人を数多く知っている。(自分も例外ではない) ただ、世
の中の流れから、「教養」というものが衰退し、あらゆる分野で専門化が進んでいる(実際、教養学部自体減少している)ことを考えると、厳
しい大学間での生き残り競争の渦中においては、仕方ない部分もあるという考えも理解できる。
前期、松井先生の社会思想の講義を通し、自分自身があまりに社会に対する意見や考えを持って
いないことを自覚した。そして講義を受けていくうちに、自分が潜在的に抱いていたもやもやした考え方は、社会主義と呼ぶのか・・・と知っ
たり、自分は案外、客観的な幸せを求めているのか・・・と気付いたりもした。
単なる教養科目と呼ぶのはふさわしくない、私の生き方や考え方、これから社会で起こることへ
どんな意見や見解を持つかを左右するような、存在感の大きい科目であったと身をもって感じる。半年間でしたが、ありがとうございました。
@
この授業は今まで受けたことの
ないスタイルで、自分の意見をまとめて書くのは難しかったですが、これからのレポートや就活の場面で役に立つような気がします。これから
もまとめて文章を書くことを意識してやっていきたいです。
A
先生の言っていた通り、私たち
学生の意見も聞かずに勝手に決めてしまうのは私たちの意思を無視していることだと思います。ただ私は、先生の授業を受けてとても有意義な
授業だと知っているので、この授業が他の人や後輩が受けられなくなるのはとてももったいないと思いますが、この授業を受けていない学生か
らしたらそんな意見は他人事で全く関心は持たないと思います。実際、私も授業を取っていなかったら、どうでもいいと思っていたと思いま
す。そういう学生が多いので教師陣の理不尽な決定にも無関心になり、このような結果になってしまったのだと思います。
私は商学部の3年生です。松井先生の授業がとってもよかったと思っています。ほかの教養科目
より、自分の考えをちゃんと考えてから、まとめって書く能力が将来で非常に重要な能力と思っています。
私は2014年
の1年生から履修ができないことに反対します。
@
私はこの授業を受けてよかった
と思っています。この授業は小論文を書かなくてはならないので、最初は大変だったのでしたが今では文章構成能力も上がったんではないかと
思いよかったと思っています。
A
大学だからこそ経済のことばか
りではなく、いろんな教養を身につけたほうがいいと思います。つまり、この社会思想という授業は1年
から受けたい人は受ければいいと思います。
@この講義をとって本当に良かったです。実生活につながるような話が多く、毎回の授業がとても
楽しみでした。また、受ける前よりも自分の意見をまとめる力や文章を書く能力が上がった気がします。
A私は社会思想の講義は、政治や日本のあり方、または自分の考えを知るうえでとても価値のある
ものだったと思うので、学部に関係なく是非後輩にもとれるようにしてほしかったです。
@
今まで幸福とか平等とかそうい
う内容をじっくり考えてみたことはなかったからすごく考えさせられて、自分はこっちの意見なんだなとか知れて面白かったです。
A
自分の学部の教科以外でも興味
をもった教科を選択できるのが、良いところだったのに、それができなくなるのはつまらないなと思いました。
@私は、この授業を通して様々なことを学んだと思っている。他の授業でも学べないような教養的
なものである。それだけではなく日本以外の国がどのような生活をしてどのような自国特有の決まりがあるのか等、興味が湧いてきたのかが本
音だ。また、自国だけでなく世界全体にも目を通すことができた。様々な授業がある中でも自分のためになる授業だったと思う。
A教養科目改革について。私は本年度で3年生になった。新し
い1年生が入ってきて一番驚いたのは教養科目が選べないことだった。おすすめの授
業があっても1年生が履修できないのは残念だったことを覚えている。また、専修大学の教養科目はおもしろいものばかりで自分のためになる
ようなものばかりだ。それを今年から変えるというのは残念でならない。
@
平成25年度に社会思想202を履修し
ました。当時は文章力が全くなく最初は小論文という難しい課題に四苦八苦しましたが、自分の言葉で書けるようになりまたこの授業を受けた
いと考え、今回の201を履修しましたが、前回やった成果を少し感じることができ
ました。このような文章力や自分の書きたいことを書けるようになる授業は大学でも必須だと思います。とてもためにある授業でした。後輩に
も勧めたいし是非受けてほしいと思います。教えてくださりありがとうございました。
A
私は商学部なので(b)を回答します。自由感想にも書いた通り、このような大学ではなさそうな授業もこれか
らのことを考えるととても重要だと私は思います。学部が勝手に決めつけ、自分で時間割を決められるはずなのに選べなくなってしまうという
のはどう考えてもおかしいです。教養科目としても社会科学科目の選択肢が減ってしまい、このようないい授業を受ける機会を学部の現場では
ない人間が生徒から奪うのは受ける側の立場になって考えていない証拠ではないでしょうか。先生の授業を両方受けている私が受けて損するも
のではなくこれからにとって大事な授業であると主張します。存続させ受けさせるべきだと思います。
私はこの授業を受けて衝撃を受けました。こんなに考えさせられる授業があったのかと。一つ一
つの議題が魅力的で松井先生は両者の意見を的確に論じ、なるほどと思いました。
いざ、自分の意見を小論文に書き出そうとすると、どっちに意見も正しく感じてしまい、戸惑うこ
とも何回かありました。自分の意見は本当に正しいのか、と思いながらもペンを動かすのが段々楽しくなりました。
今後商学部がこの授業を受けられなくなるのは本当に残念なことだと思います。後輩には是非
とってほしかったです。社会に出たとき絶対にこの授業で学んだことは活かせることができると思います。
@
自分で考える機会が増えたきっ
かけになりました。考えの中で矛盾が多いことや周りの意見に流されやすいことに気が付きました。小論文を書くのは大変ですがこうして自分
の考えを文字として表現することは少なくなってきていたのでいい機会だったと思います。授業の内容はとても面白く興味を持てる内容でし
た。
A
私はシラバスを読んで面白そう
だと興味を持ち社会思想を履修しました。授業選択の幅が狭まるのは学生の学ぶ場を減らすことになります。また学ぶことの面白さを知る機会
がなくなることです。大学は学ぶ場を作るものであってその機会を狭めてはいけないと思います。
@
今回この講義を受講して、ある
テーマについて自分の主張をいかに論破するのかが難しいかがわかった。しっかりと自分の主張を持ち、順序立てて主張することは大切である
と2週に1回の小論文で
思った。今までこのような小論文を書く機会があまりなかったので、練習になって良かった。
また、世の中にはさまざまな思想が存在し、普段の生活の中でもその思想が影響されていると
思った。特に自由の講義では、パターナリズム的な考えはよくないとも思うが本当に本人の自由にすることもよくないと、どちらの主張にする
かぎりぎりまで考えていた。どの講義も考え深い内容で興味が持てる授業だった。前に講義で出てきたワードがあるときもあり、さまざまなと
ころで人の考えはつながっているのだなと感じた。またさらに新しい思想、主張に触れ、考えを深めたいと思った。
A私は前のようにすべての学部の生徒が履修できる方がよいと思う。教養科目は教養を深めるため
の授業であって、興味のある授業を選ぶ権利を生徒は持っていると思う。このような授業は経営学部と商学部にはない授業なので、専門科目と
は別に受講したい生徒はたくさんいると思う。意欲があるのに受けられないという事態は、大学であってはならないと思う。新しいシステムの
様子をみることはいいと思うが、できれば戻してほしいと思う。
私は、前期を受講して、考え方が変わりました。一番印象的
だったのは、東京オリンピックによって、立ち退きをよぎなくされた人の話です。1964年
に開催された東京オリンピックの会場建設により以前の住居が失われてしまったという一件です。一回ならまだしも2010年の東京オリンピックの開催によりもう一度立ち退きということになってしまったの
です。地元の友達もできて町にも慣れてきたのに国の勝手な建設によってそれらがまた失われてしまったのです。その人個人を考えるか、それ
とも、大きなところを見て国のため国民のためを選ぶのかは難しい問題です。国民は東京オリンピックを楽しみにしていますが、それによって
個人の生活が大事にされないのは良くないと思いました。
松井先生の授業は、自分の考え方が変わる授業となりました。先生の言葉によって自分の考え方
が何度も変わりました。視点を変えることでこんなにも考え方や、良いこと悪いことが変わるのかと思いました。また、先生の授業を受けられ
る機会があったら受けたいと思いました。
授業が自由に選択できないことは良くないことだと思いました。自分の専門の商学ではないもの
でも受けたい授業もあるのにそれを学校が勝手に決めてしまうとよくないと思います。できればなんでも受けられるようにしてほしいです。
@ 本科目の感想
私は3年生です。恥ずかしながら、今までの講義の中で一番頭を使った講義でした。また、それ
と同時に真剣に受けることができたと思います。講義では、スマートフォンを出すことを許されませんでした。しかも、レポートは二週間に一
回、配布プリントを見ただけでは理解できない内容なので一回でも休んだら内容について行くのが大変だと思います。その状況が私を真剣に聞
くことができるようにさせてくれたと思っています。
また、授業内容は決して簡単ではなかったけど聞いていて面白かったし、毎講義の度に考えさせ
られました。特に「幸福」の講義で苦痛が少ないことが幸せであるとか、欲求段階説など身近なのにあまり考えたことがなかったので、それに
ついて考える機会ができてよかったです。
A履修できなくなることに対して
私は「社会思想と現代」が履修から除外されることは反対です。私は商学部マーケティング学部
の生徒です。進学する際にどの学部にしようか悩みました。将来の夢もなく、「この学部が絶対にいい!」という気持ちもなかったので少しだ
け興味のあったマーケティング学部を選択しました。マーケティングの知識を深く知りたい、将来に活かすスキルを学びたいと思っている人は
どのくらいいるのでしょうか。私はそこまで考えていれば専門学校へ行った方がいいと思います。専修大学、つまり専門学校ではない魅力は何
なのでしょうか。それを考えた場合に「社会思想と現代」をなくすということの意味が理解できません。マーケティングの知識以外に様々な種
類の講義を受けることで、視野が広がり自分の新しい可能性を見つけることができる場合もあります。教養科目をすべての学部の学生が自由に
選択できるように戻してほしいです。
@
私は今回社会思想を履修し、抽
選に受かったことを本当によかったと思っています。大学に在籍している中で久しぶりに緊張感のある授業を受けることができました。最初は
小論文を長く書くことが久しぶりで思う通りに書くことのできなかったのが、回数を重ねていくうちに小論文を書くことが楽しくなっていきま
した。授業中の緊張感が最初は普通に授業を受けていてもビクビクしていたものが、今では一週間の中で一番授業感があり学ぶものが多いと思
う時間でした。スライドを使った授業はとてもわかりやすく、写真やイラストが入っていることで授業をより理解することができました。
今まで考えることの少なかった
社会主義や民主主義、自由、平等について初めて長い時間考えることができ今まで自分の持っていた考えにも変化が起こりました。次の時間に
は小論文を書くということが決まっているため授業をより聞いて理解しようと高い意欲をもって授業に取り組めました。後期は抽選に外れてし
まいましたが、来年度も履修することができたらうれしく思います。短い期間でしたがありがとうございました。
私は社会思想の授業が商学部と経営学部に受ける権利がないという考えは間違っていると思いま
す。なぜなら、授業を受ける権利は学生に皆共通しているからです。
@
社会思想の授業を通じて、今ま
でにあまり考えたことのない社会思想について様々な観点から考えることができ、日本や様々な国の社会的な考え方を勉強することができまし
た。また、レポート提出では、始めは全然書けなかったのですが、次第に一番下の行まで文章を書けるようになり、文章力が上がったと思うの
でこの講義をとってよかったと思います。
A
このことについては、私は反対
です。生徒としては、教務課が決めたことなのでしょうがないのですが、やはりその講義を履修したい学生は勉強できる資格を奪われたわけな
ので、教養教育科目はすべての学生にすべての授業から選択できる選択の自由を取るべきだと思います。
前期でこの講義をとって、第一に様々な思想に触れたことが大きい。歴史などで「だめな考え方
だ」と思ってきた思想(主義)が本来は利点を考えて作られた規範理論だったことを知り、人間はこれまでの歴史で自分たちにとって善い生き
方を獲得しようとしていたのだということを知りました。講義で教えていただいた考え方は、これからの社会で生きるため、生活するためには
十分活きる知識だと思います。なぜ自分はその考えを選択したのか、なぜそう考えるのに至ったのか。思想の利点と欠点とを理解したうえで理
論整然と自分の意見を述べられるのは、個人での時間が増えた現代では難しいことなので、講義で行う小論文はそれを伸ばすのにとても効果的
でした。私は極端な考えで考えるのが苦手で、そのような文章を書くのもうまくできませんでしたが、講義が進むにつれて少なくとも考えや言
葉がすんなり出てくるようになったので、アウトプットの仕方を探すのもとても楽しくできました。
また、今年度から商学部では一年生からこの講義を履修できなくなりましたが、商学部は幅広い
知識を学びながら、これを生かして社会で活躍できる人材になることも必要だとされています。専門科目では基礎が必要なので段階的に学べる
ものと特定の学年にならないと学べないのとで分かれることは仕方がないですが、教養科目においては幅広い知識を得るためにも、学生が自由
に自らの勉学の意欲で選択できることが望ましいと感じます。
@授業していた内容はとても難しいことであったが、今後しっかりと向き合って考えなければいけ
ないことや、付き合っていかなければいけない問題などを学ぶことができ、実用的な授業だと思う。二週間に一回の小論文は少しきついけれ
ど、やって損はない授業だと思う。
Aこの授業の内容は学部関係なく、今後の自分の生活のつながる授業だと思うので、履修できなく
する必要はないと思う。
この授業は当初は携帯やおしゃべりなどで一発退場と聞いて堅苦しさを感じましたが、授業は内
容があって聞きやすかったです。正直のところ今まで取った授業の中では聞いても内容が入ってこなかったりする授業も少なからずあったけど
社会思想は入ってきました。ほかの生徒が私はこの考えですと発言したとき、じゃああなたは一生子供がゲームをやっても注意しないのかと先
生に問い返されたり、パワーポイントでショッキングな画像を見せられたことも原因かもしれません。
この授業が来年から履修できなくなることは残念です。友人や後輩たちにこの授業はとるべきと
いう話をしていたので、なぜこの授業が除外になったかの詳しい理由が知りたいです。商学部にこの授業はあまり関係ないからという理由な
ら、もっとふさわしくない授業があるような気がします。
@科目の感想
今回、松井先生の社会思想201の授
業を受講して、私は今までお題に対し自分の意見を書くのがあまり得意ではなく正直第1回
目の授業の時に、すごい授業を受講してしまったと思い正直固まりました。ですが授業の小論の回数をこなしていくうちにだんだんと自分の意
志を文章にでき、成長していくのがわかりました。全授業を終え、とても力が付いたと思っています。ありがとうございました。
A商学部
私は、教養科目に対し学部が関係なく授業を選択できることがメリットであったのにその形態を
崩し、履修者の制限をかけてしまう事に反対だ。学部の専門科目を区分するのは当たり前だが、教養科目は、自分に必要だと思う知識をより多
く得るために存在するものであると考えている。先生の専属学部の授業だから履修を組めないという形は回避すべきだと主張する。
この授業で学んだことは日々の生活に密着しているため、よくこのことかと思い返すことが出来
るためたのしいです。またレポートや感想など文を長く書くことに慣れていませんでしたが大変良い練習となり、レポートなどを書くことが好
きになりました。
1年生から履修できないのはとても残念に思います。サークル
の後輩にもためになる授業と教えて履修してもらいたかったので残念です。
@
本科目を受講して今まで考えた
ことの無かったあらゆる意見や主張、主義の対立について学び考えることができ意外と楽しかった。授業を受けるにあたって、自分がどう考え
ているのかとういうことを発見できたり、自分の考えを修正したり、または更に強固なものにすることができたと思います。
A
専修大学は総合大学であり専門
的な授業以外にもいろいろなことを学べる場だと思います。入学時は商学的なことや経済や経営について学びたいと思ったとしても、大学で総
合的に学ぶにつれて他の事に興味を抱くチャンスがあるかもしれないと思います。また社会思想を学ぶことによって他人がどう考えている人な
のか理解できることが増えると思います。経済や商業・マーケティングは人間の気持ちを理解する授業だと思うので社会思想のような人間の考
えを学ぶ授業を受けて得があっても損は無いと思います。
社会思想201を受講して、とても知
識を深めることができたと思います。異なる考えの主義者の相対する考えを聞き、複数の考えを知り、それぞれの良い点があり、悪い点があ
り、どちらが正しいのか考えながら聞くことができました。話を聞いていて、内容的にはどちらの考えも正しく、また、どちらの考えも間違っ
ていると感じながら自分的にはどちらの方が正しいか納得しながら考えることができました。例として実際の生活の中でもあるような出来事
だったので自分に当てはめて考えることができたので、分かりやすかったです。受講してとてもよかったと思いました。ありがとうございまし
た。
@
私はこの講義を受講し、レポー
トを書く力が上昇しました。しかも、タダかくだけではなく、自らの意見を踏まえて、論理的に描くことができるようになりました。この力は
社会に出てもためになると思います。
A
私はこの講義を商学部の後輩に
受講してもらいたいと思います。自らの学部では学べないことを学ぶために一般教養があると思います。
この社会思想を履修して、僕は考え方の幅が広がったなと感じました。なかなか自分の考えがま
とまらなくて小論文は苦労しました。小論文の経験値も得られるので大変でしたけど、とても身になる授業だったと思います。2014年度から商学部は社会思想が履修できなくなったのはおかしいと思います。学部の必
修科目だけでは得られない知識を教養科目で得るので、その教養科目の選択の自由を大学側から制限をかけられるのはおかしいと思いました。
@
私はこの科目を履修し、非常に
良かったと思っています。携帯電話やスマートフォンの使用は禁止ということで、実際に使用した生徒に単位不可を告げているのを見て、とて
も厳しいと初めは思いましたが、携帯電話を使用せずに真面目に話を聞いていると、その授業の内容がおもしろいことに気づきました。初めの
イメージとは違い、案外おもしろい話をしていて興味をそそられました。普段なにも考えてないけれど、私たちが生きていく上での些細な問題
や疑問などを取り上げていて、聞いていて飽きませんでした。後期も履修しているので、楽しみにしています。ありがとうございました。
A
経営学部と商学部の生徒が2014年度1年生から本科目を履
修できないことに反対です。本科目に限らず、学部がそれを決定することに反対です。確かに、経営学部、商学部にとって、この科目は学部と
しての内容に全く関係がないのかもしれませんが、幅広く学ぶことができるのが大学だと思いますので、学びたいものを学ぶことができないよ
うにすることはやめてほしいです。また、大学で広い分野に視野を広げ、将来自分がやりたいことを見つけることが目的の生徒も多いです。で
すから、大学在籍途中に進む方向が変わることもありますし、それが間違っていることだとも思いません。そのため、その広い分野に視野を向
けるチャンスを塞いでしまうのはおかしなことだと私は考えます。
@
私は、この科目を履修して社会
の様々な思想を知ることができてよかった。同時に、自分がどんな思想を持っているのか、考えているのかも知ることができてよかった。それ
に、社会にはこれだけの思想があることが分かって驚いた。かつての思想家たちはそれぞれの考えをこんなにも深く考えていたのかと考えると
混乱してしまいそうだった。
A
私は、一年生からこの科目を履
修できるようにすべきだと思う。大学の面白いところは自ら授業を組めるところにある。この科目に興味を持つ学生も多くいるはずだ。履修で
きなくすることには反対である。
@
本科目の感想
私は、社会思想を履修登録する際に人がどのような思想を持ち行動しているのかを学びたく受講
しました。そのため私自身がどのような思想、主義を好むのかを意識したことはありませんでした。特にテーマ毎に二回目の講義に書く小論文
は最初苦痛でした。最初に幸福についての小論文を書いたとき、ただ空白を埋めることだけを念頭において精一杯書いていました。自分で書い
た文章を見直すこともできず時間切れになりやっとのことで提出ということになっていました。成績に直結するということもあり、次回からは
予習をし、あらかじめ自分の意見を頭のなかでまとめていましたが、二回目の講義を受けると自分の意見の穴が多くでてきてしまったり、異な
る主義、思想に考えを移していたりしました。そのため二回目、三回目の小論文もうまくいかず、納得のできないものでした。しかし、同じ時
間制限のなかで小論文を書いていくと、文章を書くことに慣れたのかすらすらとかけるようになりました。そのため自分が書いたことに矛盾無
く論を進めて行くことができるようになりました。
文章に慣れると他の科目のでも非常に役にたつことに気づきました。たとえばレポート提出を命
じられた場合、以前は自分の意見をまとめることができなく参考書の意見に流されるままで、問題提議ができず上手なレポートを書くことがで
きませんでした。しかし、文章を書くことになれると、順序立てて論を進めて行くことができるようになり、参考書も有効活用できるようにな
りました。
私は、本講義で一番有益なことは、自分の意見をまとめ文章を書く練習ができることだと思って
います。もちろん思想を学ぶことは大切なことではありますが、講義の中で学んだことから自分の意見を持ち文章にするということはそれより
も大切なことだと思っています。大学では私が商学部ということもあり、商学に関する知識ばかりを優先にしていましたが他の学問への興味を
引き出せたのはこの講義のおかげだと考えています。
自分の意見を持ち文章を書くことは全てを学問において必要なものであると考えており、さらに
幅広い知識の習得に興味がいくことになったのは大きな成果だと考えています。以上より、本講義を履修できて本当によかったと思っていま
す。
@私は白か黒か!と言われてこっち!と即決できない優柔不断な性格です。この授業は毎回考え、2回に1回は自分で必ずどちらかに決めて言葉にしなければならない授業なので、正直最初は
すごく苦労し、書けなくてむしゃくしゃしました。うまくどちらの主張もプリントに書いてあって余計に惑わされました。今でも完璧にこっ
ち!と決めて書くことはできませんが、思ったことを理論的に書くことは最初より得意になりました。ありがとうございます。
A一般教養の科目は学部・学科に関わらず、名前の通り皆が基本的に身につけるべき教育なのに、
履修できる科目を学部で制限してしまうのは矛盾していると思います。
@
パワーポイントの資料が英語な
どの外国語だったので少しわかりにくい部分もあったが、先生が2つの立場を対等に説明してくれたので、自分でじっくり考えることができ
た。
A
経営学部や商学部でも社会思想
に興味をもって学びたいと思う人もいるはずなのに残念だと思う。
この授業を受けて私は普段自分の身に起こるかもしれないことを例にしていろいろなことを考え
ることができました。授業を受けるたびに自分の考えが変わり、幅ができとても楽しかったです。
@
本科目の感想
本科目の講義は、プリントとパワーポイントを使った講義で簡潔に説明してくれて、理解しやす
かった。また、毎回の内容ごとにただ説明文をずらずらつづっているのではなくて、私たちの身近で考えられる例を用いて講義してくれたの
で、内容について自分の考えを整理しやすかった。逆に、いつも二種類の意見の論争について考えるにあたって、松井先生の説明の仕方が私た
ちを紛らわすものばかりだったので、自分がどっちの考え方でレポートを書いたらいいのか、毎回迷ってしまいました。そのなかで毎回レポー
トを書いていくにあたって、いつも同じような文の運び方しかできず、文の書き方のレパートリーを増やすことはできなかった。
また、一つの内容を二回分で終わらせるというやり方もとてもよかったと思う。ここはほかの講
義と違うところだと私は思う。ほかの講義の多くは一つの内容を終わらせるのに、回数を提示しないので、いつも突然終わって突然新しい内容
に入って、頭の中を整理するのが大変だけど、この講義にはそういうことがなかったので、とても良いと思った。
A
教養科目の制限について
私は教養科目の制限には反対です。なぜなら、その科目に興味があるかないかは、その個人個人
で違うと思うし、学部で指定されてしまったら、本当にその学部の専門的な知識しか身につかなくなってしまい、視野を広くすることができな
くなってしまうと思うからです。専門科目の知識を磨くのも必要だと思いますが、教養科目はその人の教養を身につけるためのものだから、学
部のほうで制限するのはおかしいと思う。
最初の授業はレポート用紙を埋めるのが苦痛で仕方なかったが、この授業を続けるうちに楽に
なった。他の授業で使える知識も多く、レポート課題で悩むことは少なくなった。
商学部での履修ができなくなったことは大きな痛手ではないかもしれないが、履修しておいて損は
ない授業だと感じた。
1、
先生は生徒の一切の私語を禁止
していたが、これはほかの授業でも実施してほしいと思うほど落ち着いて授業に臨め、大変満足できた。先生の言う通り、小論文の回を増すご
とに文を書くスピードも上がり、理路整然と書けるようになっていたことに気が付いた。また、ちゃんと授業に参加し、考えれば基本的に単位
が約束されることも、モチベーションにつながり、後輩にも進めたい授業であると感じた。
2、正直、学部別で取れる授業が制限されているなどということは全く理解できない。大学とは自
分の好きなことを学び、教養を身に着けることも大切なのではないか。専門的なことばかりをやらされ、優先度の低いとされる授業を受けられ
ないのなら、専門学校に行くも同じである。まず、優先度ということを学部側が勝手に決めるということ自体が意味不明で、大学に来ている人
は、一定の学部に入っているとはいえ、一人ひとり学びたいことは違うはずである。大学では「自主性」が重んじられるとよく言われるが、制
限された中での自主性などに意味はなく、それは義務教育の時の不自由さと同じ感覚を覚える。私はこの社会思想の授業を受講し、知識や教養
の面で大変満足しているため、これを同学部の後輩に勧められないことが残念である。
私は本講義を聞くまで本当の自分がわからないでいた。自分の感情が複数存在し月日が経つにす
れどんどんかわっていく印象があったのだ。しかしそれは自分がまだはっきりできていないだけであって、自分が本当は何なのかをじっくり考
えることができたので、本講義にはとても感謝しています。この講義は自分を見つめなおすことができるので大学に入って自分を見失っている
人には是非とも受けてもらいたい。
@
今まで履修したどの教養科目よ
りも関心の持てる授業でした。始めはレポートを書くために真面目に聞かなければ、と考え受講していましたが、いつからか、そのように考え
る人もいるのか、それは現実味がない意見だなぁ、など授業の内容を聞きたいがために出席していました。
A
私はその制度には反対です。学
生は将来必ずしも自分の所属している学部に関係のある企業に就職するわけではないです。大学で幅広く学ぶことで別の視野が生まれ、そこか
ら別の道も選ぶことが出来ると思います。その一つのきっかけとなるのが教養科目なのではないのでしょうか。また、ある一つの分野だけに特
化するのではなく、様々な教養を持っている人間は魅力的に見えます。人間のスキルを上げるためには教養科目は必要なものであると考えま
す。
正直、社会思想というものに興味はなかった。なんだか「重い」というイメージがあるからだ。
実際「幸福」や「自由」というような重いテーマについて考えるものであった。しかし、社会思想というものが世の中の考え方や私達の日々の
生活にも多いに関係していて、身近な存在であるということに気づいてからは、面白いと思えるようになった。答えがなく、永遠に討論が続い
てしまいそうなテーマにもしっかりと自分の考えを持ち、文章化するということにも挑戦できたので良い経験となった。
2014年度1年生からこの講義が受
けられなくなるということであるが、この講義に代わる同じような講義内容のものがあるのであれば、この講義でなくてもいいと思う。
@この授業において、普段私たちに身近なことを例に置きいくつかの意見の対立意見を見ながら学
んだ。とても分かりやすく楽しい授業でした。どちらの意見もわかるところがあり、内容的に難しかったですが、意欲的に取り組むことができ
ました。
私は商学部であるため教養科目を人文、社会、自然科学で4単位ずつ取らなくてはなりません。去年のうちにこの松井先生の社会思想の属する社会学系
の教養科目は単位取得済みでした。私は人文系の教養科目の単位を1つも取得できて
いませんが、しかしこの社会思想のシラバスを見たとき面白そうと感じたため履修しました。
この授業を履修してよかった点が2つ
あります。まず1つめは2つ
極論思想(例えば自由主義ならとことん自由主義)を提示して対話形式で語っていた授業形式がよいと感じました。授業のなかで自分の考えが
どっちよりなのか考える、いいきっかけにもなったと思います。2つめは2講義完結型であったことです。2回目の講義の後に自分の考えをまとめるレポートがあった
ことで、講義を聴くだけで終わる授業とは違い、授業を受けたという達成感のようなものをより感じることができました。
Aある先生がこのようなことを言っていました。「大学というのは、専門科目ではなく教養を身に
つけに来る場所だ」と。私もそう思います。正直、専門科目でも私は専門科目の一部には一切の興味がなく、授業にも身が入りません。大学
が、専門科目を重視するのは間違っているとは思いませんが、社会にでる一歩手前の場所で教養について少しでも博識を広げないと社会にでた
ときに、馬鹿にされる気がしてなりません。4年間という長いスパンの中で、勉強したいことを自由に選択できるのが大学だと思います。よっ
て大学に選択できる教科を絞られるというのは私からしたら本意ではありません。
@
授業形態が他の先生と違えど、
私はこの講義が大学として1番適切な進め方をしていたのではないかと感じた。
A
この制度が新しく決まったこと
は民主主義的考えで決まったものなのか権威的主義で決まったものなのかわからないが私はこの大学に入学する以上この一般教養を受けること
の権利はあると考える。確かに、商、経営は簿記や会計を第一に考えることもあるが、人生の本質をもっと学ぶことも必要であると私は感じ
た。
講義のテーマは誰しもが1度は考えた
ことのある、しかし深く考えたことはあまりない普遍的なものを多数用意し、内容は一方的に正しい訳でなく両人も確固たる主義を持ち合わせ
た対話の形で進められているため刺激があり考えさせられ、また具体的な例題を数多く挙げてたため非常にわかりやすかったです。あっという
間の90分で課題も毎度やっていくうちに段々と充実した内容を書けるようになり嬉
しくなりました。
この講義は普遍的なテーマで誰しもが講義に満足出来るため、学部によって分けられるべきでは
決してないと思います。
1.
二年になってから初めて履修し
たが、本当に取ってよかったと思える授業でした。様々な授業があるが、正直、出席をテスト前、テストのみに出席する学生が多く講義の内容
がまったく分からないまま単位を簡単に取得できる授業が多すぎることが現状であると感じます。またそのような授業の争奪戦になっていると
思うと本講義のような形式の授業をもっと増やすべきであると感じました。テストを行うより論述する力が授業内で身につき、大変よい機会で
した。社会思想では内容も関心が持てるものでお世辞なしに、一番楽しい授業でした!
2.
本講義のような意味のある授業
が履修出来ないのは大変残念であると感じます。社会思想こそ学部関係なしだと思います。
私は今まで一つの考え方のもとに物事を考えることはほとんどなかったが、社会思想201の授業を受けて、身近な出来事を例にして優れている考えについて論ずることは、今ま
で自分がどんな考えを持っていたかということや、自分の考えの矛盾、自分が今までどれだけ考えずに生活していたかということを知ることが
出来た。一つの考えが優れていることを論理的に述べることはすごく難しくて小論文を書くときには毎回悩んだが、授業はとても興味深かった
し、論理的に考える力も少しは身に着けることが出来たと思う。身近なニュースについても自分で見て考えるようになるきっかけになった。
2014年度の1年生からこの授業を
受けられなくなったということについては、私はこの授業を受けて、ただ日常生活を送っているだけでは触れられない色々な思想について知
り、何が優れているのか、正しいこととは何なのかなど、考えさせられることがすごく多く、内容がとても濃い授業だったと感じた。またこの
授業を受けたいと思っている。自分の専門科目以外の自分の興味のあることを学ぶことは、教養を増やし、自分の感性や知識の幅を広げてくれ
ると思う。私は社会思想の授業を勧めたいし、自分の興味のあることは何でも学べるようになっていた方が、絶対に教養が身に付くと思ってい
るので、2014年度の1年生からこの授業を選択出来なくなったということを知
り、非常に残念である。
@
毎回の授業で普段考えないよう
な当たり前のことを深く考えさせられました。授業を受ける前と後で自分の考えが真逆に変わってしまうこともあり、面白かったです。また、
先生のパワーポイントが分かりやすかったことがよかったです。
A
教養の科目として社会思想を受
講していたのですが、普段の授業とは違ったかんじで私は好きだったので学部によって教養の科目までも決めてしまうのはあまりよくないなと
思いました。
私は、社会思想の授業を受けて感じたことは自分の元々興味、
関心のなかった事柄について興味が湧いてきたり、授業内でレポートを書くという行為は自分の作文・表現能力の向上が目指せるのでとても良
いと感じた。
@
私がとてもこの授業で印象深
かった事は携帯いじりに対してです。講義中に携帯をいじるのは当たり前に失礼なことだけど、注意を徹底している講義は社会思想だけです。
私自身も携帯をいじらないとなると、講義をしっかり聞こうという気になりました。ちゃんと聞くことにより講義で何を話しているか良くわか
り内容も興味がもてて、大学に来て勉強しているなと思えました。また小論文も初回のころより書くスピードもあがりコツがつかめた気がしま
す。
A
大学においていろんな分野が学
べる教養科目は大切なものだと思うし、この社会思想はとって良かったなと思える講義だったので今の一年生のためにも残しておいて欲しかっ
たです。
@
私はこの授業を通していろんな面で成長できたと思います。まず2回に1回ある授業内レポートはと
ても自分の小論技術が成長したように感じます。一番成長できたと思うのは人間的な面です。本講義内で扱った議題である幸福・自由・平等・
正義・共同体・民主主義はとても現在の世界の状況、人の権利、人のあり方などを考えさせてくれました。本当にとって良かったです。ありが
とうございました。
A
履修をすることができる科目が学部ごとで変わることはおかしいと思います。大学は自分のしたい
勉強を自由にできる場所だと自分は考えています。学部は決まったとしても興味のあることは人それぞれです。制限すると学生の色々な才能を
奪ってしまうかもしれません。だから大学側が勝手に決めていいものではないの思いました。
去年もこの授業を履修していたのですが、今年は去年とは違うテーマについても色々な考えを身
に着ける事ができ、とても充実していたと感じています。
来年から社会思想の授業を履修できる学部が制限されるということについてわたしは強く反対で
す。この授業は確かに商学部とはあまり関係のない分野ではありますが、去年今年と履修し、私は本当に多くのことを考え、社会に存在する
色々な考えについて学ぶ事ができました。この社会思想の授業で社会について、また自分について考える1時間30分の時間はとても充実して
いたと感じています。大人になる過程で自分を広げるための良い授業であると感じているので、ぜひこの先も多くの学生にこの授業を受けて貰
いたいとおもいます。