2015年後期 文学部

 

①今まで文章を書くことが苦手だったが、少し書けるようになった。先生の授業はとても分かりやすかったです。

②選択の幅が狭くなってしまったことは、とても残念におもいます。

 

 

①この講義を受けて、松井先生の説明はとてもわかりやすく勉強になった。初回授業時に、

先生がこの講義を受ければ文章を書く力が上がるよと言っていたのですが嘘だろうと思っていました。しかし、実際に講義を受けてみたら本当に文章の書く力があがりすらすら書けるようになりました。なので、この講義を受けることができてよかったです。

②カリキュラムが変わったことについて、私は変えないほうがよかったと思う。変えてしまっては3年生以上が不便だと思うからです。

 

 

①後期はなかなか難しい内容であったが、非常にためになった。

②この授業は為になるので全学年履修できたほうがいいと思う。授業内容は非常に為になるものでした。毎回の授業で「なるほどなぁ」と思うことが多かったです。3年生以上でなければこの授業を受講できないということには少し理解しかねます。受講人数など色々な事情があるのかもしれないですが、学生は勉強をしに来ているわけなので、受けたい授業を学年・学部問わず自由に受けるべきにすべきだと思います。あと、携帯の使用についてですが、「単位取得を不可にすることがある」ではなく、「不可にする」で良いのではないでしょうか?私が授業を受けて見ているかぎりは、学生の主張は全て通っていないように思えるので。それならば学生の携帯の使用数も減るだろうし、学生に変な期待?もさせなくてすむのではないでしょうか。

 

 

①前期に引き続いてこの講義を受けましたが、以前よりも自分の意見、言いたいことをしっかり書くことができて、小論文を書き終えた後に達成感を得ることができました。

後期では特に「自然」をテーマとした講義が印象に残っています。「自然」の講義内で映し出された写真もそうですが、内容自体、目をそらしてはいけないものだと感じ、たとえ批判がきたとしても続けて欲しいテーマであると感じました。

②専修大学の学生の勉学の機会を侵害する改革だと思います。私自身、社会思想の講義を受けたいと考えた理由は、学年、学部を問わず受けられ、答えを提示するのではなく、考えることに重点を置く講義であると感じ、就活をするにあたり、自分の意見をしっかり持てるようにしたいと考えたからです。しかし、この改革は学生の学年、学部に制限を設け、学生の考える機会を奪うものです。この講義だけでなく、教養科目の魅力は興味さえあれば、誰でも受けることができることにあると思っていましたが、この改革の影響でその魅力が失われてしまったことは非常に残念に感じます。学生の勉学に関する改革であるならば、現場の学生の意見も聞き、学生のために行われるべきなのではないかと感じました。私はこの教養科目改革には反対です。

 

 

①初めて授業を受けた時は、2回に1回は小論文、先生も厳しいと思い、正直失敗したと思ったが、授業は現代の若者が考えさせられるような内容とわかりやすい説明で、とても授業に集中できた。後半には確かに小論文を書くことに苦を感じなくなってきた自分がいた。単位修得で終わらず、考えさせられた授業内容にはっきりとした自分の意見をもち、社会人生活を歩んでいきたい。

②私は3年次に履修したが、12年次にしか履修をすることができなくする理由が全く理解できない。ここまで大学生の身になる授業はなかなかないと思う。どの学部学科の何年次でも履修を可能にするべきである。

 

 

①社会思想や社会システムと聞いて、そのすべてを把握するのは大変だろうと感じていたが、本授業のように、ある程度のカテゴリーに分けてみてみると、全体としてのつながりが段々と見えてきた。いろんな分野において、相反する意見が対立していたが、どちらの主張もまったく間違っていたり見当違いなわけではなくて、どちらも目的は社会システムの向上を願っているのだと思う。大切なのはそれらの論争を聞いて、はじめからどちらがいいとか、どっちが合ってるとか自分の立場を決めてしまうのではなく、どちらの意見も吟味したうえで理解しながら自分の主張を確立させていくことだと思う。

講義の中で特に興味を引かれたのは「自然」に関するもので、木や森などそれら自体に権利があるのだというものは面白かった。食糧と飢饉の問題や、人間が自然とどう向き合っていくかといったものが主な内容であったが、実はここがこれからの社会システムを考えていく上で重要なことなのではないだろうか。自然災害によって簡単に人間の社会システムは崩壊する現実は確かにあるし、こればかりは仕方ないことなのかもしれない。しかし、「仕方ない」のは地震や津波などの場合であって、環境汚染や自然破壊など、人間の諸活動によって自然に与える影響とは違う。これらは逆により良い社会規範やそれを守ることで防げることであり、それをこのままなんでもありで放っておけば、いつか大きなしっぺ返しを受けることになりそうだ。「今がよければ」なんて考えはもってのほかだろう。

都会に住み、コンクリートに囲まれた現代社会に生きる私たちは自然のことを忘れがちである。優れた社会システムを構築するには、自然とのかかわりのなかにあることを常に意識し、持ちつ持たれつの共存できる規範を作っていくことが重要であると感じた。

②人文・社会系の教養科目の履修制限については、私は全く反対である。教養科目の利点として、その分野の入り口になったりとっかかりやすさがあると思う。文学部では3年生以上は履修できないことになるというが、授業数に余裕が出てきたこの学年だからこそ、改めて教養を学ぶ絶好のチャンスなのではないだろうか。1~2年生のように、授業をたくさん詰め込んだなかのひとつとして「こなしていく」のとでは、その理解度も大きく違ってくる。また、大学では専門的な分野を学ぶとこが目的でもあるが、なにもそれだけではない。卒業後、社会に出ていく大人として社会システム等の理解は必要である。その理解の第一歩として、教養の授業があるのだと思う。良い意味で専門的すぎないし、全体をわかりやすく把握できることもまた特長のひとつである。

様々なジャンルにいつでも触れられることが大学のいいところであり、自分の考えの「幅」が広がる良い機会がたくさん設けてあるのに、学びたいと思ったときにそれを制限されては意味がない。学問は、「いつでも」、「だれにでも」開けてあるべきだと考える。

 

 

①授業が分かりやすく聞きやすかったと思う。二回に一回のレポートにより内容を深め理化できたと思った。

②学年で縛って履修できないのはおかしなことであると思う。自分が履修できるようなシステムの方が良いと思う。

 

 

①今季授業を受けてみて社会の中には2つの異なる意見があることを知った。けどどちらも極端な意見であるなと思った。自分はその間のよいところだけ都合よくとり生きていると思う。肉食のことでいえば自分で肉を解体することは嫌だけど肉は食べたいし、毎日肉を食べたいというわけではないから、たまには野菜を食べたいし、結局自分の都合で社会を生きているのだと気付かされる授業でありました。

②教養科目は自分の取りたいものをとれるものであったのに。そこをなくしてしまうというのは悲しいことであると思う。卒業するだけの単位を取りに来ている人も多いと思う中で、専門科目を取るより教養科目の方がきっと興味がわくと思う。興味がわく授業を大学で勉強することは素晴らしいことだと思う。そこに関して僕は反対です。

 

 

①私は、後期だけ取りました。この講義は、他の科目と異なり、とても新鮮でした。扱う内容も、今の社会のこととかで、知っていそうで、あまり考えてこなかったことを考える機会になりました。隔週でレポート書くことはじめ慣れませんでしたが、慣れるととてもやりがいがありました。今はこの講義を取って良かったと思っています。

②あまり良いとは思っていません。曜日や時限、また、講義内容など、履修したいと思っても取れなくなってしまうのは、とても残念です。教養科目は、12年のうちにとっておけということなのでしょうが、みんなにそれが当てはまるわけではないと思います。例えば、1年留学していた人が、3年で教養科目を取ろうと思っても取れなかったりと、いろいろな人がいるので、今回の改革はいいと思いません。

 

 

①今回この講義を受講してみて、考えさせられることがたくさんありました。この社会思想では、二つのタイプに分かれるという講義内容が多くどちらか一方の意見に賛同するような気持ちで講義を受けました。特に印象に残っているのが、「生命」と「自然」の講義です。「生命」では不妊治療においてどこまで試みるかというのがテーマの一つとしてありました。自分はこの不妊治療に賛成です。わが子が欲しいと思うことは当たり前だし、子供を授かれないのはどうしようもないことだと思います。人工授精や体外受精などをして子供を授かれればわが子をウも事が出来ます。しかし、賛成ではあるが代理母というのには少し疑問を感じました。もはや、自分の子ではなくほかの女性が産んだことになります。代理母をしたほうも代理母をお願いしたほうもどのような気持ちなのかとても不思議です。

 また「自然」では、ÒシャローエコロジーÓ、ÒディープエコロジーÓの二つの論争についてでした。自分は完全なÒシャローエコロジーÓ派です。ベジタリアンや、動物虐待など現在の日本ではディープエコロジーの考えは難しいと感じました。当たり前のようにお肉や魚を食べています。今になってそれらを食べなくするのは不可能に近いのではと思います。自分は確実に難しいです。また、動物虐待として先ほどのお肉を食べることもしかり、毛布などでも動物たちを殺し、食することや人間の生活の一部として使われています。しかし我々が生活していくうえで、お肉を食べることや動物の毛皮を使った洋服や毛布を使うことが必要不可欠になっています。そんな世の中で今更それらをなくすのは、やはり不可能ではないかと思います。など、このように自分の意見ではなく他の意見もよく聞くことが出来、客観的に自分の意見を考えさせられた講義だったと思います。

②この講義を3年生以上が履修できない件について、自分はとても不思議に思います。12年生に限らずどの学年が受けていい講義だと思うし、わざわざ受けられないと決めつける必要はないと思います。また、もともと受講していい講義であったのだから問題があったわけじゃ思います。すべての学年が受けていいと感じました。

 

 

①本講義では、書く力が身に着いたということはもちろん、社会人であれば誰もが考えねばならない、現代社会における6つの問題を自分がどちらの立場の意見であるか、考えられるきっかけになったと思う。特にÒ自然Óのテーマでは、私はシャローエコロジストの立場をとったが、最初、過激に思えた意見であったが、なるほどと思える論を展開され、反対の立場の意見を聞くことは非常に参考になると思った。そういう意味で、本講義は実りある時間であったと思う。

➁私は3年生で、本講義を知り、受講した。感想でも書いたが、社会系科目の教養は社会人として知っておかねばいけない知識だと思う。3年生は今後就職活動を控えているため、本講義は非常に事前知識として有効であると思う。ここ数年、学業に専念できるからという理由で就職活動の日程が調整されているのだから、自由に履修できるようにすればいいのではないか。履修できる学年が限られてしまうのは、学びの可能性を狭めてしまうことだと思う。