2015年後期 経済学部

 

①授業の進め方、教え方が生徒の発言などを積極的に聞くことから、生徒が主体的になって受けられる授業であり、とても授業していて楽しく、また有意義な時間だった。

また、2週間に1回小論文を書くことにより、頭の中で内容があまりまとまっていなくても、何回もやっていくうちに長文を書くことが苦にならなくなり、スラスラと書けるようになった気がする。

②生徒からすれば、教養科目から専門科目に移動したからと言ってあまり変わることはないと思うが、(あるとするならば気軽に受けられなくなるなど)先生側の立場からすると、教えられる範囲の幅が狭まることになるのかなと思った。一年間授業を受けてみて、社会思想というのは現在の経済を学ぶにあたって非常に重要なことであると思ったので、専門科目として取り入れるというのもいいのではないかと思う。

 

 

①私自身、社会思想のテーマそれぞれにおいて、かなり興味深いものがあった。哲学がすきということもあり、多くの人間の心理や価値観というものを客観的に考えることが出来る講義であったと思う。資本主義社会が多く採用されている現代において、自由主義と社会主義のどちらが優れているかという論争は活発さを増している。その中で、妥協点を見出し、より良い社会を築き上げていくことが私たち若者の課題であると考える。

②今回受講した松井先生の社会思想は、両者の立場の言い分を提供した上で小論文を考えさせてくれた。また、おそらく社会にとって極論はあまり好まれないわけだが、それでも見解を考えることは決して無駄にはならない。そんな機会を提供してくれるこの講義を是非後輩にも受講してほしい。そして、この講義で学んだことを是非違う場所でも活かしてほしいと、私は考える。

 

 

①前期、後期と社会思想を履修し、問題に対して自分の見解を矛盾なく一貫して述べることの難しさを知りました。プリントを読み返してみたり、講義以外の時も考えることが出来たのは良かったと感じました。

②一年通じて、他の科目とは違った経験をすることが出来たし、印象に残る講義でした。多くの学生に履修してみて欲しいと思いました。なので、もったいないなというのが私の率直な意見です。

 

 

①私は前後期を通してこの講義を受け、今までは自分とは縁のない話だと思っていた内容がとても近くにあるものなのだと感じた。ニュースやインターネットでは見るが特に深く考えてはいなかった問題について自分の意見を書くということで講義を聞いているうち真剣に考えるようになり自然と興味を持つようになった。社会の問題について自分の意見を書くということが次第に面白くなり、回を重ねるにつれてより自分の表現をできるようになった。この講義でつけた力をどこかで発揮できるようにしていき自分のものにしていきたい。

②このような自分の考えをまとめて書くという講義は非常に重要であり、単位のためだけでなく、今後一生自分の身になるような講義である。このような講義は一般教養科目として全学部が平等に受けられるようにすべきである。

 

 

①私は、経済学部の者で2年次の時に松井先生の資本主義の原理の授業をとっていた。その時に、先生の授業の進め方がとても気に入っていたので今回、一般教養科目で先生の講義を履修した。社会思想202の授業は、これからの社会において必要な議題であった。多文化や生命倫理観、市場について普段は、あまり接する機会が私には、なかったためこの授業は自分の知識をより深められた。また、これらの議題についてより興味を持つことができ、ニュースなどでもこのキーワードが取り上げられていたら注目するようになっていた。知識を深められ、興味を持てるようになれたことに感謝したい。また、この授業は自分の意見や考えを小論文によって書き出すことで自分の意見を述べられるようになった。いつも興味・関心は持つが自分の意見を明確にし、述べるということを私は、これまでしてこなかった。自分の意見を持てるようになったことも私にとって、大きな収穫であった。最初は、先生の言った通り、文章がなかなか書けなかったが文章力もこの講義で力をつけることが出来たように思う。この講義を受けられて良かった。

②この科目は、これからの社会において重要な議題について勉強した。経済学部だけが受講できるということは実にもったいないことだと思う。これからの社会は沢山の考え方が存在し、相互理解が大切である。そのためにもこの科目は経済学部に限らず、これからの社会を生きていくためにも学生が知らないといけない議題がたくさんあった。この講義は、多方面からの視点でいくつもの考え方に触れ、その中で自分だけの考え方、見方を育成していくべきである。だから、専門科目にするということはもったいないと思う。

 

 

①私は、この社会思想の講義を前期と後期で受講した。1年を通して実感したことは、自分の思いを文章にすることの楽しさだ。しかし、思いばかりを書いているうちに、文章構成がめちゃくちゃになることもあった。この文章構成をうまく作ることもこの授業で身につけたかった。

②専門科目になってしまうということは、その学部の学生が内容を重視せず、単位が欲しいだけで受講している可能性がある。教養科目であれば、自分の興味があるものとして受講することができるのではないかと考えられる。

 

 

①この金曜2限の社会思想を受けて、最初は朝も早いし出席も厳しい授業だなと思っていた。しかし、講義を受けるにつれて自分の文章力の成長が見えた。後半になると松井先生の言葉を理解し、私の意見なら、私ならこうするなど勝手に頭の中で構成を立てるようになった。このことから私は講義に休まずしっかり出席し、社会思想をとってよかったと思えた。

ありがとうございました。

②この講義が教養科目ではなく専門科目になったとしても学べるものは同じであるから問題ないと思う。

 

 

①大学の講義は、先生がレジメや教科書を用いながら講義を進行していくものだと思っていましたが、社会思想202では、自分の考えを文にすることでしたので、最初の頃は慣れるまでに大変でした。自分の意見や考えがないと文章が書けないので、普段あまり自分の考えや意見を書かない私にとっては最適な講義でした。また、ちょっとした豆知識等が知れてとても有意義な時間を過ごせる講義でした。

②他の先生方がどのような方針で講義を進行していくのか分かりませんが、松井先生の講義の進行は1番良いと考えています。なぜなら、大学の講義で、自分の意見や感想を書く機会がほとんどないからです。自分の考えや意見を書く、伝えることは社会に出ても重要になってくると思いますので、松井先生が講義を持つべきだと考えました。

 

 

①私はこの科目は前期と後期の両方とも履修していました。後期は労働やジェンダー、自然など個々の多様な価値観を学ぶことができてよかったと思いました。特にこれらの内容が世界での様々な国際問題と絡んでいると実感することができたのはよかったと思いました。

②私は経済学部の生徒ですが、教養科目として先生の社会思想の授業が履修できなくなったのは残念だと思います。しかし代替措置として専門科目として社会思想の授業が履修できたときに先生のように充実した授業を行っていれば我々学生のためになっていれば問題ないと思います。

 

 

①前期から通しての受講でさまざまなテーマについて考えてきたが、回を重ねるごとに自分の立場をすぐに決め、根拠を書けるようになっていった自覚がある。先生がおっしゃっていたように、段々と文章を書くのが楽しくなってきて成長を感じられた。

②この科目こそ1年次に履修し、書く力を養うことで後の3年間でも非常に役に立つと思う。専門知識の詰め込みだけでは大学生とは言えないし、このような発想力を鍛えられる講義は必要である。また毎回履修者は定員を上回っているようで、教養科目として門戸を広く開くことでたくさんの学生が講義を受講できるので、専門科目になってしまったのは残念である。自分も他学部の後輩にこの講義を勧めていたが、他学部の専門科目を履修できる制度でこの講義が履修できるのかわからないので心配である。

 

 

①私は松井先生の社会思想202を受講して文章を書くことに自信を持つことができました。また、今までは意識していなかった内容を授業で勉強することによって興味を持つことができた。

②私はこの授業を通して普通に生活していては意識しないことに興味をもつことができたので、是非経済学部の人以外にも受講してほしいと思いました。したがって、松井先生の社会思想を経済学部の専門科目ではなく、様々な学部の学生でも受講できるような教養科目のままがいいと思いました。

 

 

①この講義で自ら考える癖がついた。また、考えたことをまとめて文章にするということが毎回授業でうまくできるようになった。とても良い講義だった。

②このような自ら考えるような授業は学部を問わず、必要だと思うので教養科目でこのような授業があるべきだと思う。

 

 

①今回、この社会思想を前期と後期と一年を通して取ることで、人間として生きていく上で重要なことを知ることができたのではと思う。特に人は何のために働くのかというところで、考え方によっては様々な労働が存在する。そのなかで賃金を得る労働が最も大事であり、人々はお金がないと生きていくことができない。当たり前のことを言っているけど、とても大切なことだと思った。今年は就活の時期なので、自分を見つめ直して納得のいく企業に就職したい。

②この科目を12年生が取れなくなったのは正解だと思う。低学年にはこの授業は難しいと思う。ある程度基礎力がついてからこの科目をとるべきである。

 

 

①この授業では、さまざまな社会システムについて、は賛成派の意見、反対派の意見の二つの論点を比べながら見てきた。私は、今まで、この授業で取り扱った題材については深く考えたことがありませんでした。この授業のおかげで、さまざまなことをいろんな観点から考えることができ、とてもいい経験となりました。授業を通して学んだことは、今後自分のためになる日が来ると思うので、大事にしていきたい。

②この授業が経済学部の専門科目になるから、経済学部の人間は、この授業を、受けられるが、ほかの学部が受けられないのはもったいないと感じる。

 

 

①社会思想202を受講して、普段の経済の講義とは違って、現在日本や世界で起きている問題を詳しく学ぶことができてよかったと思います。ゼミで論文を書いたのでジェンダーやフェミニズムについては、自分でもよく調べたと思っていたのですが、先生のレジュメやコースパワーではグラフや表が用いられていて、より確実で詳しく理解することができました。小論文では自分がどちらの立場に賛成なのかを明確にして書かなくてはいけなかったのですが、授業の時点で先生の主観で話している部分があったので、どちらかに偏りがあったのではないかと思いました。多文化については、日本にいる外国人は現在ものすごく多いと思っていたのですが、世界に比べると全然少ないこともわかり、海外に興味がない私にとっては、新しい情報になりました。外国で難民が出たりしている現在、大事な社会問題だと感じます。生命については、クローンや臓器提供など、未来の話のような気がしていましたが、医療はそれが実現できるくらい進化しているんだと感じました。医療の進化は人間にマイナスなことはないと思います。助かる命があるなら助けたいので、それは個人の判断に任せることにすれば、世の中はもっと幸福になると考えます。

大学の講義は、専門的なものばかりになりますが、この社会思想の講義は、社会の問題を生徒も深く考えながら学べる(小論文を書かなければいけないから)面白い講義でした。

②大学では興味があれば他学部の講義も受けることができるという、自由な授業体制も一つの魅力だと思うので、シラバスをみて、学生が興味を惹かれたものを自由に履修できるといったシステムが必要だと思います。先生によっても授業内容は全然変わってくるわけで、同じ授業名でも違うものだと思います。人数の関係もあるのかもしれませんが、私はこの教育科目改革には反対です。

 

 

①普段考えないようなことを考えさせられる面白い授業だった。

②選べる科目の数が減るのはなんか損をした気分なのでやめてほしい

 

 

①自分が当たり前のように考えていることについて講義を通して考えることで自分の考えを見つめなおすような感覚になっていくのがおもしろいと思った。

②社会思想の授業を通して自分では普段考えないようなことについて講義を通して考え、それを言葉にして書き出すことで自分の意見を持つことができるようになったと思う。そういった講義はなかなかないのでこういった講義は必要だと思う。

 

 

①前期に続き、今回も、社会思想の科目を履修した。本科目は、授業内に与えられたテーマについて論文を書く。短時間で内容を理解したうえで書くことは初めは辛く感じたが、書いていくうちに慣れていった。今後の考える力や論文を書くといったときに役に立つと思う。

 本科目は、社会を様々な視点で見ることにより、様々な考えや意見があり、対立している。色々な意見を見ていくことで、正しいと思うことが部分的にあり、一概にどれが正しいとは言えない。テーマであった、生命、文化、市場などの問題や指摘点は多くある。それを討論することが社会を良くしていくと思った。

 一番印象に残ったテーマが生命である。今日、医療技術が発展している中で、喜ぶべきことだが問題があること。ドナーについては、人体の一部を提供するドナーは苦痛であるが、必要としている人への生きるために必要である。これに反対派は人間の尊厳を否定するとされ許されないと意見がある。しかし、それが許されないとなれば輸血も許されないことになる。こういった問題は、矛盾もあり非常に難しいと感じた。

②専門科目としての位置づけについて納得はいかない。専門科目となると、他学部で履修したいと思っても履修することができない。履修したいと思っている人の自由の選択も制限されることになる。本科目を履修することで、得ることができた知識を得ることができないということになる。しかし、教養科目という位置づけならば、上記の問題は解決されると思う。様々なメリットがあると思う。狭めるよりも広く履修できるようにすることが望ましいだろう。本科目から多くの人達が受益するべきだ。

 

 

①私は、後期社会思想202を受講し、市場・自然・ジェンダー・生命・多文化主義・労働の6つの論点から社会思想を考察した。自然の論点からするとDE派とSE派の論争があり、その中で自分がどちらの立場の人間なのか、いろいろな事象を例に考察した。今まで何気なく日々日常生活を送っている私だが、この講義を受講し終えて多角的な角度から市場を考察することができるようになった。また、毎回の講義で日々新しい発見があり、自分の思想を考えていく上でとても参考になった。社会思想202で学べたことをどう自分自身の生活、思想に生かせるかを考えながらこれからの社会生活を送っていきたい。

2014年から実施されている強要科目改革により、2014年入学の学生から本講義を受講できなくなったことについて私は反論したい。なぜなら、講義を受講するかしないかは学生自身が決定する問題だからだ。経済学部の学生の中にもこの社会思想を受講したいと思っている生徒は多いと思う。大学は、自ら興味を持った学問・思想を自らが自身で選択し、習熟していく場であると考えある。そのため、大学側が履修科目に制限を設けることは望ましいものではないと考える。これら上述してきたことから私は強要科目とし社会思想という科目が存続されることを望む。

 

 

①電子機器のルールが厳しいような気もしたが、内容は考えさせられるものが多く、とてもよかった。

②この講義は、学部、学年関係なく、受けられたらよいと感じた。

 

 

①この科目を履修して、1つの自分が精通していないテーマについて考えをまとめて自分の意見を正しい、間違っているかはまた別として、論理的に文章にするという多くの場面で必要とされる力が徐々についたと実感しました。私は後期からこの講義を履修しましたが、最初のほうは分が出てくるまで多少時間がかかりましたが、終盤にはすらすら出てくるようになりました。とても有意義な講義だと思いました。

②履修できる科目が少なくなることは、専門性を高められると思いますが、教養科目も視野が広がると思いますし不必要ではないと思います。改革の理由はわかりますが選択肢を狭める必要まではないのではないかと私は思いました。

 

①本講義を受講し、社会思想の様々な意見または価値理論を改めて考え直し、自分の意見として表すことができ、良い機会となりました。特に印象に残っているのが、例えば、授業中に受講生に意見を訪ねた時に、理想ではディープ・エコロジーの方が規範理論だと思えても、現実にはシャロー・エコロジー的な考えで生活しているなと思い、そこに理想の社会システムの構想と現実の社会の実態との不整合性というか矛盾を感じました。

個人的には、どれが正しい規範理論であるかというより、多くの意見の中から議論をし、時には折衷案なども出しつつ、その時々の状況にあった規範理論を取り入れていくということが大事だと思いました。最後に、後期の約3ヶ月間ありがとうございました。

 

 

①今まで、自分が考えたことも無いような内容ばかりで話を聞くだけで楽しかったです。なかでも、自分は4年生ということもあり、なぜ働くのかを考える授業は興味深かったです。今までは当たり前だと自分が考えていることも、全く正反対のことを考えている人もいるということを、改めて痛感しました。また、毎回小論文を書くということで、日頃PCで文章を書くことが多かったので、文字にすることが久しぶりで新鮮でした。PCのように文章の入れ替えや、消すことが容易ではないので、頭を使いました。一点、授業に対し、意見があります。私は、同じく授業を受けていた人の論文も読んでみたい、と思いました。同じ授業を受け、同年代の人はどんなことを感じ、どんな文章にするのか気になりました。物事を考えることの癖付や、文章力をこの授業で大いに学べました。4年間で最も充実した授業だと思っています。卒業前に、社会人になる前に講義を受講出来、良かったです。ありがとうございました。

②私は、大学では、経済学部だからと言って、限られた学問だけでなく、生物学や宇宙科学、人類文化学など様々な学問を学びました。大学という場は、4年間で自分の進路を決める大切な場だと思っています。高校生のときに決めた学部の授業のみで今後を決めるのではなく、教養科目など幅広い学問に触れることで将来を決めたほうが幅広い選択が可能になる点や、自分の可能性を広げることが出来ると感じました。ゆえに、社会思想の専門科目化は、私は反対です。

 

 

①社会思想は、日頃当たり前に暮らしている日常のことを一つの視点からではなく、いくつかの視点から見て、それぞれで多くの考え方があり、納得できたり、納得できなかったことなどあった。しかし、納得できたこと、できなかったことあっても、様々な考え方の下で、自分の考え方に幅を持つことができた。日頃あまり気にすることないことも多くあるが、それらに対して真剣に向き合うことができ、いい機会であった。

②私は、社会思想の講義を教養科目として、全学部学年が学べるようにするべきである。経済学部では、経済学部の専門科目として社会思想1.2が存在するが、それは経済的視点としては学べるかもしれないが、社会思想は経済だけではなく、人として社会に出る際に大切なことを多く学べる授業なので経済だけに限定せず、全学部の生徒が受けることのできるようにするべきである。

 

 

2回に1回、小論文を書かなければならない授業スタイルは、この講義が初めてだったので、抵抗もあり、嫌だなと思うところではありましたが、講義全体的にみると、非常に濃い講義内容でおもしろかったです。

②教養科目でなくなってしまい、全ての学生が受講できないのは残念に思います。

 

 

①社会思想の授業を受け思ったこと、自分がこの授業から何を学んだかを述べる。まず始

めに、授業の感想を述べる。一つの社会問題を他方から見ていく。それも社会問題を一つの見方だけでなく、異なる方向からの意見も学ぶ。そのことにより自分が常識だと思い込んでいた事柄を考え直したり、新しい知識をつけて社会で起きている事柄を今までとは異なる考え方で考えることができる授業であると感じた。また先生のプレゼンテーションの資料からも、グラフや写真を通して説得力を出す方法を学ぶことができたと感じている。この授業を通し、自分だけでなく他の生徒も、現在の社会問題に対し新しい知識をつけ、物事を新しい観点から見ることを学んだと感じている。

 次にこの授業から自分が学んだことを述べる。自分がこの授業で学んだことを二つ述べる。一つは2回の講義で一回行われる小論文である。小論文は自分が感じたことを述べる単なる感想文ではない。そのためテーマに対する自分の考えを書くだけではなく、異なる視点からの意見も述べなければならない。自分はこの授業を受ける以前は、あまり小論文を書いたことがなかった。しかしこの授業を通し小論文を何回か書いたことで、講義の内容を頭の中でまとめ、自分とは異なる視点から社会問題に対する意見を述べることを学んだと感じている。自分が授業から学んだ二つ目のことは、物事を様々な視点から見ることである。実際に現在授業を受けた以後も、自分の中での既成概念があり、自分の勝手な思い込みがあると感じている。自分が常識だと思い込んでいることは、テレビや人から聞いた情報が多いと感じている。しかしテレビなどのメディアで報道されている情報でも、正しいとは限らない。社会思想の授業を通し、一つの考え方で考えるのではなく、正確な情報を自ら収集し、知識をつけた上で様々な視点から物事を考えるべきであると学んだ。

②まず始めに教養科目改革への意見を経済学部生の意見を述べ、次に専修大学の学生として述べる。経済学部生としての意見として、社会思想を専門科目としてのみ履修できると変更になった。このことは経済学部生にとってはあまり悲しいことでは無いと感じる。理由は、専門科目でも教養科目でも履修できることに変わりが無いように感じるからである。しかし、専修大学の学生としては、この教養科目改革に反対である。理由として他学部の学生が、この授業を履修できなくなることに反対であるからからである。何が原因でこのような改革が行われたのかは、学生の自分はわからない。しかし自分は社会思想の授業を通してたくさんのことを学ぶことができたと感じている。自分は経済学部の学生であるが、他学部の学生からすると、授業で行われるプレゼンテーションは新鮮では無いか。自分で様々な情報を収集し、相手に説得力のあるプレゼンテーションを行う。そのために実際に写真や数字を用いること。このようなことは実際に社会思想の授業の講義を受けることができ無いと、感じることができ無いであろう。そのため自分は教養科目改革へ反対である。

 

 

①授業中携帯を見なくても退屈しないくらい面白い授業でした。社会思想ってどんな授業だろとよくわからなくていまだによくわかりませんが、いろんな分野について深く踏み込んだところまで学べたと思います。スライドのパワーポイントはわかりづらい言葉や表現を理解するのに適切だったと思います。

②専門科目になったら、ほかの学部の学生が取れなくなってしまうのは残念だと思うが、専門科目でこんな面白い授業が取れるのもいいな、とも思いました。