2015年前期 経営学部

 

①私は普段、自由主義や社会主義などの考えを持って生活していた訳ではない為、本科目において、初めて自由や平等について考えた。様々な主張を持つ人々の考えを聞いて、より深く各テーマについて塾考することができた。いつもは受け身で授業を聞いていただけだったが、テーマ毎に自分の意見を文章にすることは意外にも難しく、しかしながらうまくまとめられた時の達成感は気持ちの良いものであった。現在起きている、または起きていた歴史にも様々な思想が絡んでいると思うと、また広く歴史を捉える事ができると思った。

②本科目は社会思想について学び、自らの意見を持つことが重要な科目である。これは、学部を問わずに学ぶことが有用とされるべきである。また、近年はグローバル化が大きく推進している。そのような時代背景の中で、各国の様々な社会思想を学ぶことは必須であると考えられる。なぜ経営と商学部なのか。理由が明確ではない除外は、学生の知識創造の機会をいたずらに減少させるだけであるため、理由を明確にできないなら除外はやめるべきである。

 

 

①昨年の後期に社会思想202を受講した。当初は二週間に一度の小論文作成が苦痛だったが、受講していくうちにその作業を苦痛と感じなくなっている自分に気づいた。また、文章にすることは自己の考えを論理的にまとめることが求められるため、自分が最も主張したい箇所や論理の矛盾を見つめ直すことができた。

今年は更に文章力と思考力を高めたいと感じたため、201を受講した。携帯電話の使用や私語を一斉認めず、それらが発覚した場合には不可とする本講義は他の講義と比べると厳しいが、私はそれが受講するにあたって学生に求められる最低限の条件であると考える。

本講義を受講したことで私の文章力や思考力が高まったのかは分からないが、個人としては昨年よりも短時間で論理的に文章を作成することができるようになったと感じている。

主観的にしか物事を考えられない学生や自分の考えを文章することが苦手な学生には是非、本講義を受講することをおすすめする。

②私は経営学部の学生も引き続き本講義を受講できるようにするべきであると考える。なぜなら、この講義は学部の枠を超えて自己の論点の長所や穴などを発見する能力が身に付くからである。論理的に自己の意見を述べる能力は社会人になったときに非常に大切な能力であり、必要なことであると私は考える。よって、全学部の学生が本講義を受講できるようにするべきである。

 

 

①この授業を履修して、いろんな角度から物事を考えることができるようになりましたし、自分の意見を持ち考えを表す訓練にもなりました。授業内容は少し難しいものもありましたが、充実したものでした。

②経営学部と商学部が今後この科目を履修できなくなるそうですが、経営とは世の中の経済と人と人とのかかわりを理解してこそ成り立つものなのでむしろこの科目は人の考えを知る・考えることができるものなので必要なのではないかと思います。更にいうと特定の科目だけを勉強しても考えが凝り固まり、様々な立場から考えることができなくなりそうですし、ただただその人の選択肢を減らすだけになるのでは無いかと思います。この科目を履修するもしないもその人しだいですので、全学部公開科目にしておいて欲しいと思いました。

 

 

①自由主義、民主主義など聞くことがあるが意味は知らなかったことを順序よく教えてもらいニュースや新聞を読むのが面白くなった

②この講義を受けたことのより政治に興味を持ち、また講義中安保問題などの今の話題についても説明してもらい自分の身になる講義だと私は思った。

 

 

①初めは2回に1回小論文の提出ときいて、自分にそんなことができるのか不安でした。しかし授業を実際に行ってみて小論文を書くことが今までよりは苦じゃなくなりました。自分にとってすごく良い経験ができたと思います。今でもまだ小論文に対して苦手意識は多少ありますが、この経験を活かし後期の授業や就職してから役立てていきたいと思います。また、自由主義者と社会主義者などの意見を聞いていくうえで世の中に対しての見方も変わりました。人間は一人一人考えも違えば冷酷な人もいるし、心の温かい人もいるということがわかりました。自分自身がその実際の立場になってみないとわからないことも多々ありますが、色々な状況に処理できるように日ごろから考えていきたいと思います。自分にとって非常に良い経験になりました。半年間ありがとうございました。

②この授業は人として考えさせられることや、論文を書く力がつくとおもいます。そのためみんなに受けて欲しい授業だと思いました。今後経営学部と小学部の生徒たちが「現代と社会」を受けられなくなるのはおかしいと思います。なぜこのような改定をしたのかはあまり分かりませんが、できることなら2014年度以降の学生たちも受けられるようにしてほしいです。興味を持つ授業やためになる授業の取得をして何がいけないのでしょうか。色々な授業を受けて色々な知識を身に着けていってほしいと思います。

 

 

①平和や正義、民主主義などといった、言葉だけ聞いたらなんとなく意味のわかることを、社会思想として突き詰めていくことはおもしろかったです。今まで、それぞれの言葉をこんなにも深く考えたことはなく、対立する主義のどちらが優れているかを考え、理論的に論ずることは難しかったけれど、脳を鍛えるプラスな時間でした。後期も楽しみです。

②わたしは、この授業を履修できなくなったことに反対です。何より勿体無いと思います。わたしはこの授業を取って、自分がこんなにも文章を書くことが苦手なんだ、と思い知らされました。興味を持った授業を取れなくなることもおかしいと思うし、なにより教養の授業として、学生を成長させることができる部分を減らしているのではないかと思います。

 

 

①今回の授業を受けて、自分の意見を文字にすることの難しさを実感しました。始めはなかなか書けませんでしたが、回数を重ねるうちにだんだん書けるようになり、楽しさを感じました。先生の授業は、楽しくて、あっという間の一コマでした。

②受講できる科目が減ることは、学生にとって不利だと思います。自分の取りたい科目が選択できないということは、学びたいことが学べないことだと感じます。

 

①経営学部4年生として本講義が取れて良かったです。

授業はわかりやすいし、身近なことと照らし合わせて考えることができたので楽しかったです。小論文を書くのも初めは苦手意識もあったけど、最後にはまとめてかけるようになったり、20行も苦にならなくなりました。

自分の考えをしっかり伝えられるように書くのが難しくもあり、かけるようになるととても嬉しかったです。今後の生活にもつなげて考えていけるような内容だったので取り組みやすく先生も面白く良い講義が受けられました。

ありがとうございました。

 

 

①最初は自分の意見を明確にしながらレポートを書くことができるのか不安でしたが、授業が進むにつれて自分の意見をしっかりと書くことができ、自分自身でも成長を感じました。淡々とプリントの内容を進めていくのではなく、松井先生は生徒に対して質問を投げかけたり、面白おかしく例えを使って説明したりと、先生と生徒がコミュニケーションを取りながら授業が進められていてとても有意義な授業だと思います。私は松井先生の社会思想を受講できてとても光栄でした。楽しい時間をありがとうございました。

②私は「社会思想と現代」を除外することに対して反対です。実際にこの授業を受講して、私自身視野が広がったと感じております。この授業を受講していなければ、普段の生活の中で社会思想について考えることはなかったので、とても良い経験になりました。この「社会思想と現代」を履修したくない人はしなければ良い話で、学費を払っているのは我々学生ですので、学びたい科目を自由に学ぶ権利は与えられるべきだと思います。簿記や会計などの能力はもちろん必要ですが、それ以外にも教養の知識を身に付け様々な視点から物事を考えられるよう、「社会思想と現代」を今まで通り受講できるようにした方がいいと思います。

 

 

①本講義は一般的な講義の形である先生の話を聞くだけでなく、自分で考えて、自分の意見を文章にして表現することが特徴的だった。最初は文章がまとまらず量も少なく、意見の質も低いものだった。しかし、授業を重ねるごとに自分の中に手応えをつかみ始め、論文の点数も上がっていったのを実感することができた。本講義を通じて、自分の立場を確立して意見を述べる能力とともに、反復を行うことで、文章構成能力を身に付けることができたと思う。

②経営学部は2014年度以降の入学生は受講できなくなったが、私は、この制度に反対である。この授業は社会システムについて、考えるだけでなく、自分の立場を確立して文章をまとめる文章構成能力も身に付けることができる。この能力は今後必要な能力であり、身に付けなければならないのである。なにより、授業選択の自由を生徒から奪うのは生徒の成長を妨げるものとなるため、私は、2014年度から改正された制度に反対である。

 

 

①社会思想201を履修して、この授業では隔週小レポートを授業内で作成するという、非常に珍しい形式で講義を進めていきました。また、講義で当てられたテーマに対して、自分がどのような立場に立つのかを理論的に考えて自発的に選択させるという特徴があります。

自分で考えてそれなりの文章を書かせるということを継続的に行う行為は3か月程度の期間続けるだけでも非常に力になったことを感じます。特に、幸福や正義といった人間の倫理観に基づくテーマが最終テーマの民主主義に結集されていると思います。よく自分で考えることによって、民主主義の考え方を自分がどのように捉え、またどのような意見を持っているのか一貫性を持たせながら文章を書かせることで、ようやく理解できるようになりました。

②経営学部では社会思想201の講義が受けられなくなるそうですが、私はこの講義を受けて非常にためになったと思っています。経営学部では社会思想が必要にならないという理由が私には理解できません、また今回のような判断をしたことも理解できません。

 経営学部生としての意見であれば、世の中には反社会的な経営者というのがたくさんいます。法律を蔑ろにする人もいれば、従業員に対して非人道的処置を続ける人もいます。これらの問題を考えるうえで、社会思想は欠くべからざる要素ではないでしょうか。ブラック企業の問題が叫ばれるなか、社会や倫理、哲学その他多くの教養科目を選択できないようにすることは、基礎教育を蔑ろにすることであり、専門科目をいかに学ぼうとも何ら意味のない、活用できないものにしてしまうと思います。

 また、専門科目をもっと履修させたい、理系科目をもっと履修させたい、という話も伺いましたが、それは履修の義務化などを行えばいいのではないでしょうか。現状経営学には履修上限があります、この上限を拡大すればよいのではないでしょうか、学生の負担が増えるなどの反論もあるでしょうが、基本的には大学での勉強というのは高校のそれとは異なり、専門性を高めるため自発的におこなう側面があります。それをわざわざ履修できないようにするということは自発的な勉学を妨げることになると私は思います。私は教養科目の選択制限には反対です。

 

 

①授業自分の意見をあまり長く書くことはないので、二週に一回のペースだが、自分の意見を書くということに対して抵抗がなくなった。授業自体も考えさせることが多く、受けていて飽きることなく楽しみながら受けることができた。

 授業評価は自分のテストの評価をコースパワーから、見ることができるので、授業が終わって夏休みに入ってからも、単位が修得できているかななどと不安にならなくていい。個人的にはすべての授業がこのようになって欲しい。

②私は大学側のこの決定について基本的に反対である。この決定は学生の専門性を高めようとしているのではないかと私は思うが、教養科目の履修を制限するべきではない。専門性を高めるのはもちろん大切であるが、幅広い教養は大切であり、だからこそリベラルアーツが注目されているのではないだろうか。ないものはしょうがないが、あるのにもかかわらず、それを受けることができないのは、学生の機会損失であり、大学は学生の権利を侵害していると私は考える。

 

 

①本講義を受けての率直な感想は、授業が始まった四月よりも確実に文章を書けるようになっている自分がいて、とても驚いています。内容としても、とても興味深いものばかりで、現代の社会のシステムや様々な観点からの考え方を学ぶことができました。

②本講義を2014年度から、経営学部の学生が履修できなくなってしまったことについて、私はこんな自分の成長を実感できる講義は初めてでしたし、今まで文章を書くことや自分の意見を述べることが苦手だったので、全学年の生徒にもぜひ履修してほしい講義です。半期でしたがありがとうございました。

 

 

①結論として本科目を受講してとてもよかったと思う。私はこの科目を受講するまでは授業で扱ったようなことについて考えることはほとんどなかった。しかし、授業で扱った幸福・自由・平等・正義・共同体・民主主義の問題は私たちの生活に密接しており避けては通れない問題であるはずだった。しかし、考えたことがなかった。私は無意識に問題から目を背けていたのかもしれない。この授業を受けるようになって自分の考えを深めることが出来た。また、どちらかの側に立ち論を展開することで、自分自身の意見を選択する、そしてどうやって選択した論を確固たるものにしていくために論を展開するか考えることが出来るようになった。

②専修大学の行うこの改革により教養教育課程を再編し、体系的で有機的なカリキュラム展開をしている。教養科目と専門科目は異なる性質であると考えられがちであるが、広い視野を持つことと同時に専門的知識を同時に伸ばしていこうという狙いがある。これは素晴らしいことであると考える。しかしながら、このように勉強の範囲を狭めてしまっていいものだろうか。今、社会で活躍する専修大学の卒業生はもしかしたら本科目のように履修できなくなる科目を受けていたおかげで、社会で活躍できているのかもしれない。そう考えると自由な履修が出来なくなるということは多様な人材育成に歯止めをかけることになってしまうかもしれない。ゆえに私はこの科目のように履修に制限を設けることで受講できない科目を作ることについては反対である。

  

 

①上半期の講義お疲れ様でした。人生の問題に対する考え方の基盤となりました。また、深みのある思考を身につけられればと思い先生の講義を受けさせていただきました。私は現代の日本のイデオロギーを批判するわけではありませんが、個人個人が何の秩序もなく好き勝手に行動する社会に対し、懐疑的であります。自由を重んじる事は近代社会以後とても人類に大きな貢献をしたとは思いますが、行き過ぎた自由は自然破壊など様々な問題となって仕返ししてきています。今後どのような思想が台頭してくるのか非常に興味深く思っています。後期の講義もたのしみにしています。

 

 

 

①本科目を受けて、普段考えない「幸福」や「自由」について真剣に考えるきっかけとなった。美味しい物を食べているときや好きな人と一緒にいるときには幸せな感情は生まれるが、深い意味で考えると意外と自分が思っている幸福ということが明確に最初は分からなかったりして難しいなとも思った。しかし、受けているうちに自分の考えをしっかりもたないと意思がぶれてよく分からなくなってしまうと思い、毎回毎回真剣に取り組むようにした。そうすることにより「どちらの意見が優れていると思いますか」という講義の質問にもすんなり答えることが出来るようになったと思う。普段行うディスカッションの時にも応用できるようにしていきたいと考えた。これから大人になるにつれて忙しさのあまりこういったことについて考える時間がなくなると思うが、ふと思い返した時また自分という人間を確立していきたいと思う。とても楽しい授業でした。ありがとうございました。

②各学部によって教養科目の履修が決められてしまうのは生徒の一人としても嬉しいとは思わない。それこそ学問は自由であるべきはずなのに自由でないと思う。また経営学部の一人として言うならば、大学で学ぶ内容が経営や経済やマーケティングのことが多いためこのような教養科目の一つは私にとっては新鮮で楽しいのでなおさらそう感じる。

 

 

①面白い授業でした。話が具体的、身近であることが多かったからわかりやすかった

②学ぶことは自由であると保障されなければならない。

 

①いろいろな考え方を様々な立場から考えることができて面白さを感じた。社会に出てもこの講義の内容は役に立つと思うのでこれからも考えていきたいと思う。

②感想でも述べたように考えているので、多くの学部でこの講義は開講されるべきだと思う。

 

 

①私はこの社会学201を履修した事で、文章によって論理的に自分の考えを相手に説明する力が付いたと感じる。初回授業のガイダンスでこの科目について説明を受けた時は正直「2回に1回小論文を書くなんて大変だなあ」と感じた。第3回の幸福の主観説と客観説で初めて小論文を書いた時は何を書いたら良いかもわからなかったし、自分の意見、主張を文章にすることはかなり苦労した。しかし、第3回の小論文の評価を確認して大体の要領がつかめたし、小論文を書く回数が増えるにつれてガイダンスの時に松井先生が仰っていたように文章を書くことに慣れてきた。結果的にこの授業を履修してとても良かったと思う。

レジェメだけでなく図や絵でわかりやすく先生が説明して下さったことによって、授業の内容自体も関心が持てたし、テーマについて真剣に考えることが出来た。また他の授業に比べ、私語をしている学生の声があまり聞こえなかったので、真面目に授業が受けられる雰囲気だったことも良かった。また先生が言っている事も聞き取り易く、小論文を書く前に質問もできる為、授業でつまずくことはあまりなかった。私の高校は進学校であり経営学部と言うあまり文章に密接に触れる機会がない学部に入り、小論文などに触れる機会がなかった分この授業で文章によって自分の考えを述べる力を養えたのは自分にとってプラスになったと感じる。小論文には正直、かなりの苦手意識を持っていたが、この授業を履修した事で自分の主張を明確に述べることが出来る能力が身についたと確信した。この能力は将来自分が企業に就職した時などに必ず活かすことが出来ると感じる。社会学201で身に着けた文章力を社会に出てから必ず活かしたいと思う。

2014年度以降の入学生がこの社会思想の授業を履修できないことは残念であると感じる。文学部などはまだ文章に触れる機会があると思うが、経営学部、商学部の学生は文章に触れる機会があまりない為、教養科目の社会学の講義を履修する必要があると感じる。専門科目の勉強だけでなく、小論文などで自分の主張を文章によって相手に伝える能力を育む必要があると考える。何故なら、文章力をつけることは将来、社会に出てから、より自分にとって有利になると考えるからである。普段、小論文にあまり触れる機会がない経営学部や商学部の学生は、小論文に対して苦手意識を持つ人は大変多いと考えるが、経営学部の私はこの科目を2年という早い段階で履修して、文章で自分の主張を説明する力が身についたと感じるし、後に専修大学の経営学部に入学する学生にもこの社会学の授業を選択して履修して欲しいと強く思う。

 

 

①本講義を受け、様々な側面から問題を見たため、視野が広がったと感じた。

非常に意味のある楽しい授業だった。

②社会思想のような倫理の授業を必要としている生徒には気の毒だと感じる。

 

 

①この授業は考えさせられそれを文字にしなければならなく大変でしたけど、固い言葉から日常的なところも踏み込んでくるものだったので授業を受けていた楽しかったです。講義では、自分の考えや思いを書くことが多く、書く力がついたと思います。各項目に対して色々な例が書いてありとても分かりやすかったです。

②「社会思想と現代」については除外するべきではないと思います。経営学部や商学部の人でも社会思想を学びたいと思う人は多くいると思うし、選択肢は多い方がいいと思います。

 

 

①講義では、自分の考えや思いを書くことが多く、書く力がついたと思います。各項目に対して色々な例が書いてありとても分かりやすかったです。

②「社会思想と現代」については除外するべきではないと思います。経営学部や商学部の人でも社会思想を学びたいと思う人は多くいると思うし、選択肢は多い方がいいと思います。

 

 

①私は社会思想201を履修して、改めて自由や平等、民主主義について様々な視点から考察することができました。社会は不平等だと一概に先生の意見を押し付けるのではなく、様々な視点を紹介してくださり、自分が支持する意見を選択しレポート提出として2週間に一度考察する機会が設けられたので社会のことを考える良いきっかけとなりました。特に印象深いのは、幸福について主観説と客観説があり、私が可哀想だと思っていた貧しい国の学校に行けない子供たちは学校に行くことを望んでいないかもしれないというお話です。客観説であれば私が考えるように、学校へ行って学ぶチャンスが与えられないなんて不幸だと感じます。しかし、主観説では本人が望まず現状に満足していれば幸福であり、無理に学校に行けというのは単なるパターナリズムに過ぎないと言うのです。これには衝撃を受けました。今まで私たちは小学校の頃から、ユニセフ募金などで貧しい国の子供たちは可哀想というイメージを植え付けられていたから、彼らが幸福かどうかを勝手に決めつけてしまっていたことにこの授業で初めて気づくことができました。この授業を履修したことで、世間を見る目が変わりました。

2014年度から、後輩がこの授業を履修できなくなったと聞いてとても残念に思います。なぜ、学部によって履修できる科目が決められてしまうのかという理由を聞きたいです。大学の良い所は、自分の専攻を基盤に一般教養や第二外国語で幅広い知識を身に付けられることです。私は社会思想201を履修して、社会を見る目が変わりました。是非、この科目を大学側が限定する制度を廃止し、より多くの教養を身に付ける場に専修大学がなることを希望します。

 

 

①本講義を受講して、私は普段あまり考えることがなかった自由や平等というテーマについて考え直すことができた。また、2回に1回小論文を書く時間をはさんであることによって自分の気持ちがだれることなく本講義にのぞめたのではないかと思う。

②経営学部の学生が2014年度入学生から、いかなる学年においても一切本科目を履修できないことに関して、経営学部だけではなくほかの学部に関しても社会思想というテーマは貴重なテーマだと思うので非常に残念だと思った。

 

 

①この社会思想の講義を受けてみて改めて自分の考えていることがどういう事なのかということがはっきりしました。色々な考え方と比べることで曖昧だった自分の考え方がどの主義なのか、またその主義の人の考え方を聞いて自分の足りない考え方が明らかになってよりしっかりとしたものが自分の中でできました。

そして、自分のなかの考え方を文にして書くことが普段あまりないのでとてもいい体験となりました。

②2014年入学生から経営学部は履修できないというのはとても悲しいことだとおもいました。私は経営学部ですがこの講義をうけてとても良かったと思っているし、自分の考え方を書くことはすぐには出来ないと思うので、そのような能力を鍛えるのにもこの講義はぴったりだとおもうので、ぜひまた履修できるようになったらいいなと思いました。

 

 

①社会に対しての考え方や、自分の意見を再確認できる非常にいい機会だった。また、社会に対する新しい考え方を持つことができるようになったこと、新しい発見ができ、自分自身のためになりこの授業を履修してよかった。何よりも自分の意見を文章にして書く機会をもらえれよかった。

 

 

①私は去年の後期にこの社会思想の取り、3年生になった現在、前期でも松井先生の社会思想を取りました。前期、後期と授業を受けて、文章を考えて書くという難しさを改めて実感することが出来ました。しかし、小論文を書いていくうちに、自分が最初に書いていたころよりも、しっかりと自分の考え等を文字にすることが出来ました。自分に力が付いてきていると実感が出来て、とても嬉しかったです。

 

 

①社会や自分の人生を考えるうえでかかす事のできない考え方について詳しく講義していただいたので、講義内容について特に不満はない。

②教養科目は大学で専門科目を学ぶことだけでは得られない多様な知識を学ぶことが目的だと理解している。で、あるならば学部ごとにその必要性を決定することは不用意にしてはならないと考える。なぜならば、教養科目に学部がかかわってくると、ひいては知識や思考の偏りを生み出しかねないからだ。教養科目をきっかけに新たな分野への興味がうまれることもあるだろうし、一見専門と関係のないものでもそれが将来的に役にたつ可能性は大いにあるはずだ。私自身も、教養科目をきっかけに新たな分野に興味がわき、本を読むなどして講義内容以上の知識を身に着けた。そのような経験から、私は学部ごとに教養科目を指定するという現制度には疑問を感じざるを得ない。

 

 

②私は、この科目を除外するのは間違っていると思います。社会思想と経営学とはあまり関係がないかもしれないと思われているのかもしれませんが、私はそんなことは思いませんでした。松井先生の社会思想の授業の場合、上記でも記した通り、自分で考えて文章を書いて、小論文を作っていきましたが、これはとても自分に役に立つと思います。中々学生で文章の練習する機会があまりないからこそ、このように社会思想の授業を通じて、自分で文章にして書くというのは、とても大事なことだと私は思います。このことから、社会思想を除外するというのは私は間違っていると思いました。

 

 

①社会や自分の人生を考えるうえでかかす事のできない考え方について詳しく講義していただいたので、講義内容について特に不満はない。

②教養科目は大学で専門科目を学ぶことだけでは得られない多様な知識を学ぶことが目的だと理解している。で、あるならば学部ごとにその必要性を決定することは不用意にしてはならないと考える。なぜならば、教養科目に学部がかかわってくると、ひいては知識や思考の偏りを生み出しかねないからだ。教養科目をきっかけに新たな分野への興味がうまれることもあるだろうし、一見専門と関係のないものでもそれが将来的に役にたつ可能性は大いにあるはずだ。私自身も、教養科目をきっかけに新たな分野に興味がわき、本を読むなどして講義内容以上の知識を身に着けた。そのような経験から、私は学部ごとに教養科目を指定するという現制度には疑問を感じざるを得ない。

 

 

①この授業では人間の色々な方向からの考え方がでることによって、いろんな考えを学ぶことができた。授業を聞くごとに意見が変わり楽しく学ぶことができた。

②この授業を来年からの生徒が履修できないのは非常に残念なことであると思う。私はこの授業で多くのことを学べたと思う。

 

 

①正直に話すと最初の頃はこの授業がとても憂鬱でした。難しい言葉ばかりで理解ができず小論分をかけるのだろうかと不安でした。しかし、最後のほうになるとすらすらと文字を書くことができ、小論が苦ではなくなりました。最初の小論の時は、前もって下書きを書いていました。しかし、第7回目からは下書きせずに頭の中で考えまとめることが可能になりました。

②この方針は間違っていると私は思います。大学は自分が選択した分野について学ぶ場所ですが、その専門的な分野を就職した際に使うのでしょうか。専修大学の法学部に進学している人のほとんどが裁判官や検事にはならないと思います。このことから、専門分野のみを学ぶことはあまり良くないと考えることができます。関係のない分野も学ぶことによって知識が増えます。簡単に除外するべきではないと感じました。

 

 

①この講義を受講し、とても良かったと思っています。最初は配られるレポート用紙を埋めるのが難しく、とても大変だなと思っていました。しかし、回数を重ねるごとに頭の中で考えてまとめ、書くという事がスムーズにできるようになったと実感できました。内容も普段は考えもしないような、でも身近にある社会のことばかりで、興味を持って聞けたし、様々な意見がある事も知れたし、改めて考えさえられるようなものばかりでした。この講義はとても自分のためになったと思うし、受講して良かったなと感じています。

2014年以降入学の経営学部の後輩たちはこの講義を受講できないと聞き、とてももったいないと思いました。確かに経営学やマーケティングの話とは離れているし、直接的には経営学部に関係のない科目かもしれませんが、この講義は、普段培えない、頭の中で整理して意見を書き出す、という能力をとても高めてくれるものだと思います。そしてこれは、学部の枠を越えて、色々な人に必要とされる力なのではないかと思います。この力を高めてくれる講義は、なかなかないのではないでしょうか。このような講義を受ける機会が失われるというのは、経営学部の後輩たちにとっても、大きな機会損失のような気がします。誰もが取るものではないにしろ、受講する選択肢を残しておいた方が良いのではないかという気がします。