2015年前期 ネットワーク情報学部
①この講義では、2講義に1回小論文を書くことで、物事を考える力や論理的な思考能力が付いたと思う。また、小論文を書くには講義内容を整理して理解しておかないといけないので、このスタイルは復習の機会を必要とするので、他の講義と比べても、理解につながるものだったと思う。また、どちらが優れているか考えることで、社会の問題に対してもどうあるべきかなど考えることができた。今まで、そのようなことについて考えることはあまりなかったので、この講義はとても有益であった。講義中に携帯などを使えないことは講義に集中せざるを得ないので理解に繋がったが、就職活動中の身としては少し厳しすぎるようにも感じた。しかしその結果、講義中騒がしいといったこともなかったので、良い環境であったと思う。
②このような社会系の科目は、1~2年生ではなく3~4年生こそがとるべきだと思うので、その改革は逆だと思った。3~4年になると就活などで社会との関わりが近づいてくるので、社会のことについて興味や関心をもち始めているし、自分の考えもある程度はあるので、社会思想のような講義を受ける準備ができているが、1~2年では、そのような準備ができていないし、新生活などから落ち着きもないので、あまり意味がないのではないかと思う。
①毎回の講義毎に、自分がどの立場にあり、どのような意見を持つべきか、ということとを考えることで、新しい発見があり、大変興味深い講義でした。また、小論文を書くことで、自分の考えを文章にして、表せるようになりました。
②おそらく3年生以上の生徒は、専門科目をたくさん履修すべきという大学側の考えなのだと思います。しかし、専門ばかり履修していると、知識や教養が偏ってしまうので、幅広く学ぶためには、教養科目は必要であると考えます。
①社会思想とはどんなことなのか一度気になったことがあった。思想というと革マルなどの組織のことを連想し、マイナスのイメージを持っていた。思想というと、彼らのような思想家しか持ち合わせていない、彼らのような人間は変わった奴らなんだと考えていた。しかし、講義を受けて社会主義と資本主義の違いで意見が割れ、私は資本主義を選択したが、この時点で私には資本主義だという思想が生じていたことを理解した。誰にでも思想はあったのだ。最近、国会議事堂前で起きたデモも彼らの思想があり、起きたのだ。思想が行き過ぎてしまうと、テロなどを起こしてしまうのだろう。それぞれ人は異なる思想を持っているということで本講義で学べた。
②人文・社会系の教養科目を履修できるのは、1~2年生に限られ、3年生以上は履修できないことになるそうだが、私は反対だ。大学の講義は自由に選べるのはあまり多くはない。それに、1~2年はネットワーク情報学部では必修や選択必須を選択する必要もあるため、人によっては学びたくとも選択できないという事態も起きてしまうと思われる。私たち学生は大学で学びたくて来ているのだ。少なくとも私は社会思想を4年であろうと学びたいから選択をした。学生の自由を奪ってしまうのはダメだろう。最低でも学生に説明はしてほしい。ポータルで説明をするのではなく、口頭できちんと説明をしていくべきだろう。勝手に変えてしまっては安倍総理が行おうとしている強行採決とそう変わりはない。
①この授業は他の授業と違い、自分の考えを書き写す力がつくと感じました。私を含めネットワーク情報学部は数字を常に扱う授業が多いため、文章思考力などはあまりつくことがありませんでした。しかしこの授業は自分で考え結論を出し書き出すという事ができ、その経験が新鮮であり、そして私に足りてないスキルを補う事が出来ました。また就職活動の際この授業のお陰で、自分の思ったことを論理的に説明する事ができ、とても役に経ちました。
②今思える事はもっと早い時にこの授業を履修し、自分自身の思考能力を上げておきたかったと思います。自ずと身につけた能力が他の授業を始め、様々な場面で有効に活用できたかと私は考えています。
①この授業では自分の考えを記述することが他の授業より多く、自分の考えを文章にして書くという力がついた。また授業で徹底して、私語や携帯を禁止していたのも好印象だった。
②3年生以上がある科目を履修できないということはおかしいと思います。大学は自分の好きなことが学べる場なのにそれが限られてしまうことは、間違っていると思う。
①私は、興味のあるテーマを扱っていたため、本科目を履修した。幸福や自由、平等などといった事柄を思想史的な観点から考えることができ、とても面白かった。また、2週に1度のペースで小論文を書くことで、自分の考えをまとめることができた。加えて、履修前より小論文を書くことに対するネガティブな気持ちも少なくなったように思える。
②従来の「すべての学年で人文・社会系の教養科目を履修できる制度」のほうが良かったように思える。私は、1年生のときに心理学を履修したのだが、その後、さらに興味が湧き、3年生の今、心理学を履修している。このように、後から興味が湧いたとき、制度によって受けたい科目を受けることができないというのは、如何なものかと思う。
①率直に言って、初回の講義では電子機器や入室時間の制約などの説明が多く、「妙な先生が来たなあ」と感じました。過去の経験から、携帯の持ち込みに煩い先生は総じて講義のつまらない先生が多かったので「絶対に面白くない授業だろうなあ」とも思いました。なお、内容についてはこのような予想を裏切って頂き大変に面白いものだったので、十分満足しています。しかしながら、やはり携帯電話に関しては授業中に就活の電話がかかってきた事もありましたし、必要に迫られた場合にも確認が出来ないのは自分としては不満です。そこで提案なのですが、せっかくなので次年度以降はこの問題を題材に、初回の講義で先生と学生の間で討論するというのはどうでしょうか?学生の主体性の向上も望めるので割と有意義な試みだと思うのですが。
②この改定には非常に憤りを持っています。社会系教養は全ての学生に開かれているべきで、文系大学の最も重要な科目だという立ち位置から看過できない決定です。1、2年のみの履修というのは、好意的に解釈するならば早い時期からこうした学問の履修を促しているとも考えられますが、ネットワーク情報学部においては1年生の必修科目の多さや2年時の専攻によって教養科目を履修できるコマは大幅に制約を受けます。そうした環境によっては2年ともこの科目を履修できない学生の出現も十分想定されるので、自分が4年で履修している事実も添えて反対の意を表明します。
現在政府の側から「文系学部の廃止」という思想統制まがいの意見が現れている中で、文系学部で身につけるべき社会的思想の基礎でもあるこのような科目を「履修しなくてよいもの」として分類する決定は、学問の自由によって成り立っている大学としての存在意義を自ら否定するようなものでもあり、大変無神経な決定だと考えます。
①最初の講義でスマートフォン、パソコン禁止とされ戸惑いがあった。しかし、今まで当たりあえであったパソコンでノートを取ることを辞めると、余計なものが目に入らなくなり授業に集中することができた。さらに、社会思想について各立場が出す具体的な例について考えることで、今まで自分の持つ考えが狭いものであることに気づけた。その後書き直すことのできないレポートをすることで、頭の中で物事を整理しようと一生懸命になり、授業外で文章を書く際にも文章を書く際に活かすことができた。
②私は、この授業は3,4年でも履修できたほうが良いと考える。この授業は、社会にでる前に様々な考え方を学ぶには非常に有効なものだと感じた。これは議論する際に非常に重要であり、お互いの考えを否定しあう議論よりもより良いものになる。これは就活にもつかえるものなので、1~2年の将来や就職について現実味を帯びていない学年よりも3~4年での履修がより真剣に取り組むことができる。
①私はこの社会思想201の講義を受講し、小論文を書く力を身につけられたことがよかったと感じます。ほかの一般教養の授業や専門科目にしても小論文を書く機会はあまりなかったので書く力を身に着けられるいい機会になりました。また、この講義では携帯電話やパソコン禁止、私語禁止を徹底していたため、授業に思い切り集中ができる環境が整っていてとてもいい気分で受講することができました。内容も現代の出来事や歴史的事件に絡めて社会思想について紹介していたのでわかりやすく、関心をもつことができ面白い講義であると感じました。
②とても残念です。上記した通り、内容もとても面白くためになるものであり、同時に大学生に欠けている力のひとつであると感じる小論文を書く力を鍛えられ場であると思っています。自分は4年で就職活動をしています。小論文を書く試験は少なくありません。その練習としてもこの講義は有意義なものであると思います。是非3年生以上の方々にも受けてほしい、おすすめできる講義です。この制度が見直され3年生以上も受講できるようになることを願います
①半期の講義でしたが、終わってみると非常に自分にとって良い時間だったように感じます。普段、自分の思考と向き合うことが少ない中で週に一度の自分と向き合う時間でした。6つのテーマについて其々の理解を深め、自分はどういった意見を持っているのか、何故そう思うのか、という事についてじっくりと考えられる講義であり、自分を見つめ直す時間でした。一つの結論を導き出すことと、導き出すまでの過程を自分と向き合いながら考える時間はそう多くない中で、非常に貴重な経験だったと思います。
②従来、本科目を含む人文・社会系の教養科目は、すべての学年で履修することができましたが、2014年度から実施された教養科目改革により、本科目「社会思想と現代」を含む人文・社会系の教養科目を履修できるのは、1~2年生に限られ、3年生以上は履修できないことになりました。このことについてみなさんのご意見をお聞かせください。
私は本校の1~4年生の全ての生徒が平等に、履修を自身の意志で選択できるべきである、と考えます。
私自身、前期に履修し6つのテーマについて考えましたが、学部や学年に関係なく全てのÒ人Óに関係のあるテーマであったと思います。普段なかなか考える機会の無いテーマでありながらも、密接に自分たちに関係したテーマで今一度自分と向き合う良い機会になるはずです。少なくとも私は自分を見つめなおし、自分の意思を持つことを促される時間を経験しました。
人文・社会系の教養科目は、決して特殊な分野ではないと思います。特に社会系の教養科目に関しては、私たちのÒ人Óとしての姿や生活について考える機会も多く、学んでおいて決して損はないでしょう。むしろÒ人Óとして身に付けておくべき事を学ぶ機会であるのではないでしょうか。
①2週ごとに行うレポートは面倒だったが、自分の意見をまとめる行為により自身の政治的スタンスの理解に繋がった。
②私は卒業演習で民主主義をテーマに取り上げた映像制作を行っている。以前までは政治的な思想などについて関心を持っている方では無かったため4年次になって初めてこの科目を履修したが卒業演習を行ううえで非常に参考になった。
どの教養科目を選択し履修するかは人それぞれだろうが、学年により履修科目を変えるべきではないと考える。
①本科目の感想を自由に述べてください。
最後の総括小論文のとき、今までのプリントを見返しました。なので、知識としては本講義の内容をしっかりと蓄積できていなかったと思います。ですが、1講義ごとに頭を使って考えて長いレポートとして書いていく作業はとても為になったと思います。
②従来、本科目を含む人文・社会系の教養科目は、すべての学年で履修することができましたが、2014年度から実施された教養科目改革により、本科目「社会思想と現代」を含む人文・社会系の教養科目を履修できるのは、1~2年生に限られ、3年生以上は履修できないことになりました。このことについてみなさんのご意見をお聞かせください。
この授業はレポートを書く力が鍛えられると思うので、1~2年生のうちに履修しておくべきだと思います。ただ、ネ学は2年次までは必修が多く、教養科目をあまり取れなかった記憶があるので、3年次以上を履修不可にするのは厳しいなと思いました。
①この社会思想の授業で、自分の考えを字にする難しさを痛感した。この授業を履修し、初めて自分の考えを述べよ
と言われた時は、非常に困惑した。だが、進むにつれて自分の考えをまとめるのに時間がかからなくなっていった。授業は終わりましたが、これからも自分の考えを字にするという努力を続けていきたい。
②講義の中で扱われる社会問題が実際に現在の社会にとって重要な問題であるため、これから大人の一人としてそういった問題について考える時間はとても貴重なものになったと思う。そのためにも、3~4年生という社会人に近づく人たちにもこの授業に触れる機会をなくすことは勿体無いと思う。また、自分の答えを持つことが難しい問題ばかりなので、その分自分で考え力が身に付いたと感じた。このような講義はむしろ3~4年生に履修して欲しいと思う。
①私は金曜2限が空いていたためどの授業を履修しようか考えていたときに、この授業に目が留まった。シラバスを読んで2週に1度小論文のテストがある面倒な授業だと思ったが、哲学系統の内容には元々興味がありこの授業の履修を決めた。想像通り持ち込み不可で尚且つ授業で触れたキーワードを盛り込まなければいけない大変なものだったが、自分はどのように考えるか、社会はどのようにあるべきか、といったことを授業を聞きながら考え、小論文を書きながらその考えをまとめていく作業はとても面白かった。
②この授業は、文章をまとめる能力はプロジェクトや卒業演習、就職活動に役立ち、対立意見を聞きながら自分はどちらの立場か考えるという常に頭を使う作業は、ネットワーク情報学部の社会情報プログラムの履修者にとってはその内容をさらに深めるものになると感じた。そのため、3年生以上の者も履修する価値は十分にあると考える。
①これまで社会思想と言うもの自体考えた事が無く、学部もネットワーク情報学部なので最初の方の授業では理解することが大変でした。だけど授業を受けていくうちに社会思想に関する考え方や捉え方が分ってきたので自分の意見も交えてレポートを書けるようになったと思います。7回のレポートではまずボールペンでレポートを書くということに慣れてなかったのでかき終ってからは腕が痛くなり大変でした。内容も事前に自分で時間をかけて書いてそれを基にして書いていました。しかし書いていくうちにボールペンにもなれて、内容もその場で考えられるようになり下書きがいらなくなりました。この科目では社会思想という答えのない問題を考え意見を述べていくので、半期の授業で自分の考える能力はかなり上がったと思います。半期間ありがとうございました。
②従来、本科目を含む人文・社会系の教養科目は、すべての学年で履修することができましたが、2014年度から実施された教養科目改革により、本科目「社会思想と現代」を含む人文・社会系の教養科目を履修できるのは、1~2年生に限られ、3年生以上は履修できないことになりました。このことについてみなさんのご意見をお聞かせください。
私はこの科目を3年次で受けています。ネットワーク情報学部は1・2年次に専門科目が多く入っていてあまり教養科目を入れるができません。(改正後は分りません。)しかしこの科目を受けることはかなり有意義だったと実感しています。だから色々と理由があってのことだとは思いますが全学年が受けられるようにした方がいいとおもいます。
①はじめのうちは、2週に1回の小論文というのは、少し大変だなと感じていた。しかし、ネットワーク情報学部の特性上、レポートを書く機会が多かったことや、慣れてきたこともあって、数回もするうちに自分の意見を書くことが苦ではなくなっていた。何よりも、講義で聞いた膨大な情報を、自分で取捨選択して小論文としてまとめる、という能力が格段に上がったように感じる。この能力は、大学生としてはもちろん、これからの社会人生活にも重要な能力になってくるだろう。後期の本講義も含め、この能力を高めていくことに精進したい。
②大学の履修制度は、自分が受けたい講義を選びその講義を受講する、という形式であり、それが魅力だった。その大学の魅力である「自分が受けたい」講義を選ぶのに、制限がかけられるというのは、大学の履修制度の魅力をなくしてしまうことに繋がるのではないかと感じた。個人的には、情報学や経済学、社会科学など幅広い分野を学べるように現在の学部を選んだため、社会系の講義が受けられないというのは非常に痛手であるÉ
①大人数が履修している中で先生が学生に意見を求めながら進めていくという授業は、今までなかったので新鮮でした。先生が例をもとに説明してくれるので非常にわかりやすく、興味が持てる内容でした。後期も履修するので楽しみです。
②従来、本科目を含む人文・社会系の教養科目は、すべての学年で履修することができましたが、2014年度から実施された教養科目改革により、本科目「社会思想と現代」を含む人文・社会系の教養科目を履修できるのは、1~2年生に限られ、3年生以上は履修できないことになりました。このことについてみなさんのご意見をお聞かせください。
もし3年生以降に人文・社会系のことに興味を持って学びたいと思った時に、履修できないというのはおかしいです。自分の興味のある内容を深めるために大学があるのだと思うので、自由に履修できるように戻したほうが良いと思います。
➀自分自身についていままであまり考えてこなかったが、この講義で自分がどういう考えを持った人なのかを知ることができた。
②必ず為になるような話を聞くことができるので、全学年で履修できる方が良いと思う。
①色々な難しい問題について考えることができて面白かったです。自分の考え方を知る切っ掛けにもなりました。
②私としては全学年で履修出来るようになってほしいと思います。学部の性質上理数系が多いので、必修などでそちらを取ることが余儀なくされます。ですが、社会学系に興味もあり様々な考え方を知ることも好きです。理数系は社会に出た時に必要な思考であることは理解していますが、広い見聞を持つことも必要だと思います。それと単純に、履修の制限や必修専門科目での必要単位が決まっているので、教養くらい自由に選ばせて欲しいです。
① 「社会思想と現代」を履修して学び、私自身がどんな場面でどんな考え方をするかを考えさせられたと思う。課題の中で自分が主観か客観か、自由主義か社会主義かなど学んでいくうちに自分と社会を少し知れて面白いと思った。
②教養科目であるこの科目を1,2年生までしか受講できなくなるのはもったいないと思う。この科目を通して様々な力がついたが、中でも「考える力」はとても伸びたと思う。
①正直、自分は文章を書くことが嫌いでした。今も好きかと聞かれると返答に困ります。しかし、少なくとも以前に比べれば嫌とは思いません。この授業はどんなことを書いても善悪がないので考えることが身につく授業だと思いました。
②そもそも何が理由で全学年がこの授業を受ける必要がないと思うのかがわかりません。無駄な授業はないので全学年が受けられるようにするべきだと思いました。
①本科目では、2週間に1回のペースで小論文を書いたので、文章の構成の仕方や毎回のタイトルに対する想像力などを養うことができた。問題点をあげるなら、遅延による理由でも、その回が小論文を書く回だった場合は、小論文の点が9点で確定しまうという評価の仕方はやめてほしいと思った。
②教養科目では、専門科目以外に様々なことが学べるので、それを学ぶ機会を1~2年の間だけに限定してしまうのは良くないと思った。
①テーマごとに根拠を明確にして自分の考えを文章にしなければいけないので大変ではあったが、力がついたと思う。良い講義であったと思う。
②人文・社会系の教養科目を2年次までしか履修できないと抽選漏れなどで3年次以降に履修したくても履修できない。学部が人文・社会系科目の8単位取得を推奨しているので、すべての学年で人文・社会系科目を履修できるようにして、単位を取得しやすい環境にしたほうがよいと思う。
①最初は確かに堅い授業で嫌いでした。正直なことを言うなら授業中は眠かったこともあります。しかし、後半になるにつれて授業のレベルがあがり自身は、こういう考えを持っていると心のなかで考えていても先生の逆の視点の話を聞いて確かにその考え方もあるという気づきをもらってじゃあ自分が信じていけばいい指標とはなんなのかということを考えさせられ、物事を1つの方向から見るのではなく逆やそれまた別の視点から見てみるとどうなのかという考え方が身についた気がします。
余談ですが先生の話の振り方のキツすぎることがたまにあって当てられた生徒さんが可哀想に感じる時がたまにありましたÉ
②正直な感想は、個人的に人文社会系科目を専攻に習ってきた自分にとって人文社会系科目は必要ないっていう意見をする人がたまにいますが人文社会系科目はとても重要で物事の考え方や論理的指向の育成には数理科目では限界がありそれを補い論理的な考えができるために人文社会系科目があると自分は考えている。その人文社会系科目が3,4年生では取ることが出来ないのは非常に残念である。
①この科目では、社会における自分の考え方をはっきりとさせることができた。自分がいつもどういう考え方で生活を送っているのかをはっきりすることができた。そして、文章で自分の意見をはっきりという能力も身についた。
②私は人文・社会系の科目の授業が好きでした。3,4年生になっても取りたかったです。勝手に取れる授業を限定されるのは本当に嫌です。すぐにでも改正してほしいです。取りたい授業がたくさんあるのに、勝手に消されていては大学生活が楽しく過ごせません。今すぐにでも改正して、どの学年でも人文・社会系の科目を受けれるようにしてほしいです。
①社会思想と現代の授業は、教養科目ということで専門の科目ではなかったが、社会で議論されている様々な主義主張を聞いて自分の考えを持つことができた。世界は日本だけではなく様々な国でいろいろな意見があると思うので、特に海外に行く時などに役に立つのではないかと思った。
②私たちの学部では、3年生以降プロジェクトや研究が始まり、教養科目をなるべく早めに取らないと、それらにあまり関われないといったことが生じてしまうため、現在のシステムにおいて、1・2年次に早めに教養科目を取っておこうという、意識が皆さんの中にできるので悪く無いとは思う。ただあとから、この授業を取って勉強したいと思った時に取れないのは残念であるかもしれない。
①文章を書くのが好きになった。また自分の主張がしっかりできるようになった。
②いいと思う。
①最初は自分の意見を書くのがとても大変だった。だが、回数を重ねるごとに自分の意見について根拠を明確にして書けるようになったと思う。苦手だった分を書く力を身に着けることができた。
②この授業は講義の中で考えたことについて考え書くという力が身に付くので、3年生以上の人も履修できるようにしたほうがよいと思う。この講義を通して文を書く力を身に着けることができたので、就活の際にも役に立つ授業であると思う。
①社会思想と現代では幸福や社会的ないろいろな考えなどについて多くのことを考えさせられる授業でした。でもそのおかげで今まで考えなかったことを考えることができたし、新しい考え方もできるようになったと思うので先生の授業を受けて良かったです。
②この授業は本当に多くのことを考えることができたのでもっとたくさんの人が受けるべきなのではないかなと思います。だから3年生以上でも受けられるままの方がいいと思います。
①4か月、この「社会思想と現代」という授業を受けて、ふたつの立場からものを考えることができるようになったと思います。ふたつの事柄を対比して、どちらが優れているかを考え、意見を述べることで、視野が広がったように思います。また、自分の意見を形にして述べる場があまりないため、いい機会になったと思います。難しい言葉も、先生のわかりやすい例ですんなりと頭に入り、小論文も徐々に形になっていったと思います。
②私は、すべての学部がこの授業を履修できないのは、おかしいと思います。この授業で
社会の規範や、世界には格差があることを学びました。この授業の小論文には正解はなく、個人の考え方がとても大切です。社会を見つめなおし、自分の意見を持つことが大切だと思います。なので、社会思想系の授業は全学部全学年が履修可にした方がいいと思います。
①この授業では書くことが苦手であった私に自分の意見をしっかりと主張する力を養うことができた。
②4年生まで履修できたほうがいいと思う。
①社会思想と現代の講義を受ける以前に比べて文章を書く力がついたと思う。今後文章を書く機会が多いと思うのでこの講義はとてもよいと思う。
②この講義は3年以降も受けれらるようにしたほうが良いと思う。文章を書く力はいつでも必要なので文章を書く力がつくこの講義は受けたほうが良いと思う。
①講義開始時には、2週に1度小論文を書くということに抵抗があったが、回数を重ねるごとに文章を書く力が付き、最後の小論文ではすらすらと多くの文を書くことができた。この講義により、文章力が確実に身についたと感じる。
②3,4年生も履修可能にするべきである。この講義では確実に文章を書く技術が身に付くため、就職活動の際に大きな自信につながると思う。
①私は1~2年生しか「社会思想と現代」の授業を受けることができないと知り、1年次にこの授業を受けることに決めた。授業内容の倫理的な内容に惹かれてこの授業をとったが、この授業を実際受けてみると、文章を書く力をもっていない1年生や就職で面談を控えた3年生に向いているのではないかと思った。なぜなら、2週に1回は小論文を書くため、文章力がつくし、毎回の授業で、社会思想に対して自分が考える立場を明確にしなければならないため、この授業は、自分の意見を持たなければならない就活生の役に立つのではないかと思った。
①内容は重いものが多いものの、その分興味をひくものも多くやりがいを感じながら講義を受けてました。小論文は、いまだに書くことに行き詰まりわけのわからないことを書いてしまうことが多々ありました。全体の印象としては、私は自由主義者であるなということです。このような自由主義と社会主義の対立は続くと思うので、今後も注目していきたいと思う。
②変更することにとくに問題はないと思います。
①私はこの講義はとても楽しかったし、自分のためになったと思った。社会の問題について考えることは前からあった。しかし、それよりもっと深く考えて論じることによって何が大切なのかを明確に判断できた気がする。ぼんやりした考えより深く理解が進んだので良かった。
②社会思想と現代は、他人に惑わされずに自分で考えをまとめることを学ぶ講義である。近年、社会人になりたての若い人たちは、自分の考えを持つことができず壊れてしまう人が多い気がする。そういう人たちが社会に出てしまう前にこの講義で考え方を学んだ方がいいのではないかと思う。つまり、もっと多くの人がこの講義を選択することができても良いと思った。
①この授業を選択する前は書くことに苦手意識を持っていたが、この授業が終わる頃には書くことが楽しくなりました。
②3年生になっても書くことが苦手な人はいると思う、3年生になってこの授業の存在に気づいても授業を選択できないということは残念なことだ。
①僕は正直なところ、取ろうと思っていた授業の抽選に外れ、空いている単位を補うためにこの授業を受けました。最初は全く興味もなく、ノートを書いていればよい授業だと思っていました。しかし授業を受けていくにつれて、自分が取っている授業の中で一番聞いていても飽きない、学んでいるという実感がある授業となっていました。自分でもその転機はわかりません。この授業ではいろいろなことについて学びました。また、多くの人の意見を聞くことができました。いろいろな人の意見を聞くことによって多くの考え方を学びました。その意見に対する先生の説明もわかりやすく、先生の意見も聞いていて本当に面白かったです。
この授業を受けて本当に良かったです。ためになるというよりも、授業が本当に楽しかったです。後輩、同期にもこのような授業があるけど良いと思うよ、とお勧めしたいと思います。ありがとうございました。
②単純に理由がよくわかりません。3年生になって先生の授業を知って受けてみたいと思っても無理、おかしいのではないかと思います。先生の授業は日本の大学でもあまりない生徒が参加できる授業。そのような授業を受けることができないシステムを作るのは、おかしいのではないかと思います。