2016年前期 文学部

 

①今まで深く考えたことがない論題が多く、最初は反対だったのに、講義を受けているうちに賛成になったりと、意見をまとめるのが大変でした。それだけ、自分は一面的にしか物事を考えてこなかったのだなと痛感しました。特に、「正義」をテーマとしたとき、正と善のどちらをより尊重すべきなのか難しかったです。正義か非正義かと聞かれたら、絶対正義の方が正しいに決まっていると思っていましたが、講義を受けて一概に断言できないと思いました。グローバル化が進む今、様々な人種や文化、宗教などが受け入れられるようになり、自国や自分だけの考えで過ごすのは危険に感じました。多面的に物事をとらえ、その上で、最善だと思われる選択をするべきだと感じました。

②どうして履修できるのが12年生に限られてしまったのかわかりませんが、私はこの講義で、改めて自分の考えを知ることができたので、履修できないのは辛いなと思います。代わりに他の科目で補ったり、優先すべきことがあるのならば、仕方ないとも思いました。今まで取れていた科目がなぜ、取れなくなってしまったのかは疑問です。学年関係なく、考えが求められる科目なので、元に戻しても問題はないと思いました。

 

 

①松井先生の授業は確かに半端な気持ち受けれる講義ではありません。毎回当てられたらどうしようと焦る気持ちになる授業ですが履修できてよかったと思っています。普段考えないことを集中して考えられるので金曜の二限で成長できたなと実感することができました。高校生の時、政治経済という授業を受けていましたが実際興味も全く無く、受けていても意味がよくわからなかったのでテスト勉強ですらあまりやりませんでした。しかしこの授業は参加型の授業なので嫌でもその問題について考えさせられます。この授業体制が私に合っていただけなのかもしれませんが高校の時とは比べられないくらい知識が増えました。意味を間違えて覚えていた言葉もあったし、初めて知ることばも多く、なかなか興味深かった講義がたくさんあります。だから改めて知れてよかったと思っています。

②この講義を履修できるのが一,二年だけというのはもったいないです。選挙権が一八歳に引き下げられた今社会のことにもっと目をむけるべきだというのは言わなくてもわかることです。しかし、そういうことは一人で考えるには難しくなかなか理解することもできません。それがこの授業だと頭にちゃんと入ってきます。いつ先生にあてられるのか分からないのでそれが逆に集中力を高めていたのだと思いますが、この講義を一緒にとっている友達とも毎回の授業について話したりしました。それで余計に理解が深まったのもあります。

 

 

①今回この授業を受けて、自分の考えを見直す機会になりました。今までこの授業を受けるまでなんとなくしか考えていなかったことを深く考え、自分は何を考えているのか、どっちに意見に賛成なのかを考えました。自分のことなのに、よくわからなかったり、あいまいな答えしかでなかったりと、自分ってなんなんだろうと思うことがたくさんありました。しかし、今なら自分はどちらの意見に賛成である・反対であるとはっきり言えると思います。自分の考えをはっきりと出せるようになる良い授業でした。ありがとうございました。

②この授業が1~2年生しか受けられないと聞いて、私は反対です。なぜならこの授業を受けると自分の考えをはっきりさせることができるからです。だから、私は年齢、学部関係なくこの授業をぜひ受けてほしいなと思いました。

 

 

①社会思想と現代の授業は、ひとつのテーマについて様々な意見や見解から自分の意見を決めるというスタイルで、とても充実した、そして一番ためになるなと感じた授業でした。

自分の意見文を書くのはすこし辛いと感じることもありましたが、次第に馴れ、書くことがあまり苦にならなくなり、この授業を受けてよかったと感じます。

②この授業が、1,2年次しか受けられないというのは非常にもったいないと感じます。様々な事柄を考える、いいきっかけになりました。なので、ぜひたくさんの生徒が受けられればいいなと思います。

 

 

①小論文を書く、ということ自体あまりやったことがなく、とても苦戦しました。言いたいことがうまくまとまらない、どのような形式で書けばよいのかわからない、など本当にまったくうまく書けずに小論文の日が憂鬱でした。

しかし、回数を重ねるごとに少しずつですが自分なりの書き方というものつかめてきて、すべての講義を受け終わった、少しはうまく書けるようになったのではないか、と感じています。また、小論文を書くためには、書く前の「準備」が非常に重要である、ということを理解できたことが、この講義を受けての一番の収穫ではないかと思います。

何を伝えたいのか、そのように思う根拠は何か、どのような順番でそれらを書くと一番伝わりやすいのか。書き始める前にそれらのことをしっかりと考え、それから小論文を書くと勢いに乗ってうまく書けることが分かりました。

これからも小論文を書く際には、この講義で身に着けたことを出し切れるように一つ一つ綿密に準備をして臨みたいと思います。ありがとうございました。

②私は、この決定について不満はありません。なぜなら三年次でとることができなくなる、ということは確かに選択の幅が狭まることなので残念ではありますが、12年生の間で履修することができるからです。一切取ることができない、というわけではなく、気になるのなら12年の間で履修すればよいので問題はないと思います。

 

 

①どの問題も考えてみると難しいものが多く、どちらか決めきれないとこも多かったりしたが、どれも1度は考えるべき問題だと思ったし、授業を受けたことによって価値観が変わったり定まったりして今の時期にこの講義が受けられてよかったし、小論文をたくさん書くいい経験にもなった。

②大学生活は4年あり考えも変わってきたりすると思うので1,2年だけしか受けることが出来ないのはもったいないと思うのでいつでも受講できるほうがいいと思います。

 

 

①私は、社会思想と現代の講義を通して、毎回自分の考えを大切にすることができたし、自分はどんな考えを持っているのかということを知るきっかけにもなったと思います。二回に一回小論文を書くことで、きちんと自分の考えを整理し、まとめることを意識することができてよかったと思います。

②三年生から就職活動が始まり、自分の考えを大切にするべきタイミングなのに、三年生以上からこの講義が履修できなくなってしまうのは少しもったいないのではないか、と感じます。

 

 

①私は、少し社会系のことを学びたいと思っていたので、初めは「社会思想と現代」という科目名を見て、あまりシラバスなども読まずに、この科目をとりました。なので、実際に授業を受けてみてから、2週毎に小論文を書くことや先生に1人ずつ質問されることなどを知り、私は、小論文を書くことや授業中に発言することが苦手だったので、とても不安でした。ですが、徐々に、質問にも答えられるようになり、小論文も、まだまだ苦手ですが、自分なりに前よりもスムーズに書くことができるようになりました。そして、小論文や発言することなどは、この授業に限らず、他の授業にも活かすことができるため、この科目をとって、とても良かったと思っています。

②私は、3年生以上が履修できなくなったのは、とても残念なことだと思いました。この授業では、社会というものを様々な観点からとらえることができ、それを、小論文で自分の言葉で説明し、述べることによって、より理解を深めることができるようになります。これらのことは、社会人になっても必要なことなので、34年生になっても、受けることができたら良かったと思いました。

 

 

①唯一、小論文を多く書く機会のある科目だったため、非常に良い機会となりました。ただ、どちらかの選択肢しか選べないというのは、困る部分もありました。こっち派だけど、こういう場合の時はもう一方のが良いと思った場合でも、意見を変えることが出来なかったため、時と場合によって選択肢を変えられることが出来ればもっと良かったかな、とも思いました。

②反対します。高い授業料を出して大学に通っているわけですし、大学生でこそ、いろいろなことを学ぶ最後のチャンスなのに、せっかくの機会が奪ってしまっていると思います。

 

 

①講義に出るのが楽しかった。聞いていて為になった。最初に始めた時より文章能力が上がった気がする。

②不公平である。全学年、全学部受けさせてほしい。

 

 

①私は英語英文学科に所属しているため、授業において自分の意見を述べるという機会があまりない。したがってこの授業の初回を受講した際、自分の意見を述べるのが苦手な私にとって正直苦痛を感じる部分もあった。しかしこの授業で取り扱われてテーマは、あまり難しくなく、誰でも簡単に考えることができるようなテーマばかりであった。一番最初に幸福について扱ったときは自分が幸福について主観的であるか客観的であるか考えるだけであったので、自分の立場になって考えることができた。授業において自分の意見を述べることが少ないので、この授業で毎回自分の見解を小論文としてまとめるということはとてもためになったと思う。現代の日本のあり方や人間がどうあるべきか、この授業でしか考えることができないようなテーマばかりだったので、改めてそれらを考えることで自分はどのような意見を持っているのか知ることができた。

②専修大学のシステムが変わり、この授業を受講することができない生徒が出てくることは非常に残念に思っている。私みたいに自分の意見を述べることがあまり得意ではない人にとってこの授業は、見解を小論文にまとめるだけなので、自分の意見を筋道を立てて述べることができる。したがってとてもためになる授業だと思う。文学部は1、2年次は受講できるが3年次からは受講できなくなるそうだ。できれば就職活動が始まる3年次も受講できた方が、自分の意見を述べるということに慣れることができるため良いと思う。他人に勧めたいくらいこの授業を受講して本当に良かったと私は思う。

 

 

①私はこの講義を受講して、初めは今までにない講義スタイルで慣れず、戸惑いました。90分間、自分はどちらの意見が優れていると思うのか、そしていつ指されるかわからない状態で、常に緊張感がありました。ですがこれらはすべて今の時代に当てはまる事柄なので、身近に感じることが出来ました。小論文も書いたことがなく、不安でしたが自分の考えを表現する機会がほかの講義には無かったので、とてもいい経験になりました。

②広い教室で行われるとはいえ、受講できる学年が狭くなってしまうのは勿体ないことだなと思いました。もっとこの講義を受けて現実社会について考える学生が増えればいいと思ったのですが、それがこのことによって実現できないのは残念です。

 

 

①最初に選択したときはすごい大変そうな授業だなあと思っていました。でも、携帯を出したら単位なくなるとかすごい真剣な感じがあって、扱っている題材もすごい考えさせれる現代の社会問題が多くてどっちに賛成するかとかすごい迷うこともあったけど、自分の意見をたくさん述べる機会があってよかったです。友達や家族とその題材に関して話し合ったりすることもあって、大切な時間だと思いました。いろんな題材を学べてよかったです。貴重な授業ありがとうございました。

②人文・社会系の教養科目は3年生でも受けていいと思います。逆になんで3年生はだめになったのかわかりません。1年生でも3年生でも同じ科目を勉強していいと思います。

 

 

①とても有意義でした。初めは一つの議題に関する複数の主義主張を扱うことを難しく考えていましたが、回を追うごとに筋が通っているということはどういう状態なのかを知り、頭の中で整理することができるようになりました。講義で扱った考え方は「自由主義の自由論」「社会主義の自由論」といった堅苦しい呼ばれ方をしていましたが、正解のない論争は日常生活で起こりうるものなので、日々の意見のぶつかり合いに応用できる部分は多いと感じました。

この科目の講義のスタイルがとても好きなので、今年度の後期の科目を履修することができないことが非常に残念です。パソコンを使ったやり取りで何でもできるようになった中で、2週間に一度、数十分間集中して考えを紙に書く機会があることは大変ありがたかったです。

②私はこれに対して否定的です。4年次の時の時間割は必要な科目だけにして軽くしたい、あるいは実際にそうなるように組んだという声をよく聞くので、支障が出る人はあまりと思います。しかし、どのフィールドの教養科目も適切な習得時期の物差しがあるわけではないですし、私のように語学に重きを置く学生にとっては、教養があればあるほど密度の濃い言語習得ができる確率が上がるので、機会があるほうがありがたいです。実際に履修する人数が少なくても、全学年の学生が受講できる可能性を残してほしいと思います。

 

 

①この授業では小論文を書く機会が多くあったので、文章を書くことに少しずつ慣れていくことができたので良かったです。このように自分の意見をたくさん書いていくという授業はとてもためになりました。他の授業にはない形の授業ではじめの時よりは力がついたと思います。

3年になっても人文・社会系の教養科目を履修できるようにしてほしいです。とてもためになる授業だと思うので、12年に限らずに履修できるようにしてほしいと思います。

 

 

①わたしは、この授業を先輩に薦められてとりました。はじめはなんでこの授業を取ってしまったのかと考えましたが、今思うと取ってよかったと思います。二回に一回の小論文も、とてもためになりました。苦手な国語系なことであるのに、評価が高くうれしかったです。

議題もはじめは難しかったですが、回を重ねるごとに親しみが持てるようになりました。今回この授業をとってよかったと思いました。

②受けて損はない授業であるので、1~2年次と制限をかけるべきではないと思う。ですが、就活をしてる人から見たら、二週に一回の小論文は大変かもしれない。

 

 

① この授業では、2回の授業に1回小論文を書く決まりがあって、一回一回の授業を集中して聞こうという姿勢が自分では作れたと思う。最初はとても厳しい授業になると思っていて、実際に論文を書くとなるとやはり難しく、他の授業と比べても、難しさではかなり上位の方だと思っていた。しかし、授業を重ねるにつれて、だんだんと書き慣れていった気がする。また、今までに考えたこともなかったことが学べたので、最終的には、自分がとった授業の中ではやりがいのある授業になったと思う。

②この授業は、また受けたいと思っているので、2年生までしかできないことはとても残念に思う。他の授業よりもこれからに役立つようなことを学べている気がしたので、是非4年生まで全員がとれるようにしてほしいと思う。

 

 

①考える機会を作ろうとしているのがよく感じられた。なので、楽しめた。松井教授をいかにして言い負かそうかと常に考えていたことが結果的に自分で授業に関する理解を深めることにつながった。もともと文章を書くことに関しては慣れていたのでそんなに苦労せずに小論文をかけた。自分の意見を書くことの楽しさや爽快感を感じることができたのもいい経験になった。

②もっと開かれているべきだと感じる。自分の興味関心をもった分野の研究ができる場が大学であるべきだ。在学中にほかの分野に興味を持つ場合もあるわけでもしかしたら3年次に興味の分野が変わるかもしれない。その時興味分野の門が閉じているのは大学という場にそぐわない。

 

 

①「社会思想と現代」の講義を受けたことは、普段意識していなかった自分を取り巻く社会のことについて深く考える良い機会となりました。幸福、正義、自由といった、今まで曖昧な意味合いで捉えていた言葉の中身や、主義を異にする人々の意見、考え方を知り、その利点と欠点について学ぶ機会は中々得られるものではないので、とても貴重な経験になりました。またその意見に対する自分の主張、賛成したい主義を考えて理由を文章に起こすことはとても難しかったのですが、その分やりがいがあり、自分のなかで新たな考え方を発見することができました。ありがとうございました。

②教養科目は一・二年で必要な単位分は履修し終えてしまう人が多いとは思いますが、授業料も払っていますし授業の選択肢が狭まってしまうのは困ります。また興味はあったけど評判を聞いてから履修してみたい、単位の上限を超えてしまうから諦めた、という講義もいくつかあります。やはり講義に年数制限はあってほしくないと思っています。

 

 

①社会思想と現代の授業で学んだことによって、日々の生活の自らの価値観を明確にすることができた。また自らの考えを文章にするのは難しく、初めはとても苦労したが授業回数を重ねる度に少しずつ筋道をたてた小論文が書けるようになった。この授業で学んだことはこれからの人生で自分の考えを支えてくれると思うし、この授業で鍛えた文章力はこれからの自らの考えをまとめたり発表したりする機会に生かされるはずだ。

②社会思想と現代の授業で学んだことは自分の価値観の基盤になるし、私は履修して良かったと感じているので履修機械が少なくなるのは反対である。これから先このような学問を学ぶ機会はなかなかないし、社会にでて様々な立場や考えをもつ人とかかわるようになる前に今、大学生活のうちに学んでおくことが重要だと考えている。

 

 

①この授業を受けるまで私は自由や幸福について考えさえしたことありませんでした。この授業を受けるにつれて知れたことは人それぞれ考えが違うんだなということである。そして人の意見や説明一つで自分の意見や考えは簡単に変わってしまうんだなということである。単刀直入に述べるととてもタメになった授業だった。私は文学部なのであまりこういうことを勉強するつもりではなかったし、二回に一回テストがあるというほかの強化に比べると非常に大変だった授業だが履修して後悔は全くない授業だった。後期も楽しみである。

②なぜ授業改革をしたのかわからないというのがはっきり言って私が感じた感想である。改革というのはいい方向にもっていくべきことなのに全く持って反対のことをしているように思われる。友達の話を聞いて、来年この授業を受けようと思っていた学生もいたはずです。それなのに改革によって受けられなくなったというはあまりにもひどいことではないかと感じた。この科目だけではなくほかの授業でもこのような改革はなくなってほしい。

 

 

①この講義では、次の3つのことを学ぶことができました。1つ目は、人々による様々な思想の比較の仕方です。まず1つずつの思想をそれぞれ見ていくのではなく、様々な思想を大きく23つの項目に分けます。次にいくつか例題を挙げて、先ほど分けた項目ごとに例題をどう捉えるのかを考えます。そしてそれらの項目の中で、自分は主にどの意見を良いと思ったかを決めます。この明解な思想の比較は、自分の意見をとてもわかりやすく示すことができます。ですから先生が授業で行ったような単元以外にも会議や、喧嘩をしてしまって仲直りをしたいときなどにも生かすことができると思います。2つ目は、何も見ずに自分の意見を述べる力です。この講義ではそうしないと小論文が書けないため、授業を行えば行うほど、その力が自動的かつ着実に付いていきました。この講義と同じように、日常生活でも何も見ずに自分の意見を述べなくてはいけないことがあります。日常生活では例えば、何を買うか、どこに出かけるか、何を食べたいか、予定をどう立てるかなどです。ですから、この力がついていれば、日常生活でも得をします。3つ目は、世界へ視野を広げることです。単元ごとの先生のお話では、身近な日常生活の例を扱った後に日本全体の例を扱い、最後に世界全体の例が用いられていました。ですから私は、世界の状況をよく考えることができるようになったと思います。

②私が①で申したようにこの講義では、日常生活に生かすことができることを学べて、さらに考えの視野を広げることができます。それらは、大学12年生だけでなく3年生以上の学年の方々が学ぶのにも良い内容だと思います。ですから、この講義を大学12年生だけしか受講することができないのは、大変もったいないことだといえます。また、3年生以上になると就職活動をし始める方々が増えますが、この講義はそういう方々にも受講してもらうべきだと思います。なぜなら、この講義で学んだこととして私がで申した、「人々による様々な思想の比較の仕方」と「何も見ずに自分の意見を述べる力」と「世界へ視野を広げること」は、就職活動の際や就職したときにこそ必要になるからです。以上の理由から、私はこの講義を大学12年生だけでなく3年生以上の学年の方々にも学べるようにすべきだと思います。

 

 

①一番初めは、こんなに文章を書くなんて絶対に無理だと思いました。でも、講義で何度も書いていくうちに文章を書くのにも慣れてきて、あまり苦に感じなくなってきました。

始めは苦労するだろうけど、必ず力はつく講義だと思います。

②私は個人的には、全学年が講義を受けられるようにするべきだと思います。生徒の可能性の幅が広がってより充実した学習になると思います。

 

 

①論理的思考やそれを文章にして人に伝えることがとても苦手だったのですが、今回の講義を受けて少し出来るようになったと感じています。社会システムや自由主義について考えたことがなかったので、自分が自由主義者だということに気付けたのも新しい発見でした。

②教養科目改革と聞こえがいい名称であるが、学生の自由を奪っていると思う。学生時代に自分の興味や関心が変わることはよくあることなのに、履修できる学年を制御するのはおかしいと思う。これでは何のためにたくさんの授業が開講されているのかわからない。文学部内でも、平成○年度入学の学生は文学部他学科のいくつかの授業の履修が禁止されるという問題が発生している。カリキュラムの穴としか思えない。改革というならしっかりと確認をしてから決定すべきだ。同じ学部内ですらこのように意味不明な制限がかけられており、大学として他の学校に完全に劣っていると思う。

 

 

①この授業はどのようなことをやるのか最初の方はよくわからなかったし、難しい単語がかなり出てきて不安だったけど、先生の話を聞いているうちに、自分が持っていた意見を変えることがあったので本当に面白いと思った。初めの方の議題は考えやすく、最後の方の「共同体」等は難しいかと思ったが、話を聞いてるうちに理解し、文章をスムーズに書けた。始めは、考えやすい内容とは言っても、自分の意見をうまくまとめることができず、苦戦した。しかも、授業であげたキーワードを3つ書かなきゃならなかったので始めのうちは本当に大変だった。しかしだんだん慣れてきて、始めは少しプレッシャーだったこの小論文のテストも、難しい内容になっても自分の意見をうまくまとめることができるようになった。そういう観点から見ても、授業で、自分の意見をまとめて書く、というこれからに人生に必要なスキルが上がったと思う。全体的に自分にとっては全てが興味のある内容だった。この授業を取るまでは「自由」にしてもそうだし、「正義」にしてもそうだけれど、そんなに深く考える機会がなかった。だけど2つ、あるいは3つの立場から客観的に見ることができ、2つまたは3つの違う立場から見てみるとこんなにも意見が違うことがあるのか、と驚いた。

②自分は、高校の時に、大学を選ぶ際に重要視していたことはやりたいことができる大学に行くということだった。私はまさに、人文・社会系の勉強ができる大学に進学を希望した。人文社会系の勉強がしたかったからだ。第一志望の大学には行けずに専修大学に進学したが、進学先でも勉強できると思った。だから、人文・社会系の科目を中心に履修をした。だが、このような先生たちの都合により、制限がかかるということには私は納得がいかない。こういう規制がかかることによって、まだ1年生の私は良いが、3年生以上の人は少し納得がいかないのではないのかと思う。自分が3年生になった時にこのような規制がかかったら、納得いかない。

 

 

①前期、この授業を受けて多くのことを学び、成長できました。はじめ、ガイダンス授業を受けたときとても厳しくて大変そうだなと思いましたが、授業が始まると決して緩くはなかったけれど先生は面白く、内容も将来役立つ、大学の授業としては珍しいものだったので、とても有意義な時間でした。この授業を思い出して社会に目を向けていけたらいいなと思います。

②この社会思想と現代の授業のとれる人が限られてしまうと聞きましたが、私は反対です。

なぜ限られることになってしまうのかは知りませんが、こんなに自分で考えることは大学ではほぼなく、その貴重な時間をなくさないでほしいです。また、日本のことを考えるうえで大切なことを教えてくれるこの授業をたくさんの人に受けてもらいたいです。

 

 

①単刀直入に言うと、この授業は考えさせられる授業だった。他の授業と比べ物にならないほど頭を使ったし、それに見合った対価も得られた。同じくこの授業を履修していた友達はこの授業がつらいと言っていたが、自分は全然そんなことはなく、むしろ楽しいくらいであった。前期、この授業が一番タメになったので履修してよかった。

②なぜそのような措置をとったのか、そもそもの理由が分からない。ましてや、一年生は必修選択が多く、取りたくても取れない授業が多いにもかかわらず、あえてこのような措置を行う意味がるようには思えない。改革というよりは、退化と名乗ったほうが良いのではないだろうか。

私はこのことについて断固として反対である。

 

 

①興味本位でこの授業をとりましたが、限られた時間で小論文を書く事がこれほどまでに辛いとは思いませんでした。自分の言葉で文を書こうと思っても中々思い通りに言葉が出てこなくて、初めて書いた時には指定された行すら書けない自分に歯がゆさを覚えました。しかし、先生が取り上げるテーマはどれも賛否両論のでるような興味深いテーマで、授業を受けているうちに考えが変わったり、今までの自分の考え方に疑問点が生まれたりと面白い体験が出来ました。この半年で学んだ事はこれから先でも考える機会が来るかもしれません。その時にはこの授業で得たものを振り返り、役立てていければと思います。わずか半年間でしたが、ありがとうございました。

②間違っていると思います。そもそも教養科目は学部、学年を問わず、幅広い分野を学べるためにあるはずであって、それはたとえ3年以上であっても同じ事が言えるのではないでしょうか。

 

 

①自分の意見を言葉にする、という過程は楽しかったが、もう少し先生本人の意見や、他の人の意見も聞いてみたい、と思いました。授業では、質問は授業の中だけでしか行うことができず、せっかくいろいろ、課題の問題について考えてみたとしても、それを十分ほかの意見と比較して相対化することができませんでした。小論文の中で、先生が面白いと思ったものを、それぞれ逆の立場から1つか2つほどスキャンして配れば、もっと意義のある授業になるのではないかと思いました。それか、その問題に対する先生個人の解答でもかまいません。今の授業は、あくまで自分の意見を文章にする講義でしかなく、一方通行でもったいないと思います。あと、アシスタントの方が、授業の流れに沿わず、キーワードを書き込むのが極端に遅かったり早かったりして非常にやりづらかったです。あれならアシスタントは要らないのではないでしょうか?

②自分の学科の最低必要単位を満たした上での話ですが、自分の取りたい講義を自由にとれない、というのは大学の存在意義から大きく外れていると思います。教養科目は誰でも、どの年次でも履修できるようにするべきです。

 

 

①毎回授業に来ることが本当に楽しかった。たくさんの思想を知り、自分の考えはどの主義と近いのかということを知れたり、今までの自分の価値観を否定されたり、途に書き面白かった。考えることが好きなので、拙いながらもたくさんの問題について考えることができて楽しかった。

②教養科目が履修できなくなるものがあるということが残念である。大学に入る際に自分が一番学びたい、興味があると思った分野の学部に入ったが、そのほかにも興味のあるものはたくさんある。教養科目で自由に科目が選べることが楽しみであったので選択肢が勝手に、強制的に狭められ、学ぶ機会が減るということは誠に遺憾である。

 

 

①この講義は、今まで深く考えていなかったことについて、詳しく解説してくれて、非常に面白いと感じた。毎回の小論文は少々難しかったが、この講義を受けてよかったと思う。

②一般教養科目が1,2年生のみ受講可能となったことについては、あまり快く思っていない。全学年で受講可能とした方が、受講計画も立てやすいし、受講できる講義も多くなるので、その分多くの教養が身につくと思う。むしろ、受講可能な学年を限定することのメリットが思いつかない。学ぶための場で、生徒から学ぶ機会を奪ってしまうのは本末転倒ではないだろうか。

 

 

①私は哲学科に所属しているので、普段から物事を考えたり自分の意見を言葉にすることはよくありますが、この授業で扱ったような内容(民主主義や自由主義など)について触れることはあまりなかったため、思考の幅を広げるきっかけとなりました。授業自体も面白かったので、取って良かったです。

②私は学年、学部関係なしに履修出来た方が良いと思います。そもそも大学は自分の興味のある分野についてお金を払って学びに来る場であると思っているので、大学側がその機会を減らすことはおかしいと思います。この学部だからこの勉強は出来ない、する必要がないなどということがあってはならないですし、それは大学側が勝手に判断することではなく、学生側が判断するべきことだと思います。

 

 

①はじめ、2回に1度小論文が出ると聞いてかなり厳しいと感じた。講義中の電子機器の使用も全面禁止というのも厳し過ぎると感じた。しかし今思うと、何度も小論文を書くことによって苦手意識を薄めることが出来たし、スマホなどの禁止もそうすることによって講義に集中することができた。とても得るものが多かったと感じる。講義もさまざまな立場からの議論形式で一方の視点に偏らずに多面的な考えに触れることができた。そうすることで一方の主張の欠点などに気づきやすかったと思う。

②教養科目改革については違和感を覚える。本来大学は学びたいことを学ぶところであるはずだ。それなのに、その機会すら与えないのはおかしいと感じる。

 

 

①毎回、テーマごとに違う思想を持つ人たち同士が意見を戦わせて、互いの論理を高めあおうとしている会話は興味深かった。両方が話のどこに焦点を合わせているのか、見ることが出来た。

二週に一回書く小論文は正直言って難しかった。学んだことを自分の中でしっかり消化できていないせいか考えがまとまらず、自分の意見といえるものではない気がしてあまり自信がなかった。ただ、書くスピードや論理的思考力は鍛えられたので良かったと思う。

②本講義を三年生や四年生を受けさせないというのはあまり意味がなく、むしろ学習の機会を奪っているのではないかと感じた。社会人を間近に控えた上級生には必要な授業であるように思う。