2016年前期 商学部

 

①この科目をとったことにより、文章を自分の力で書くことの大切さ、難しさを改めて実感しました。そして社会システムについて多くを学ぶことができました。これを学んだことにより、今までにない物の見方、考えを生み出すことができるようになったと思います。携帯禁止はすごくいいことだと思いました。それによって他の科目よりも生徒が集中して話を聞いていると感じました。勉強かつ、文章力の大切さを学びました。ありがとうございました。

②この授業は他の授業にはないものを多く学ぶことができます。大学に入学してから一番ためになる授業といっても過言ではないです。実際、授業中の生徒の会話で難しいけれど履修してよかったという声を聞きます。なぜこんなにも良い科目を履修することができなくなってしまうのかは理解に苦しみます。

 

 

①すべての講義を通して非常に関心の高い内容であった。どの内容も自身の価値観と身近に存在していることで、「○○と考えることには××という意味がある」といったように、自身の価値観に影響を与える内容が多かった。とくに幸福の講義が身近であり、印象に残っている。講義の行い方も私語や携帯電話を排他してくださったおかげで、良い環境で講義を受けることができてよかった。

②カリキュラム変更によってこのような事態になっていることを知らなかったので、非常に驚いている。本授業は①で述べた通りとても関心の高い内容を講義してくれていたため、これを私の後輩が受講できない現状は非常に心苦しく思う。本講義に限ったことではないが、知識を得る場所を制限することは無意味だと私は考える。現体制が改善されることを祈っている。

 

 

①講義の特色で書かれていたように、テーマについて理解し、しっかりと考え、またその考えをまとめて文章で書き表すということは、最初は辛く、また難しく感じました。しかし、先生が丁寧に説明してくださり、回数を重ねていくごとに自分がどのような考え方を大切にしているのか整理しやすくなっていき、文章で書き表すことに抵抗はなくなり、逆に楽しみを感じるようになっていきました。それは、講義中に先生が学生からのコメントを聞いて回るといったところで、主体的に参加しようという気持ちになりましたし、各テーマに対して2回分の授業が割り当てられており、理解に時間をかけるといったことができるようになっていたからだと思います。

 普段はなかなか考える機会のないテーマや思想に触れられたことで自分の世界が少し広がったように感じています。この講義を受講することができ良かったです。ありがとうございました。

②この決定は、専修大学が21世紀ビジョンに据える「社会知性の開発」に反していると思います。学ぶことのできる領域を狭めているのは私はよくないことであると感じますし、まして「社会知性の開発」を掲げるのであれば、社会思想と現代を外すのは理に適っていないと感じます。

 

 

①社会思想というような分野のものを今までに学んだことがなく、なんとなくとってみた授業でしたが、授業に参加していてとても興味深く楽しく学ぶことが出来ました。考え方は人によって異なるということもこの授業を通じて改めて実感することが出来ました。ありがとうございました。

②私は社会思想の授業を履修できなくなることに反対です。教養科目の単位取得のためにとった授業でしたが、実際授業を受けてみて非常に関心が高いものであり、受講して良かったと思っています。私のように受講して初めて面白さに気付く学生も沢山いると思うので、実際に受講するチャンスを失くしてしまう必要はないと思います。

 

 

①本講義では、自分の意見や考えを文章にまとめるという普段やり慣れていないことをやり、とても自分のためになったと思います。その考えるトピックもとても考えさせられるもので、興味を持って取り組むことができました。

②一般教養こそ大切なのに、それを選択するのを制限するとは何事ですか。血迷ったとしか言いようがないですね。

 

 

①この授業で様々な思想、考えがわかり社会の考えは様々だと思いました。

②興味深いので、みんなが取れたほうがいいと思います。

 

 

①去年の後期に社会思想202を受講しており、そちらと授業の進め方は同じだったので取り上げる各テーマが異なっていても内容が頭に入りやすかった。また2回の授業で1つのテーマを取り上げるという形式も区切りがよいと改めて感じた。

②教養科目というのは教養という言葉通り、所属学部にとらわれず自由に自分で授業を選択し広く教養を身に付けるためのものというイメージを持っているので、この急進的な科目改革には反対である。改革後の詳しいカリキュラムは知らないが、14年度以降の入学者は授業選択の幅がかなり狭められているのではないかと思う。

 

 

①前期の14回の講義を受講して、普段自分が何気なく生活している中の幸福や自由など、身近な課題が取り上げられており、自分の人生観を見直すいい機会になった。

先生のはっきりと言葉を濁さないところも良かった。

②なぜそのような制度を取り入れたか理由はわからないが、授業を決めるのは最終的に生徒であるのだから、除外する必要はないと考える。むしろ、選択の幅を狭くしていて、他の学部の教養であっても受講したいという生徒は、必ずいるのだから以前の制度に戻したほうが良いと思う。

 

 

①私はこの社会思想201という講義を受け、社会がどういうありかたであるべきか、人としてどうあるべきなのかいうことを、とてもよく考えさせられる楽しい授業だと感じました。またその中で、普段自分の思いといものを発信する機会は少ない中、講義を聞いて、実際に自分自身の考え方をふまえ、発信するということが楽しく、また、とてもためになる授業であったと感じました。

②学部学科関係なく、人が考えてそれを発信するという面でも、とても力になる授業だと思うので、履修することをできなくさせる必要はないと思いました。 

 

 

①毎回のテーマがそれぞれとても興味深いものだった。抽象的なテーマに対して自らの考えを言語化するのは大変だったが、とても面白かった。

②大反対である。大学は知識や教養について幅広く学ぶことができる場所であるべきだと思う。しかし教養科目を指定されるということは、学生の知的好奇心や教養の幅を狭めてしまうことになるのではないか。実際私自身、この社会思想201を履修することで日常生活の中ではあまり考えることがないテーマについて深く考察する機会を得ることができた。大学生活は知識を得るということ以上に、「自分は何者か」「何をすべきか」と自己と見つめあえる大切な期間だと思う。それを大学側の都合で意義深い授業と出会えるチャンスを失うことはつまらないことだ。後輩たちには自分の興味や好奇心のもと自由に履修できる機会を与えてあげてほしい。

 

 

①初めは同じ留学生の友達に先生の授業をお勧めしてもらいましたがガイダンスを聞いて本当厳しい授業だと考えました。その理由は留学生の私にとっては授業の内で700字以上に小論文を2週間ごとに書くことは難しいだと考えたからである。しかし、授業を受けて考えが変わりました。先生の授業をちゃんと聞いたらできるはずだと考えました。 特にプレゼンテーションを見ながら授業して、もっと適切に理解できました。また、先生が授業内で例を挙げて説明してくれて本当によかったです。それ結果、授業が終わる頃は先生の授業を履修することがいい選択だと思いました。また、前期の主題も全部面白かったので後期の授業も期待しています。前期の授業は学生人数も多かったため、本当にご苦労様でした。ありがとうございました。

②そして、私の個人的な意見ですが、3年生以上の学生たちがこれから先生の授業を履修することができなくなるのはおかしいだと思います。大学はいろいろな授業を自分が選択して聞くところだと思います。それで、この部分が高校生と違うことだと思います。では、学校でこの部分をいきなりに変わったら先生も学生も混乱だと考えます。私は先生の授業を聞いて良かったですが、私もお勧めもらったように後輩と友達に先生の授業をお勧めしたいです。とにかく、私は今年2月に軍隊を終わってすぐ復学しましたが、先生の授業によって2年間使わなかった日本語実力も増えた気分があるから本当に良かったと思います。前期の授業に対して、本当にありがとうございました。

 

 

①私は先生に失礼ながら、授業の評価をすると、すごくよい授業であったと思う。学生、特に哲学を学ぶ学生ではなければ、ここまでのテーマを自分で考えることはめったないことだと思う。それを先生は色々の視点からテーマを提供し、話を進ませてくれている。騒ぐ学生を初めからなくしたし、授業にみんなが参加できるようにがんばってくれた。この充実している授業について、私が言えることはÕすごかったÕという表現しかない。

 

②ところで、来年から社会思想の授業を聞けなくなるという話が流れているが、商学部の人々が社会の理念、哲学について自ら考える人はほとんどないと思う。その人々にÕ考える力Õをつけてあげるのも専門みたいに重要だと思う。

この授業を学んだ学生としてはこの授業が来年も後輩たちが聞けるようになってほしい。

 

 

①私は松井先生の社会思想の授業を履修するのは二回目です。2年次に一度履修して、授業内容がおもしろくもう一度取りたいと思ったからです。文章を書くことは苦手ではないのと、哲学や倫理的なものなど深くまで考えることに興味があり社会思想という授業はぴったりでした。普段生活していてあまり深く考えないことをじっくり考える時間であるので個人的には楽しい授業でした。有難う御座いました。

②私はすべての生徒が履修できる環境であるべきだと思います。

上記しましたが、この授業では身の周りに溢れていたり、関連することで普段は深く考えないことを、じっくり考えて自分の思想を形にし、再確認することが出来る授業だと感じています。こういった力は自己や、企業、市場などを客観的に分析、考察する力につながると勝手ながら思っています。社会進出する上で、一つの視点だけでなく様々な観点で物事を客観的に考える力も必要だと感じています。この授業は身近で考えやすいものを題材にされているので、他の授業ではつかない部分の教養が身につくと思っています。

なので、この教養科目改革の擁護派ではありません。

 

 

①この授業は自分がどんなに自由に生活をしているのか、当たり前のことがいかに幸せなのか考えることができるいい時間でした。自分だけ良ければいいという考えではだめなこともあるし、客観的に幸せを定められてしまうのも嫌です。まだ21年の人生ですが色々な選択をして生活していたのだなと思えました。

②私はこの授業を受けることが出来てよかったと思っています。①で書いたように新しい思いや考えに出会えたからです。そのため後輩たちがこの授業を受けることが出来ないのは残念だなと感じます。私たちは多くの一般教養の授業を受けることができました。商学部なのに科学の授業を受けなくてはならないのはよくわかりません。ただこの授業は人生を見返す時間だったり将来をどう生きるか考えられるものです。そのため後輩たちにも受けさせてあげてほしいです。

 

 

①私は、就職活動や諸事情によりあまり授業には参加することが出来ませんでした。しかし、教授の授業に参加させて頂き民主主義や社会主義についての考察を触れることが出来、様々な意見に目を通すことで物事について深く考えようとする気持ちになるだけでなく、文章を書くことの拒否反応をなくすことに成功しました。教授の授業を受講させて頂いたお陰であると考えております。有難う御座いました。

 

 

①文字にすることで、自分が与えられた課題・問題についてどう考えているのかがわかった。

②元にもどすべき。理由は学生の講義選択の自由が大学に奪われるからだ。本来なら、受講でき、新しい知識を得られる機会を学生に何の知らせもなく実施したのはおかしい。この改革を機にまた一方的な講義操作なるものが行われる可能性もある。学生の知識・経験を与える場が大学の機能だと私は考える。今後、同じ様なことをするならば、まず実施しようとする側が現場にきて、アンケートや生の声を聴く。以上が今回施行された改革に対する私の意見である。

 

 

①社会思想201の授業を受けて、普段の生活では考えたこともなかった、自分自身どのような考えを持った人間なのかということを考えることが出来てとても面白く、充実した授業だった。

この授業を受けなければ自分がどういう考えを持っているのかというのを真剣には考えなかったと思う。

②また、新たな自分を発見できたと感じているので、来年からは商学部の学生は松井先生の社会思想201の授業を受けることが出来ないと聞いて残念に思う。

この授業を受けることで人間的にも成長することが出来ると思うので後輩たちにもぜひ講義を受けてほしいと思う。

 

 

①社会思想201の授業を受けての感想は説明が難しすぎず、適度に画像などを使っていてとても分かりやすくて勉強になりました。ありがとうございました。

②教養科目が履修できなくなるのは納得いかないです。商学部にも社会思想を学びたいと思っている人がたくさんいると思うので残念です。

 

 

①社会思想という松井先生の授業を受けて社会を形成するのに必要な考えを学びました。

人はみな自分が幸せになりたい、だけど自分だけという考えのみを持っていたら自分勝手な人間で溢れてしまう。私たちは社会に生きる人間なのでやはり人のことを考えることも必要なのだと学びました。

②これからに関しては先生に意見に賛成です。受けたい授業を受けるべきです。

 

 

①普段の生活のなかで起きる報道などは事実を伝えられるのみであり、そこに対し深く追求はしていかない。社会思想の授業ではそのひとつひとつを改めて考え直すきっかけとなりました。

②数々の思想間に生じる対立はまさに私たち学生が考えていかなければいけない課題であり、履修の制限をしてしまうにはもったいないくらいの授業でありました。

 

 

①道徳的な事を深く考えられる授業だったと思います。話が聞きやすいため、リラックスしながら聞き、また考えられる授業でした。

②私はこの授業が専門的科目ではなく、専門的な知識が身につかないからという理由で除外したのであれば強く反対します。先述した通り、確かに商学部に専門的な知識は学ぶ事はないと思います。しかし、今後社会に出ていく時にはこの様な道徳的な知識が必要だと考えるからです。専門的な知識のみで社会に出たらそれこそつまらない奴だと社会的に干されると思います。この授業の様に様々なジャンルの授業を学べる機会を失うのは惜しいと思います。

 

 

①前期の14回の講義を受講して、普段自分が何気なく生活している中の幸福や自由など、身近な課題が取り上げられており、自分の人生観を見直すいい機会になった。

先生のはっきりと言葉を濁さないところも良かった。

②なぜそのような制度を取り入れたか理由はわからないが、授業を決めるのは最終的に生徒であるのだから、除外する必要はないと考える。むしろ、選択の幅を狭くしていて、他の学部の教養であっても受講したいという生徒は、必ずいるのだから以前の制度に戻したほうが良いと思う。