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◆「学校への君が代斉唱・日の丸掲揚の強制を憂慮する会」とは?◆
近年、入学式や卒業式での君が代斉唱と日の丸掲揚を強制する動きがいっそう強まっています。私たちの会は、学校現場での教職員や生徒の思想の自由を奪うこうした圧力に反対し、君が代・日の丸の強制を廃止することを目標としています。そのために、この問題を歴史的な視点も含めて考え、その成果を広く市民の方々に公表し、また、強制に反対する個人やグループの活動に学び、連携を深めることを目指すものです。詳しくは下記の山田昭次の文章を御覧ください。
なお、このページにリンクして下さる際には御一報を頂ければ幸いです。
◆更新情報◆
・2006年5月○日:「学校への君が代斉唱・日の丸掲揚の強制を憂慮する会発足集会」(6月10日、土)の御案内を掲載しました。この集会をもって本会は正式に発足することとなります。
→詳細は“集会のご案内”をごらんください。
・2006年5月○日:このホームページを立ち上げました。
◆メールでの御連絡とお問い合わせ◆
準備中です。もう少々お待ちください。
◆ 山田昭次(呼びかけ人)「憂慮する会」発足に当たって ──目的と運動 ◆
(『たみがよ通信』第0号、2006年5月、より)
●敗戦時の思い出
私には敗戦時の忘れがたい思い出がある。敗戦色が濃くなった一九四五年3月頃から新聞に「本土決戦」の言葉がしばしば登場した。「本土決戦に成算あり」などとも書かれていたが、当時15歳だった私でもそれを信じられず、私は死ぬより仕方ないと諦めた。米軍に投降して自分の命を救おうなどということは全く考えつかなかった。今考えれば悔しいが、天皇のために命を投げ出せ、生きて虜囚の辱めを受けるなという天皇制の思想に飼いならされきっていたからである。これは当時の一般的な日本人の精神状況だった。敗戦時、サイパン島や沖縄、満州などの非戦闘員の日本人でも投降せず、集団自決を選んだ人びとが多かった。
●「形より整えて漸次精神に及ぼす」
東京都教育委員会教育長は二〇〇三年10月23日に都立の学校長に対して入学式・卒業式の際の日の丸掲揚・君が代斉唱の方式に関して、日の丸は会場の舞台壇上正面に掲揚すること、君が代斉唱は起立して日の丸に向かって行なうこと、教職員の服装は厳粛かつ清新な雰囲気の式にふさわしいものであることなどを命じた。一九八六年3月以降に繰り返された北九州市教委の通達や、二〇〇一年12月13日とその後の神奈川県教委の通知、二〇〇四年4月3日の大阪府教委の口頭指示も、これと大同小異である。
これらは私のような皇国少年を生み出した戦時下の国民学校の儀式を思い出させる。国民学校で重視された紀元節、天長節、明治節、1月1日の儀式では、全参加者が君が代を歌う。校長は天皇・皇后の写真を掲載した壇上で教育勅語を荘厳な調子で朗読する。子どもはこれを直立不動の姿勢で聴かなければならない。文章が難しい教育勅語の意味は国民学校初学年の子どもにはわからないが、式の厳粛な雰囲気が天皇とか国家は尊厳なものだという観念を植えつけた。毎朝の朝礼には必ず日の丸掲揚と宮城遥拝が行なわれ、これを促進した。
一九四二年に作成された北海道住友鴻之舞鉱業所の戦時労働動員(強制連行)朝鮮人の訓練要綱には、皇民化教育の方法として「先ず形を整えて漸次精神に及ぼす」必要が語られている。
今日、各地の教委が教員に対する職務命令により、東京都教委にいたっては二〇〇四年以降処分や解雇の恫喝により、君が代斉唱・日の丸掲揚を強制する入学式や卒業式は、まさに形を通して精神に及ぼす方式で児童・生徒の皇民化を目指しているとしか考えられない。
●当会の目的と課題
日本人や朝鮮人の戦時動員のためのシンボルとして使われた君が代や日の丸を肯定できない日本人や在日朝鮮人がいるのは当然である。教育委員会がそれらを強制するのは、憲法第19条が保障する思想・良心の自由を侵し、また教育基本法第10条が禁ずる「不当な支配」に該当する。
「憂慮する会」の目的は君が代・日の丸の強制を廃止することである。この目的達成のために、君が代斉唱・日の丸掲揚の強制をめぐる諸問題の歴史と現状の調査、会報・集会などによるその調査結果の市民への公表、この目的を共有する教員や市民、諸団体との提携を行ないたい。