黄斑円孔手術体験記


わたしは散歩者です


2010年8月5日

昨日のことでした。朝の4時に眼が覚めてしまったので都立砧公園まで行ってみようと思い立ったのでした。砧公園というのは、世田谷にあるとても広い立派な公園です。たくさんの森のような場所、広い草原、小川や庭園や吊橋があって、サイクリングコースや子どもたちのための遊具などが造ってあります。朝の6時だというのに、たくさんのひとびとが、すでにそのなか、いたるところにやってきていました。さすが、有名な公園です。

しかし、驚いたことに、わたしはわたしのような散歩者にひとりも出会うことがありませんでした。みな帽子をかぶったり、タオルや何か便利そうな用具の数々を入れたバッグを腰に、なかには携帯音楽プレーヤーを聞きながら、というひともいます。おしゃれなスポーツウェア、足には高価そうなジョギングシューズ、ウォーキングシューズをはいています。そして、とても細い高級自転車で走り抜けていくひとびと。

わたしは、素足にサンダル、半そで半ズボンの普段着のままです。頭も足も無防備としかいいようがありません。もっているものは、ペーパータオル2枚だけ。座るときにズボンの下にひくためです。でないとそのお尻で家のソファやベッドに座ることになるからです。

「散歩者」とは、わたしの定義では、目的も、その目的を妨害するものたちへの防御体制も何もなく、ただぶらぶらと歩き、しばしば立ち止まって風景をぼんやり眺め、どこへ行くともなく、だからといって休んでいるわけでもなく、深呼吸して、ときには蟹たちのように横向きに歩いたり、ときには梟のように、とまったままくるりと振り返ってみたりする、そんなひとのことです。

砧公園には、犬の散歩につき従うためにやってきたひとびとが大勢いて、なかにはたくさんの犬が集まって、そこで会合をしているひとたちもいます。愕然としたのは、散歩者かと思ったひとが、突然「ジョンちゃん、お母さんはこっちよ」と叫んだことでした。「お母さん」ですか・・・。来ている犬はみな血統書つきに違いないエリートたちです。従者のひとたちもいい服装をしていますから、みなさん「孤独なお金持ち」たちであるに違いありません。

走っているひとや自転車に乗っているひともたくさんいて、つぎからつぎにわたしを通りこしていきます。ダイエットのためなのでしょうか、それならかえってお腹がすいてたくさん食べ、太ってしまう心配はないのでしょうか。ランニング・ハイのためなのでしょうか、それは覚醒剤のような依存症で、やらずにいれば不安になるということはないのでしょうか。でも、少なくともいえることは、そのひとたちは、「とてもいい目的をもってやってきている」と考えているに違いないということです。

わたしは散歩者です。森のなかを、何も目的を持たないようにして歩き、見えてきたものを、ただつぶさに見ようとするだけです。
ある散歩者の思索(森の日記)   船木 亨
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