卒業制作作品「夜汽車」制作とCGドローイング

伊藤 達矢

目次
はじめに
一章「モモタロウBD」の制作記録
(一)制作の企画
(二)コマ割りとラフ
(三)作画
二章「夜汽車」の制作記録
(一)新制作にのぞむにあたり
(二)作画と「動き」の演出
(三)カットの結合と完成
三章CGドローイング作業についての記録
(一)制作環境について
(二)テクスチャとCGドローイング
(三)CGドローイングの訓練と技法
おわりに

※作品概要と世界観
(一)あらすじ
(二)世界観

はじめに
 今日のあらゆる文化活動のシーンで「コンピューターグラフィックス」は欠かせない存在になっている。その多くの比重を占めはじめたのが「CGイラストレーション」であり、制作のためのアプリケーションや、インターネットの普及による作品発表のプラットフォームの充実によりプロのクリエイターのみならず、アマチュアの多くの人間がその表現方法を試み発表している。本稿では、筆者が実際に「コンピューターグラフィックス」を制作し、その作業工程を記録することでアマチュアによる「CGイラストレーション」制作の側面を切り出して提示し、一般普及したCGドローイングのためのアプリケーションを利用した創作活動の実際を明らかにすることが目的である。
本稿の執筆にあたって、作品制作時に実際に記したメモや図像、アプリケーションの設定を元に文章を書き起こしている。また文中におけるペイントソフトの操作や設定は特に説明が無い場合、おもに制作に使用したペイントソフト「SAI」(SYSTEMAX)Version1.1.0に準拠する。


制作の概要。
制作作品「夜汽車」
形態、映像作品。Windows Media オーディオ/ビデオファイル。サイズ7.61MB。
制作環境。
使用マシン。DELL Dimension3100C。
OS。Windows XP。
Celeron CPU2.66GHz。メモリ容量504MB。
使用アプリケーション。SAI Version1.1.0。Windows ムービーメーカー。
ペンタブレット。WACOM intuos3 PTZ-630。

一、「モモタロウBD」の制作記録
 本章の文章は当初計画していた連作CGイラスト作品「モモタロウBD」についての企画から作業工程中に記された記録である。この制作作業は中途、方針を変更したため中断され「夜汽車」の制作に引き継がれた。
(一)制作作品の企画
 まず卒業制作の題材だが、新たに筋を作るというのは難しいと思う。しかしあるテーマにそった連作イラストという体裁をとるには「物語性」を付加することでそれぞれのイラストを結びつける接着剤にしようと思う。 
 物語の題材を「いばら姫」と「桃太郎」の二つに絞る。正直なところ全くオリジナルの筋をもって望むのが良いように思えるが、ストーリーを複数のイラストにしなければならないという作業コストを考えると難しいのではないかと思う。それなら話の筋として完成している昔話を借りてストーリー性と作業コストの両立をはかる。なぜ「いばら姫」と「桃太郎」の二つを選択したのか。「いばら姫」自体は前々から考えていた世界観コンセプトがあり、高射砲塔といばら姫を組み合わせたものがあったのだがそれを下地にできないかと考えた。しかし「いばら姫」を選択した場合「物語」をまた創作しないといけないため先に挙げた作業コストの問題がクリアされるかが難しい。一方で、「桃太郎」はいままでに様々なアレンジがされておりその意味では完成されたストーリーで作画に集中できると考えるからだ。
 題材は「桃太郎」だが、「桃太郎」そのものでモチベーションを維持するのは難しいし、いわゆる一般に流布しているおとぎ話の「桃太郎」は開拓され尽くしているのでそれをあえて制作するという動機がない。そして制作期間が長期になるため最大の問題はモチベーションの維持だ。そのため「桃太郎」そのものの筋を用いて世界観や造形にアレンジを加えて新しいものを作るという感覚でモチベーションを維持していこうと考える。
 自らの作画ペースを把握するために二十四時間でどれだけ描けるかを試行してみる。具体的な作業手順はラフ原画から、線画、セル塗り、そして背景効果の四工程である。イラストコンテストに提出する作品も兼ねているのでデザインは対象の資料を用いる。普段のイラスト制作には主に二つの意味を持つものがある。まずは作業の手順を研究し、描写の練習となるいわゆる落書き作業と、その技術の成果を実証する習作、作品制作である。今回は後者にあたりマーカーブラシと筆ブラシによるラフから線画を起こす技術の実証と、セル塗りの陰影彩色の研究、そして制限時間内にどれほどのポテンシャルが発揮できるかを調査することである。結果として、陰影彩色は想定の結果が得られず、従来手法である乗算レイヤー方法で影を乗せる。作画ペースの計測はおよそ二十八時間で最終稿が完成。休憩などのロスタイムを覗いて二十一時間が純作業時間だと思われる。実際にはデザイン工程が省かれていたため必要な時間はよりかかるであろう。つまりはデザイン計画が練られていればその分の作業時間が短縮できるのだ。このような研究と実験が制作には必要なのである。
 ブラシ濃度と明度を混同していたために、薄水色での下書きが盲点だった。青がもっとも明度が低い色で、黄色の明度は高い。加えて彩度といった鮮やかさまで加わるものだからややこしいのである。しかし、デジタルドローイングの強みとしてそのような「色」は全て数字として扱うことが出来る。数値にもとづいて色を指定できるし、スポイトツールで色をすくうこともできる。さらには何度もやり直すことができ、彩色作業が手軽に行えるというのはデジタルドローングの強みである。だがその色の数字のほかに、ブラシ設定の数字を扱わないといけないので今度は逆にややこしくなっていた。ブラシはあくまでストロークの設定であって、もちろん描かれる色に影響を与えるのだが、彩度と透明度を混同していた。彩度はあくまで色の鮮やかさであるが、透明度はレイヤーに対する色の透過度であり、透明度が高ければ基本的に彩度が低くなる。しかし彩度が低くなれば透明度は高くなるわけではないのだ。その関係性をごっちゃにしていたためブラシ濃度高め(透明度低)で彩度の低い薄水色で下描きするという発想が無かった。普段は透明度低、彩度高のストロークで下書きし、それをレイヤー設定で透明度を上げるか消しゴムブラシで薄く消していた。とにかく彩度低め透過度低めのストロークで下書きし、その上から暗色をとった混色系ブラシ(SAIでは筆ツール)で形を整えると以前より微細な陰影の彫りが出来るようになった。ごく基本的な盲点だった。
 「ぬるぬる」という感覚を覚える。ペンタブでのデジタルドローイングはペンに、キャンパス上の画材の摩擦感覚がフィードバックされることはない。しかし「ぬるぬる」という錯覚がある。具体的な作業は塗りつぶした上から、混色系ブラシ(具体的には筆ブラシなど)で形を作る。線によるシェービングではなく、陰影を主にしたドローイングをしていたとき見つけた。彩度が低い青で下書き、エアブラシの大きめサイズで形を取った後、筆ブラシ・黒でぬるぬると形を作っている時に感じた錯覚。ゆるい粘土の上を指でこすって形をつくっているようだ。淡い青の上に筆ブラシの黒が混ざり、薄く浮き上がって見えるからだろう。あくまで視覚からの情報であるのにそのような錯覚を覚えるのは面白い。
 ボールペンで書くことについて。絵画の練習法の方向論は十人十色、様々ある。インターネットの検索でも「イラスト 講座」や「イラスト 上達法」などの予測変換が出てくるなどアマチュアにとってイラストレーションの腕を上げるということはいかに重要な命題かということがわかる。おおまかな練習の方向として、「質」と「量」の分類ができる。「質」はとにかく一枚に多くの時間を投入して完全に仕上げるというもの。「量」はクロッキーなどの短時間での形をとる練習などがあげられる。どっちが良い、というのは言えるものではない。最近多く見るハウトゥ本の内容をそのまま自分のスタイルに取り入れることは、確かに容易でお手軽に技術が習得できる気になるが、それを生かすためには地力が必要だ。「こうすれば必ずうまくなる」という方法を求めがちだがそのような方法はありえないということを肝に銘じておきたい。そこで私がたまにやっていることでありボールペンで描く、というものがある。ボールペンは消しゴムで消して書き直すという修正が利かないため、描こうとする対象の形を事前に考えながら手を動かさなければならない。これは形をとる訓練として有効ではないか。もう一つ、思うようにかけなかった線から何か想定していなかった別の形が出来てくるかもしれないという、偶然の創造がある。失敗した線をいかにごまかして別のものをつくるかというのは発想力の訓練にもなるのではないか。
 とにかくグシャグシャにすればそれなりのものができてしまうのでは。ボールペンで描くという練習法をしているが、やはりどうやってもうまく形が取れないときがある。そのときは一回り大きく形をとってグシャグシャに塗りつぶしてシルエットの形をとってしまう。なんとなく、それなりに見えるようでいつまでもそれにこだわっていることは無いから、それはそれで正解かもしれない。
キャラクターのアイデアが問うとしてでない。まず背景を出してから様子をみるか。背景はその作品の世界観を象徴する。桃太郎という昔話の世界をそのまま導入しては詰まらないという当初のコンセプトから、人工構造体の群れを想定しているがそれはそれで安易な設定かもしれない。しかし昔話の里山的原風景を廃都市に置き換えることで、おのずとキャラクター造形の方向性も定まってくるのではないだろうか。ストーリーが先行して画面を作るのでなく、とりあえずはストーリーを切り離して画面を作ることを考えよう。
 アイデアがでないので図書館で建築物の本を読む。手にした本は鈴木喜一、宮元和義『スケッチで綴る 日本近代建築紀行』(日経BP出版センター、一九九五) 藤森輝信、藤岡洋保、初田亨『写真集 失われた帝都東京 大正昭和の街と住まい』(柏書房、一九九〇)の二冊だ。実際の風景と想像上の風景の情報量には絶対的な差があり、その差が良い風景画のリアリティの説得力なのではないか。例えばファンタジーの世界を描いたとしても実際の建築物の歴史知識や、生活風景の知識を頭に入れているとその世界観の深みは断然に増すそのようなネタの引き出しも画力と呼ばれる能力だと思うのだ。その他に須永朝彦(著)悳俊彦(編集)『国芳妖怪百景』(国書刊行会、一九九九)を読む。実際に眼に見えない怪異を図像として表現し妖怪の姿として語り継がれる姿に完成させる説得力はどこから沸いてくるのだろうか。とにかく大正、昭和の建築の意匠を模写してインプットする。
ジジイとババアの原型らしいものができるが、非常にチープ。モモタロウの主要キャラクター、ジジイとババアのデザインについて。着想を得たのはオカメとヒョットコのお面で背景世界に合致するようにレトロデザインの外骨格ロボットになった。モモタロウが旅にでる動機付けとしてこの二人の存在が重要なのだが、アイデア原案としてでたデザインが非常にシンプル、悪く言えば安直な感じだ。しかしお面をもとに造形する方向は悪くないと思うのでもう少し煮詰めようかと思う。
 適当につなぎあわせて反転したら使えそうか。イメージボードをつくっていて思わぬ拾い物をした。左右対称とは一見、単純な構図だがそれゆえ完成している。エアブラシ・黒で形を作り、乗算レイヤーで着色した正方形のキャンバス。背景イメージボードとして制作したものだがなんとなく収まりが悪かったので、キャンバス幅を二〇〇%にし複製反転してつなぎ合わせたら帯状のキャンバスで安定のあるシンメトリー構成の構図になった。そして中央に適当につくったコンクリートっぽいオブジェがうまい具合に人型にみえる。西島大介「世界の終わりの魔法使い」(河出書房新社、二〇〇五)のゴーレムっぽい造形でなんとも良い。CGでは最初に設定したキャンバスを変更することが容易なので、そのような最初のキャンバスを越えたアクションからの偶然が意外といいものを生み出すのではないか。
(二) コマ割りとラフ
 画面のキャンバスをどのような形態にしようか。CGイラストレーションにおけるキャンバス、つまり絵を描く土台は四角形である。アナログドローイングでは、キャンバスは自由な形に加工することが出来るし、なにもそれは既成のキャンバスである必要はない。たとえば壁とか、自動車とかトイレとか好きなものに描くことが出来る。しかしCGドローイングの場合、キャンバスはコンピューターの中に任意の大きさに設定できる四角形の平面だ。本制作ではプリント出力を想定に入れないため、縦横大きさをそれぞれ設定できるがとりあえずはA四サイズ、幅二四八〇pixel高さ三五〇七pixel解像度三〇〇dpiで設定する。またトリミングや拡大などで対応すればよいだろう。とにかく何がそのキャンバスの中に入るのかが決まっていないのだから。ちなみに現時点で私が普段、一番よく作業に使用しているキャンバスは一辺二五〇〇pixelの正方形。PCのスペックなどによってキャンバスサイズは大きく左右されるのだが、気持ち大きくとったほうが全体のバランスを俯瞰できる。
 普段、使うキャンパスは一辺二五〇〇pixel解像度二〇〇dpiの正方形だったがデフォオルトのA四サイズ、幅二四八〇pixel高さ三五〇七pixel解像度三〇〇dpiで作業してみたところ、消費されるメモリのサイズが大ききなりすぎて処理が遅くなってしまう。印刷を想定した場合、解像度は適度に高くなければならないがその分消費されるメモリも多くなる。ましてレイヤーを構築するとさら負荷がかかるのでキャンバスサイズと解像度はそれぞれ環境に合わせて、設定しなければならない。いま使用しているマシンのスペックではその点がネックである。
 読者の焦点と作画密度。漫画などをよく観察するとそのコマの主題となっている対象から外れた、隅のほうの描写はわりかし曖昧になっている。これは眼に入る情報を中心となるモチーフに集中することでメリハリがつく。制作にあたってある程度、作画の要領を定めて各枚の意味を的確に表現できるモチーフを設定しなければならない。
 田中達之というイラストレーターの画集『CANNABIS WORKS』(飛鳥新社、二〇〇三)に収録されている、「五次元療法」という作品がある。全十八ページの短編なのだが、いわゆるマンガのように1ページで複数のコマが割ってあるという形ではなく、一ページ一コマ、という形だ。一コマを一つのイラストカットとしてみることができ、今回の制作の参考となる作品である。もうひとつ、横山宏『マシーネン・クリーガー・イン・アクション・バンドデシネ』(大日本絵画、二〇〇五)があるがイラストのストーリーとしての結びつきは「五次元療法」のほうが強い。キャラクターのモーションを分かりやすくするには「五次元療法」のように短い出来事のことを複数のカットで表すほうが向いている。より世界観を演出したい、という場合は『マシーネン・クリーガー』のようにその側面を切り出したフォトストーリー形式の方がいいだろう。本制作では『マシーネン・クリーガー』のようにキャプションでストーリー性を補足して、コマを構成していこうと思う。
 上下二段の割りコマに決定。デフォルトのキャンバス設定A四を上下二つにわけたカットに決定する。最初は全十三枚、それぞれ一面にイラストを制作する予定だったがストーリーの時制を演出するのに、適度な時間の区切りとしてコマを導入することに決定した。次はそれぞれのコマの主題にあわせ、具体的な構図を考える。
 とにかく十三枚、薄水色で下書きを描き出してみる。設計計画で定めたそれぞれのイラスト主題に合わせて、とりあえず下書きを起こしてみる。ブラシはエアブラシ・水色、大きめのサイズ。なんとなくそのキャンバスに何が収まるかを考えるためであるので具体的な形でなくても良い。ラフのラフ、といったかたちだ。もちろん状況によって柔軟に変更していく。
(三)作画
 キャラクター造形に決定的なミス。複数のカットで登場するキャラクターの造形はデザインを計画して設計した。一方、一回しかでないキャラクターは背景作業と同時に作りあげなければならなかったのだがそれが思わぬ障害に。とりあえずイヌの造形にとりかかり、エアブラシ・黒で形を作ってみるが気に入らない。周囲との調和がとれていないのか。制作工程がこのように長期にわたる場合描画スタイルも変化するためこのような納得いかない結果になった。かつて良しとしていた描写法が今では納得いかない、というものである。とりあえずある程度はあきらめて、グレースケールをそのままに納得できる彩色を考えなければならない。作業キャンバスとして使っていたPNG形式画像が劣化した。作業中のキャンバスをPNG形式で保存していたら、劣化してノイズが入るようになってしまった。PNG形式では透明情報も保存できるので簡単な線画や習作を保存する形式として使用していたのだが、塗りでもPNG形式のまま繰り返し保存していたためこのような結果になった。とりあえず水彩ブラシと、ぼかし系のブラシでごまかす。幸いにもノイズが酷いところはロボットのボディ部分だったので表面のテクスチャとしてごまかすことにする。劣化するということは知っていたが実際にこのようなデーターの劣化は初めてだったので、いい経験になった。今後はSAIキャンバス形式で作業を行う。
 制作記録の資料のため、作業を録画しようと試みるがやはりメモリを圧迫するので断念する。今のところ複雑なレイヤー構成を作って作業していないため、いまの動作環境が得られているが複数のレイヤー作業に対応するために解像度、もしくはキャンバスサイズを縮小しようと思う。
 タブレットドライバーの不具合が発生。たまにPCを起動するとタブレットが反応しないエラーがある。大抵は設定ファイルユーリティで再起動させれば復帰するが、マシン自体を再起動させないといけない場合がある。そこでタブレットドライバーを最新に更新する。すると画面下にストロークできないエラーが発生したため、ひとつ前のバージョンを導入すると問題は解決した。デジタルドローイングではストロークが想定どおり行かない場合、タブレットの設定が問題なのか、アプリケーションの設定が問題なのかを見極めることが必要だ。ちなみにペイントソフトの筆圧設定だけでなく、タッブレットドライバーでも筆圧を硬めに設定し、また検知領域をやや縮小している。デジタルドローイングではそのような複数の設定レベルがストロークに影響している。

 SAI、最大の弱点。図形描写とパスツール。現在のところ、背景を中心として作業を行っているが、使用しているペイントソフトSAIには使い勝手の良い図形ツールが搭載されていないという弱点がある。背景の建築物を描写するとき、多用する直線や四角形、円形などの幾何学図形をSAIのみで描写するのにはそれなりのノウハウが必要なのだ。例えば直線を引く場合はデフォルトのショートカットキーとして設定されている、shift+クリックは線の描写の前に他の図形ツールにあるような想定描写を確認できないため使い勝手が悪いのである。また垂直線や水平線を引くには短径選択ツールを使用するなどの本来の用途外のツールを応用して描写しないといけない。通常このようなケースにはSAIのほかに図形描写ツールを搭載したアプリケーションを合わせて使う。だがここではSAIの「線画レイヤー」を使って通常レイヤー作業より図形描写の効率を上げて行う。「線画レイヤー」はドローイングソフトが得意とするベクタ形式の図像を描写するツールである。ベクタイメージは解像度に関係なく図形を描写できる。つまり拡大や縮小を行っても図形が劣化することはない形式である。SAIはあくまでペイントソフトであるので、ドローイングソフトが得意とするこの機能は簡易であるが使用しているマシンのスペックを考慮して、動作が軽快なSAIの機能を利用して制作に当たる。
 キャンバス〇三で新たに作ったブラシ形を使い筆圧検出ゼロ設定と濃度一〇〇で背景作画を試してみる。実線やグレースケールで形を作るのでなく、最初から色を乗せていく厚塗り方式でためす。背景色と建物の陰の色をほぼ同じにし、明度を上げてと色相をずらし明るい部分を作っていく。具体的な方法としては一枚のレイヤーを背景色で塗りつぶし、建築物の反射面をエアブラシで白を乗せていく。今までの乗算レイヤーで影を乗せた手法よりも鮮やかに画面が映える。おそらく彩度を下げずに明度を下げることができ、大気の遠近感が演出できるためだろう。
 下書きで描いた構図が気に入らない。構図を修正している。初期の陰影描画と現在の実線描画が手法にギャップがあるので混乱。うまく空間と時制を表現できない。それぞれ再構築しつつ進めなければならない。
 発光やオーバーレイといった合成レイヤーはあまり使いたくない。CGドローイングの特徴として各レイヤーの合成モードがある。合成モードはレイヤーに図像処理の属性を与えて表現に変化を与えるのだが、あまりこれに頼りすぎると地力の彩色感覚がいつまでたっても成長しない間隔があるので個人的には使用を最小限にするように心がけている。くわえてそれぞれの仕様アプリケーションによってその合成モードは違い、SAIのようなペイントソフトはあまり向いていない。Photo shopなどと組み合わせてつかうことが普通である。しかし、制作でとにかくアイデアが出ないままスケジュールに押されて作った画面を簡易にグレードアップさせるためにオーバーレイや発光などで効果を加えてしまう。スケジュールに押された結果とはいえあまり安易な方法で解決しようというのは良くないようだ。その部分は保留として次にいくしかない。
 キャンバス〇五の上部コマがどうも気に入らない。コマの構図から再構成する。タロウが建物に入ってくるのだが、太郎のモーションと状況の説得力がいまいち足りないのでリテイク。ノートを探したが別案は見つからず。とにかくカメラを正面に持ってきたシルエット構図にしてみる。結果、エアブラシとオーバーレイでごまかすも、どうしても良くならない。おそらく気ばかりが先に行って土台がなってないからだろう。とりあえず、後回しにして次にすすむ。

制作がぜんぜん進捗しない。下書きからそれぞれの絵を組み上げていく段階だが、造形の甘さがここで皺寄せされてきた。デザインの設計段階でよく練られていれば、そのデザイン資料をもって空間を構築していけばいいものをその素材の仕込みが甘かったために空間のグレードがとても低いものとなってしまっている。ようするに形にしたアイデアが不足していた。そうなると、なんとかひねり出さなければとどうにか転げ回るのだが、どうにも浮かばない。仕方がないので気分転換として文章を書き起こす。文章でもいいから何らかのアイデアを形として出力することで突破口が見えると思ったからだ。そこでSFベースに短編小説を書いてみる。およそ三万文字。なかなか良いできなのではと思いインターネットの投稿サイトに掲載したら上々な反応だった。制作記録も単純計算として二万文字以上書かなければならないわけで、その分量の見極めにはいい練習になった気がする。しかし、肝心の制作のアイデアとモチベーションがでてこない。時間を無駄にして泣きたくなる。
 一つのキャンバスで完成の満足を得るまでいじり続ける作業を繰り返す。正直いって時間の無駄である。一定の過程を得られたら次のキャンバスに移るべきなのだが現在の作業手法がテンプレート化されていないため、いたずらに時間を消費してしまう。最近の進捗の遅れ具合は深刻な問題である。

(四)「夜汽車」制作へ方針の変更
 制作作業の停滞が深刻であり、現在の制作をつづけるより最初から作りなおすことを考える。いまからコマ取りした方が結果としてよい成果を得られるはずだ。CGドローイングイラストの制作として始まったこの作業だが、ここにきて方向の転換を考える。理由としてそれぞれのイラストのレベルが想定した要件を満たしていないことがそれにある。残りの作業量から予想すると今の土台を修正しつつ再構築するのと、新たにゼロからつくりあげると、どちらが良いかというと、ゼロから再構築したほうが高いポテンシャルが得られる。しかし、そこで方向転換をすればいままでとは全く別の作業となるためそれによって投入した時間は現行の制作の時間を無駄に消費することになる。しかし現行の制作は企画の甘さが浮き彫りになって泥沼状態であり、最悪の場合成果物が得られないという結果を迎えるおそれが十分にある。それなら短期に集中して新規制作に当たり、一定の成果を出すことが重要ではないか。以上の最悪、成果物の未完成は避けるという方向から、今までの土台を一新して、ゼロから新規に構築する方針をとる。

二、「夜汽車」の制作記録
当初の予定であった「モモタロウBD」の制作を断念し、新たな基軸で作品を制作することに決定した。この作業によって制作された作品が卒業制作作品「夜汽車」である。本章ではその制作過程の記録である。
(一)新制作にのぞむにあたり
 「モモタロウBD」制作の失敗にあたって、新たな制作はCGドローイングによるショートストーリー作品を制作することにする。なおそのストーリー性はあまり重視せず、また今までのイラストレーションという形態ではなく、あくまでCGを用いた視覚作品としてアニメーション表現を取り入れる。制作環境は今までどおりペイントソフトSAIを用い、画像から映像への構築にはフリーソフトである「Windows ムービーメーカー」を使用する。その理由として、本制作は誰でも簡単に試みることのできる創作活動の過程を明らかにするためであり、もっとも基本的で操作が容易ともいえる動画編集ソフトの「Windows ムービーメーカー」(以下、WMM)を使用する。
 新たな制作の作品の方向性を決めるにあたってまずは一カットを制作し作業手順を確認する。基本的な作業手順としてはSAIで制作した画像をWMMで読み込みカットごとの映像を制作する。そして制作した複数のカット映像をWMMでつなぎ合わせ一つの映像作品とするのである。まずこの第一カット制作作業で必要なことは画面を構成する画像の制作手順の確立である。先の「モモタロウBD」での失敗点としてそれぞれのカットの描写に異なる手法を用いたため、全体としてのまとまりを失ってそれを修正するためにさらに手を加えて作業量が増大するという悪循環に陥ったためである。これを解決するにはそれぞれのカットにテンプレート化した描写手法と作業をもって制作にあたることで作画を管理する。またストーリーの構成を「桃太郎」に求めたことも失敗の原因であった。上下二コマ構成の一三枚という限られた図像でストーリーとキャラクターのモーションを演出するにはそれぞれに高い状況説明力が要求され、描写能力がそれに追いついていなかった。そのため新たな制作では、カット数とキャラクターのモーションを増量しストーリーの状況説明力の強化を試みる。また物語性を除外し図像の表現を重視することによって、「モモタロウBD」で指向した作画性をより重視する方針を強化した。以上の「モモタロウBD」の反省点をもって新たな制作にのぞみ実験として三カット、カットop、カット〇一からカット〇三までを制作する。
(二)作画と「動き」の演出
 先ほどの制作方針を踏まえカット〇三までを制作し、作業手順のテンプレート化が一応完成する。作業キャンバスサイズはデフォルトの幅六四〇pixel高さ四八〇pixel解像度七十二dpiのVGAサイズ。作業キャンバスとしては小さいが、一本一本の線がストロークに合わせて綺麗に引かれる。手描きによる線を演出するには適度なサイズのキャンバスである。ブラシは主に鉛筆ブラシでサイズは〇・七から三と細めで設定する。光のぼかしは筆ブラシとエアブラシで微妙に調整していく。また彩色はせず、白と黒の二色で表現しキャンバスを黒で塗りつぶしそこを白の線で抜いていくことで夜間の淡い光を表現していく。それぞれのカットの画像はフォルダーで管理する。以上のような作業上のテンプレートを基準として作画していく。
 イラストレーション制作と異なる最大の点は描いた絵に実際に映像として動きをつけなければならないことだ。アニメーションは少しずつ図像を変化させた絵の連続であるため、そのモーションを作るためにレイヤー機能を擬似撮影台として使う。そもそもレイヤーとは透明な板が重なり合ったものに絵を描くようなものでアニメーション制作にはかなりのポテンシャルが発揮できる機能なのだ。しかし映像へ出力するWMMは高度な動画編集アプリケーションではないために動画の元となる画面を一枚一枚、画像出力して一コマとしていかなければならない。そのモーションの作画の効率を上げるために画像変形フィルタツールを使用する。これは選択範囲の拡大、縮小、回転を行うツールである。これを利用して、カット〇二のやかんの蓋が跳ね上がるモーションを演出する。出力したコマ数は十四コマだが実際に作画した枚数は一枚だけであり、蓋の部分を画像変形ツールで回転させて動きを作り出した。しかし通常レイヤーの画像はラスタライズ形式であるので、変形ツールで変形させると図像が劣化するので、その点で注意が必要である。
 ペンタブの紙を新しく張り替え、ペン先の芯を交換する。ペン先がガリガリと適度に引っかかって手に気持ちいい。ペンタブレットはコンピューターでのドローイング作業に不可欠なインターフェースだが、アナログドローイングのようなペン先から腕に伝わる感覚とギャップがある。CGドローイングはあくまで仮想上のキャンバスでの作業のため、キャンバスとペン先の接触がストロークに与える感覚に違和感を覚えることが多い。そこでできる限りペン先の感覚をアナログドローイング時に近づけるよう、ペンタブレットのペン先をフェルト芯にし、タブレットに紙を貼るなどしてペン先の摩擦を高めて、手になじんだ画材の感覚を再現している。またペンのサイドボタンに透明色切り替えキーとスポイトツールなどのよく使うツールを割り振って、ショートカットキーを押すよりも素早くツールが切り替えられるようにし作業効率を向上させている。使用しているタブレットはペン尻でのストロークも検知する事ができるが、わざわざペンをひっくり返すよりかはサイドボタンを親指一つで切り替えた方がよい。
 WMMでどこまで表現できるか。先にも述べたようにWMMはあまり高度な映像編集機能をもたない簡易で使いやすいアプリケーションである。そのため引きやズームなどのカメラワークはペイントソフトで画面を作る際に手動で少しずつ動かしていかなければならない。そのためにまずどこからどこまで移動するかを定めて、その時間を想定しながら少しずつそのレイヤーをずらして画像出力するという作業を繰り返さなければならない。時間を算出する基準としてWMMで設定できる一秒八コマのビットレートを参考する。そしてカメラワークのPANを演出するときには移動にツメを入れるために移動の最初と最後の距離はそれぞれ短くしていかなければならない。この方法をもちいるとカメラワーク機能をそなえたアプリケーションのようになめらかなカメラワークではなく少しがたがたと震える画面になることが多いが、いかにもツールに頼らず手でつくったという演出の効果になる。また正確な移動を求める場合は、移動対象の描かれたレイヤーと基準点を打った新規レイヤーをフォルダー化し、それより下の新規レイヤーに動きを想定した動線を描いて、移動対象フォルダーに打ち込んだ基準点をそれに合わせて画像出力していくという方法がある。もちろん画像出力する際に、基準線レイヤーと基準点レイヤーは不可視化する。

 人体を回転させたり、歩かせたりといったモーションの描写は難しい。そこで簡単な動作では画像変形ツールを使った方法が効果的だが、一つの動作を作り終えたらそのレイヤーをフォルダー化し、そのフォルダーを人形のように構成レイヤーを切り替えて画面をつくると管理がしやすい。フォルダー単位で移動させ、構成レイヤーを切り替えてモーションを撮影した後、動作終了時のレイヤーと動作開始時のレイヤーの位置を合わせれば歩くシーンの作画は最低限で済む。またキャラクターのモーションを確認する際、WMMのプレビュー画面では映像の描画が正確でない場合があるので、実際にWMV形式に出力してカットごとの動画を確認しなければならない。また、カットの始まりと終わりの止めはタイムライン上で調整することによってペイントソフトで出力する手間を省く。
カット十三は混色系ブラシで白く塗りつぶすことにとって、独特のぬるぬる感を動きに出す。次のカット十四も最初に描写の計画をせずに即興的に描写したため、特に手描きの感覚が現れている。ここではキャラクターのモーションではなく自らの絵を描く腕の動き、ストロークそのものが映像の動きとなっているのだ。いままで描写訓練としてやってきたボールペンでの落書きのような即興的要素が現れている。
(三)カットの結合と完成
 作画作業が完了する。カットop、カットedにカット〇一からカット二十一までの全二十三カットである。それぞれWMV形式出力した動画をWMMで一つの動画に結合する。なおカットの結合順を入れ替え微調整する。画面劣化も殆どなく結果、約二分六秒の映像作品として完成。ここでようやく、本制作の一定の成果を得られたとして制作作業を終了する。

三、CGドローイング作業についての記録
 本章では「モモタロウBD」と「夜汽車」二つの制作期間中に記録した、おもに本制作のCGドローイング全般について記したものであり一章と二章、両制作記録文中から構成した文章である。
(一)制作環境について
 使用するペイントソフトはSAI。軽快な動作で非常扱いやすくPhotoshopとの互換性も良い。あえて欠点を挙げるなら直線など図形系ツールがパスツール、線画レイヤーに依存しており色出力がRGBにのみ対応していることと、合成レイヤーモードが他のペイントソフトに比べると比較的少ないことだ。しかしCGイラストレーション作成において一つのアプリケーションよって制作することはあまりなく、いくつかのアプリケーションを組み合わせて作業する事が一般的だ。そもそもSAIはドローイングにその目的を絞ったアプリケーションであり合成モードの多様性はそれほど重視するものではない。それを補うためにPhotoshopとの互換性を導入している。合成レイヤーはある意味でアマチュアにもそこそこの絵を描けるようにした。色彩感覚に自信がなくても合成レイヤーをうまく使いこなすことによってそれなりに鮮やかな色彩を出力することができるようになった。またCGドローイングの特徴として色調パラメーターのつまみを動かすだけで自在に調整できるという点で優れている。そもそもCGの色彩とはディスプレイ越しに見ることが前提である。いわゆるアナログ描きや印刷出力されたものは塗料に反射した光を見るものであるが、ディスプレイで見る図像とはピクセル単位の光素子が発する光を見るものである。そこに塗料出力の図像との根本的な違いがあり、いわゆるCMYKとRGBの違いである。理科の実験などで光の三原色と聞くが赤、緑、青のRGBを合わせると白になる。一方、絵の具を混ぜると白にはならずに黒になる。これがCMYKの色出力だと理解している。Photo shopではCMYKの出力ができる。最近では印刷所もRGB出力に近いプリントが可能になったと聞くが、印刷媒体はCMYK出力が常識である。そうすると塗料による出力を想定しない、最初からディスプレイによる出力を想定した図像の色彩設計には根本的な違いが生じるのではないか。インターネットが発達しまたCG作品の消費の中心的なシーンを担うようになった現在ではむしろその様なディスプレイの色彩がメインシーンを担うようになっているのではないか。それはテレビや映画にもおなじことが言え、携帯端末や電子書籍が一般化していくならディスプレイを通して色を見る、色彩文化をより言い換えた光文化の時代が訪れるのではないか。DVDからブルーレイへ以降し、より高解像度のデジタルカメラを指向する今は、色彩そのものより色彩の鮮やかさに重きをおく「光文化」の時代に移りつつあるようにみえる。
 CGドローイング、つまりコンピューターによって絵を描くことはコンピューター上の仮想キャンパスに絵を描くことだが、アナログでは直接画材を加工することによって作品を作りあげるのに対してCGローイングはアプリケーションの蓋然性のなかで作品を作りあげる。まず自らの手の動きや画材を加工する操作のインターフェースとしてペンタブレットやマウス、ディスプレイなど画材でないものを直接手に触れなければならないということが興味深い。ペンタブレットによって絵を描くというのはさながらマジックハンドを使って筆や鉛筆を動かしている感覚に似ている。しかしアナログのドローイングは使用する画材によって実際手に触れる触覚やあらゆる感覚にフィードバックがある。そしてなにより画材そのものは化学薬品や製品であり特定の物質であるのに対して、CGドローイングは全く電子的なデーターの操作であって、実際に手に触れるものはコンピューターを構成するハードウェアの物質である。CGドローイングはアナログ絵画におけるキャンパスの状態を仮想空間上に再現するのだがある作画のストロークを再現するのに実際の画材となる物質とキャンパスの作用を数値として入力し光として出力されるのだ。CGがリアルであり、現実を越える表現を作り出すことができるといわれる現在であるが、それはあくまで図像表現上のリアルである。それに対してそこに実存する作品としてアナログ作品はリアルである。だからいかにCGの環境がハイスペック化して写実的な図像を表現する事ができるようになっても「リアル」の意味を読みとくと、それはただの光素子、ピクセルの集まりであって規格生産されたものの一つなのだ。あくまでそれは実存感に価値をおいたときの評価の一つではあるが。
(二)テクスチャとCGイラストレーション
 デッサンには三感というものがあり、質感、量感、全体感という。CGにおいて質感はテクスチャとマテリアルの光反射によって表現されるがテクスチャはCGの強みである。現代のCGの写実性はテクスチャ描写の発達にあってもよいとおもう。CGドローイングは描写ストロークの再現性が重要だ。アナログドローイングは画材と画材の摩擦によって発生する化学作用であり描写ストロークの再現性はCGドローイングに比べて低くむしろ、ストロークの不確定性が重要であるように思える。そこでCGドローイングにはテクスチャを導入するのだがテクスチャは一様に再現されたストロークに微少な画材マテリアルの不確定性の情報を付加する。テクスチャによった描写は図像的にモチーフの質感を再現することと、画材のストロークを再現する二つの目的があるようだ。そこで興味深いのがあえてアナログのストロークを再現しようとすることだ。もちろん作業の様式としてアナログで絵画したものをスキャナで取り込んでデジタル化しCGとして作業する手順もある。
 テクスチャは究極的にはパターンの連続にすぎないがマテリアルの質感を表現するには必要不可欠である。テクスチャはデジタルカメラで撮影したオブジェクトや、スキャンしたオブジェクトを編集することによって作成することができる。また最初からデジタルデーターでパターンを作成することもできるし、いわゆるトーンというものもある。昨今では最初からテクスチャ素材を商品パックしたデータキットもあるし、デフォルトでアプリケーションに付属していることもあるが、なによりインターネットからフリー素材としてダウンロードできる。テクスチャを使うことによって表現できるリアルが、素材として大量生産されている。
 テクスチャもそうだが、ストロークを個性づけるブラシもCGでは数値によって設定され互換性のあるアプリケーションでは完全に複製することができる。テクスチャはあくまで作品を作りあげる複製パターンとしてあるが、ストロークを個性づけるブラシ自体も素材として扱われてしまう。CGドローイングについてのハウトゥ本が多く出版されまた作業工程を録画した動画や、サイトが公開されている現在においてブラシストローク自体もモード化しやすいのでは。まして発信力のあるイラストレーターに影響されるモブはストロークという単位で平均化する。
 セル塗りといわゆる厚塗り。気分によって手法が違う。CGイラストレーションの分類の基準として塗りの手法によって分けることが多い。「塗り」というと彩色作業のことを想像しがちだが実際に「線画」と「塗り」を厳密に区別することは難しいと思う。そこでCGイラストレーションの分類を三つの形態に分けて解説する。まず「セル塗り」「アニメ塗り」これは、それぞれの色域の区別が明確にされており実線によってそれぞれのパーツが区切られていることが多い。文字通り、アニメーションの彩色をもとにした「塗り」であり作業効率の単純化が得られる。一方限られたトーンによって立体を表現せねばならずその図像の単純化の反面、デッサン力が求められる。次に「ギャルゲ塗り」があり、これは「アニメ塗り」の発展形と言え、「アニメ塗り」の色の境界をグラデーションがける等して陰影の幅をもって表現する。そして「厚塗り」は実線と色調が曖昧であり、その色域は複雑で例えるなら油絵のような形態である。一般的にCGイラストレーションを「塗り」といった形で分類すると以上の三つの分類が上げられるが、そもそものイラストレーション図像をその作業形態から分類するのは難しく、特にどこからが「ギャルゲ塗り」なのか「厚塗り」なのかという分類はわかりにくい。おおまかに使用されている色調の多さとタッチから見た印象としかいえない場合がある。そもそもCGドローイングでは作品対象の実存物が存在しないためその画材の物理的特長はCGという擬似環境のなかで平均化してしまっているからだ。たとえばアナログドローイングの場合、作品自体に画材の化学物質的特徴が残るが、CGだとどのブラシで描こうが設定自体で他の環境でも、作品は再現できるということである。究極的にはデジタル図像はピクセルの集合体のため、一点一点をそれぞれに彩色すれば写真だろうが、パステル画だろうがあらゆる図像形態を再現することが出来るのである。
(三)制作をする理由
 イラストレーションはいわば商業的絵画活動であり、市場の動向を無視することはできない。そこでよく聞かれることばとして「絵柄が古い」というものがある。これはイラストレーション市場の原理を端的に表しているもので、そのイラストレーションのシーンを読みとるには重要な感覚である。イラストレーションの時勢を読みとるという意味である。もちろんCG以前はアナログ画材を用いて、発表メディアも印刷物を中心としたものだ(現在でも印刷媒体が主流である)。
 わたしはオリジナルタグばかり描いている。オリジナルタグとはある作品世界に拠らないイラスト作品であり、イラストSNSでは「オリジナル」という「タグ」が付いていることが多い。タグとは便利なもので、そのイラストのモチーフをカテゴライズするものと技法をカテゴライズする二つの種類がある。イラストのモチーフとは簡単にいえばそのイラストが何を描いたのか、つまり結果を端的に表すもので一方、技法をあらわすタグはアニメ塗り(セル塗)厚塗り、アナログなどその描写の過程をあらわしている。この結果を表すタグは消費されるスパンが短い、いわゆる流行モノであることが多いのではないか。例えば、ある作品のあるキャラクターを描いたというブームに左右されている。一方、技法は普遍的な価値をもって語られるいわゆる、技術でありその消費の動機はブームに左右されにくいのではないか。しかし「絵柄が古い」という言葉がまかり通る場合、その一見普遍的価値を持つ「技術」にもブームが存在する。ブームというのはある意味でイラストや創作活動の他者からの承認願望を満たすのに便利なものだ。しかしそれはあくまでブームという蓋然性の中で技術を発揮しているに過ぎず、その蓋然性を複合して拡大する行為として「擬人化」や「TS」などの普遍的ジャンルを導入しているのでは。そこで「オリジナル」というのはブーム(市場消費)の外側にあろうとするブームで、みずからブームを発生させようとする試みに思えるのだ。
(四)CGドローイングの訓練と技法
 動画投稿サイト「youtube」で「speed drawing」と「painting」と「ニコニコ動画」の描いてみた、お絵描き講座。最近ではCGドローイングの作業工程を動画サイトなどで視聴することが容易になった。技術の参考になるのが第一だが、日本語圏と外国語圏での描写スタイルの違いに気がつくことがある。私はおもに動画サイトはyoutubeとニコニコ動画を利用している。どちらも多くの作業工程動画がアップロードされているがやはり大きな違いが存在する。youtubeを利用するのは日本のみならず、おもに国外ユーザーの方が比率的に多い。一方ニコニコ動画では日本のユーザーがメインだと思われるがイラストの傾向もその特徴が大きく出ている。その違いをあえて言うと図像のリアリティの違いであり、実線と陰影の差である。ニコニコ動画でおもに検索するときに使用するタグは「描いてみた」であるがそれは作業工程動画のみならず、二次創作作品やオリジナル作品まで含めて多岐にわたるがその図像はいわゆるアニメやマンガ的なデザインのモチーフが多い。オタク的作品ともいえる。一方、youtubeで検索する際は「speed drawing」や「painting」といった単語を用いると作業工程動画を検索することが出来るが、その多くは写実的なタッチで描かれている。アメコミとマンガのセンスの違いというものがあるがその差異の特徴が大きく現れており、その特徴の源は実線と陰影の違いだとその工程動画から読みとることが出来るのだ。そもそも実線とは、絵画における線でありそれぞれの図像の形をつくる根本的な線である。しかし現実の世界には実線とは存在しない、概念上の線なのである。実際の世界で線として認識しているものは色彩の区別であり、陰影なのである。一方、実線とはその区別を線として明確にあらわした概念線なのである。もちろん、それぞれの描き手のスタイルにもよるが写実よりの図像を作るyoutubeの動画は陰影がベースとなっている。一方で、ニコニコ動画やオタク的イラストは線画という工程と図像が存在することから、実線という概念線によって形作られているのだ。個人的にはオタク的イラストとは市場原理によってその図像をモード化しがちなので、より普遍的な価値を求めようとするならば写実よりの「speed drawing」動画を参考にするとつぶしが利くのではないか。実線自体も、現実の曖昧な立体造形の境界をあえて設定する概念境界のため、その境界を見極めるためにも、陰影を切り出す力が不可欠だと思うのだ。
 二つの参考書。あまたのイラスト指南のハウトゥ本が出版されている。CGイラストレーション関係にはそれぞれのアプリケーションの専門書や、イラスト関係雑誌の特集として組まれ、様々なニーズに対応している。一方、美術書籍関係としてデッサンの指南書や解剖書、ポーズ集などもある。イラストを描く人の多くはそのような参考書を手に取ったことがあると思うが、このイラスト参考書には二つの種類があるのだ。まず一つはそれぞれのアプリケーションについて扱った技術書。もうひとつはモチーフとなる対象をいかに捉えるかについて書かれた書籍である。前者はあくまでアプリケーションの使い方のマニュアルであるのに対し、後者は身体的訓練のための書籍だ。俗に言う画力を鍛えるためのものである。アプリケーション書籍は道具について書かれているのに対して画力訓練書籍は根本的に実力を底上げする。イラスト関連書を選ぶときはそのような本によって、目的が違うということを理解して選ばなくてはならない。例えばアプリケーション書籍を用いて制作にあたっても根本的実力は一定量しかカバーすることが出来ない。より高いグレードを求めるなら、画力訓練書籍、ポーズ集などを用いた後、それぞれの使用するアプリケーション書籍でソフトの機能を研究し、作業を補足するといった使い方がよいのではないか。また、画力訓練書籍はなにも専門の美術書だけではなくあらゆる図像がそのテキストになりえるのだ。
 体幹と三角法。人体とは描写が難しいが、イラストの主題となることがもっとも多いモチーフであるともいえる。極端に記号化された人体であればそれなりに簡易な表現が可能だが、立体として人体を捉えるとこれほど複雑な物体はそうないのではいか。そのため、人体を描く方法は描き手のノウハウの集積といえ、多くの媒体でその工程を紹介されもしている。自身も人体をいかに描くかということは重要な研究テーマであり、試行錯誤をもっとも繰り返したともいっていい。そこで現在編み出した手法ここに紹介しておく。もちろん方法に正解は無いのであくまで参考までに記録しておく。先ほど述べたように人体は複雑な立体である。それを分解すると、頭と胴体、そして四肢の六つのパーツであり、それぞれはほぼ円筒形をしている。つまり人体という立体は複数の円筒の複合体である。これは基本的な人体の捉え方だが、実は円筒を任意の角度から自由に描くというのはそれなりに訓練のいることなのだ。そして人体にはモーションという要素と、背景空間のなかに存在するという様々な制限が加わると、いくらパーツに分解した人体でもそれを自由に動かすのは非常に難しいのだ。そこで先にも述べたように、極端に記号化された人体を想定にいれてみる。そこで「体幹」といういわゆる人体の核となる部分が重要になるのだ。「体幹」とは読んで字のごとく、体の幹の部分であり、腰から胸、鎖骨あたりの胴の部分にあたる。この体幹を単純化すると、角の取れた直方体もしくは押しつぶれた筒のように捉えることが出来る。またこの中に底面を上下に向かわせた二つの三角形を中に入れると、腰の部分から折り曲げることを想定することが楽になる。そして四肢も同じように三角形として捕らえるとその形がとりやすい。またこの絵画法は、曲線で人体を捉えるのではなく直線で形作るので作画が安定しやすい。このように複雑なモチーフを単純な図形として捉えてアタリをとることが作画ノウハウの一つの方向論であり、またその捉え方の研究が作品制作における研究の蓄積なのだ。

おわりに
 CGドローイングという制作作業を記録した本稿であるが、絵画という表現について言語化するのは非常に難しい。アプリケーションに対する操作の履歴をそのまま記録する方法もある。ましてCGという制作手法はその作業を履歴化しやすく、制作者がいかなる作業をもってその作品を制作したのかという点では分かりやすい。しかし、このような制作記録という言語形態で制作者が作業中にいかなることを考え、感じているかということを言語化することによってどのような意図をもってその作品が制作されたかを理解することは、ひいては作品や文化活動のブームに対する分析の方法となるだろう。まして家庭用コンピューターが普及した現在では多くの人間がペイントソフトを手にしCGドローイングの制作を試みている。そのようなプロイラストレーター以外のブームの担い手であるアマチュアの作品制作の実際を提示するという目的で本稿を執筆した。

作品概要と世界観
(一)あらすじ
 寒い深夜の寂れた駅。ひとりで当直にあたる駅員は、最終列車を迎えるため詰め所から離れた発着ホームへ向う。そこにはひとりの少女が立っており、彼女の瞳をみつめた駅員は幻をみる。気がつくといつの間にか列車が到着しており、少女はどこかに消えていた。そして列車は駅員を残しホームから走り去って行く。
(二)世界観
 ほとんどのシーンが背景を真っ暗な闇にし、そのなかを白の手描き線で描写しておぼろげな輪郭や灯りの瞬きを表している。そして、ところどころでキャラクターが吐き出す白い息によって寒い深夜という空間を演出した。またそれぞれのシーンでキャラクターの姿や顔の描写が異なるのは、同じ人間の顔でも時と場によってまったく別の人間のように見えるという考えがあったからだ。駅の建物や列車は現実感に乏しいが、全体としてレトロなデザインで統一した。自分のなかにある、寂れた駅というイメージの断片を集めて組み合わせた造形となっている。