21世紀を展望とした首都圏開発の一環として、東京湾臨海部をはじめとするウォーターフロント地域で、業務、国際交流、居住、レクリエーションなど多様な機能にわたる都市開発が構想され、推進されつつある。夜間人口の都心流出が進行する一方で、集積メリットを背景とした都心の業務機能の拡大も進み、新たな業務機能の受け皿が都心部周辺に求められるようになっているため、一時は郊外に流出した夜間人口も、都心への回帰を考えるようになる。何故なら郊外化(ドーナツ化)は、道路、鉄道といったわれわれの交通手段の混雑を進め、「職」と「住」の近接という願望を発生させるためである。人民も行政も新規開発地を求めているのである。
現在、ウォーターフロントに建設する施設がどういう理由で何に利用されているのか、そして将来何を求めていくべきかを七部門について私見をまじえて、以下叙述していく。
都心部に隣接した旧湾岸地区にオフィスビルを建設したいという要求は、当然の経済的要求であると思う。何故なら既存の業務機能の集積メリットを活用しつつも、既存市街地と接続した業務地区の形成が最も経済的効率が高いからだ。思うに、日本は土地に関する権利の保護が強いため、内陸部の再開発は権利調整が困難である。逆に新規に埋め立てをしたウォーターフロントは既存の権利に左右されずに広大な土地を創出しやすいことは事実であるから、自分は臨海副都心開発計画も賛成であった。ただ「開発が容易であるから」という理由で開発しても、そこが経済的効率が高いかというとそうとは限らない。開発面の容易性と経済的効率性の解釈とを重ねすぎてもいけない。上手なやり取りをしてほしい。
「職」と「住」の近接という願望から新規開発地区に業務施設が作られれば、そこに近接する住宅が社会的ニーズとして求められてくる。ただこのニーズは実現しづらく、経済的効率性を必ずしも高めるとはいえない。それは業務施設周辺の地価の上昇に伴ってその周辺の勤労者の住宅獲得が困難になるからである。これでは今までと変わらない。自分は、快適なオフィス環境(業務機能)と快適な住宅環境(住宅機能)とは両立しないと思う。そして、オフィスと住宅は近接していても両者の境界線はひくべきだと思う
ところで、ウォーターフロント地域に住宅の機能は本当に適するのであろうか。軟弱地盤、液状化現象、塩害、地震活動、津波など問題点も多くあるが、人々のなかにはそのような問題点よりも、科学技術に全信頼をおいたうえで自らの願望(上記)を優先させる者もいる。都市近郊の安心できる土地に住みたいのは当然だ。自分は当然だと思う。防災設備のしっかりした都市基盤を設立してほしいと切に願う。
商業施設は、まず、人を集めて賑わいを創出しなければ成立しない。しかも、オフィス街や住宅のように時間帯によって人口密度が変化する場所で、ある程度限定された人を対象にするのではなく、不特定多数の人々を対象とした施設を昼夜問わず公共のスペースとして一般に開放し、人を集めてウォーターフロントの公共性をしめすことで商業施設は施設として成立すると思う。たとえ何の施設も存在しない公共の公園をつくっても、昼間は良いが、夜になると人通りが途絶えるのでは有効に活用できていないようにおもえる。今後は、二十四時間活動型に変化しつつある現代人のライフスタイルに合致した、二十四時間楽しめる魅力を持つ施設も作っていくべきである。
人をひきつけるこれらの施設は、都市開発において重要である。良い例を挙げると、
1893年開催のシカゴ万博はウォーターフロント開発の先駆と評価され、ミシガン湖畔の会場にオープンスペースや壮麗な建築物を設けて多くの話題を集めた。シカゴ万博の会場の空間処理は全米各地に影響を与え、その後の米国の都市計画の模範となったのである。その都市美運動は経済活動の活発化によって都市に秩序を与え、美観の原理に基づいて都市建設を再建築することを目的としていた。この運動は大都市シカゴの整備を開始させ、湖畔の景観を生かした施設の設置を導いた。ちなみにシカゴの湖畔線約48kmの八割は、公園や砂浜として一般に開放されている。この事例のように、ウォーターフロントは、各種イベントと結び付けることによって魅力を増すことが出来るし、商業施設としても貢献できる。シカゴ万博は二者の深い繋がりを端的に示しているのだ。重要な部門である。
かつて港湾都市は交易の中心として各国の文化・芸術・情報が飛び交う国際交流の場であった。最近の開発のコンセプトとして頻繁に掲げられる国際都市・未来都市・情報化都市という課題に対応するには、国際交流の場としてふさわしい場を新規開発地に建設することが不可欠である。
現代、国際交流の主流は港湾をはなれて空港が中心となってしまったが、外国貿易の拠点として確立されたイメージは、二十一世紀における国際都市としてのイメージを掲げるときに重要である。
現在利用されているウォーターフロントは、かつて港湾施設を中心として発展したその街の歴史の中心地に近接するため、歴史博物館や海洋博物館といった文化施設を建設してあることが多い。港湾の歴史的形態としては、市場や倉庫等の交易施設(セントルイスのラクリーズランディングなど)、漁業施設(サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフなど)、軍事施設(ボストンのネイビーヤードなど)、工場(サンフランシスコのギラデリ・スクエアなど)が挙げられる。以前から存在する文化施設と、開発による新施設を調和させることは困難である。今後、それぞれの都市ごとの固有の遺産の特徴をどのように生かすかが成功の鍵となりうると思う。
1985
年に鈴木俊一・前知事が発表した「東京テレポート構想」とは何だったのであろうか。40haを情報・金融都市にする構想は、「民間活力」を掲げる中曽根内閣のもとで、現在の大規模の開発計画の膨らみ、当時の内需拡大策や都市再開発ブームと土地高騰を背景に、工場移転で遊休化した土地や、広大な港湾用地を持つ東京湾岸が脚光を浴び、臨海副都心はウォーターフロント開発の象徴となった。ところが90年代になってバブルの崩壊と景気低迷が深刻な影響をもたらした。第一次進出予定の企業の撤退や計画変更が相次ぎ、東京都は都有地の大幅値下げを余儀なくされた。1995年秋、臨海副都心は第一次の都市基盤整備をほぼ終えて都市活動を始めたが、開発計画の大幅見直しを求められ、東京都知事選で「都市博の中止」・「開発計画の徹底的な見直し」を公約に掲げた現東京都知事・青島幸男が当選した。この騒動は何だったのであろうか。景気が悪くなるとすぐに、市民が開発見直しを叫ぶのは、やはり十分な市民的議論を欠いたままに巨大都市計画が進められたことを示す。業務と商業ビルを中心とした世界的な情報・金融センター「東京」が果たして適切かどうか、また、都心居住推進や防災の街造りといった要請をどう取り込むかといった点を財政問題とともにあらためて見直すべきである。
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