筆者は「日本は世界最大の経常収支黒字国、世界最高の対外純資産保有国なのに、どうして国民の生活水準はそれほど高くないのか。」という疑問に対して、「日本人は一生懸命働いて経常収支の黒字を稼ぐ。その結果円高を進めて、企業は自ら呼び寄せた企業倒産や失業の原因のために苦しみ出す。つまり、日本人は自分で自分の首をしめている。」と説明し、この状態を悪循環と呼んでいる。
日本は1970年代後半の高度成長期の終焉と共に財政赤字拡大が進み、1980年代後半以降、国は国債発行を抑えて財政再建に乗り出し、その時から企業も国も、国内に有り余る貯蓄を有効に利用しない状態が始まり、国内で貯蓄が余り始めた。貯蓄に対する投資の不足である。国民は働いて商品やサービスを供給し、所得を増やすが、将来に対する不安からあまり消費に使わず、貯蓄として貯め込んだ。その結果供給した商品やサービスが国内で余り、供給過剰になる。その余った商品やサービスを海外に売ることによって世界最大の経常黒字が発生して、1980年代から今日まで累積を続け、ついに日本は世界最大の対外純資産国になったのである。
しかし、国民の生活は相変わらずで、貯蓄に励んだ結果の円高が生活に不安をもたらす。円高不況による倒産や失業で生活が根底から脅かされないか、又、円高に伴って先端的輸出企業が工場を海外に移したことによる生活の基盤の日本の産業の空洞化への恐れから、国民は消費を切りつめて将来のためにますます貯蓄率を高める。このようにして経常黒字は拡大し、円高は進み、平成不況は長引いた。
著者は、日本の経済改革はこの悪循環から抜け出すための改革でなければならないという。国内に有り余る貯蓄を国内で有効に使って日本人の生活を豊かにすれば、国内経済の発展と表裏の形で経常黒字は自然に縮小し、円高圧力は弱まり、悪循環は止むというがそうであろうか。
自分は経済学部望月宏教授のゼミナールに所属しており、本年度の新ゼミ生討論会でとり上げた日米貿易摩擦の中で、日本を「現在の急激な黒字減少の背景には円高による内外価格差を利用した輸入の増加の影響がある。円高は海外への資本移転を促進するとともに企業の海外投資を増加させ、結果として全体の投資の増加が日本全体の貯蓄超過幅を縮小させることが分かる。つまり、円高による海外投資と輸入の増加によって貯蓄超過幅の縮小が進み、同時に経常収支の黒字幅の縮小のつながっているという状態にある。」と定義した。著者のように貯蓄を国内で使うことのみが経常収支を自然縮小させ、悪循環を食い止める方法だとは考えない。国内での消費だけが貯蓄の有効な使用手段ではないはずだ。先述したように、海外投資の増加によっても経常収支の黒字幅の縮小につながることがいえるためである。
悪循環の中で、日本人が真の豊かさに触れていない理由とその打開案を4つに分けて述べている。第1に、日本人の所得や資産を為替相場で外貨に換算すると大きく見えるが、国内の物価が国際的に見て著しく高いので、実際に所得や資産で買える商品やサービスの量は少ない。内外価格差を縮小して為替相場で換算したときだけの見かけの経済大国日本を、内容を伴った本物の経済大国にすること。第2に、地価と建築コストが国際的に見て著しく高い日本では、住宅取得という観点で、日本人の所得と金融資産は少しも豊かではなく、それを解決するために住宅価格を外国並みにできるだけ引き下げなければならないこと。第3に、日本は社会的消費(道路・交通機関・公園・上下水道などの生活関連資本を皆で共同で使うこと)の水準が先進国と比較しても低く、日本の経済力を生活関連社会資本の充実にうまく活用してこなかったこと。日本人の私的消費水準は、第1、第2の理由からもわかるように、実質値では国際的に見てまだ低い。その上社会的消費水準も低いのだ。1990年代における総額430兆円の公共投資基本計画も、産業基盤整備等に偏った公共投資を抑え、もっと生活関連社会資本への投資を増やしていけば、国民はもう少し豊かな生活実感を得られるであろうこと。第4に、豊かさの意味とは単に量の多さに限らず、たくさんの種類のサービス、商品、住宅の中から自由に選択できることであり、豊富な選択の機会を与えられ、自分の好みや価値観にしたがって自由に選択できるときに人は真の豊かさを実感できる。このような観点からみると、先進国の中で、日本の消費者ほど狭い選択範囲の中で生活している人間はいないことを述べている。
自分の生活にはどう関わっているのであろうか。第1については慣れてしまっていて生活の中で特に実感しない。在日外国人の方は特別感じるのではなかろうか。しかし、日本人が以外を旅行しているときと同じように、国内でも、日本人の所得と資産で買える商品とサービスの量が豊かになれば大変快適なのではなかろうか。第2については学生の自分にはまだ実感が無い。両親のほうがよく知っているであろう。日本の国土は狭く、人口は多いので住宅地の価格を外国並みに引き下げるのは不可能かもしれないが、引き下げるための工夫の余地はまだあるはずである。第3については、朝の満員電車がつらいことが身にしみる。実家のある長野では、道路の整備状態が極めて悪い場所が何個所もあって不快な思いをしている。第4については大いに賛同できる。身近な例でTV中継を挙げると、東京は7チャンネル(衛星放送除く)しかないが、アメリカのようにCATVが普及している国では、何十種類のチャンネルの中から選択できるのが普通であることが羨ましい。日本では、消費者が自由に選択しないまま放送局の方で決めた番組にしたがって、7チャンネルの中から好みの番組を探し回って観させられていることに選択の狭さを感じる。宣伝中のperfecTV(70チャンネル!)はとても魅力を感じる。ほかにも著者は有線テレビや金融機関のキャッシュマネジメントサービスの種類や郵便サービスにも選択権についても述べるが、人によっては他にもあるであろう。
経済改革の目指すものはそもそも何であろうか。1973年10月のオイルショックにおいて日本経済が直面した歴史的変換の局面は、当時の西欧追従型の産業化路線、および輸出・投資主導型の高度成長路線からの二重の意味の転換であった。その性格上、日本はその時以来20年間、欧米の産業化社会を単純に真似て追いかけるのではなく、その経験に学びながら、日本独自の経済社会の目標像を新たに描き、それを実現するための経済システムの在り方を新しく考えることを課題にしてきた。
しかし、現在の日本は悪循環が発生し、規制緩和と市場開放を求められている状態だ。経済活動は政府の不透明な介入と規制でがんじがらめにするのではなく、政策決定も透明な民主的手続きでおこなわれる国、自由が原則で規制が例外の市場経済の国、要するに、西欧的基準でみて、ごく普通の民主主義と市場経済が支配する国に移行するべきなのである。
経済改革の推進によって日本経済の構造は今後どう変化するのか。1980年代後半の円高によって、半導体・自動車・精密機械・コンピューターなどの業界の海外投資で、産業空洞化の傾向が出現したことは前述したが、1990年代後半の現在、空洞化を食い止める未来型産業はまだ現れない。
しかし、その軸となる兆候はある。技術革新の分野では、光ファイバーケーブルをはじめとする新素材や、端末を使った放送・通信に伴う半導体・液晶の発展とそれに伴うマルチメディアの活用、バイオテクノロジーなどである。規制緩和の分野では、市場開放、情報通信分野、土地住宅の3分野が大きな影響を受けるであろう。生活関連資本と情報・教育への資本の充実も求められる。高齢化・少子化社会は教育・就業・余暇・家庭のマネジメント・医療・介護など社会のあらゆる側面を、技術革新で労働節約的・時間節約的にしなければならないことを想像させる。光ファイバーケーブル網を張り巡らした高度情報通信システムが必要となろう。極端な円高の阻止なども期待される「軸」であろう。
平成不況が深く長かったとはいえ、今後の発展を悲観的に考えすぎてはならない。日本経済は、これらの兆候を軸として大きな構造変化を伴い、これからも成長していくだろう。