[英語]

この卒業式にご出席くだされたルーデインシュタイン学長にゴア副大統領、そしてともに卒業する友人とそのご家族の皆様、特に私の家族は特別です。なぜなら私が今日この場に立って答辞をする事を知らせていなかったからです。

今日、私は感激しています。この学校を卒業し幼稚園の頃が昨日の事に思われる事に思われるからです。私は感激しています。それは、今自立した社会人になるべく切磋琢磨してきた上での最終段階にまさに位置している事です。私は感激しています。ここで多くの友人に出会い多くのことを学び、身につけ、多くの問題・研究・論文・試験を仕上げさらにはここのハーバードやランドクリフの学生寮における数々のすばらしい料理を乗り越えて生きてくる事ができたからです。

この学生時代は私たちに刺激を与え続けてくれた時間だったと思います。私が話で言った事だけではなく4年間の最高の教育という贈り物をも受けとることができたからです。皆さんが受け取った最高の教育は価値を失う事のない宝物だと私は確信しています。それは多くの人々が単に夢で終わってしまうような事を可能にしてくれる物でしょう。この最高の教育をもってすれば世界をより良い生活を送れるように変える事ができるのです。

私たちがここで得た知識を応用しようとする勇気もまたそれを会得するのと同様に価値のあるものなのです。卒業に際して受け取った贈り物をお互いにどう分かち合うかという将来の方向性のような物を決めなければならないでしょう。皆さんの隣に座っている人は、いくつかは私もできると信じていますが、この世界において何らかの変化をもたらす事ができる人々なのです。

私たちの中にはワシントンにおいて、いつの日か今以上に多くのこの国の人々が最高の教育をもっと身近に受ける事のできる法律を制定する人もいるでしょう。または、中には教師となり、私たちが受けてきたのと同様に生徒の力になっていく人もいるでしょう。たとえ、治療費が払えない人でも病気を治療する医者になる人もいるでしょう。そして弁護士なるひともいるでしょう。彼らは正義のためにただで仕事をする事があるかもしれません。しかもただ法律を使うのではなく。または、あなた達は大きな信頼関係を造る人もいるでしょうし、リトルリーグのコーチや日曜学校の先生、アドバイザーになる人もいるでしょうし、耳の不自由な人のためにかわりに発言する人になるのかもしれません。皆さんがこの先何になろうとも私は皆さんに未来の自分への可能性を信じ動き続ける事を望みます。

私は一年生の時に、ボストンのある援助を必要とする地区で公共のボランティアに参加していました。そこにおける子供たちは、家族が彼らの成長のためにより安全な環境を作りだそうとしているにもかかわらず、日々の薬・暴力・殺人・貧困から逃れられることはありませんでした。ある日、ルイスという7歳の子が私のところに来て「ミッシエル、私が大きくなったらあなたのようにハーバードに行きたい。」と言いました。私はいつの日かルイスがハーバードの授業に出席できるものと信じると同時に、もしすばらしい教育という贈り物を分け与えようとする私達のような人たちからの助けを愛ければ、今、彼のいる貧しい状態から抜け出せると悟りました。

あなたはおそらく、この世界をより良い場所に変えるために高等教育という贈り物をどのように使うかについて、直接的な提案を何もしていないことに気がついたことでしょう。その決断はあなたがしなくてはいけないのです。私は、あなたの目の前にある簡単には解決できない課題に気がついて欲しいのです。誰が最初に行ったことかはわかりませんが、母を信用して、かつて偉大な人が言ったように「簡単に行くことほど滅多にすばらしいことはない。」私はあなたがたすべてが自分達の富を分け与えて欲しいと思っています。それによって見せかけだけの自己主義的な世界において、個人個人の闘争を引き起こすことになるでしょう。それでもやはり私はあなたがたにそうして欲しいと頼むのです。あなたの、時代に対する考慮はあなたが気がついていることよりもっと価値があり、ルイスのように星をつかもうとする誰かを激励することができるでしょう。あなたの努力はすぐには効果を表さないかもしれないが、あなたの仕事のいかなる贈り物を与え、見返りを求めず、ただ効果が起こることだけを願って欲しいのです。

最後に、私をこのスピーチの場に導いてくれた人々,この機会を与えてくれた人々すべてに感謝し、また他の誰かに教育という贈り物をあたえ続け「何者かになり、何かをしよう」と教えてあげて下さい。みなさん、御卒業おめでとう。



Verdion.1

何かになりなさい。何かをしなさい。

ミッチェル・D・テイラー

ルーデインシュタイン学長に、ゴア副大統領、そして卒業生の友達とそのご家族の皆様、

とりわけ私の家族は私が答辞を読むつもりだなんて知らなかったでしょう。

今日、私は感激しています。本当に感激しています。なぜなら、私は大学を卒業するからです。幼稚園の頃が昨日のことのように思われます。私は感激しています。なぜなら私の職業をまさに始めようとしている人生の中の最終ステージにとうとうたどり着いたからです。私は感激しています。なぜなら、私はここでたくさんのすばらしい友人に出会い、たくさんのことを学び、たくさんの問題・研究・論文・試験を仕上げ、そしてさらにここハーバードで出された全くすばらしい料理を乗り越えて生きてきたからです。

この時間が私にとって驚くものであったのと同様にあなた達にとってもそうであったと確信しています。私が話に挙げたからというわけではなく、私たちは高等教育という非常に価値のある贈り物を与えてもらったからです。あなた達も知っているように、あなた達が受けた高等教育は価値の失うことのない宝物だと私は確信しています。それは多くの人々が夢にまで見た機会を創造してくれるでしょう。さらにあなた達が受けた高等教育のおかげで、世界を変えることができ、そしてより良い場所にすることができるのです。

IPSA SAPIENTIA POTENYIA EST このことわざは高校のラテン語の授業から思い出すことの出きるうちの一つです。それは知識自体に力があると言うことを意味しています。これは真実です。しかし私たちがここで得た知識はそれを応用する勇気と同じくらい価値があるものなのです。

卒業したら、あなた達が受け取った贈り物をお互いに分かちあるかどうか決めなければならないでしょう。あなた達の隣に座っている人たちは、世界で変化を起こせる、私はいつか変化が起きることを望んでいるのですが、そんな人たちです。私たちの何人かは高等教育を今世紀の多くの人々により近づきやすいものにする法律を作り、ワシントンに住むことになるのでしょう。私たちの何人かは先生になり、そして私たちが受け取り、聞かされた励ましを自分たちの生徒に与えることになるのでしょう。私たちの何人かは治療費が払えない人々も含めて、病気を治療してくれる医者になるでしょう。そして私たちの中の誰かは弁護士になるでしょう。“PRO BONO”のようなケースを引き受けるような弁護士です。正義であり、単純なサービスではないのです。あなた達は大きなSIBLING、リトルリーグのコーチ、サンデースクールの先生、アドバイザー、または普通に聞き取ることのできない人の声のかわりになるかもしれません。私は何かをする、何かになるあなた達を応援しています。

私が大学一年生のとき、ボストンの中の貧しい人々の住む地区の公共サービスプログラムでボランテイア活動をしていました。このプログラムの中の子どもは、麻薬密売人、暴力、殺人、貧困といったものと闘い、一方では彼らの家族はその子供たちが大人にるために必要な、安全な環境を積極的に作ろうとしていました。

ある日、ルイスと呼ばれていた七歳の子が私のところに来て言いました。“ミッチェル、私が大人になったら、あなたと同じようにハーバードに行きたいわ”私はいつの日かルイスがハーバードに通い、そしてもしかれが私たちのような教育の贈り物を互い分かち合う人々から援助を受ければ、彼が今暮らしている厳しい環境は恒久的なものにはならないのです。

あなた達の中の何人かは、なぜ私が大学教育を贈り物と呼ぶのだろうと不思議に思うかもしれませんが、私はあなた達の友達と家族がそれを得ようとしてたくさんのお金・時間、そしてもしかしたら血・苦労・涙・汗を費やしていると思うのです。しかしみなさんは名誉学会のモットーを思い出すべきです。“真実と知識のトーチを掲げなさい”あなた達はその明るさを灯していませんでした。それは他の人からあなた達に与えられました。しかしそれを燃やし続けることがあなたの責任なのです。なるほど、教育課程は独立の努力ではないのです。

私はしばらくの間、あなた達が今いる場所に私を連れて行こうと助けてくれる人々をはねかえしていました。綴り方を教えてくれたお姉さん。理科の宿題を手伝ってくれたお兄さん。自転車の乗りかたを教えてくれた近所の人。数年後、あなた達が大学にいたとき、その人々も大学にいました。あなた達のためにまだそこにいたのです。あなた達に、お祈り・ケアパッケージ・ハローと言うだけのびっくりする電話などをしてくれて、また絶えず野菜を食べるように助言をくれました。その人々はあなた達をその場所に連れていってくれました。彼らはあなた達が生き残るのを助けてくれ、そして未来に貢献してくれるでしょう。

さあ、あなたがここまで学んだ授業について考えてください。クラスメートとの友情、いえを書くこと、私たちがここで得た明瞭な環境に気づくでしょう。あなたのハーバード共同体との関係と社会経済学の授業、文化、態度。それらのすべてが、あなたにとって明確なものであるかどうかわからないが私たちに利益をもたらしこの偉大な贈り物に貢献してきた。私がすべての人々に向けて行ったとき、また私が学びたくはなかった授業を含めて彼らが私に教えてくれた時私の考えにみんなは同意したと確信している。私は最終的にすばらしかった。

私が、どのようにしてあなたが高等教育という贈り物を使ってこの世界をより良い芭蕉にするか何も提案していないことにきづくかもしれない。あなたが結論を見つけなければならない。あなたが簡単ではないと思う前に、この事に気づいて欲しいと思う。ある偉大な人がかつて行ったことであるが、私は根本的にそれをいったことがわからない。だから私は母にお金を上げよう。この事は見たところ自分の世界では多くの個人的な衝突を引き起こす。にもかかわらず、私はあなたにそれをするように言った。あなたの注意はルイスのような星になりそうな人をひらめかせるより価値があるように思える。あなたの努力が感動という言葉と類似はしていないかもしれないことに気づくかもしれない。皆さん、ありがとう。皆さんがあなた方をここに連れてきて、あなたにこの贈り物をあたえ、教育という贈り物を他の誰かにあたえ、何かになって、何かをすることを。おめでとうございます。