1997
年7月17日木曜日日本経済の歴史的転換を読んで見て…
E07−0804C 安西正幸
バブル崩壊後の日本経済は、高度経済成長期からの意識改革が遅れ、景気低迷をしてきたが、ここにきてようやく景気回復への出口を見つけかけている。
例えば、各種の規制緩和や日本版ビックバンなどの実施により、以前のような景気回復を期待できると言う声が多い。確かに、無意味な規制を緩和する事により、企業に色々なチャンスが与えられ経済全体に活力を与える事は間違いないだろう。また、世界的に企業のグローバル化が急速に進んでいる現在、日本の規制によって日本国内の企業を守ると言う意味合いは、もう過去の話となっているだろう。
しかし、これらの「構造の改革」については具体的に進展しているのに対し、全体的に「国民の意識改革」と言う点については、私は少し遅れているように感じています。
ここで「国民の意識改革」と言う言葉について触れておきたいと思います。ここで使われている「国民の意識改革」とは、はっきり言って高度経済成長期からバブル期のような経済はもうこないだろうと言う意味で、国民の意識改革を行なわなければならない。むしろ、個々でこの事について自覚して行かなければならないと言う意味合いで使っています。
私がなぜ「国民の意識改革」が遅れていると思うのには、私なりの考えとして何点か理由があります。
それは、第一に、「規制緩和=自由競争を自覚しているのだろうか。」と言う事。そして第二に、「統計で見れば景気回復をしていると思われても、個々で見ると所得格差の広がりや失業率の増加などが起こり、一人一人によって景気の受け止め方が現在以上に変わって来るだろう。」と言う事が考えられるからです。
第一の点として、果たして規制緩和=自由競争を自覚しているかと言う事について、もう少し説明していきたい。
この様に思ったのは、規制緩和を実施すれば自由競争になり企業にとってチャンスが増えるのに対して企業間の競争ははげしくなるので、企業は生き残るためにも今以上に合理化や雇用面での対策を強固に実施するだろう。
そうなれば、以前のように終身雇用や新卒の大量採用などから、経営の効率性を求めて年棒制や派遣社員の増加、そしてキャリヤのある人材の中途採用の増加など労働市場が流動化する事になるだろう。もしくは、自分の会社が買収や合併あげくの果てに倒産する事態に陥る事になるかもしれない。
つまり、規制緩和を実施する事により自由競争が生まれ、益々個人の責任が重要になってくるのだろうと思う。
第二の点としては、簡単に言えば米国などを見てもわかるように、自由競争にすると所得格差の拡大や失業率の増加とような、悪影響も出てしまうだろう。そのため、実際には好景気と感じる人もいれば不景気と感じる人もいて、個々により受け止め方が今以上に変化するだろうと思われる。そのころになれば、日本の「平等主義」と言う言葉も無くなっているかもしれない。
しかし、だからと言って規制緩和を反対と言っているのではなく、短期的には悪影響が生じても、長期的に日本経済を考えると必要なものと考えられるため、早期に規制緩和を実施するべきである。そして、少しでも悪影響を受けないためにも先ほど述べたように、個人が責任を持って対処して行かなければならないと思う。
特に金融においては、これから日本版ビックバンが実施されれば顕著にこれらの事がいえるだろう。外資系の銀行が日本に進出してくれば、短期的には今まで護送船団で守られていた日本の弱い銀行は、たちまちつぶされてしまう事が予想される。
これからは、どこの銀行に預けてもある程度の額なら同じと言う時代ではなく、各自の責任により、銀行を見極めなければならない時代であると思う。つまり、たとえ預金していた銀行がつぶれても、その銀行を選択した本人の責任になる時代になり、それだけ個人の責任が問われると思う。
最後に、これからの時代はたとえ景気が回復しても、高度成長期からバブル期のような経済状況は二度と起こらないと思う。まずこの事を自覚して、自分の責任が重要になってくる社会になると言う「国民の意識改革」が何よりも必要なのではないでしょうか。