「日本経済の歴史的転換」を読んで
E07−0731 永尾龍太郎
この「日本経済の歴史的転換」という本を読んで一番興味を持った点は、“第2章 日本経済の潜在成長力”の中にある、スタンフォード大学の国際経済学者ポール・クルグマン教授の説についてです。これは、1994年の末にアメリカの著名な雑誌「フォーリン・アフェアーズ」の中で発表された、「“アジアの奇跡”などというものは単なる神話に過ぎない、アジアの成長はもうすぐ終わるだろう。」というものです。「21世紀はアジアの世紀」、「アジアはこれからの世界の成長センターになる」という世界で主流となっている考えとは正反対の趣旨の論文だったので、世界中から注目を集めました。
この論文で述べられていることは、「21世紀はアジアの世紀だ」という世界で主流の考えも、「日本経済は21世紀のはじめにアメリカを追い越すだろう」というかつて主流だった考えも、我々が昔、ソ連経済に対して持っていた考えと同じように間違ったものだ、ということです。実際のところ、1963年から73年までの日本の成長率を引き伸ばすと、98年までには日本の経済規模は絶対値で見てアメリカを追い越すはずであったが、そういう事は起こらなかったし、これからも起こらないだろう、と論文で述べています。
標準的な経済理論では、経済成長の源泉は、@労働や資本などの「生産要素投入
(インプット)の拡大」、Aイノベーション(技術革新による生産性の向上)の2つです。この2つのうち、どちらが主要な役割を果たしたのかが重要で、アメリカの経済成長の場合はAが80%をしめています。これとは反対に、かつてのソ連や最近の東アジアの成長は@が多くをしめ、Aは少ないのです。経済成長の源泉がインプットの拡大によるものである限り、成長はすぐに壁に当たってしまいます。インプットの拡大を続けていくといろいろな面で限界が生じてくるので、それを打開するにはイノベーションによる生産性の上昇が不可欠だからです。例えば、シンガポールのこれまでの成長はすべてがインプットの拡大によるものであって、イノベーションによる生産性の向上はないので、インプットの拡大に上限があり、生産性の向上が無いのがこれからのシンガポールの経済だとすると、シンガポールの経済成長はまもなく止まらざるを得ないといっています。他のNIES諸国についても同じような結果が出せるので、21世紀はアジアが世界の成長センターになるだろうという予測は当たらないだろうというわけです。
日本の場合をみてみると、1965〜90年にかけての高度成長は、シンガポールの70〜80年代にかけての経済成長とは違いインプットの拡大だけでなく、イノベーション(技術進歩)による生産性上昇も大きく寄与したのです。やはり、インプットの拡大とともに、イノベーションによる経済成長が無ければ、ある段階で成長は停滞してしまうのではないでしょうか。
だからといって、この先アジア諸国の経済成長が確実に止まってしまうだろうという事がいいたいのではありません。今までアジアの途上国においてイノベーションが出てこなかったのは、外国の技術を取り入れるので精一杯だったり、また、それだけで十分利益を上げてこられたためにイノベーションの必要性が少なかったからではないでしょうか。しかし、ある程度経済が発展してしまった国々にとっては必ずイノベーションが必要になってきます。
例えば、アジアの奇跡と呼ばれる高い経済成長を続けてきたタイが初の試練を迎えています。ノンバンクは「少なくとも五千五百億バーツ(約二兆千四百五十億円)の不良債権を抱え込んだ」(バンコク銀行)といわれ、いわゆるタイ版バブルの崩壊が起こりました。投資全体の6割を占め、経済成長を支えてきた外資は、経常収支の赤字などほころびが目立ちはじめたタイ経済を嫌気して、昨年あたりから撤退する動きが進行していました。そういった中で、金融不安に追い込まれ、通貨バーツの切り下げを決断し、その影響は他のアジア通貨にも飛び火する気配を見せています。アジアの成長は通貨の安定が前提であるので、タイが金融不安を払拭できるかどうか、注目されるところです。現在成長を続けている他のアジア各国にとっては決して他人事ではなく、将来自国でも十分起こりうる事なので、自国の経済への取り組み方を見直す良い機会となるでしょう。
しかし、台湾や韓国などのように、コンピューターや半導体の分野でイノベーションにより飛躍的な成長をしている国もあるわけで、いかに自国の産業にあったイノベーションを生み出せるかがこれからのアジア諸国にとって重要な課題なのではないでしょうか。