CM
のおはなし
テレビ番組の合間にながれるCM。最近は様々なCMが登場し画面を彩っている。多くの人はCM中に、小休止としてトイレに行ったり、何か別のことをしている場合が大半だと思う。見たとしても軽く流す程度ではないだろうか。しかし、もう少し注意深く見てもらいたい。そうすると、テレビCM業界の現状というものが見えてくる。
CMとは、難しく定義すると、企業がテレビというメディアを使って自社の様々な利益に繋がる情報を提供する手段である、というふうになる。ただし、そこには時代に沿った新鮮な話題や世の中へのテーゼを含んでいなければならない。つまり、ひとつの作品として完成されたエンターテイメントというものを提供しなければならないのだ。
しかし、今日本のCM業界は大きく揺らいでいる。国内最大の広告賞であるACC賞で発足以来初めて外国企業のCM(ナイキの『M・Jシリーズ』)が郵政大臣賞に選ばれ、また世界で最も権威のある広告賞のひとつである、カンヌ国際広告映画祭において63年から続いた日本CMの入賞が途切れたのである。
これが何を意味するかというと、売れるCM作りに企業が奔走してきた結果、日本のCMには見るべきものがないという烙印を日本国内からも、世界からも押されたということである。
ここで今一度、企業にはCMのありかというもの見直してもらいたい。CMにおける作品とは、金を必要以上にかけたり、有名芸能人を使ったり、手の込んだ映像技術のみを指すのではない。企業の確固たる姿勢や哲学がにじみ出てくるようなものが作品と呼べるのである。さらにそこには時代の流れを読むセンスというものが感じられなければならない。
そして、今まで一方通行だったCMを、受け手との相互理解を前提とした広告コミュニケーションとして再構築しなくてはならない。
何かと暗い話題の多い現在、先の見えない社会を鋭く風刺してみたり、あるいは思いっきり笑いを飛ばしたり、癒しを与えたり…。こういう時代だからこそCMのネタはたくさん転がっているのではないだろうか。「不景気なときにCMは面白くなる」といわれている所以はここにある。
もう一度言う。CMは作品でなければならない。文化でなくてはならない。そのようなCMがたくさん登場することに期待したい。
でも、サッチーの水着姿はどうかと…。