経済学部で何を学ぶか
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08−0630田辺健太近年、経済学部の衰退が叫ばれて久しい。それは、経済のグローバル化、人材の本格的な流動化時代を迎え、大学の経済学教育のあり方が問われていることが一因であろう。また、大学で教える経済学が現実とかけ離れてしまったからだという意見もある。原因が何であれ、我々が経済学部に在籍しているという事実だけは変わらない。そうだとすれば我々は経済学部に在籍する意義を見出さなければどうしようもないのである。そこで、最近出版された週間東洋経済
(5/2−9合併特大号)の「人気低迷!転機に立つ大学・経済学部」の記事を引用しながら経済学部で何を学ぶべきかを検証したい。いったい経済学には何が求められているのだろうか。千葉商科大学学長の加藤寛氏はこの本の中で以下のように述べている。『経済学には何が求められているのか。それは、いい、悪いという「価値判断」を組み込む視点である。経済学をだめにしてしまった考え方は、「他の条件が等しければ」という硬直的な前提条件にある。現実には、「他の条件」が変化し、そこに環境や心理や生物学的な要素が入り込んできている。求められているのは、環境の変化を受け入れ、それを盛り込んだモデルを作り上げて、再び環境の変化を受け入れて、モデルを再構築していくというスパイラル的な発展である。それぞれの学問の領域を残したままのいわゆる「学際」ではない、領域そのものを取り払った総合科学としての経済学が必要になってきている。』
次に、東京大学教授野口悠紀雄氏の意見である。『米国の制度では、経済学部とビジネススクール
(経営学大学院)が並存している。経済学部の大学院は経済学者の養成、ビジネススクールは実学の教育という役割分担が明確である。日本の場合は、このビジネススクールに相当する部分が、非常に手薄だ。本来なら経営学部、商学部がそうした機能を担ってしかるべきだが、実際はそうなっていない。どちらかといえばこの両学部でさえ、実学よりも、学問のほうに力点がおかれている。』3番目は、関西大学教授山本繁綽氏の意見である。『医学部の科目では、基礎医学と臨床医学が半々、工学部の科目でも講義と実技(実験)が半々くらいである。それに対し、経済学部の科目は基礎にあたる科目がほとんどである。つまり他の職種とは異なり、ビジネスマン、ビジネスウーマンの場合は養成教育が行われず、お門違いの経済学者の養成が行われている。こうした理由から経済学部では、臨床に当たる科目を思い切って増やすことが必要ではないかと痛感する。それらの第一は、簿記、会計、経営、金融、貿易などの実務的科目や民法、商法、独禁法などの経済関係法の科目である。第2は英語をはじめ主要な外国語科目であり、それも通信文が書けるような徹底した実務的語学である。第3はパソコンなどによる情報処理の操作である。こうした科目は、細分化すれば100近くになるであろう。』
以上、三氏が履修過程の変更や学部改組を説いているのに対し、エール大学教授浜田宏一氏は以下のように警鐘を鳴らしている。『学生のほうの、国家試験志向、資格獲得志向、
(現在、日本では理科系のほうが就職が安定しているのでといった)短期的志向も問題である。学生の知的脆弱化に対して、カリキュラムを合わせる意味はない。』次に経済学部に在籍している学生は何を学ぶべきかを考えたい。前出の加藤寛氏は上記のような経済学部の生き残り策を提示した上で以下のように学生に対し苦言を呈している。『学生側も即物的な性急さは考え直さないと行けない。だいたい、実技教育、例えば国同士の意思疎通に欠かせない外国語、国境を超える人工言語であるコンピュータ、経済社会の言語であるアカウンティング
(会計用語)、これらの三つの言語などは、一年生のときにしっかり身につけなければいけないのに、そこを疎かにしてすぐさま専門課程を勉強したがる学生が多い。大学の四分の一は実技教育、残りの四分の三は専門課程という配分が望ましい。ディベートによる問題解決型の勉強をするにしても、まず討論できる言語を持たないと始まらない。』次に、一橋大学教授米倉誠一郎氏の意見。『日本の企業はこれまで、大学卒業生に「情報処理能力」の高さを求めてきた。これはアメリカをはじめとするお手本にキャッチアップするには適した能力である。総じて受験勉強がよくできた学生は、情報処理能力が高い。このために偏差値の高い大学卒業生が重宝がられてきた。しかし、今後はお手本がない分野で、自分の頭で考える「情報創造能力」こそが必要とされるようになる。例えば、先日ソニーとマイクロソフトが提携をした背景には、テレビやパソコンを越えた新製品の開発を急ぐ必要性があったと考えられる。また、今後成長が見込めるサービス業、金融、情報関連などの分野では、世の中のニーズを自分で見つけ出し、新しいサービスを作り出す能力が求められるようになる。アメリカで、どんどん新しいサービスが生まれ、今までなかったようなコンセプトの製品やソフトが開発されているのは、情報創造能力を高める教育がなされていることが一つの原因と考えられる。』と述べた上で次のように断言している。『どの大学に入学したかではなく、大学時代に創造的思考を身につけることができたかが大切である。』
このようにそれぞれの意見を見てくると大学で何を学ぶべきかということが自ずと見えてくるのではないだろうか。
まず、最低限、加藤寛氏の言う三つの言語である外国語、コンピュータ、アカウンティングを身につけること。次に、ディベートによる問題解決型の勉強をし創造的思考を磨くこと。
(大学の専門課程については言うまでもない当然のことなのでここでは省く。)前述されている通り、経済学部の欠点は臨床的学問の少なさである。これをどこで補うか考えなければならない。例えばインターンシップなどは実務経験をする絶好の機会である。最近インターンシップはいたるところで行われている。雑誌にも特集記事が組まれ、新聞の社説にも掲載された。
TVで特集もされた。通産省も積極的に導入しようとしている。こうしたものをうまく活用しない手はない。経済学部の欠点を悲観する必要はどこにもない。なければ自分で見つけ出し長所に変えてしまえばいいのである。こうして「情報処理能力」と「情報創造能力」を鍛えていけば決して経済学部の衰退化なんてありえないと私は考える。むしろ、すばらしい学部ではないか。
最後に余談ではあるが、最近、大学生の間では空前の資格修得ブームが起きている。この原因は、現在の景気状況からくる就職への不安感からだと思われる。しかし、本当に資格を獲得し履歴書に書くことがそんなに重要なのだろうか。私は、資格とは単なるツールに過ぎないと思っている。ツールを生かすも殺すも自分次第である。重要のなのは自分のしたいこと、将来のキャリアに本当にその資格が必要かどうかということである。資格と将来のキャリアの間に必要十分条件が成り立っているか、必要条件に過ぎないだけなのか、考える必要があるのではないか。
専修大学経済学部経済学科
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