日本経済の歴史的転換の感想
まず二章が印象に強く残ったのは私がこの章を担当したからと言うこともあるが、ここでいわれている考え方がこの本の背骨となっているように思えたからである。
<第二章の要点>日本経済の潜在能力が下方に屈折した可能性があることを詳しく分析する。高齢化・少子化がもたらす影響は労働インプットや資本インプット(生産投入要素)の縮小をもたらし、日本経済が活気を取り戻す唯一の方法は革新的イノベーションであることをみる。他国から技術を導入しそれを学習・吸収することによって自国の生産性を向上させると言う斬新的イノベーションがある。これは既存の外国技術を吸収するためリスクが少ないし、コスト的にもやすいため途上国で多い。しかし、日本に求められているのは基本的なコンセプトそのものを開発する革新的イノベーションである。先進国、特にアメリカに多くみられ、自ら革新的技術開発に着手しなければならない運命にある。なぜならば、先進国はコスト状態が悪化しており、単に外国から技術を導入するだけでは国際競争力を維持することが難しいからである。
日本においても、WINDOWS95発売を契機に知的産業がこれからの主流になる、となんとなくわかっていたが、論理的に原因からそれをわからせてくれた章であった。
物事は結果だけではなく、背景の把握しなければ正確な判断はできないということもこの章を読んで感じた。
第七章
思想基盤としての「平等主義」は二章での革新的イノベーションの推進に必要不可欠であると思われる要素の多く詰まった章であった。<第七章の要点>戦後日本の思想基盤であった「平等主義」の功罪を考える平等主義は日本社会の原点であった。安全で犯罪の少ない安心社会、共同体的結束力を生み出した日本企業、所得分配の平等が生み出した大衆消費社会。しかし、このような大きな成果を生み出した平等主義にも、歴史的転換が訪れている。
教育制度について感じたことがある。本当の勉強とは何かと言うことである。日本の教育制度の根本は「知識吸収型」であって、欧米との知識ギャップをうめるために、知識の詰め込みを強制するものであり、キャッチアップの時代であれば有効な教育制度であったと思われる。例えば、今、世間では英語の必要性が盛んにクローズアップされているが、就職に有利だからとか世間が騒いでいるだからとかで勉強しようとするのはまさに「知識吸収型」のなごりであると思われる。自分にはこういう将来の希望があり、そのために英語が必要である。このような勉強を必要とする背景
(目的意識)がしっかりしていないと学ぶことが楽しくないであろうし長続きもしないと思われる。これからは、独創的なものの考え方を育成することは言うまでもない。私は能動的な独創的な人間を作る要因として、(1)時流をつかむ。世の中のニーズを先どりできる力をつけること。(2)温故知新。古いものの中に新しいものを見つけ出す力を身につけること。(3)組み合わせ。世の中には、まったく新しいものというのは本当に少なく、大半のものは組み合わせによって生まれたものである。があげられると思う。
また「知識吸収型」の教育、「平等主義」の社会では余裕というものがないように思われる。日本においては、大学を卒業すると就職するのが当然のように思われているし、最近では変わってきているがその就職の一生の仕事と思われている。自分で責任が取れるならば、もっと個性的に生きることのできる社会であればよいと私は思う。たとえ失敗したとしても志のある者には何度でもチャンスの与えられる、やり直しの効く社会を望みたい。
第八章
「情報革命」に乗り遅れた日本<第八章の要点>情報革命によって、企業がどのような変化に直面しているのかをアメリカのケースを中心に概観する。日本の企業の情報化はアメリカに比べてどのような意味において遅れているのか。日本企業にとって、情報技術を活用するということは何を意味するのか。
ここではアメリカ企業の情報技術の発達の内容をまとめておきたい。
積極的な情報投資以前では、仕事のやり方が徹底していた縦割りであるため、横の連絡、調整(水平的コーディネーション)非常に悪い、つまり、各部門間のやり取りや企業と顧客のコミュニケーションがうまくいかないということがあった。例えば、アメリカ企業のオフィスで働く従業員の特徴で、隣の人がどんな仕事をしているのかをまったく知らないといったことがある。自分の責任以外の仕事にはまったく無関心であって、会社の業績には興味はなく、会社との契約で決められたことを確実にこなすだけという特徴である。当然従業員の置き換えは簡単にはいかず、リリーフ要員を雇う必要性があり、コストは上昇する。企業間関係においても、日本のような系列に代表される長期継続取り引きではなく、あくまで独立した企業がマーケットの中でお互いの利益を見込んで取引関係を成立しているのだ。
しかし、最近ではアメリカ企業の多くは水平コーディネーションの重要性に気づき、Eメールやボイスメールなどのイントラネットをふんだんに活用することによって、アメリカ企業は、個人間、部門間、企業間、さらには国境の壁を打ち破り始めたのである。
Eメールの普及と並んで進展しつつあるコンセプトは、データ・ウェアハウス(販売状況、経理、人事、技術、マーケット情報など、企業活動に関するあらゆるデータを集中的に集め、必要に応じて誰でも情報を取り出せるように設計されたデータベース)である。これに社内外から必要に応じてアクセスすることによって、分権的意思決定をしようというのがこのコンセプトの基本的アイデアである。―――――情報投資の近況
現在日本が世界の主流である「第三次産業」たる「情報通信革命」に乗り遅れている原因は、日本人の「保守性」にあるといわれている。歴史的に見ても「先取りの気性」よりも「保守性」が先んずるケースが多い。自分に当てはめて考えてみても、保守的な部分がかなり多いということが自覚できる。自分の中で変化を求めていないのである。現状に過剰の満足しているというかすでに諦めているのか、または理想だけは高くそれに向けての試みはまったくしようとしないのが現状である。極めつけは、みんなと一緒でいい、みんながやらないなら自分もやらない、という考え方である。耳の痛い話である。しかし自分はこの夏にある試みをしようと思っている。それは、大学の語学研修に参加するということである。これを決めるためいはいろいろと迷った、なぜなら「保守性」との戦いであったからである。みんなと遊んで楽しい夏休みを過ごしたい、アメリカに行って失敗するのではないだろうか、失敗したら恥ずかしい、という思いが吹き出てきたからである。だが、自分の中だけでも、何事にも積極的に行い、たとえ失敗してもまたチャンスを自分自身に与えようと思い参加することを決めた。この研修では、新しい風景を見るのも重要だが、新しい目を持つことを目的とし、望月教授のおっしゃる「喜び」を得たいと思っている。
この本を読んで、日本が改めて転換時にあるということが、その背景も含めて論理的に理解できた。終戦、オイルショックに続いて、バブル崩壊後の今日の不況は三回目の転換期であり、過去二回と同様に切り抜けるためのヒントが凝縮された一冊であり、「グローバルな情報化の中の日本経済」を学ぶには最適であった。
また、個人レベルにおいても学ぶことが多く、先程も書いたが、勉強に対するモチベーション(動機づけ)を高くすることができたような気がする。