ネブラスカ語学研修の旅行記
私はこの夏に大学の語学研修でアメリカのネブラスカ大学に行った。ネブラスカ州はアメリカのど真ん中に位置し、トウモロコシと牛肉の産地である。正直言って、リンカーンという街の周辺は想像以上に田舎であった。しかし、それが嬉しかった。なぜならば田舎こそが本当のアメリカの姿だからである。去年の夏にロサンジェルスの知人の家に遊びに行った時に、そのことを教えられた。現に今回も「ニューヨーク、サンフランシスコ、シカゴ、ニューオリンズをアメリカと思って欲しくない。」と言われた。
よくアメリカ人はフレンドリーであるといわれているが、ニューヨークの人々は無愛想な人が多かった(全員がそういうわけではない、2、3人の人とは長々立ち話もした)。それに対して、ネブラスカではすべての人がフレンドリーであった。すれちがうだけの人でさえ挨拶をしてくれた。日本人の描いているアメリカ像というものは都会と田舎を混同しているのだ(少なくとも私はそうであった)。田舎こそが本当のアメリカなのである。
その田舎のスケールもけた違いであった。ある晩、私たちをお世話してくれたあるチューターの家へ遊びに行った時に、深夜1時頃、男3人で散歩に行った。周辺何キロかには家はなく、あるのは平地とトウモロコシ畑で、360度地平線という景色であった。明かりは月の光のみであった。日ごろは何を見ても感動しない私でも感動した。まるで海の真ん中にいるような感覚になった。
アメリカ人によく聞かれたことの一つに将来の夢があった。「将来は何になりたいのか、どうしたいのか。」とかなり具体的に聞かれた。考えてみれば、アメリカと日本では大学に行く目的から違うのだ。アメリカでは、何々になりたいので、そのためには大学での教育が必要であるということで進学を希望する。さらに入学後専門のコースを比較的楽に変更することができる。常に将来を見据えた上に行動できるようになっている。私も日本の大学制度の上でぬくぬくとしている場合ではないのかもしれない。
一般論として日本人はアメリカに憧れていると思う。確かにあの広大なアメリカは豊かである。アメリカ人の独創性・自己主張の強さは保守的な部分の多い日本人にはないものである。しかし、今回、その独自性と自己主張の強さを逆に嫌うアメリカ人が意外と多いことに気がついた。そして、そのようなアメリカ人は決まって「日本人は常に周りのことを考えて謙虚であるところがいい。」と言い。さらに日本人の血しか流れたいないこと、民族的なアイデンティティーをもっていることを羨んでいる人に多く出会った。
すごく小さなことであるが、アメリカをうらやましく思った中にお金が24時間おろすことができるというのがあった。ATMというキャッシュディスペンサーの機械が街のあちらこちらに存在し、クレジットカードでいとも簡単に引きおろすことができるのである。おかげで現在、私はカード地獄に陥っている。
この語学研修に参加した目的の第一は、英語を勉強するということなので英語についても少しふれておきたい。アメリカ人と同じ生活を1ヶ月やってみて分かったことは、英語を英語としてとらえるということである。当然と思われるであろうが、私は日本にいる時には、聞き取った英語を日本語に頭の中で訳してから理解しようとしていたように思う。アメリカ人と対等に話そうとすると、これでは時間がかかりすぎるのである。単語一つ一つを聞き取ろうとするのではなくて、文章全体のニュアンスを大切にするというか、全体をなんとなく理解するのが合理的であり、完璧なヒアリングを目指す必要はないのである。
前回のロスへの旅行は、本当にお客様としていったのであるが、今回の語学研修ではアメリカ人と同じ視点に立って物事が見れたような気がした。それは多分、ネブラスカという周りに日本人がいない土地にいて、生活も寮で行い、食事もアメリカ人が食べているものを食べていたからであろう。現にニューヨークでは、典型的な日本人観光客であったことは嫌なほど実感させられた。しかし、典型的な日本人を何度も何度も経験しなければ先には進めないと思った。最初から国際的な日本人にはなれないのである。どんな形であれ外国での経験や知識は得たもの勝ちであり、それが5年後10年後に生かされることを期待する、そして何度でも私は海外に行き続けるだろう。