出会うこと別れること
−なぜ人は人を愛するのか−
Suga.M
恋愛は人間にとって永遠のテーマである。人間が生きている限り、その人生の最も重要なものが恋愛なのではないだろうか。そこで私は、人類の永遠のテーマである恋愛と、恋愛なしには語ることのできない、人生における出会いと別れについて考察しようと思う。
人生というのは、本来、あまり円満多幸なものではないと思われる。なぜなら、愛する人は愛してはくれず、ほしいものは手に入らない。概してそういう種類のものだからである。また、人間が一生を送る上で宿命といえるのが「魂の孤独」、つまり、「寂しさ」なのではないだろうか。
人の魂は、物欲によって満たされることはない。また、人生において永遠なもの、裏切らない幸福などありえない。限られた一生に永遠などという概念が存在するはずもなく、永遠の恋などと詩人のように語るのも、単なる言葉の綾でしかないのである。このような詩的陶酔は、決して奥ゆかしい美しさや、上品さを持ち得ない。
それでは、人の魂は恋愛によって満たされ得るのであろうか。この問いに対する答えは様々だろう。坂口安吾によれば、「人の魂は恋愛によって満たされることはなく、恋を重ねる度にそのつまらなさがわかるだけであって、何も得るものがない」とされている。
果たして、この見解は、全ての人に当てはまるのであろうか。私は、この見解に同意することはできない。というのは、人生を送るなかで、幾多の出会いと別れを繰り返す度、人は人間として成長し、豊かさを増していくからである。
限られた一生に永遠という概念が存在しないように、恋愛にも永遠はありえない。どのような形であれ、別れのない出会いなど存在し得ないのである。しかし、別れを恐れたり、愛する人は愛してくれないからといって出会いを放棄することは、愚かであるとしか言いようがない。
本来、別れというものは美しいものではない。別れによって、怒り、嫉妬、悲しみ、復讐といった感情が気持ちを支配するからである。大切なことは、別れをどうくぐりぬけるかではなく、別れによる苦しみや絶望を人生の糧に変えられるかどうかなのである。辛さや悲しみに浸り、その苦痛に流されている姿は哀れとしか言いようがない。ましてや、周囲の人間に同情を求めるなどという行為は言語道断である。相手だけを恨むのではなく、自分自身に対してもある程度の反省が必要であろう。反省することなしに、人間は成長し得ないのだから。
冒頭に述べたように、恋愛は人類永遠のテーマである。ギリシャの昔から、小説やドラマが恋愛をテーマとしているのは、あらゆる人に適した恋愛の法則というものが存在しないため、個人が個人自身でしか恋愛に対する解決策を見出すことができないからである。 言い換えれば、人類がこの世に存在する限り、恋愛の真理を語ることは不可能なのである。ただ一つ言えることは、一人一人がそれぞれの人生を精一杯に生きること、そして、それぞれの人生における真実を真摯に受け止めなければならないということだけである。