グローバルに対応できるビジネスマンとは Shimada.Y 自分の将来の進路について考えるに、おそらくビジネスマンとして社会に出ることになると思う。ビジネスマンの社会とは何か?日本人全体の構成からすると知的職業(選民思想的であまりいい表現とは言えないが)についている人間の一種であると言える。この知的職業の社会を更に分類すると大きく二つの人種に別けることができる。第 1は専門分野を研究する学者、第2は実社会において活動をするビジネスマンである。ビジネスマンという人種に求められている能力を考察すると以下のような分析ができる。
人が人の集団に生きていく中で最も大事なもの「心」 (人柄、人間性、協調性、柔軟性、自己表現、自己主張、自分自身の価値観 いたわり、優しさ、察し、思いやり、礼節等、挙げればきりがない。) この四つの能力のバランスによってビジネスマンの優秀さの程度が決定される。 昨今、弁護士や会計士といった職業において過剰供給との話題や、絶対的不足であるなどのあい矛盾する評価が世間に流れているが、これは上記四能力のバランスが良い者とそうでない者との違いによるところが大きいと考える。要するに優秀なビジネスマンに要求される能力は範囲が広く、学者のような専門性と同時にそれを使いこなす総合的な実力が求められている。 次に一つ一つの能力について検証してみよう。 実務能力&分析能力 思うに社会とは経済、法律、政治の三者の相互作用によって決定される。 我々の日々の生活そのものが経済、それを秩序付けているのが法律、法律を方向づけるのが政治、そして政治を決定付けるのが経済という循環を繰り返している。このような循環をしている世界の上に、様々な集団が存在している。ここで 1の実務能力と2の分析能力の必然性が出てくる。我々の日々の生活を秩序付けている実務が法律であり、これを学ぶことは実社会を渡っていく上でいに必要になるのは必然である。同様に政治、経済に関する分析も必然的に必要となる。技術能力 能力3についてはつい最近になってその必要性が高まってきた。 コンピューターの急速な進歩によって国境を越えた電子ネットワークが広まり、世界とのコミュニケーション機会が増加し、多様なソフト(ワードやエクセル等)によって個人レベルでの様々な表現が出来るようになった。しかもこれはネットを通じて世界に発信できるのである。この結果国家間の枠組みは次第に薄れ、確かにアメリカが主張するグローバルスタンダード(それが正しいのか否かは別にして)の目指す世界に近づきつつある。「第三次産業革命」と呼ばれる新時代の幕開けと言っていいだろう。この時代にコンピューターの能力が必要となるのは当然で、なおかつ英語の能力が無ければせっかく広がったネットを活用することが出来ない。これからの時代に、英語とコンピューターはそれが出来れば他人との差別化ができるという低次元のツールではなく、出来て当たり前というものになっていくだろう。 このように上記 1から3までの能力は、現代社会をビジネスマンとして生きていく上で強力なツールとなる能力でありどれか一つ欠けても、バランスを欠くのである。コミュニケーション能力「こころ」 ところで、上記1から3までの能力までは具体的であるが、4のコミュニケーション能力については「心」にも関係するものであるぶん具体性に欠ける。 幸せのかたちは人の数ほど存在し、他人が勝手にその人にとって何が真実で何が虚構か、何が人として最良の生き方なのか決めることは出来ない。そもそも「心が欠けている」というのはどういう事なのか?「心」って何…? 答えの無い問いのジレンマに陥ってしまいそうなテーマである。何一つ確かな定義も無い「心」に関するコミュニケーション能力はそれほど大切なのだろうか? 結論から言うと、上記1から4を二つのカテゴリーに分けるとするなら、1から3を第一グループ、4のみを第二グループとするくらい重要である。 思うに人は人間の群れの中でしか生きていけない。特に分業の進んだ現代社会においては生きていくために必要な多くの事を他人に任せて生活している。コンビニにある食べ物は自分で育て収穫し調理したものではない。つまり本人の好むと好まざるとに関わらず他人の影響の中に生きていく。そういう社会において人のことに気を使わず、自己主張ばかりをして、はたして生きていけるのだろうか? ここで企業側から見たものと個人の人生観から見たコミュニケーション能力ヲ考えてみよう。第一に、話しをビジネスマンの世界に戻して考えてみる。ビジネスマンの世界は主に企業という人間の集団おいて成立している。従って日々接するものは人間である。もしこの人間関係を壊してしまったらどうなるであろうか?仕事の能率が下がるのである。企業を人体に例えてみよう。人体における神経や血液は、体内のあらゆる細胞、臓器、筋肉、骨等への栄養の橋渡しをしている。血液の循環が悪くなれば人の健康は悪化し、神経が寸断されれば体は動かなくなる。コミュニケーションは企業内での血液であり、人間相互あるいは部門間に情報を運んでいる。企業内の人間相互の情報伝達が円滑に進まないことは、企業の生産性に対するコストとして影響を及ぼす。従って人間関係を円滑に進めるコミュニケーション能力は企業にとっても必要不可欠なものなのである。企業の社員が実務、分析、ツールにいくら優れていようとも、コミュニケーション能力「心」が無ければ企業にとってもマイナスである。それならばと会計士や弁護士の資格を用いて企業から独立したとしても、顧客との関わりでどうしてもコミュニケーション能力が必要となる。どのみちビジネスの世界で生きようとする以上、人間関係のしがらみからは逃れられない。 第二にコミュニケーション能力の問題はその人の人生観にも関わってくるものである。若い頃をのぞけば、長い人生のほとんどを生活の糧を得るため、企業等の中において我々は費やすことになる。貴重な人生の大部分の時間をそこで過ごすならば、生き甲斐を持って過ごしたい。昨今、実務、分析、技術に優れた人でも自分の仕事や人生に?を持つ人の話をよく聞く。その人達が共通して訴えることが生き甲斐を持つことの大切さである。 生き甲斐を持って仕事に打ち込む人は、何よりその仕事が好きであり、夢中であり、自ら進んで行動し、苦労を苦労とも思わない。そして人生の大部分をその仕事とともに過ごせるのである。そういう仕事に巡り会うことこそがビジネスマンにとっていわんや人間にとっての本当の幸せではないだろうか? そういう仕事に巡り会うためには、他人の言葉に惑わされずに、自分の価値観で自分にとっての本当の幸せを判断できる能力すなわちコミュニケーション能力の「こころ」を磨いておく必要があると考える。 まとめ これまで述べてきた実務、分析、ツール、コミュニケーションの能力はどれも抽象的で範囲が広く、どれかひとつだけでも学問ができてしまうほど奥の深いものである。とても大学4年間でマスターできる代物ではない。ということは一生かけてこれらをバランスよく学び続けるということでなのだ。ハッキリ言えることは、どの能力にも精通したバランス感覚に優れることが重要であるという事と、しっかりとしたコミュニケーション能力「こころ」に裏付けられた上での実務、分析、ツール能力であるということである。 コミュニケーション能力を磨くということ、それは自分にとっての幸せを見つけだすこと、あるいは探し続けることであり、そうすることによって得られる自分自身の価値観こそが自分の人生を豊かにしてくれる唯一の鍵だと思う。
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