今週の顔
|
アメリカ体験記
Etou.Y
〜始めに〜
僕は日本時間で、2000年2月22日(なんて語呂が良いんだろう!!)から、同年の3月24日までの約1ヶ月ほどアメリカに滞在しておりました。自称「短期留学」なのですが、世間的には「短期のホームステイ」、あるいはただ「遊び歩き」をして参りました。特に現地の英語のクラスに通っていたわけでもなく、ましてやアメリカの大学の授業なんか見た事も通ったことも食べたこともありません。
ちなみに、現在当ゼミには二人の優秀な長期留学経験者が在籍しておられ(最近帰国されたばかりです!!)、全くをもって、僕自身のアメリカでの経験などは比べられると恥ずかしい限りなのですが、よろしければ最後までお読み下さい。また、心構えからして「アメリカの文化に触れたいなぁ」程度の物だったので、棲み分けとして留学入門程度に流し読みしていただければ、「これ幸い」かと存じます。僕の場合、とても幸いなことか、アメリカに複数の知り合いを持っております。折角なので、そのような方々を頼らない手はないので、つてを利用してなんとか行って参りました。つきまして、僕は2ヶ月ほど前から電子メールを先方に送り、都合の良い期間、滞在先、行程、フライト時間、宿泊先を少しずつ煮詰めていきました。先方にも御都合という物がありまして、何度も変更があり、それに伴ってドタバタとしたものですが、結果以下のようになりました。・・・・・とその前に、人物紹介をさせてください。どうして、僕が単独でアメリカに滞在できるかという経緯を同時にご紹介いたします。
〜人物紹介〜
親父: 20数年前フィラデルフィアのMardinly一家のもとで一年+αほどホームステイをする。その後、関係が未だに続いており、アメリカ留学のためにMardinly家との橋渡しをしてくれた。Jhon Mardinly: Mardinly家の長男。Intel(天下のCPU、チップメーカ)にお勤めの学者さん。っていうか、研究職。専門は材料工学。博士号を持っていて、しかも3つのMasterも持っている。(ひょっとしたら博士号を二つ持っているかも・・・あるいはもう一つMASTERを・・・・)「40歳まで大学にいた」という。仕事の鬼。しかし、趣味が広くて、自動車いじり、バイクいじり、旅行、ギター他とある。いずれの趣味も入れ込み方がすごくて、車については原形をとどめていない。馬力にいたっては560馬力。「フェラーリ?!、うちの車より遅いじゃん!」が口癖。バイクも累計10数台持っていたらしい(今は一台のみ、でもかなり手を加えている)。旅行も大好きで年に一回まとめて休暇を取って、世界中を飛び回っている。奥さん(トルコ人)も旅行中に見つけた(^^)/ 。ギターの腕前はプロ級(大学中も勉強傍らプロを目指していた)。日本には何度か来ており、僕自身も昔から面識があった。<P> Piter Mardinly: 僕を一ヶ月も預かってくれた心優しき寛大な人物。Mardinly家の次男。Jhonとは4つ違い。弁護士。イェール大学法学部卒業後同大学院の特殊コースを(masterとは少し違うらしい)三年間ほど取り、今は仲間と弁護士事務所を開いている。専門は税金、商業法関連らしくて、日本人がイメージする裁判所でのやりとりとはあまり縁がないらしい。趣味はピアノ、音楽鑑賞、絵画鑑賞、家族との旅行。Mardinly一家のすごいところは、皆、音楽家であること。ピーターのピアノの腕もピカイチ。息子のAlenとよく一緒にセッションをしている。家族思いで、どうすれば家族か満足した生活ができるかに心を割いている。
Susan Mardinly: Piterの奥さん、”Sue”と呼ばれる方を好む。僕を一ヶ月も世話してくれた心広き偉大な人物。彼女もすごい。どこの大学を卒業したかは忘れてしまったが、大学で機械制御を学んだあと、フィラデルフィア大学の大学院で、ソフトウエア開発を学びMASTERを取る。PiterのOficceのネットワーク構築は彼女の手によって行われた。家の中もLANがあちらこちらに引かれている。常にどこかのマシンが不調で、それが悩みの種。ピアノとバイオリンが弾けるらしいが、弾いているところを見たことがない。腕前のほどは秘密らしい。
Alen & Shina: Mardinly家の子供たち。将来有望な15才と13才。
〜本編〜
僕がアメリカに行っていて感じたことは、おそらく月並みなものであろうと思う。ただ何が違うのかというと、人から聞いた体験談であったり、今僕が書いているように人の体験談を読んで知っていたことをあらためて、自分肌で感じ取ることができたということである。
個人的に僕はリアリティというものを大切にしたいと常々思っているのだが、知っていることを「実際」を感じてこれたことは幸せだと思う。まぁ、帰国子女の僕が言うのも何だが、昔の感覚って言うものを思い出させてくれた貴重な時間でした。僕が訪ねたのはサンフランシスコに住む新婚Jhon宅(二日ほど)、ほとんどをフィラデルフィアのPiter宅で過ごしました。よくあるネタ(よく聞かれたこと)から、書いていこうかな。よく話題に上りますが「アメリカは広いから。家も大きいでしょう」という点ですが、おそらく8割方当たりです。Piter宅はとっても広かったです。
でも、Jhon宅は2LDKでふつうでした。彼の家が、サンフランシスコ郊外のシリコンバレーのど真ん中に位置していることもあるでしょうけど。また、フィラデルフィア滞在時にニューヨークまで足を延ばしましたが、ニューヨークは決して東京に比べて広くも大きくもない。そう、感じました。
此処で、物価の話になるのですが、概して物価はアメリカの方が安いです。なぜ、概してなのかともうしますと、N・Yは高すぎます。ホテル代も食費も、交通費も。マンハッタンで安かったのはブランド品だけでした。駐車料金の高さは東京もびっくり、新宿の1.5倍〜2倍でした。ついでに、道も日本と大差ありません。車線の数こそ多いけれど、車の数が日本の比ではないので、混んでいること混んでいること、運転しづらい事この上なし。あと、食べるものはレストランではなく、すべてスーパーマーケットで仕入れました。 間違いの無いように言っておきますが、自分で料理したわけではなく、出来合いのものを買って食べていたんだよ。
主に、パンとチーズとハムにミックスサラダ。サンフランシスコ(サクラメント)では買い物をしなかったので詳しくは知らないが、N・Yほどはないにしろ、アメリカの標準よりかは高かったのではないだろうか。しかし、一方フィラデルフィアではとても安かった。「これでもかっ!!!!」ってほど安かった。
人の頭よりふた周りも大きいハムの固まりが¥1、000。バケツほどの大きさのアイスクリームが¥1200〜¥2000。アイスが2000円?!高いように感じますが、大きさが業務用サイズ。これが、各メーカー、多品種で並んでいる姿は壮観でした。僕なりにまとめるなら、向こうでの人の話を踏まえたうえで、物価や家の大きさは地域差が大きくアメリカ平均と日本の平均を比べても何の意味もない気がした。
次回、行くときには公共料金について、もう少し比較したいなぁと思います。次に、僕が感じたこととしては、生活のスタイルかなぁ。
日本人もアメリカ人も働いている時間に大差がないはずなのに、時間的ゆとりのあり方がこうも違うとは思いませんでした。JhonもPiterも仕事柄、かなり忙しいはずです。
「はず」ではなく、かなり忙しいです。それでも、週末に僕とつきあってくれたり、家族と出かけたりしている。まれに平日でも早く帰ってきて、家族そろって外食。Piterはまぁ、家族サービスに命を懸けているタイプだが、実行に移せる時点ですごいと思う。
でも、この場合はPiterのみの話をしているわけではない、毎週のようにどこかの家ではパーティーが開かれていて、子供たちが、誰々の家に行こうかそれともこっちにしようかと悩んでいる。
つまり、どの家庭でも時間的ゆとりを持ち合わせているんだ。当然、僕が滞在していた地区は比較的上流家庭が多いところで、パーティーの行き先が、お医者さんだったり、どこどこ会社のお偉いさんであったり。ふつうに考えれば、偉い人とか、(比較的)金持ちの人っていうものは、とっても働くからこそ、その地位があるので、どこにゆとりの時間があるのか不思議でしょうがない。むしろ、日本のお父さんたちはなぜ、あんなに働いているのに・・・・・。帰ってくるなりバタンQ〜。帰ってくるのは遅いは、週末は家でごろごろ。これは国が変わるとお父さんの意識が変わるのかといった問題のみではないかと。日本には家に帰って家族サービスをするだけのゆとりを許さない日本の社会情勢に問題があるのでは・・・・。
何とも言葉にしがたい問題なのだが、「ゆとり」という物を向こうで感じとってきた。今回のアメリカ滞在は僕自身、とても大きな影響を受けたと思う。
おそらくこれで人生の方向性が変化したと思う。それは別に、大事件に遭遇したとか、事故にあったとからというわけではない。
簡単な話です。何気ない会話の一節が僕の考え方を根本から覆したのです。今から書くことは、ある意味当たり前で、言われてみればその通り。誰もができることです。
でも、これはコロンブスの卵で、言われないとできないようなことだと思っております。もったいぶってないで早く書け、そんな声が聞こえてきそうですね。では。ある日の夕方、PiterとSueとお菓子をつまみながらの立ち話。突然こんな事を聞かれました。
Piter:「Hiro、おまえは卒業したあと、どこに行くんだい?」
僕:「そうですね、どっか商社か証券か、いずれにしても、外国と接点を持った会社に勤めたいです」
Sue:「そうじゃなくて、何を勉強するの」
Piter:「やっぱり経済か?それだったら、ここ(フィラデルフィア大学)はアメリカでも三本の指に入るぞ!」
僕:「大学院のことですか?!」最初は何を言っているのか分かりませんでした。純粋に「大学院に行くか」、「就職をとるか」のどっちを取るのか、という二択で話をしていて、僕はどっちの道を進むのかと聞かれたと思っていた。
しばらく、話のかみ合わないこと数分。「就職する」と言っているのに、彼らは僕に「将来何を勉強するのか」としつこく追求してくる。
「どこに行くんだ?」と聞いてくる。「そんなもの人生常に勉強、行き先は会社の人事次第」ど答えるのだが、ますます、向こうはムキになる。気づくのに本当に数分を要しました。どうやら彼らは”僕が仕事を始めてから、その仕事を辞めて、(あるいは仕事の傍ら)どこの大学院に通うのか”
そして、”何年働いたあとに大学院に行くのか”と言うことを聞いていたのだ。大学院は当たり前なのである。最終学歴は大学院で決まる。彼らの常識はそうなっているのだ。
大学院が本当に当たり前で、所謂「ふつう」なのである。かみ砕いて説明すると、「何年働いたあと大学院に行くんだい」=「何年浪人したあと大学に行くんだぃ」が同義語みたいなもんだろう。
恐ろしいセンスだと思った。話の途中で「博士(Phd)に興味はあるのか、まぁ、あれは時間がかかって(Jhonみたいに)髪が薄くなっちゃうからなぁ」と博士課程まで話にでる始末。
日本で、博士課程なんて単語はそうそう、でてくるもんじゃない。確かに考えてみれば、PiterもSueも、JhonもBerdan(Jhonの奥さん)も院を出ている。特にJhonはその中でも大学生活が長い・・・・(長すぎるヨ!!)。「嗚呼、こういう人たちがアメリカを支えているんだなぁ」、「最終学歴っていくらでも変えられるんだなぁ」そう思いました。
大学院に行けば最終学歴は変わる。当然です。知ってました。でも、気づいてませんでした。自分自身リアリティーを持って考えていませんでした。自分が大学院に行く姿を想像していませんでした。単に自分が持っていた変な学歴コンプレックスにもだえていました。悩むだけで、何も変えようとしていなかった。最終学歴っていとも簡単に変えられるとは思ってもいませんでした(当然、実際は楽ではないだろうけれども、あくまで手段として)。彼らは、(特にPiter)は大学院を卒業して初めて一人前になると考えている様子でした。
以上です。行き先がどちらかというと上流家庭であった事を考慮しても、上記のような考えが、アメリカでは多くあるということを考えると、日米の学力差が開きそうな危機感を覚える。
僕自身としては、方向性として大学院に行くことだけは決意いたしました。仮に10年働こうが、金がたまり次第、行くと思います。みなさんも少し、考えてみてください。
本当に大学卒業後は働くで良いのか。何か勉強した方がいいんじゃないか。とか、最終学歴を変えてみたいとか・・・。道って、意外なところにあるんで、探せばあります。お互い、頑張りましょう!