第
2章 転換期をすぎて拡大する矛盾書記
大野里美
1
キャッチアップの終了と構造改革の遅れ
・プラザ合意の歴史的意味
幕末の開国以来欧米諸国に追いつくことを目標に
130年間キャッチアップの努力↓
1980
年半ばに達成
契機は、
85年のプラザ合意→ 1年半で円はドルに対し100%切り上がる
→ 日本人独り当たりの名目所得が世界トップとなる。
<目的> アメリカの高金利、ドル高を是正すること
<過程> 開発資本主義型の戦略
→政府が情報を独占、資源配分を管理
民間は、ひたすら勤労と貯蓄
名実ともに豊かになるのには、キャッチアップ段階に自己改革が必要だっ
た。
→市場の開放
情報公開
・求められた市場の開放
プラザ合意後の円ルートの急騰によって大きく開いた内外価格差(円の為替レー
トと国内実質購買力の差)
は、輸入の拡大により縮小ないしは解消することができたはず。→
できなかった
86
年4月 中曽根内閣期「前川レポート」発表内需の拡大による経済構造の改革による内外格差の縮小を図ることが最
大重要政策方針
87
年5月 中曽根内閣期 構造調整の指針 「新前川レポート」
88
年5月 竹下内閣期 「世界とともに生きる日本−経済運営5ヶ年計画」@対外不均衡の是正
A国民生活の豊かさの実現
B産業構造の調整
政策手段− 規制緩和と行政改革
<現実>
経済構造改革が実現せず、内外格差はあまり縮小せず、大幅な価格差が残存し続けた
・残存する大きな内外価格差
日本の内外価格差の推移を主要国と比べると
80年代後半から各国とも大きく開いているが、日本が突出して大きい。
長期にわたる大幅な内外価格差が残存している
→
強い円が経済構造の改革による国民生活の実質的な向上に活用されてない→
強い円の元でも、よれほど輸入が増えなかった
<原因> @ 市場が十分に開放されてなかった
A 国内産業の抵抗 − 国内産業の効率化や生産性向上が進まなか
った
・必要な情報公開
キャッチアップ時代
開発資本主義型 − 効果的で対応が早いと考えられた
現在、世界最古雨水中の所得を実現
− 今までのやりかただと国内および国外でも障害になる
消費者、生産者はみずからの判断と責任で広い市場から自由に選択する
→
そのためには、人々も企業も情報が必要
国際的な相互依存のうえからも不可欠
→経済は基本的に
”売り” と ”買い”→
日本の生産物が世界に浸透したら、それに匹敵する世界の生産物が日本市場に浸透する必要がある
<現実>
日本市場での外国の生産物の浸透比率は低い
例 自動車直接投資
近年増加しつつあるが国際比較してみると極端に差がある 例 94年 日本
14.4 アメリカ、イギリス 1.4 など。
<相違点>
日本経済の貯蓄−投資バランスが著しく貯蓄超過
日本市場についての情報が不足、透明度が低い
・根強い開発主義体質
日本の市場では企業の先物情報がほとんど公開されない
↓
市場における値ずけ、価値評価が不透明、未発達
↓
株式市場や資本市場の機能が不十分
95
年秋 大和銀行ニューヨーク支店損失隠し事件96
年 住専問題
情報が遅れた不透明な経済は世界の競争から取り残され、衰退していく恐れが大
きい
2
グローバルかに遅れた金融システム
・金融グローバル化の大潮流
日本の金融システムが危機状態
金融不安と金融危機の問題
@
金融システムならびに金融機関の危機管理の問題 − 不良債権問題A
金融システムや金融機関の相対的衰退の問題 − 金融市場の空洞化や金融機関の競争力の立ち後れ
WW2中から戦後に通じて
(1930年代の金融恐慌への対応のなかから)護送船団方式 − 政府の統制と管理の下で、どんな弱小機関もつぶさ
ずにやっていく方式
↓
資金不足のもとで国内から木目細かく資金を調達し、戦略産業を育成
し、産業インフラを整備していく上で大きな成果
しかし、現在高度成長を研げた日本には、金融機関に求められる機能と能力が変
わってきた
全国各地から小規模な資金を吸収し、調達する
→ 世界の金融、資本市場のなかでどれだけ効果的に運用する
<日本>
依然として規制と制約が残る
84年の日米円・ドル委員会の合意以降 民間企業が海外・ユーロ市場を活用できる
<世界>
金融のグローバル化、規制緩和
アメリカ 70年代 ユーロ・ドル市場を発達
80年代 金融の証券化(セキュリタイゼーション)
イギリス 86年 ロンドン市場の自由化(ビック・バン)
フランス ドイツ スウェーデン 取引所税、手形税を廃止
シンガポール 香港 エマージング・マーケット(新興市場)
・不良債権の累積と金融空洞化の懸念
94年 預金金利の自由化完了 (英より20年、米より10年遅れ)
86年 業務の自由化の審議開始
↓
92年 金融制度改革法 (中途半端)
80年代末 バブル経済 内外から投資殺到
90年代 バブル崩壊 膨大な不良債権をかかえる
日本の金融市場の空洞化
コストが高い、規制が多い、税負担が重い、使い勝手が悪い
↓
新興市場に拠点が移動 (シンガポール、香港など)
自己改革をしなければ金融危機をのりきれない
3 経済社会の成熟化と財政赤字
・経済社会の成熟化と大型経済対策
経済社会の成熟化
メガトレンド − キャッチアップの終了
− 高齢化
90年代 平成不況を財政支出拡大政策で克服しようとしたが財政危機を深める結果
に。
バブル崩壊後の6次にわたる大型経済対策
事業規模合計 66兆3700億円
結果 景気は回復せず 93年10月 景気底打ち宣言 (しかし回復の実感なし)
財政赤字が累増
公債の累増
・一周遅れのケインズ政策
先進諸国 80年代からケインズ政策から脱却
↓
構造改革政策 経済の効率化と市場機能の強化
アメリカ 包括財政均衡法 2002年までに再生近郊の達成をめざす
EU 99年 通貨統合をめざしプライマリーバランスの確保
→ 公債発行残高のGDP比を累増させない
最低限のバランス
各国、公債残高GDP比を削減するために努力
日本 欧米諸国の隔年財政赤字のGDP比は減少傾向だが、日本は大幅に悪化
債務残高にも同じ傾向
やはり、日本は、諸国と比べ新たな時代への対応が遅れている
4 人口の高齢化と膨張する社会的費用負担
・前人未到の高齢化
人口の高齢化と少子化 先進諸国の中で突出したスピードで進む
97年推計では、65歳以上の人工割合が2025年に32%になるとのこと。
↓
生産人口(15歳から64歳)が21世紀に入る前から減少すると推計されている
・高齢化社会の重圧と不安
高齢化に伴い、社会費用が増大する(年金、医療、福祉、社会資本など)
<社会費用を支えるためには?>
@国民所得を大きくする
A社会的費用を節約する
↓
しかし、高齢化は、社会的費用を増加させ
少子化は、国民所得を縮小させる
<基本的な対処方法>
@労働力の規模を増大させる −短期的 労働参加率を高める
長期的 人工そのものを増やす
Aひとり当たりの労働生産性を向上させる
B高齢化の社会的費用を節約する
94
年 年金改正 グロス所得スライド制→ネット所得スライド制2001
年から20013年にかけて 年金支給開始年齢を60歳から65歳へ
しかし、このような制度改革よりも高齢化は早く進み
厚生年金の破綻や健康保険財政の危機に現れている
5 冷戦の終焉と沖縄問題
・「だれか」がやっていた
89
年11月9日 ベルリンの壁崩壊91
年12月 ソ連解体 = 40年以上の冷戦の崩壊↓
外交や安全保障の見直しをするべき
日米安保体制に慣れてしまし安全保障問題の重要性への自覚が失われつつある
日本の安全保障問題を負担していたのは、沖縄である
・沖縄と本土の信頼を回復せよ
沖縄 日本国土の0.6パーセント
米軍基地の
75%が集中 −面積当たり本土平均の560倍人工あたり本土平均の
330倍
95
年9月4日 米軍海兵隊員が12歳の少女を暴行↓
米軍基地の撤退を求める声が増加
太田沖縄県知事 「慰留軍用基地特別借地法」の契約改正を拒否
↓
村山首相
12月7日 福岡高裁に提訴翌
96年3月25日 国も主張を認め、橋本総理の署名代行へ↓
4
月1日 沖縄県 最高裁に上告↓
4
月12日 橋本総理とモンデール大使の共同記者会見において、普天間基地の返還が発表
↓
8
月28日 最高裁 沖縄県川の上告を棄却↓
9
月8日 日米地位協定の見直しおよび基地の整理縮小についての県民投票約
53万人の有効投票者数の91.26%が賛成↓
9
月10日 橋本総理と太田県知事の会談沖縄問題の解決に全力で協力、
50億円の調査費、閣僚協議会の設置↓
しかし、土地の使用期限が切れる
5月14日までに国が使用権限取得の手続きをするのが困難
自民党の「特措法」の一部改正を提案
↓
4
月17日 参院通過により成立、5月14日後に国の失権状態になることは回避された
もしも、失権状態になったら日本が同盟国としての信頼と信用性を失う事になった
また、日米安保隊せいいが機能不全に陥っているのを世界に露呈する事になっていた
政治的にも軍事的にも大失点
日本国民、特に本土の人々はなぜ沖縄が本土に対して不信感をもっているのか背景を
理解すべき
明治政府による琉球の処分、太平洋戦争時の沖縄戦、返還後も米軍基地の担い手
本来負担は、日本国民に等しくするべき
沖縄問題は、日本の抱える課題の一つにすぎない
この問題を適切に解決できるかどうかは
国際社会のなかで国家としての信用と信頼を確保できるかどうかを左右するこのにな
るだろう。