今週の顔


少年犯罪について

E11-0532G 飯野 勝也

 最近(2000年6月)、お茶の間の話題は少年犯罪で持ちきりである。
どの紙面にも連日のように報道される10代の少年による犯行事件。
その手口は、悪質で残忍なものばかりである。

本年で10代最後の夏を迎える私。 後4ヶ月ほどで社会的に、成人とみなされる私。
秋になれば、犯罪をおかせば刑務所のお世話になる事になる私。
このような危機感から、このテーマでコラムを書く決心をいたしました。


まずは、原因・少年犯罪増加の背景を探ってみようと思う。
近年・平成9年の「神戸連続児童殺傷事件」に象徴されるように、少年犯罪の凶悪化・低年齢化が問題となり、少年法の在り方が国民の大きな関心事になっている。
近年の多発する少年犯罪は少年法に問題があるからなのだろうか!?それとも他に何か原因があるのだろうか!?(画面の前のあなた! 少し考えて見てください。)

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(何かアイディアが浮かびましたか?? 浮かんだ方は、下記↓までご一報下さいませ。)
e110532@isc.senshu-u.ac.jp

さて、ここである有力説を一つ紹介したいと思います。
それは、『三津子説』であります。 『三津子説』とは、何か!? 何を隠そう、ここに出てくる「三津子」というのは、恥ずかしながら、私の母でございます。
母は、私がテレビ番組に見入って、かまってあげないのを常日頃不満に思っているらしく、ニュースで少年犯罪が報道されるといつも、「テレビが悪いのよ。 テレビゲームが悪いのよ」と、愚痴をこぼします。 母の見解によると、残酷なシーンや暴力シーンが頻繁に報道されたり、ゲームでリアル化されている物を、少年たちが、頻繁に見る事により、現実とゲーム(TVの中バーチャル世界)との区別ができなくなっているのではないか!? 人の痛み・善悪の判断・命の尊さなどをバーチャルな感覚にしているのではないか!?というのである。
 ここで、テレビ(TVゲーム)の子供に与える影響について面白いデーターがありますので紹介したいと思います。
それは、『暴力シーンの衝撃 −検証・テレビと子供達−』といったテーマで、暴力シーンが、子供達にどういった影響を与えるのかを取材した興味深いレポートであります。

ここでまず始めにレポートの説明をさせて頂きます。


作者:レナード・イーロン(心理学者)
調査場所:米国・ニューヨーク州・コロンビア群・ハドソン
調査対象:ハドソンに住む8歳(小学3年生)の少年・少女50人
調査内容:各家庭のテレビのある部屋に、カメラをセットし少年・少女の行動、また彼等を追跡取材する事により、その後どういった青年・大人になるかをリサーチする事により、テレビ(暴力シーン等)が子供達にどういった影響を与えるかを調査する。


ある学者の計算によると、アメリカのごく平均的な子供は小学校を卒業するまでに、8000件以上の犯罪を目にするらしい。そして、多くの社会学者 + 三津子氏(My Mother)は、テレビから送り出される暴力映像がアメリカの犯罪率を著しく押し上げていると考えているのである。
調査の結果解った事は、このハドソン地域は、多くの子供が1日中TVを見て過ごしていた。また犯罪(主に暴力事件)の発生件数が他の主要都市よりも高い事が解った。
さらに追跡取材によって解った事は、幼い時メディア(主にTV)を通じて、ギャングやテロ事件・暴力事件に興味を持っていると答えた子供の多くが数年後、怒りっぽい暴力的な性格に育ち、8割以上が逮捕暦を持ち、離婚暦を持っていたのである。
テレビの時間と犯罪件数が比例の関係にあるかは正直解らない。しかし、TVを1日中見ているハドソン地域で犯罪件数が多いといった事実。また、メディアを通じ凶悪事件に興味を持った子供が、暴力的な性格に育ち、逮捕暦を持ったり家庭を返りみない大人に成長した事も現実として浮かび上がったのである。


 この調査から私が感じた事は、ハドソン地域の子供達は自己への問いかけ・他者への問いかけが希薄化しているのではないかと感じた。
自分自身、対した目的も無くTV画面を見続け、つまらないモノに変わるとチャンネルを次々とひっきりなしに変えていると、自分が考える事を放棄している事に気づく。
大切な時期に考える事を放棄する。
自己への問いかけが足りないから、自分自身が解らない、居場所や進むべき道が定まらない。自己への不安は、他者への恐怖につながる。自己や他者への問いかけが欠如しているから自分で気に入らないものがあれば、スイッチ一つで画面を変える事が出来るように、気に入らないモノがあればそれを消す事を選択し、犯罪行為につながるのではないだろうか。

 このケースは同様に日本でも言う事が出来ると思う。
また日本では、少年犯罪の増加の原因は、学級崩壊などに見られるように教育現場の崩壊や、親のしつけや家庭環境の問題、少年法の問題などいろいろな所に原因を垣間見る事が出来る。
 他にも、経済的要因を挙げる事が出来るであろう。豊かさゆえ、我慢する事が出来なくなっている気がする。
また、現在若年失業率が非常に高い。これは、不況で働く場が無いとも言う事が出来るが、真の問題は、若者が働かないでもいい状況を許す家庭環境(親からの小遣い)と社会(フリーターが自由で素晴らしいと言った風潮)が生み出している様に思う。若者が豊かさを履き違え、真の豊かさを求めず、金銭的な豊かさに甘えているような気がするのは私だけだろうか。


少年犯罪は、今や社会問題となり世間を騒がしている。
社会関心の高さから政府もやっと重い腰を上げ始めた。具体的には、少年法の適用年齢の見直しを始め、教育改革にいたっては、IT政策と並んで来年度の重大政策課題である。

これら一連の動きは大変素晴らしい事だと思う。
しかし、私が一番重要に考えている点は先にも挙げたように、『考える事』である。
 自己への問いかけをする事により、自分自身を知る事ができる。
自己への目は、自然に他者への目へとテリトリーを広げ、相手の立場に立ったモノの見方や思いやる心を持つ事ができるようになるのではないだろうか。
人間が、他の動物と違う所は人間は考える事ができる動物であるという事である。時に欲望で夢をかなえ、その欲望が肥大化しすぎ他者を害す危険があれば理性を働かす事が出来るのである。


まず一人一人がもっと考える事から始められたらよりよい社会を作る事ができるのではないだろうか。