今週の顔


世界中のベストジーニストたちへ


経済学部経済学科2年 鈴木 竜介

今や、老若男女を問わず、世界中の人々にもっとも愛されているファッションアイテムと言えるジーンズ。特に僕たちのような二十歳前後の年齢層ではジーンズを持っていない人を探すのは極めて困難と言えるほどだろう。では、何故にもともとアメリカのゴールドラッシュ時に作業着として開発されたものが150余年を経た現在、これほどまでに我々の心を魅了するファッションアイテムに生まれ変わったのか。
ここではジーンズの本家本元Levi's501の歴史を振り返りながら、世界中の人々に愛用されているその人気の裏づけを取っていきたい。
 これだけ人気のあるアイテム(商品)なのだから、ジーンズを取り扱っているブランドもそれこそ掃いて捨てるほどある。そして過去にそのうちのいくつかが人々の物欲に火をつけ、センセーションを巻き起こした。例えば4,5年前のドゥニームやフルカウント、1,2年前のヘルムートラングやサンローランなどがそれにあたる。しかし、いずれも爆発的なヒットは飛ばすものの、そのブームが長続きすることはなかった。結局、何もしないでも多くの人は歴史と品質、スタンダードなデザインに長けている(これをウリにしないこと自体が既にウリであると思われる)"定番"リーバイスの元に戻ってきたのである。そのリーバイスが誇る、あらゆるジーンズの原点である"キングオブジーンズ"Levi's501の誕生から現代に至るまでを振り返ってみよう。

  ジーンズが発明されたのは、アメリカがゴールドラッシュの真っ只中にあった1855年。リーバイスの創始者リーバイ・ストラウスが労働者たちの要望に応え、テントに用いられたブラウン・キャンバス地で作ったのが始まりである。
1870年にさらに丈夫なパンツを作ろうと、仕立て屋ヤコブ・デイビスの提案でポケットをリベット(フロントポケットやコインポケットに付いている金属の部品)で補強したジーンズが試作された。
1873年5月20日にリーバイスは「衣料品のポケットの補強に金属リベットを使用する方法」に関する特許権を認可された。これはリーバイスだけでなく、衣料業界にも大きな革命を起こした。この歴史的な日はパッチにも図案化され、今日の製品にも使用されている。
1890年代に入るとキャンバス地からデニム地になり、リーバイスウエスト・オーバーオール501が作られた。当時の501はベルトループの代わりにシンチベルトというウエストを絞るベルトとサスペンダーボタンが付けられていた。
1930年代までにはコインポケットバックポケットが1つ増え、5ポケットのシステムが確立し、さらにベルトループが取り付けられ、現在のジーンズの原型が完成した。また、リーバイスは衣料品業界で初めて、流れ作業による生産を開始した。これは当時注目のデトロイトのフォード自動車工場のシステムを衣料品の縫製工程に応用したもので全米で話題になった。初めて女性用カットのジーンズが発売されたのもこの頃である。
 戦時中だった1940年代になると、リーバイスのジーンズは、米軍兵士をはじめ戦争に直接的に関与する者にしか購入することが許されなくなってしまう。それだけではなく、トレードマークの1つでもある「アーキュエイト・ステッチ」が、糸の無駄遣いだとみなされ、その代用として、ペンキによって描かざるを得なくなった。製品に徹底した高品質主義を貫いてきたリーバイスにとって最も辛い時期であった。そして皮肉にも戦争によってそのクオリティの高さが証明されるところとなったのである。誕生から数十年経っても「西部の服」だったジーンズは、第二次大戦中に品質と名声が東部やヨーロッパの兵士に伝わり、大戦終結後、リーバイスは世界中から注目を集めることになった。
 1950年代後半からジーンズの大ブームが起こり、ジーンズはアメリカ人だけでなく、世界の若者の服になった。リーバイスもブルーデニムだけでなく、ホワイトやコーデュロイなどの製品を次々に開発し、ベーシック・ジーンズと呼ばれる商品体系が確立された。さらに60年代後半には、ライフスタイル革命やヒッピー文化の中で、リーバイスは若者たちのステータスシンボルとしてその地位を不動のものとした。

 そして、現在に至るまでにジーンズは、必要性が感じられるもの、あまり感じられないものなどを含め(1942年に股下リベットが使用中止になった原因は当時のリーバイスの社長が暖炉にあたってた時、金属でできていたリベットが熱を伝導し火傷を負ったことである。それに怒った社長が股下にリベットを使用すること禁止したのだ。おいおい、あんたの不注意じゃねーか!!と突っ込みたくなるが、"股下"だからね。理解してあげましょう。)数多くのディティールの変更を行ってきた。そのマイナーチェンジの繰り返しに目をつけたのが、マニアたちである。同じ品番のジーンズでもほんの数年、生産された年代が違うだけでデザインにも微妙な違いが出るというのがマニアの魂に火をつけた。もともと作業着として発明されたのだから、古い年代物であればあるほど、大量生産できない上に作業着としての役割をまっとうし消費されているので、必然的に物の絶対数は少なくなっている。稀少価値が上がれば、それこそマニアからの需要が上がり、価格が上がる。日本でも100万円をこえるジーンズはザラにある。僕が実際この目で見たジーンズの最高額は300万円である。僕は決してマニアではないが、さすがにこのジーンズを目の前にしたときは、圧倒されてしまった。長い年月をかけて徐々に色落ちしたであろうその色は、単にブルーという色だけでは言い表せないものであった。興味のない人から見ればバカバカしいと思われるかもしれないが、「501ジーンズを肴に晩酌ができる」マニアにとってはそれは芸術品以外の何物でもないのである。このようなヴィンテージ・ジーンズの価格の決定要因としては、サイズ、コンディション、生産された年代、そして最も重要視されるのが色落ちの美しさである。デニムが色落ちするまでには長い年月がかかる。しかもそれがきれいに色落ちするかどうかわからない。そのため、たとえヴィンテージものでなくても色落ちがきれいなものであればプレミアム価格が付くという現象が起きている。つまり人々は時間にお金を払っているのである。1995年夏、アメリカで一本のジーンズが発見された。それは1900年代に作られたもので、現存する世界最古のジーンズだとされ、しかもコンディション、サイズ、色落ちとも申し分ないため、オーディションに出品すれば、億単位の金が動くと言われている。だが、それを発見した古着商を営むベンジャミン氏は、「これは神が私に与えてくださった最高の贈り物だ。わたしはこれを絶対離さない。」と豪語している。(おれだったら即オークションにかけるけどね)
特に日本のマニアは他国のそれと比べて特異で、ジーンズのステッチの色にまで、こだわる人が多い。アメリカでは一部のマニアは別として、そこまで細かなところにまでこだわる人は皆無である。あっちではあくまでもジーンズは普段着であるという意識があるからだ。だからアメリカでは、それこそ小さな子供からお年寄りまでみんな愛用している。それは大物スターも例外ではない。ブルース・ウィリス、ケビン・コスナー、トム・クルーズ、マドンナ、アンディ・ウォーホール、リョースケ・スズキ、ジーパン刑事、そして現在某ジーンズメーカーのCMに出演しているブラッド・ピットも昔は自前の501を穿いて映画に出演していたほどの501ファンなのである。(プライベートではリーバイスしか穿いてないでしょ)
 なぜそれほどまでにこのジーンズはひとびとを魅了するのか。あらゆるジーンズの原点であること、美しいシルエット、色落ちの美しさ、経てきた歴史の長さ、クオリティの高さ、持っていることが一種のステイタスであること、時代によって変化してきた様々なディティール、それを崇める多くのマニアの存在など挙げれば限がない。そして501が他のジーンズと決定的に違うのは、このジーンズは「生きている」ということだ。リーバイスは501に限り、"シュリンク トゥ フィット"という独自の方法で、洗うことで徐々にそのデニムが穿いている人の体になじむように作ってあるのだ。そのため、そのジーンズは、世界でたった一本のそれを穿いている人間のためのジーンズになる。
だから、これを読んでいるあなたがもし、501を持っていたら、いや、501に限らず一本でもジーンズを持っているなら、もっとそのジーンズを愛してあげてください。あなたがジーンズに降り注いだ愛情の分だけ、そのジーンズは必ずそれに応えてくれます。なぜならあなたが持っているジーンズにとっては、あなたがベストジーニストなのだから。

※注意 マニアの前では、ジーンズの悪口は、言わないで下さい。
万一、この警告を守らず、事件等に巻き込まれても、
当方は一切の責任を負いかねます。
あとがき
最後まで読んで下さった、あなた。どうもありがとう。
新人戦と時期的に重なってしまいましたが、なんとか満足の行く作品に仕上がりました。文中に多少、「?」と思われる箇所があるかと思いますが、さほど気にしないでも大丈夫です。

筆者プロフィール
1980年11月4日生まれ、ピッチピチの19歳。さそり座のB型。無毒。
生産地 福島県郡山市。生息地 川崎市、渋谷区一帯。
99年3月福島県立安積(あさか)高校卒業後、本学へ。
同年10月友人の誘いで望月ゼミナールに入ゼミ。そんなこんなで現在に至る。
※食べられません。 / DO NOT EAT!!