今週の顔


我思う故に我あり

人間は一本の考える葦である


経済学部経済学科2年 三宮 慎大朗

<読まれる前に…>
「自分らしさ」について自分なりに思ったこと、そこから派生してきたことを書いてみました。
徒然草ではないですが、「こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく」書いたものです。
何かある方は、shintarousannomiya@hotmail.comまで。是非、秋の夜長に皆さんもいろいろ考えてみてください。(注:過度の考えすぎは気をつけましょう。)


第1章「自分らしさ」とは「取捨選択している」ことそのものである。

「自分らしさ」とは「取捨選択している」ことそのものであると感じます。
例えそれが、社会的に流行しているものを選択していたとしても、それは紛れもなく「自分らしさ」ではないでしょうか?数ある物の中から、それを選び出すという行為は、結局のところ「自分で考えた」結果であるのだから、「流行に流される」という選択肢を選らんだのであったとしてもそれはまさに「自分らしさ」であると思います。この「自分で考えた結果」はまさに「自分らしさ」であるということから、「自分らしさ」=「取捨選択した結果」であると言えるのではないでしょうか。


第2章 「自分らしさ」とは「自分から定義するものと、人から定義されるもの」がある。

「自分らしさ」の定義として、「自分自身で定義しているもの」と「他人から定義されているもの」の2つの方向があると思います。自分で「自分はこうだ!!」と思っているのだけれど、他人からは「お前はこうだ!!」っていわれることは良くありませんか?僕はこのような自分自信で思う「自分らしさ」と他人から定義される「自分らしさ」との相違点はあって当然のものだと思いますし、また、どちらが正しいとか正しくないかといったものはないと思います。どちらも正しく、どちらも正しくもなく、二つの方向性を「バランス」よく受け止めることが大切ではないでしょうか?
このことから僕が日々思うことは、「自分の力だけで生きている」という傲慢な考えではいけないということです。今の「自分」というものを形成していってくれるものは、自分の努力によるものもありますが、他者からの影響も大きく働いているからです。例え他者からの影響がマイナス方向のものであったとしても、それは必ず将来において過去を振り返った時には「財産」になっているとおもいます。過去があって、今があって、未来があるのだから、過去の否定は、今の否定、未来の否定につながっていく。重要なことはそこから何を学び、その学んだことを次に活かしていくことと思います。


<最後に…>
幸いにして僕は、とても素晴らしい人に巡り会い、また素晴らしい人たちに囲まれて生活を送ることができています。そういう人によって僕自信が形成してきたものが多くあります。この場を借りて、僕が出会ってきた人全てに感謝の意を込めていいたいです。

「ありがとうございました、これからもよろしくお願いします」