今週の顔


上手に遊べない子供、叱れない親。


原 梨沙

 何を書こうかと随分悩みましたが、私が常日頃から感じていたことで、皆さんにも少なからず関心のあることがいいと思いこのテーマを選びました。

 私は、1年程前から幼児教育の塾、いわゆる小学校お受験のための塾で日曜日に月に2.3回程アルバイトをしています。そこで何をやっているのかというと、決して私が子供たちに対して勉強を教えている訳ではありません。テスターとしてテストをやっています。対象となる子供たちは椅子に座ってもずれ落ちてしまう位幼い3歳から6歳までの小学校入学以前の子供たちです。いくら毎日いろいろと勉強をしている子供たちとはいえテストは1時間30分かかります。しかも、親と別れている不安感や緊張感も少なからずあるので、集中力も続きません。そこでテストは子供たちが飽きないように「ペーパー」のテストとは別に「個別テスト」といって、テスターの私たちと1対1で向き合い問題を出し、解かせる時間があるのです。それが私の仕事です。では、ここでいくつかの問題をだして見ましょう!

 @"か"のつくものを3つ言ってください。(言語)
 Aここに同じ大きさで同じだけの量のジュースが入っているコップが2つあります。
  1つは平べったいボールに注ぎ、もう1つは3つの小さなコップに均等に注ぎます。
  この2つを見比べるとどちらの方がより多くのジュースを飲むことが出来ますか?
 Bお父様のお仕事を教えてください。(口頭試問)

などです。文字として表すと簡単に思われる方もいると思いますが、自分が5歳の子供の時にこの問題を出されたら?と考えて見て下さい。とても難しいのではないのでしょうか?また、その他にもお店屋さんごっこやお絵かきをやらせてお友達とどのように交流をもち仲良く活動出来るかを見る「行動観察」。ボールを20回以上つかせたり、雑巾がけリレーなどで「運動能力」テストもあります。

 テストの結果は、(月別)平均点・偏差値・月別順位など私たちが高校のときに受けた模擬テストと同じようにだされます。

 ここの塾にくる子の多くは、小学校受験を前提にしているのでとても礼儀正しくお行儀がいい子ばかりなのですが、私はたまに不思議に感じることがあります。それは、勉強にしろ生活の大部分を言葉は不適切かもしれませんが、訓練されてきている子供達は物語を聞いて印象に残った場面の絵を描く時も同じ場面・同じ色・同じ配置で描くのです。十人十色という言葉がありますが、十人一色になってしまうわけです。受験のための生活をしていると自己をアピールする力は優れているように思いますが、オリジナリティは失われてしまいます。また、「ハンカチ落し」や「達磨さんが転んだ」などお友達と関わって遊ぶとき「仲間に入れて」の一言がいえず1人で遊ぶ子や何をするときも大人の顔色を覗ってから行動する子、お友達に悪いことをしてもなかなか謝ることが出来ない子。そこにきて子供は謝らないばかりか親が謝り子供に対しては何も叱らない親もいるのです。

 子供に受験をさせようと思う親にだけではないですが、悪いことをしたときは将来の子供ことを考えて善悪の区別ができるようにきちんと叱るのも親の務めだと思います。

 また、子供を信じてあげること・褒めてあげることも当たり前ですがとても大切なことになります。

 少子化がますます加速していく現代において、あまりにもあまやかれて育ったために自己中心的で他人の痛みが分からない人・礼儀正しくない人が増えてしまうのではないかと心配しています。しかし、今後ますますよい環境の中で学んでもらいたいという両親の願いが増加することは容易に想像でき、小学校受験のニーズは増えていくと私は感じています。今のままのオリジナリティのある子をあまり認めない受験体制のままではいつまでたっても自己のある個性豊かで国際社会に対応できる人材は育成することはできないのではないでしょうか。一刻も早く受験の評価基準が改められることを願います。