経済学基礎演習レポート E100364

宮本 匠

 

日本経済がこれから再生していくには、いろいろな変革をしなければならないであろうかと思う。 今、日本経済を取り巻く環境と日本経済の構造が大きく変化しようとしている。今の日本は何十年に一度の大きな転換点にあると考えられる。

約50年前の太平洋戦争は日本経済に壊滅的な打撃を与えた、生産設備も企業の経営者の経験もゼロからのスタートであったが、日本経済は廃墟の中から奇跡的な復興を成し遂げ、わずか20年足らずで、資本主義国の中でアメリカについでGNPが世界第2位となった。また、第1次オイル・ショックの時は原油の価格が5倍から6倍に引き上がりエネルギー多消費型の日本経済は大きなダメージを受けた。しかし、国を挙げての省エネルギー社会作りが実を結び、その後10年以上にわたってエネルギー消費をほとんど増やすことなく実質GNPを2倍に拡大することができた。いずれも危機をバネに経済力を飛躍的に高めた。いま、日本はそれに匹敵する大きな転機を迎えている。平成景気から平成不況への転換は、日本経済が今までの路線からの転換を促す大きな転機であると見ることができる。しかし、当面の間は政治に期待して日本の経済を立て直すことはよういではない。経済界・企業・国民のそれぞれが奮起して、いまの状況を脱出して、次の時代へ向けて歩き始めなければならない。オイル・ショック後の安定成長のように、ここで新しい成長構造を生み出せるかどうかは、それぞれの意欲と努力にかかっている。平成不況の原因、症状を見ると、日本より一足早く、金融・不動産ブームとバブルの崩壊を経験したアメリカとの共通要素が見られる,アメリカは授業中に聞いたように、不良債権を抱えた銀行をつぶすなどの思い切った改革で長期の不況から立ち直った。アメリカの動きは先行指標である、しかし100パーセント参考にすることはできない。日本の場合は経営風土も産業構造もアメリカとは大きく異なっている。だから日本独自の戦略が必要であり、日本の条件に即した改革が求められる。日本は成熟経済の域に達し、急速な勢いで高齢化社会へ突入しようとしている。単純にこの大不況から立ち直るだけではなく、この時代の転機に21世紀に向けた新しい産業、社会・経済システムの構築をも目指すべきである。日本経済は、その大きさ、成熟度、世界における役割などさまざまな条件からいえばもっと早く大変身を遂げていなければならないにもかかわらず、その時期を先延ばしにして今日に至った。「はしか」にかかる年が遅くなるほど、危険度が増すように、世界トップクラスの所得水準になってから、先進国と同じ仕組みへの脱皮をしようとしている日本経済は厳しい試練を経ざるを得ない。 振り返ってみると日本は島国という条件と同じく、閉じられた世界の中でルールをつくり、欧米に追いつくために努力を続けてきた。世界に調和するより、経済力で世界と並ぶことを最大の目標としてきた結果、あまり意識しないままに日本流の閉鎖的なシステムを作ってしまった。正義、公正、競争、といった欧米の価値観よりも、ムラ社会的な基準の不明確な融合体質が日本的な商慣行として定着してきた。 もともとムラ社会を中心とした農耕社会からスタートした日本は、集団的行動が軸となりやすい、この体系で通用してきた時代はそれでよかったが、経済のグローバル化は、日本独自のビジネス体質を許さない、かつて、江戸時代のような藩程度にわけられた経済圏であった時代は,藩独自のビジネスルールや規則で経済を運営しても問題はなかった。しかし、交通や情報の流通が活発化して、経済活動の範囲が藩のレベルを遙かに越えて、全国規模になれば、ルールや規制のあり方も全国共通でなければ不都合が生じてしまう。 日本経済は既に世界レベルになったのだから、日本独自のローカル・ルールで世界の市場とつき合おうとしてもそれはムリである。世界のGNPの16パーセント、世界の貿易の10パーセントを占める日本経済は、遅ればせながらも今後は世界共通のルールのもとで競争し、共存していかなければならない。日本は先送りにしてきていた脱皮を今始めようとしている。遅れた分だけ辛さがあるが、後でこれ以上苦しまないために今思い切って脱皮をしなければならない。 世界の中の日本として、日本経済の枠組みを作り直す作業がこれから始まる。住む家が変われば、新しい家に合わせて家具や調度品も変わり、住人の生活の仕方も変わらざるを得ない。鎖国から明治維新を迎えたとき以上の大きな転換期にあるという認識で、今が新しい仕組みを作っていくときである。日本経済はこの数年間、戦後最大の構造転換の過程にある。73年の第1次オイル・ショックによる原油価格の5〜6倍もの高騰は、石油の値段が安いことを前提として組み立てられた日本経済の足元をを覆した。今回のバブル経済の崩壊は他の諸要素を含めて、オイル・ショックの時以上の強烈な打撃を日本経済に与えた。バブル経済がピークを打った1991年の実質GDPを100としてみると、1995年では103にすぎず、日本経済は長期の低迷を続けた。1973年の第一次オイル・ショック、1985年のプラザ合意による円高不況のときは、同じくピーク時から4年経過した時点で、指数はそれぞれ111,118と大きく拡大している。 今回の長期低迷はそれだけバブルの後遺症が大きく、日本経済が大きな構造転換を迫られていることを意味している。とくに、資産価格の大幅下落、バブル崩壊時の1ドル=130円から一時的に1ドル=80円われまで進んだ円高の影響、それに伴う内外価格差の調整、期待成長率の低下に伴うストック調整など、経済環境の変化に伴う各種の調整のプロセスは企業・家計に大きな負担を強いており、相当の時間も必要であった。 心理的な影響も大きく、戦後50年を右肩上がりの経済の中で生きてきた企業、消費者が水平型あるいは右肩下がりの経済を前に、どう進むべきか混乱し戸惑った状況でもあった。脹らんだ風船が一挙に破裂して、一時は株と土地資産を合わせたピークから1200兆円も下落し、これらに依存して形成されてきた信用システムも機能不全となった。数量と価格の両面の拡大を当然としていた経済は、数量の伸びの大幅な鈍化、輸入品との競争による価格破壊に見舞われ、急激な円高で輸出企業の円の手取りは大幅に減少した。あらゆる面で従来と全く違った状態が続いたのである。未経験の環境変化を前に、経営システム、経営インフラなど全ての見直しが必要となった。 しかし、このような長期低迷状況の中で大きな変化がある。それは企業、消費者の側に、備えができたことである。大きな変化と先行きが不透明なために行動ができなかった企業家や消費者が、適切に状況判断をし、行動できる状況になった。1980年代はじめのドル高によって産業の弱体化が懸念されたアメリカであるが、今は情報産業の急速な拡大などで強い成長力を示している。1982年末から92ヶ月に及ぶ上昇の後1990年7月にピークに達して不況に突入し、1991年3月を底に回復に転じたアメリカは、日本の景気に3年弱先行している。そして、衰退していた産業の再生などによって1996年4月で6年目の上昇過程にある。アメリカでもバブルの崩壊、不動産不況、金融システムの混乱、企業の徹底的なリストラなど、原因も現象も日本と共通点が多い。アメリカの産業活性化の要因として、規制緩和、情報革命の進展、企業における革新的経営手法の導入があげられる。半導体の性能向上、デジタル技術の革新、オフィスの情報化の好環境が生まれ、新事業分やの創造や経営技術の革新が進んだ。多面的なコンピューターの活用とソフトウェアの開発、電子メール、エレクトロニック・コマース、POSシステムの普及と共に、情報技術活用によるリエンジニアリング、バーチャル・コーポレーション型経営など、さまざまな経営システムの新機軸が生み出され、それがコンピュータ、半導体、コンピュータソフトへの需要を生む一方、新たな事業、産業、雇用を創出してきた。日本も歩みは遅いが規制緩和・撤廃で競争型の社会が指向されている。1994年の大店法の緩和は専門店、量販店、コンビニエンスストアなどの出店を加速した。また、急激なパソコンの普及、インターネットなどのブームと共に、情報技術の革新が企業や家庭に波及しつつある。大きな転換期におけるこれらの新しい波は、日本経済の基盤の再構築を促し、経済の活性化のプラスの要因である。 産業構造の転換の促進、新産業の創出という面から、ベンチャービジネスの育成が政策の重要な柱となっているが、これも経済の活力創出の起爆剤となる。1995年度の補正予算でもベンチャービジネス関係の予算が1000億円もつけられ、産業活性化の手が打たれつつある。 衰退が懸念されたアメリカ産業が復活したのと同じく、規制緩和、情報技術の革新などにより、日本の産業も活性化の道を歩み始めたとみたい。平成不況とは何だったのだろうか、平成不況に対しては様々な見方がある。景気循環の後退期にすぎず特別な問題はないとする見方から、全治5年の複雑骨折であり、回復は容易ではないと見た人もいた。5年もの間低迷した景気だからここまできたら、軽い風邪だったという診断はあり得ず、複雑骨折、複合不況という診断が正しかったことになる。 今回の不況は後退期間の長さ、落ち込みの深さから見て、戦後最大の不況である。バブル経済の大幅な反動を伴った今回の不況は、好況の後の不況という循環的側面に加えて、日本経済の過剰生産体質、土地・株などの含み依存体質、終身雇用や年功序列型賃金など、日本型経営体質が内包する問題が引き起こした構造不況である。 日本経済の景気底入れが確認されたが、底入れ後も景気のV字型回復はなく、むしろ、世界的な地殻変動と日本経済の体質に起因する資産デフレ、ストック調整デフレ、円高デフレ、リストラ・デフレなどが景気低迷を長引かせている。これらのデフレ構造の克服は、当面の景気浮揚という面だけではなく、日本経済および日本企業が、国際経済の中で生き残って行くために不可欠な構造調整のプロセスでもある。これらの構造調整の成否が日本の将来を左右するものと見られ、次のような問題を克服する必要がある。

*過剰生産体質  日本経済はバブル経済の家庭で、GNPの20パーセントを超える積極的な設備投資を続け、その結果大幅な供給力過剰体質に陥った。長期の不況と成長屈折で需要ののびは 鈍く、需給ギャップもまだGNPベースで5パーセントを上回る。日本産業は規模の経済で高成長を遂げ、それを支えたのが投資が投資を呼ぶ形の横並びの設備投資競争であった。需要構造が変わり、供給能力の過剰状態が設備投資の伸びを抑えている現在、日本経済の重要な課題は規模の経済追求型の戦略に訣別し、過剰生産体質から転換する事である。  

*円高がもたらすデフレ効果 日本の供給超過体質、輸出指向経済が貿易黒字の累積を生み、これに伴う円の激しい高騰が輸出産業を苦しめてきた。自動車、家電などの輸出産業の合理化努力が再度黒字を拡大させ円高を生むという為替の地獄のくりかえしである。 しかし、輸出産業は日本の宝であり、これを疲弊させてはならない。日本はこの為替地獄から脱出する仕組みをつくらなければならない。そのためには、日本市場の開放と、不効率な内需型産業の効率化を徹底的にやる必要がある。輸入規制を廃して輸入の拡大を図り、同時に円高メッリットの実現を通じて国民の所得の購買力を高める。また、国内の各種規制の緩和、撤廃によって競争を促進し、国内産業の効率化を図れば、輸出産業の国際競争力の低下を避けることもできる。 

*リストラが呼ぶデフレ 日本経済の成長屈折に伴って、人員削減、投資の抑制、経費の削減など企業は激しいリストラを断行している。それによって企業収益は1994年度から増加に転じたが、一方、個々の企業によるミクロのコスト削減努力が、マクロ的には総需要の縮小を招き、リストラ・デフレという状況を招いている。 厳しい世界規模での大競争に勝ち残るために不可欠なリストラである。日本の産業を全体としてみれば、OECD加盟11カ国中8位と生産性が低く、高コスト体質を持っている。これによって企業がぬるま湯的体質から筋肉質の体質に転換することができれば、長期的には日本経済の発展力を増すことになる。しかし、それでも立ちはだかる壁がある。GNPの6割近くを占める民間最終消費支出は、長い間低迷の様相を示してきた。その原因の1つは主要な耐久消費財の普及率の飽和である。かつては高い所得層の 商品であったエアコンは1995年で世帯当たり、1,6台まで普及している。日本の成長を牽引してきたのは乗用車、家電製品などの大型耐久消費財の需要拡大である。耐久消費財はいったん大衆に認知され家庭にはいると、デモンストレーション効果が、働いて急速に普及し始め、この普及の家庭が民間消費の拡大を牽引してきた。しかしながら、我が国において従来型主要耐久財の普及は飽和点に達している。1994年時点での家庭での普及率は、電子レンジ84パーセント、ルームエアコン74パーセント、VTR73パーセント、CDプレーヤー54パーセント、乗用車は80パーセントとなっており、普及期のような需要の拡大は見込みにくく、景気の影響を受けやすい買い換え需要中心の需要構造になっている。 今後の消費への期待で問題なのは、パソコン、携帯電話、カーナビゲーションシステムなどの新しい商品を除いて、新規の普及拡大型商品は少なく、保有商品の買い換え中心のパターンになることである。他方、教養、娯楽、文化などの消費のサービス化への期待もあるが、サービス支出のウェート増大は、消費の安定性には寄与していても消費の大幅な盛り上がりを力強く引っ張る役割としては限界がある。大型新商品の開発に期待できないとしたら、既存商品の買い換えを促進する画期的な改良や消費者の心をとらえる新機能の開発などが必要とされる。 自動車、家庭用エレクトロニクス製品などは、1980年代の日本のリーディング産業・製品であり、これらの産業が他産業にあたえる波及効果は大きい。そしてこれらの業種は海外シフトの流れが顕著である。「加工組立産業を国内で維持するのはもはやナンセンス」と断言する経営者さえいる。自動車、家庭用品エレクトロニクスという2大業種が停滞を続けることによって、日本の産業基盤の弱体化という問題を誘発している。大型商品の開発に期待できないとしたら、既存商品の買い換えを促進する画期的な改良や消費者の心をとらえる新機種の開発などが不可欠である。日本経済新聞社が東京、大阪で2000人の消費者調査を行った結果によると、特に買いたいものがないという人が50.5パーセントを占めた。一方で、テレビに関するニーズ調査では、台所や枕元、風呂で見られるテレビを求めている人が多いという面もある。従来型製品そのままで需要を拡大する事はできないが、企業がきめ細かなニーズに対応した商品開発を行えばまだ需要を開拓できる余地はある。 産業政策としても既存商品の需要喚起のみでなく、家庭への情報端末の普及など、インフラ整備も含めて次のリーディング産業を育てる工夫が求められる。 バブル経済末期に当たる1990年初め、1ドル=150円近辺から1995年4月の79円75銭まで5年間で2倍近く進んだ円高は、輸出産業を中心に日本経済の不振に拍車をかけた。 自動車、家電、造船、プラントなど日本経済の中心産業が国際競争力を失い、生産拠点の海外展開、部品などの海外調達の拡大などが図られてきた。このように経済の低迷下で産業構造の再構築の動きが加速している。  戦後の日本は製造業の輸出競争力を高めることによって成長してきたが、いま経済成長の矛盾ともいうべき現象がある。 あらゆる努力を結集して成長を達成してきた結果、所得は上がり生活水準は向上するが、同時に賃金を含む生産コストも上昇する。それに円高が加わって、日本の成長にもっとも貢献した製造業が国際競争力の低下によって窮地に陥っている。 ドルベースでの日本の労務費の高さは、日本の産業・企業の競争力維持という面で大きな障害となってきた。日本の製造業の単位当たり労働コストは1989年に対して1.5倍を越えている。そして、単位労働コストを日米で比較した場合、30〜40パーセント程度アメリカにとって有利な局面にある。日本の製造業は様々な悪条件の中で頑張らねばならず、新たな発送と戦略が求められる。 日本の製造業には、労働コストの高さ、急激な円高の他に大きな悪条件がある。それは製造業にとってコストとなる他産業の生産性の低さと高コスト体質である。建設業、通信業、商業、サービス業など、あらゆる産業の生産性の低さが、これらに依存する製造業のコストに影響を及ぼす。 事実製造業のみがアメリカ並の労働生産性を確保しているが、他はすべて劣っている。国際競争を行わざるを得ない製造業が生産性を向上させている反面、内需型産業は国際競争がないぶんだけ生産性向上の努力が甘くなっていることは否めない。規制緩和による競争状態の創出が求められる理由もここにある。 人件費、土地、エネルギーコストなどほとんどの生産要素が高い日本においては、各種産業の生産性向上、それによる効率アップが日本経済全体の活力回復に不可欠である。 景気低迷が長期化すれば雇用調整は激化する。企業の固定費削減、リストラの推進によって、雇用環境は悪化している。 好況時に将来の人手不足を見越して大量採用し、過剰雇用を抱えた企業は、大きな固定費負担に耐えられず、徐々に企業外へ放出している。若年労働力の失業率も高く、日本も欧米型の高失業国へ近ずこうとしている。失業の増大は、社会的な不安を増し失業保険給付など計算できるコスト以上に大きな社会的コストをもたらす。雇用の流動化、雇用の場の確保など雇用条件整備に有効な手だてを講ずることが政府に求められている。 人口構造が高齢化するため、労働力の供給はいまがピークで、今後は現象に向かう。不況にはいる前はそれを理由に労働力の不足を懸念する声もあった。しかし、将来労働力は不足することはない。過去のように景気が回復すれば雇用が回復する時代ではない。むしろ構造的に失業率は高まる方向と考えるべきである。理由は以下のとおりである。

(1)国際競争の中で企業は徹底したコストダウンを進める必要に迫られている。    円高もあって世界一高くなった日本の賃金コストの元では、多少景気がよくなっても大手の企業は採用拡大には動かず、必要最低限の労働力でやりくりしようとする。   (2)企業の地球規模での最適立地選択の結果、日本国内では産業の空洞化が進む。自動車だけでもピークで670万台あった輸出の半分以上が海外生産に移行する。600万人の自動車関連産業従業者の2割強の雇用機会がなくなる。この影響が電気、精密機械、食品、プラント、商業、サービスなどの幅広い産業に広がっていくから、当然国内の雇用の需給ギャップがます。

(3)産業構造が大きく変わる過程で、必要とされる専門的知識や技術を持った人は少なく、これからのビジネスに不可欠な情報機器、情報技術に精通した人も数が限られている。量的には余っていても質的に必要な人材がいないため、雇用機会が充足されていないという労働力のミスマッチも大きくなっていく。

(4)アウトソーイングの普及も雇用機会の減少要因である。企業の大小に関わらず、各社が経理担当者や給与計算担当を抱えていることは不効率であるが、それが雇用需要を支えている面がある。アウトソーイングは企業間のムダを廃して、例えば従来4人分の仕事を一人でこなす体制にすることである。当然マクロ的には雇用をだぶつかせる結果となる。(5)輸入浸透度が高まっているが、これも国内の雇用を輸入品が奪う形になる内外価格差が大きいために、輸入の拡大は続く。海外から外国人労働者が入ってきて日本人の雇用機会を奪うのと同じ効果を持つのである。このように見ると、多少の景気拡大があっても雇用が増え失業が減る姿は予想しにくい。ドイツ、イギリス、フランスなどが10パーセントを超える失業を抱えて悩んでいる要因のいくつかは日本にも共通したものである。 若者も、中高年も、これからは高失業社会を生き抜く技を身につけることを真剣に考える必要がある。経済大国という日本の誇りとは裏腹に、日本産業全体での労働生産性はOECD加盟11カ国中8位であるという生産性本部の調査結果がある。製造業の生産性だけが欧米に並んでおり、特に自動車、電気の生産性は高いが、農業はアメリカの4割に満たない低い生産性で、商業は6割程度、運輸、倉庫などのサービス業も低い。日本は生産性の高い輸出産業と、生産性が極端に低い内需型産業が併存する二重構造を持っている。 1995年のアメリカの対日貿易赤字は590億ドルであるが、日本側から見た黒字のほとんど全部を、自動車、同部品、一般機械、事務用機械、コンピューターがしめる。これらの世界的な先端的輸出産業は円高を克服するために合理化・効率化を進め、国際競争力をつけては輸出を増やし、マクロ的には貿易黒字の拡大によってさらに円高を進めるという結果を招いてきた。皮肉なことに、懸命な努力による効率化の成果が自分の首を絞める結果を招いている。 その一方で海外からの競争にさらされず、政府の規制に守られ、過保護で生産性の低い内需型産業の多くは、輸出産業の努力によってもたらされた円高により原材料や商品の輸入価格が下がり、円高のメリットを享受する形になっている。輸出産業の合理化努力、貿易黒字 、円高、輸出産業の輸出採算悪化・内需型産業の円高メッリトという悪循環の中で、産業の空洞化が進み輸出産業のコストとなる内需型産業やサービス産業の低生産性、高コストが日本産業の国際競争力低下をもたらしているのである。産業の二重構造の解消のために、規制緩和や撤廃内外価格差解消のための輸入促進、市場開放、非効率的な商慣行の改善、流通システムの効率化が今もっとも求められている。戦後の経済発展期には、産業界、社会の秩序を最優先し、効率的な成長を遂げることが目指された。様々な規制はそのための必要条件であったが、時代は変わった。今後は、競争によってより効率的な経済体質を築くことが求められており、規制緩和への国際的、社会的要請は当分続く。アメリカは1980年代に競争力の危機にあったが、規制を緩和し個々の企業レベルの競争を通じ手国全体の競争力を回復した。規制をタイプ分けすれば、第一に事業への参入規制、第二は輸入規制、第三はその他の各種経済規制がある。 これらの規制緩和は一石四鳥とも言える効果をもたらす。(1)内外価格差是正によって消費者の実質所得が増加する。(2)輸入規制の緩和によって輸入が増大し、対外不均衡是正が進む。(3)ニュービジネスを生み、産業の活性化が図られる。(4)産業の保護的規制や参入規制の緩和により、不効率な産業が淘汰され、産業の効率化が進む。規制緩和は、従来守られていた産業や企業に端厳しい面もあるが、一般の企業にとっては、経済システムの改革によってさまざまなチャンスが生まれる。今日まで世界の先進工業国の中で、機関車国として高い経済成長を誇ってきた日本経済も、成長屈折の様相が顕著である。1960年度以来の実質経済成長率を見ると、二けたの高度成長の終わりを告げたのが1975年度であり、「いざなぎ景気」の終焉、その後の第1次オイル・ショックとともにに、我が国は5パーセント以下の中成長時代にはいった。1980〜90年度埜10年間の実績は、1987年度以降のバブル景気の高成長で嵩上げされているとみなければならない。ちなみに、1980〜86年度の平均成長率は、3.6パーセントである。必ずしも正確な成長率減速の法則があるわけではないが、成熟した経済の成長率は鈍化する。アメリカでも実質成長率は1940年代4.6パーセント、50年代3.3パーセント、60年代3.8パーセント、70年代2.8パーセント、80年代2.6パーセントとなっており、長期的に成長率を減速させている。 日本経済は、第1次オイル・ショック後に高度成長から安定成長への転機を迎えた。1990年代は東西冷戦終結に伴う世界経済の再編成の影響、経済の成熟化によって、欧米並の低成長経済へてんかんしつつある。バブル経済崩壊はこの構造変化を象徴的に示す転機なのである。 一国の成長力は、一般に、(1)労働力・就業人口の伸び(正確には総労働時間の伸び)(2)資本ストックの伸び(3)技術進歩率、などの要因によって規定される。1990年代の日本の労働力人口については、人口の伸びの鈍化から、当然その供給力は低下する。また、資本ストックの伸びは、設備投資の動向によって規定されるが、過剰生産体質を抱える日本経済の現状からして、これが大幅に伸びることは望めない。さらに技術進歩についても、今後、画期的な生産性向上技術が、新たに生まれない限り大きな期待は無理である。情報・通信技術の分野やオフィスワークなどの効率化へ貢献する可能性が高いが、この場合、余剰化した労働力の活躍の余地が他で創出されなければ成長力の向上に寄与しない。 1950年代と60年代は10.0パーセント、そして70年代と80年代に4.5パーセントと減少した日本の成長力は、90年代後半で2.0パーセント以下、2000年代で1.0パーセント台と大きく低下する。90年代に入って大きく低迷する日本経済は、潜在成長力という面でも欧米型に近ずくことになる。終身雇用、年功序列型賃金、企業別労働組合などの日本企業の特色が、安定した雇用関係を通じて、日本経済の成長へ貢献した。若年層の賃金を低く押さえる一方で、年功序列型賃金や退職金制度は長期就業へのインセンティブを高めた。そして、長期雇用を前提とした企業による従業員教育は企業の生産性を著しく高める作用を持った。また、企業内労働組合との協調による業績に応じた賃上げのシステムは、経営リスクの分散を可能にし、設備投資の余力を生み出したのである。 日本型雇用システムの特徴は、貢献ー享受という観点から見れば、企業側は労働者の若いときから比較的低賃金で長期にわたって貢献してもらい、20年〜30年たって高い賃金、退職金などの形で借金を返す仕組みなのである。労働者の貢献ー受益の関係は先入れ後出し型であるが、この長期の時間差が企業の経営を有利にしてきた。日本型賃金体系で有利な条件を享受してきた企業が、過去の借金を団塊の世代の従業員に支払う段階になった今、右肩上がりの成長軌道は終わろうとしている。 ヨーロッパと日本を比較した賃金カーブを見ると、ヨーロッパが30代から上は年齢上がっても賃金はあまり増えないのに対して、日本の場合は50〜54歳がピークとなる。国際的な競争が激しくなる中で、高齢労働力のウェートが高くなれば、コスト高のために競争に勝つことは難しくなる。団塊の世代を中心とした高齢化の進展、労働市場の流動化、成果主義賃金への指向といった環境の変化は、年功序列型賃金を中心とした日本型経営の見直しを迫っている。実際問題として、45〜54歳の就業者数は1990年の1401万人から2000年には1587万人へと増大する。増大する中高年就業者数を維持しつつ急カーブで上昇する賃金を払い続ける体力を企業は持てなくなっている。中高年を中心に人を減らすか、賃金に見合う飛躍的な生産性の向上を実現するか、いずれかの道を選択せざるを得ない。経営風土は企業毎に異なるが、大局的に見ると国によって特徴がある。アメリカ、ドイツ、日本の企業経営における行動目標の違いは明確である。アメリカ企業は利潤極大を目指し、供給力より需要が増えれば値上げし、逆になればレイオフで雇用調整をする。旧西ドイツは常に安定的に供給量を維持することを目指し、比較的低い需要の水準に供給能力をあわせる。当然、需要が急に増えれば、顧客の待ち時間が長くなる。注文した車を手に入れるのに数ヶ月待つことも当然なのである。そして、需要が増え、供給が不足しても他からその市場へ割り込むことも少ない。例えば、これまでのメルセデス・ベンツとBMWは車種の棲み分けを行っており、厳しい競争はない。競争よりも安定した社会を目指すシステムを持っている。日本はシェアの拡大を目指してきたため、需要が増えれば、一斉に設備拡大をして、供給力を高める。平成景気のような大型景気の後は、拡大した設備の償却費と増員した従業員の人件費で固定費増に苦しむ結果となる。 日本、アメリカ、ドイツの労働力と賃金に関する経営スタイルの違いもある。これは、日本3パーセント、アメリカ5パーセント、ドイツ10パーセントという失業率の違いを頭に入れると理解しやすい。経営環境が悪化したとき、ドイツの企業は雇用を削減し、アメリカの企業は賃金を引き下げ、日本の企業は雇用の削減も賃金の引き下げもできないで、企業の利益を削るというものである。日本企業の大敵は大きな固定費である人件費ということになる。 既存の商品への需要が大幅に増加することが見込めない今後は、棲み分け、部品や施設の共同利用、共同開発などを含めた提携などで利益確保を目指す戦略が不可欠となろう。製造業の生産部門の生産性は高いが、いま不況の中で低収益に悩む日本企業が抱える最大の問題は、ホワイトカラーの生産性の低さである。バブル景気の時期に、大半の企業が本社機能の強化を図るなど、間接部門の人員を大幅に増やした。この1990年前後の5年間の従業員数の変化を製造企業で見ると、製造部門の人員が減少、あるいは微増にとどまったのに対して間接部門人員が大幅に増加している。間接部門の大幅増加、すなわちコスト拡大を可能にしてきたのは、製造部門での生産性の向上ある。 今後景気が回復しても日本経済は2.0パーセント台の成長軌道にとどまるとみられ、製造部門の生産性向上も限界に近ずいている現在、膨張した間接部門を製造部門が担っていくのは難しい。当然のことながら、間接部門をスリム化、効率化する以外に利益をあげる道がない。 全産業レベルで見て、専門・技術職、事務職などのホワイトカラーの割合が、1990年の33.4パーセントから95年には35.3パーセントへと増えている。この分野の生産性向上が企業レベルでも国全体レベルでも、国際的な価格競争を生き抜くために特に重要である。間接部門の生産性向上のためには、情報化などによる効率化と同時に、間接部門の人の削減が重要なポイントとなる。これからの新産業とは本来、企業活動における個々の事業のイノベーションや新しい事業の組み合わせとして実現するものである。重化学工業導入の初期における製鉄プラントや石油化学プラントの建設のように、大きな意志決定によって特定の新しい産業が誕生する形のものではない。成熟経済下での新産業は、個々の企業や事業家が知恵と技術を駆使して、草の根的に新事業、新商品、新サービスを生み出すことによってうまれる。数本の巨大な大木を移植するのではなく、春に草木の新緑が大地から一斉に芽を吹くように、日本列島の至る所から新産業が芽生えてくる産業社会を築きたいものである。日本に新産業が生まれるかどうかは、新産業を育てる社会的な基盤がどれだけ整っているか、そして種をまき、育てる努力がどれだけ成されたかによる。そのためには単に企業レベル、産業政策レベルで問題を考えるのではなく、日本社会全体の枠組みを見直すことが必要に思われる。日本の産業構造を再構築し、新産業を生み出していくためには、政府の産業政策、産業インフラの整備、企業の戦略、組織や制度、研究者や従業員の想像力はもちろんのこと、一国の風土や文化の問題も重要な関わりを持つ。 戦後控訴成長の50年を経て、日本が次世代の新産業を作り出すためには、産業を取り巻く環境を次のような諸側面から再構築することが必要だろう。 (1)価値観・文化の再構築 振り返ってみると日本が豊かになる過程で、あるいは経済的に豊かになってきたことによって失ったものが多い。日本産業の優位性の基礎となるモノずくりへのこだわりをもう一度取り戻すこと、自己実現欲求を追求する精神を養うこと、労働よりも余暇を選択する現在の価値観を再評価して働くことの価値を再確認すること、あらゆる面で自己を鍛え想像力の源となる「競争」の重要性を再確認してみることなど、もう一度我々日本人の姿勢、あり方を見直してみることである。また、行政と産業の高コストを是正するには、市民がもっと社会に参加し貢献する仕組みと意欲が必要である。阪神大震災でのボランティアの活躍は、日本の社会も捨てたものではないという希望をあたえた。廃棄物の増大は大きな社会的なコストを強いているが、家庭廃棄物の削減や分別収集の徹底など、市民の積極参加によって、行政コストの低下と資源の再利用、環境保護を調和的に推進できる。 文化・風土、価値観などを含む社会システム全体を再構築することが求められている。

(2)学校教育の再構築 創造性、独創性を求める時代に合っては、異能・異才の発掘と育成が大きな課題である。そのためには個性を引き出す教育が求められ、従来似ような平等主義中心の教育の是非も問い直す必要がある。学生の理系離れも問題である。これは社会全体の賃金体系の歪みの問題も大きいが、教育システムと大学入試などの選抜方法の改革が不可欠である。教師の意欲や質を高める方策、大学では教授の契約制導入などの大学の改革を促進するための人事・雇用システムの抜本改革も必要である。

(3)企業インフラの再構築 新時代に対応する人事制度、賃金体系など企業インフラの再構築が求められている。1980年代のアメリカ産業の行き詰まりは、供給者主体の規格品大量生産体制が従業員からも顧客からも受け入れられなくなったことにある。高度成長期の規格品大量生産体制に対応してつっくた画一的賃金体系から脱皮すると共に、右肩上がりの時代の名残とも言える生涯雇用制度の見直しが必要である。社会的に適材適所へ雇用の移動を進め、企業内では異能・異才が意欲を持って能力を発揮できる処遇の仕組みを作ることも重要な課題である。

(4)産業政策と産業インフラの再構築 工業社会が規模の経済を基本としていたのに対して、軽工業化社会は「仕組みとスピードの経済」の時代である。したがって超工業化社会で最も重要なインフラは情報インフラである。時代の変化に弾力的に対応して、情報インフラを優先的に整備すると共に、情報技術を社会に浸透させるための教育投資、社会人教育システムの充実も不可欠である。産業政策はベンチャー企業などの“起業”の支援を積極的に行うほか、産業に対しては保護よりも競争重視の政策が求められる。産業構造が変化するときには、能力開発のための教育システムと共に積極的な雇用の流動化策も必要である。 外部の環境の変化に対応しつつ21世紀に向けて構築しようとする産業は自然に生まれるのではなく、その実現のためには行政、産業界をはじめ、国民各層の格段の努力と協力が必要とされる。ここではそれぞれの目標を明確にするために、課題達成のための施策や戦略について考える。まず、産業構造を革新するために必要な要素を次のようにわけてみる。(1)生産物・サービスの質、量生産効率などを直接的に規定する資源、人、技術などの生産要素。(2)それらの生産要素を適切に組み合わせて、生産、流通、販売の各プロセスに関して最適化を図る仕組みや仕掛けなどのソフト。(3)産業活動を含む社会システム全体を支える基盤的条件としての社会的装置せいどなど。産業構造の革新と経済の活性化を実現するためには、これら3つの分野の要素を適切に方向ずけし、全体として最適に機能するように改革を進める必要がある。生産要素に関しては、次のように、技術、人材、資源の3分野を特に重視する必要がある。 

*新しい技術の形成 *経営力の強化と人材開発の推進 

*素材の活用   コンピュータ、情報、通信などの先端的な分野では、めまぐるしい技術革新とそれに対応した企業の盛衰がある。新しい技術の開発力や応用力が企業間の優劣を決定する。 技術革新の成果を取り入れることは事業活動の基本的条件であるほか、他にないユニークな技術を開発することが優位性確保の第1条件である。また、企業にとっても国にとっても人材は最大の資源であり、この人材の育成や能力再開発、最適配置によって有効活用を図ることが、日本産業の生産性、活力を大幅に高めることになる。素材の活用は、新しい発想と新しい技術を付加することによって、素材の付加価値を高めることを目指すものである。商品でいえばデザインや機能、事業でいえば仕組みの革新によって付加価値を高めなければならない。技術や人材の高度化が進んでおり、仕組みの革新によって産業の発展に大きなインパクトを与えることができる。「システムの経済」を実践するために、仕組みの改革、刷新を重視しなければならない。リエンジニアリングは、事業の仕組みを抜本的に見直し、再構築して企業の行おうという経営手法でGE、コンパックなどの成功企業の名がよく引き合いに出される。 今日本に求められているのは、企業の事業体制はもちろん、行政システム、教育システム、市民と行政の関係など、あらゆる仕組みを見直すことである。日本の社会を大きなシステムとしてとらえ、ここのシステムと全体のシステムのあり方、相互の関係を抜本的に見直して、再構築していくことである。 企業に関しては、事業開発力、マーケティング力、情報力などのソフト機能の強化が特に重要であるし、社会に関して新しい時代に向けて社会システム全体の再構築が重要なテーマである。 企業の場合、優れた商品やサービスの提供といった供給の側面だけでは、ニーズの多様化が進む市場環境への対応は不十分である。市場サイドからの発想を基礎に、需要の掘り起こし、市場ニーズにあった商品やサービスの開発、企業間の戦略的提携、新しいチャネルの開拓など、仕組み、ソフトの見直しが特に必要になっている。また、新しい社会システムという面では、企業と行政、企業と社会という関係を視野に入れた新しいシステム作りが求められている。たとえば、雇用の問題に関していえば、雇用の流動化を促進する新しい仕組みが不可欠であるし、企業の側からは労働の質的変化に対応して、裁量労働制、在宅勤務、契約社員制など、多様な雇用システムの開発と導入が必要な段階になってきている。企業や働く人の立場から望ましい社会システムであると同時に、国や市民の豊かさが両立することがひつようで、このような視点から従来の仕組みを抜本的に見直していく必要がある。日本は欧米へのキャッチアップの時代を終えて、新たな価値へ向かって進むことが不可欠である。高度成長期の大量生産、大量消費の時代は、会社、組織共同体の歯車として、決められた役割を忠実に果たす人材が有用であった。しかし、新たな価値の創造が求められる時代には、定型的な組織人の役割は低くなる。 いま求められているのは、未知のものを発見し、創造できる人材であり、社会も、会社も、このような異能・異才を最大限機能させる仕組みを持たねばならない。ところが、現在の日本の教育、雇用システムはこれとは逆に画一型の人材を生む仕組みが中心である。先進国の競争条件は、創造性の基盤となる人的資本の“質”に移行している。その意味で学校教育、企業教育、社会人教育の教育システムは、日本の将来を左右する最も重要なソフトの社会資本だが、これらの時代遅れが目立つ。いま日本で“人的資本”開発の仕組みの抜本的改革が求められている。模倣する能力と創造する能力は異なる。創造性とは新しいものを作り出す能力である。同質な社会で小さいときから受験競争を強いられる日本人は創造性に乏しいと言われる。それに反して日本の状況は創造的な人材を一層求めるようになっている。 創造性の高い人物の特徴として、以下の特徴が指摘される。それは、複雑、観察が深く正確、ある程度の緊張・不安定を好む、他人と異なる視点・認識を持つ、判断が独立的、自己革新的、支配的、自我が強い、抑圧の排斥、感受性が強い、と言ったような要素がある。 これらの特徴を持つ人材が、従来の日本的企業で歓迎される存在であったかと言えば、必ずしもそうとは言えない。むしろ逆である。特に、自我が強い、他人と異なる視点、抑圧の排斥などと言った性格は学校でも会社でも扱いにくい人物という評価になる。日本の会社、組織にあえて異能、異才を大切に扱うことを求めることは“企業人”に対して従来の価値観の転換を求めることになる。共通の価値観、組織的行動、チームワークを優先し、それに適した人材を選抜し、育成してきた日本の社会と企業は、人の評価の体系や人材育成の仕組み自体を根本的に改める必要に迫られる。少なくとも教育や人材育成について、従来型とは別の個性重視型の方式を取り入れ、処遇についても複線的コースを準備する必要がある。創造的人材の育成はそれほど容易ではないし、全ての人が創造的能力を備えている訳でもない。最低限必要なことは、創造的能力を持つ人材の芽を摘まず、積極的に育てる環境を整えることである。バブル崩壊不況による税収減と、減税で、1993年度以降我が国の財政事業は急速に悪化した。GDPに対する財政赤字の割合は96年度で8パーセントと欧米主要国の中で最悪のイタリアをも上回る。 財政再建の最優先課題は歳出の削減でなければならない。実質成長率が低いのに加えてデフレ色の強い環境下では、景気が多少回復してもはかばかしい税収増は期待できない。一方で、高齢化に伴う福祉、社会保障関係費の増加圧力は高まる。財政は「出るを計ってはいるを制す」ではなくて、「入るを計って出るを制す」努力が求められる。第1次オイル・ショック後の不況時も税収減、経済対策関連費などで財政赤字が拡大し、1982年度予算はゼロシーリング、83年度予算以降87年度まで一般歳出は5年間連続してマイナスシーリングで節減を続けた。これにより増税なき財政再建を果たした。今回は一律のマイナスシーリングではなく、国民のニーズを見極めて、必要性の低い費目は費目自体をカットしたり、10パーセント、20パーセントと大幅に削減するなど、費目毎にメリハリのある削減策を採ることが望まれる、時代の合わない前年主義の予算方式、公共投資などの硬直的予算配分方式も抜本的に見直し、情報技術を活用した効率化による公務員削減計画など、思い切ったリストラを政府主導で行う必要がある。これを断行すれば、信用失墜の著しい政治と行政に対する信用も少しは取り戻せる。消費者は所得があまり増えない中で品質がよく安いものを賢く選び、節約した分で新たな欲求を満たすものを買おうとしている。財政でも、何かをするのに税収不足、財政破綻だという前に、不要な支出の削減を徹底してやることである。その上で、今後の日本経済に必要な情報基盤や研究基盤に思い切った予算をつけるなど、メリハリのある政策が望まれる。過去の配分比率や省益・局益にこだわり、現在日本にとって必要な施策のタイミングを失ってはならない。大きな転換期を迎えているいまの日本にあって、日本の将来をデザインする行政の使命感と力量が問われている。大きな政府、小さな政府の議論があるが、国民は少ない税金で質の高いサービスを提供する“小さくて効率的な政府”を望んでいる。言い換えれば、最大のサービス業ともいうべき行政サービスのコストである税金の価格破壊と、国民に対する“顧客志向”行政を強く望んでいる。日本は戦後50年、欧米にキャッチアップすべく経済第1主義のシステムを作り上げてきた。しかし、世界の環境も日本の立場もこの10年で大きく変わった。キャッチアップ型の日本的システムは世界の価値観に合わないばかりか、生活の豊かさや新産業の創造に対して障害となる部分が大きい。いま、政府が成すべき最も大切なことは、行政のリエンジニアリングである。ビジネスプロセス・リエンジニアリングはアメリカの企業再生に用いられた方法だが、その基本はゼロベースで事業を見直し、新しい事業システムに再構築することである。顧客の立場で事業を見直し、その仕組みを作り直す努力によって、瀕死の大企業の多くが再生した。その過程で由緒ある事業を切り捨てたり、多くの従業員をレイオフしたが、企業存続のために不可欠な手術であった。 日本でも、4年連続の成長率ゼロパーセント台の環境下で、企業は骨身を削るリストラを行ってきた。日本を代表する大企業も人件費を含む固定費の削減を徹底して行うことによって利益を絞り出している。右肩下がりに近い状況で、民間企業の辞書には経費の自然増と言った言葉はない。行政にとって顧客とは国民であり、国民のためのリエンジニアリングが求められている。 行政のリエンジニアリングとは、次のようなことである。

(1)顧客バリューをベースとした行政のあるべき姿を明確にする。

(2)既存の規制や規則、慣行などを国民の視点から見直し、不要なもの、障害に   なるものはすみやかに撤廃する。

(3)行政組織のあり方を再設計し、新たな価値観でそれぞれの動機付けをおこなう。 (4)組織のあるべき姿に対応したアクションプログラムを作り実行する。

新しく作るシステムの基本は、行政に関しては、国民本位のシステム、社会全体でいえば、競争により創意工夫が働くシステムの創出である。経済のグローバル化は、国際的な競争の中で生き残っていくこそを、企業にも、個人にもそして一国にも要求する。行政の発想、組織仕事のやり方を根本から作り直し、次の時代を築いていく努力がいま求められている。掲示あのサービス化が進む中で、新しいサービス業の創造が活発である。如何に消費者のニーズに応えるか、そこに投入される知恵と工夫の密度が新サービス業の成功の条件である。 行政の効率化、コスト削減とサービスの向上を図る方法として、公共サービスの分野にも積極的に民間の参入を促す必要がある。実際に、医療・福祉、教育、生活・文化、清掃などの分野の公共サービスは、コスト意識が希薄で、非効率的なものが少なくない。これらの分野に民間企業の参加を拡大し、経営の効率化とサービスの多様化を促すことによって、将来の財政負担の軽減、新産業創出、雇用創出という一石三鳥の効果が期待できる。 学校給食や清掃などの分野で民間委託が行われているが、行政が自ら行うよりもはるかに効率的であることは実証済みである。また、国鉄の民営化によって、JR各社のビジネスマインドの高まりが、サービスの質の向上とコスト削減に大いに貢献した実績がある。民間企業でもアウトソーイングによって経営効率を上げる動きが増えており、公共サービスの分野でも幅広く民間参入の場がこれから増えていくことになる。 公共サービスの分野には様々な民間関与のメニューがあるが、民間企業としては今後は受け身ではなく民間側の独創的な提案によって、参入分野を開拓していくことが望まれる。 多くの人が現在の経済、行政のシステムを抜本的に変える必要性を感じている、実際には過去の衣を脱ぎ捨て新しいシステムを作る動きはえんえんとして進まない。 なぜ改革を率先すべき人たちが積極的に行動しないか。その答えは、第1に、行政、民間とも日本の伝統的なムラ社会の行動様式が多分に影響している。すなわち、総論としては賛成でも自分の所属する集団の利益に反することはやらない、いわないという風土である。 第2に、長期後払い方式の日本的生涯報酬システムの弊害がある。この長期後払い生涯報酬システムというのは、終身雇用制の元で、若いときに安い賃金で働く代わりに、中高年になると高い賃金を受け取り、勤続年数に応じて累進的に増加する退職金を支給され、さらに、外郭団体の役員職のポストの権利も含む年功的報酬体系である。これは一連の職業生活の生涯報酬が最終段階ので精算される長期後払い方式の性格を持つ。 行政改革や規制緩和などを推進し、その実質的な推進役となる人々の行動力を高めるには、仕事の対価を役務の提供と同時決済する報酬システムを確立することである。分かりやすくいえば、公務員上級職や幹部の給料を大幅に引き上げる一方、年金などの継続性を確保した上で、生涯の身分保証、待遇保証をしないシステムに変えるのである。 アメリカでは、エリート層が企業や政府の役職、大学の教職を活発に移動し、その仕事に応じて報酬を受け取る。基本的には現在の報酬が仕事の内容に対応して同時的に決済される。この仕組みであれば、まだ受け取っていない過去の報酬の1部や10年後に受け取る退職金の権利の心配をせずに、いま何をすべきか純粋に判断し、それに全力投球ができる。このような形で、ムラ社会と訣別して人材の流動化を積極的に推進し、必要な時の必要な人が必要な仕事を担当する活力ある社会に変えていくことが必要である。 日本の法人税の実行税率は49.98パーセント(1994年)と、先進国中で最も高い。ちなみに、アメリカ41.0パーセント、イギリス33.0パーセント、韓国33.3パーセントあり、アメリカやイギリスは20年前のそれぞれ53パーセント、52パーセントから引き下げている。これらの国は法人税の引き下げによる産業競争力の強化を目指している。国民生活の基盤は経済であり、その経済を担う企業が活性化しなければ、日本経済の活力は維持できない。新たな産業創出の先兵となるベンチャー企業育成にも法人税引き下げが不可欠であろう。 税制は、国を運用する費用をどのように調達するかという税源の問題だけでなく、一国の経済基盤を強化するか弱体化するかという産業政策と密接に結びついている。経済活性化策としてしばしば等し減税が行われるが、これは工業社会では効果があっても、物的な投資のウェートが下がって知識・情報主体の経済に移行する21世紀には効果が弱まる。それに対して、次代の産業担い手を育成する手段として、法人税軽減の効果は大きい。アメリカは1986年に法人税率を引き下げ、来るべき情報化社会に備える先見性を発揮した。今後の産業社会の中心的資源は、人に体化された知識や情報である。知識や情報によって高収益を上げた企業は、設備投資をして減価償却費をたて、法人税を繰り延べると言う従来型の節減策はとれない。また、人が財産である知識産業に対して投資節減制度を充実しても意味がなく、新産業育成には法人税減税が有効である。直接税である法人税を下げ、代替財源として消費税を引き上げる税制改革を打ちだすと、いくつかの政党や消費者団体は企業優遇だと反対する。しかし、冷静に考えれば、経済活動の基盤を担う企業や事業家が活力を失えば、国民生活も消費者の幸せもなくなるのである。消費税はお金を持っている人が使うときに支払う税金で最も公平な税である。企業や事業家が成功を夢見て努力すれば、企業のためだけではなく、日本経済全体の活力を高めるために少なくとも欧米諸国並の法人税の引き下げが期待される。日本経済の育成のためには、さまざまな角度から手を打つ必要がある。もちろん税制は産業の育成のためだけのものではないが、直接税から間接税への重点移行と言う大きな流れの中で、法人税減税を含む抜本的な税制改革を推進することが必要であろう。 日本の改革の手本としてアメリカの良さを多く引き合いに出したが、アメリカがそれほど全ての面で素晴らしいわけではない。競争社会が活力を生む一方で、貧困層の増大、全世帯の1割が生活保護を受けるというゆがんだ面も生み出している。底辺に対する 教育システムの改革、職業再教育の充実などによって、弱者が健全な競争社会へ復帰する仕組みを早急に作らなければ、裕福層と貧困層への二極化がさらに進むという問題もある。何事も全ての面で良いということはなく、他の良いところを学ぶということだと思う。日本については、優れた面も多い。首相が誰であろうと、そしてそのリーダーシップの有無とはあまり関係なく、多数のサブシステムが調和的に機能する安定度の高い社会なのである。これはおそらく日本の多くの企業についても当てはまる。日本の社会、企業共に、自立的に機能するサブシステムの集合体であり、基本的の柔構造である。急な方向転換は不向きであるが、危機に対してもパニックにならず、それなりにしのぐ高い安定性を備えている。だが、いずれにしても、日本は変わらなければならない。新しい産業も作らなければならない。欧米をモデルに高度成長を遂げた日本は、これからは自らが開拓者となって行くことが求められる。生活の豊かさを実現し、後から続くアジア、その他の国々のモデルとなるような経済と社会を築かなければならない。後で振り返ったときに、いまの努力が大きく実っていることを期待して、知恵を競いながら新しい仕組みを作っていくことである。