序章

日本の金融体制は、過保護行政、密室的行政、護送船団方式を行っており、「日本型金融システム」などと呼ばれている。この行政は、外国から見て「不思議の国ニッポン」をますます印象づけてしまっているだろう。この日本型金融システムが、最近安定性を失い、金融システムの不安が如実にあらわれてきている。1994(平成6)年以降、東京協和信用組合と安全信用組合の2信組の整理・清算が行われたり、また、木津信用組合や兵庫銀行などの中小金融機関の破綻が相次いでいる。そして、銀行を指導・監督をしなければいけない大蔵省までもが銀行と手を組み不正を行なっていたのである。特に、金融不安を如実に露呈してしまったものが協同住宅ローンを除く住宅金融専門会社7社の不良債権問題である。橋本内閣のビジョンである「ビックバン構想」のもとにこれから完全とはいかないまでも金融の自由化によって、銀行の整理・清算、または、銀行の倒産・合併が増えていくものと考えられる。また、これからは預金者自身がつぶれない銀行、または、条件の良い銀行を選ぶ時代になってくるであろう。そこで、安定した金融システムであるためにはどうすればよいのか、私は、この論文で住宅金融専門会社の不良債権問題や大蔵省の天下りなどを通してを、これからの新しい金融システムのあるべき姿を問いていく。













第1章 住専問題

第1節 住専の設立目的

現在の金融不安を露呈したものといえば、住宅金融専門会社(以下、住専)による不良債権問題である。ここで簡単に住専がなぜ設立されたのかを述べることにする。

住専は、1971(昭和46)年6月に設立された「日本住宅金融」を皮切りに、1979(昭和54)年8月までの約8年の間に8行が設立された。そして、当時、都市銀行の住宅ローンへの進出が出遅れていたため、活発であった住宅ローンの需要を賄いきることができなかった。そのため、住宅資金の安定供給と事務効率化などを目的に、大蔵省の指導・要請により現在の都市銀行11行、長期信用銀行3行、信託銀行7行の母体行と呼ばれる銀行によって設立されたものであった。住専は預金を取り扱わない非預金取扱機関であったため、設立した銀行(母体行)が資金を融資した。いわゆる住専は「ノンバンク」の一種であるといえる。

第2節 住専の不良債権発生のメカニズム

そもそも住専は、個人向け住宅ローンを専門的に行う機関であった。住専が設立される以前でもある程度、民間銀行の間で住宅ローンは行われていた。1966(昭和41)年度の全国銀行を見ると住宅資金の残高が、651億7200万円で、消費者信用合計のうち住宅ローンは、55%占めていた(表1−1)。しかし、個人から集めた短期の資金を調達して、運用する銀行(特に普通銀行)にとって見れば、20〜40年の長期の住宅貸付ローンは貸付利子の収益はあるものの、運用面から見ると魅力のないものであった。都市銀行などの普通銀行が個人向けの住宅ローンを行うことにより、個人の顧客情報の獲得につながるというメリット面があるのだが、個人向けの住宅ローンは、不特定多数の個人を対象としている長期の融資であるため貸出しの時の担保の査定を行わないといけない事務手続きがあるために多数の査定をしなければならないので、コストが高くつきすぎてしまい、面倒であったために敬遠されていたのである。また、個人ローンに対する信用が持てなかったことも考えられる。そういうこともあり、高度成長期の1960年代は、個人に対してよりも産業界(企業)に資金を供給して、融資を拡大した方が魅力のあるものだと思われていた。つまり、住専ができる前までは、政府が貸付けを行う「住宅金融公庫」と「民間銀行による小規模な住宅ローン」によって個人向け住宅ローンは賄われていた、と言うことができる。しかし、民間銀行が住宅ローンに無関心だった訳ではない。1970年代から安定成長期に入ったことにより、今まで銀行から資金を借り入れていた企業は資本の蓄積が進み、大手企業の間では、銀行からの借り入れに頼らないで株式による資本市場から直接資金を調達する動きが見られはじめるようになった。そのため、1980年代に入って銀行は借り手を探しはじめる訳であるが、そこで注目されはじめたものが個人ローンであり、その中でも大衆のマイホーム志向の高まりに伴って需要が伸びている個人住宅ローンであった。つまり、民間銀行が個人住宅ローンへの規模を拡大したこの時点で「住専」対「民間銀行」という個人住宅ローンの構図ができてしまった。当時の住専の個人住宅ローンと民間銀行の個人住宅ローンを比較すると異なる点が3つある。第1点は、融資ができる金額の上限の違いである。民間銀行の融資金額の上限が当時2000万円だったのに対して、住専は、返済能力・物件価格による限度内であれば、融資金額は無制限であった。第2点は、ローン返済までの機関が異なることである。民間銀行の場合最長15年であったのに対して、住専では当時で25年であった。つまり、月々の返済額が銀行より住専の方が小額になるので、返済負担額を軽減することができた。これは、個人の借り手にとっては大変条件の良いものであった。第3点は、連帯保証人に関することである。銀行の場合は必ず連帯保証人を要しなければならないが、住専の場合は原則として連帯保証人を必要としなくてもよかった。この3点が異なる点であったが、住専の金利は民間銀行の金利よりも高いものであった。住専は預金業務を取り扱うことができないため住宅ローンの資金源の調達は住専の設立に関わった銀行(母体行)からの借り入れに頼っていたわけだが、その銀行からの借り入れに頼っていた住専が金利面で民間銀行に勝てるわけがない。それを証明するかのように、住専の個人向け住宅ローンの残高は1980年代をピークに横ばいの傾向をたどることになる(表1−2)。住専は、個人向け住宅ローンの市場を設立時に資金協力をした母体行に奪われてしまい、新たな住宅ローンを模索しはじめることになる。そこで新たな収益源として急速に傾斜していったのが、事業者(事業会社)向けの融資である不動産会社向け融資であった。この経過を見ると住宅個人ローンを専門にしていた住専の領域を母体行が占領していったので、「自分たちの首を自分たちで絞めている」ように感じ取れるが、民間銀行が住宅ローンの世界に入ってくるのは時間の問題であったし、当然の結果だったのである。住専が不動産会社向け融資に移行することは、上記のような状況になれば自然の行為で当たり前であるし、個人住宅ローンからの乗り換えが悪いことではないし、民間銀行を責めることもできない。そして、住専が不動産会社に傾注する中で日本経済は「バブル現象」が起きていた。このバブルにより地価・株価の高騰が激しくなっていった。この地価・株価の値上がりは、買い手の「地価上昇」・「株価上昇」の期待が膨らみすぎて起こったものであった。経済企画庁のデータによれば、バブル絶頂期の1990(平成2)年の地価は、バブルが始まる前の1985年の地価に比べて約1.8倍も上がっていた。また、首都圏だけを見ると約2.5倍も上昇しているのである。また、日経平均株価も1989(平成元)年末には3万8915円87銭の史上最高値を記録した。このように地価・株価と経済の実態とのギャップが大きこともあり、当時の政府は強い懸念を示していた。そこで、本来の経済活動に見合う地価や株価を戻すため政府は「不動産融資総量規制」の実施を決めた。この「不動産融資総量規制」とは、1990(平成2)年4月に大蔵省の実施した金融機関向けの規制である。この規制は、あるA銀行の年間の総貸出し金額の伸びが15%であれば、次の年は土地融資金額の伸びを15%以下に抑えなければいけないというものであった。つまり、この「不動産融資総量規制」は土地や不動産に関連した融資を抑制することにより政府が間接的に地価を下げることが目的であった。(ちなみに、不動産融資総量規制は1992(平成4)年1月にある一定の目的が達成されたとして解除されている。)しかし、政府が予測した以上に地価・株価の下落が急速になりすぎてしまった。このため財テクブームによって銀行からお金を借りて土地・株を購入して利益を得ようとしていた企業(不動産)は、銀行にお金を返済することができなくなってしまった。すなわち、この時点で「不良債権」が発生したのである。つまり、政府による「不動産融資総量規制」が引き金となって、土地の値段が下がり、バブルが崩壊し、住専の不良債権が発生したといっても過言ではないだろう。







第2章 住専処理案

第1節 日本の住専処理問題

住専の不良債権の最終処理案は、6兆4100億円の1次損失と、1兆2400億円の2次損失に分けられた。この最終処理案では、「協同住宅ローン」を除く住専7社の資産を引き継ぐ受け皿会社「住専処理機構」を設立することを決めた。これによって、住専7社は消滅してしまう運命をたどることになる。住専の処理の1次損失の6兆4100億円の内訳は、@ 住専を設立した母体行が3兆5000億円の債権を放棄する。A 融資していた一般行が1兆7000億円の債権を放棄する。B 農協系統金融機関が5300億円を贈与する。C @〜Bで穴埋めできない分である6800億円を財政資金として提供する。これが国民の大部分が反対している税金投入である。しかし、新聞の報道では、「6850億円」となっている。これは、住専処理機構への出資金の50億円を入れたものになっている。@〜Cの6兆4100億円+50億円の処理負担により1次損失を処理しようとしている。もう一方の2次損失の処理の内容は、@政府と民間で折半して負担する。A民間の損失負担費用は、民間金融機関の1兆円までの出資により、運用益で穴埋めをする。B母体行・一般融資行・農協系統金融機関が1/3の割合の低利子による融資を行い、預金保険機構が元本を保証する、という内容である。この最終案では、最低でも1兆2400億円にのぼる2次損失の半分を国が負担することになっている。つまり、1次損失とだいたい同額の6200億円の負担を税金で賄うことになる。単純に考えて(6800億円+6200億円)÷1億3000万人によって、1人10000円の負担になるわけである。しかし、これ以上の負担になることも考えられなくもない。なぜならば、現在よりも地価が下がった場合のことを考えてみると1人10000円以上の負担額になる恐れがある。しかし、私は、この税金投入には、反対の立場を取りたくはない。なぜならば、金融の安定を望むのであれば仕方のないことであるからだ。一刻も早い処理を望むのであれば、税金を投入することが一番良いだろう。住専の処理を母体行だけで行った場合、預金を取り扱っている大手銀行の倒産が一気に発生することも考えられ、その場合には、預金保険機構の機能がストップしてしまい、1000万円まで帰ってくる預金者の預金も帰ってこない可能性があるからである。また、取付け騒ぎも起きることも考えられる。よって、税金を使った財政投入はやむを得ないだろう。この住専処理は、地価が下がらないうちに速やかに行わなければならない。処理を先送りすることはいけない。一刻も早い不良債権の処理が望まれるところである。

第2節 アメリカのS&L問題の処理

住専問題は、実は日本だけではなかったのである。アメリカでも同じような問題が起こっていたのである。それは、「貯蓄貸付組合(S&L)問題」と呼ばれるものである。この貯蓄貸付組合(以下、S&L)は、日本の住専と同じように住宅抵当融資の提供を主業務としている金融機関である。住専と大きく異なっている点は、預金業務を扱ってはならない住専に対して、S&Lは、預金業務を扱ってもよいということである。S&Lは、小口の預金を集めることによって、その資金で住宅向けの融資を行っていた。もちろん、S&Lも個人向けの住宅ローンを主業務といていた。しかし、住専と同じように、不動産業種向け融資に傾斜してしまったのである。そいうことにより、バブル崩壊による不動産不況によって1980年代後半に多数のS&Lが経営破綻に追い込まれてしまったのである。S&Lの破綻にいたる経緯は、住専が破綻した過程そのものであるといってもいいだろう。では、アメリカ版住専はどのように整理されていったのであろうか。まず、1989年8月に成立した「金融機関改革・債権・摘発法(FIRREA)」によるS&Lの監督機関の整理による米整理信託公社(RTC)の設立があげられる。FIRREAは、1932年に成立した「連邦住宅銀行法」によって、連邦免許のS&Lの監督機関として設立された「連邦住宅貸付銀行理事会(FHLBB)」を解体し、新たに、S&Lに対する監督権限を「貯蓄機関監督庁(OTS)」に移し変えた。そして、ここで話題として取りあげるRTCも設立させた(表を参照のこと)。このRTCは、破綻したS&Lを大量整理するための機関として設立されたものである。つまり、RTCに相当するものが日本の場合の住専処理機構といってもいいだろう。このRTCによって、アメリカ版住専であるS&Lを整理していったのである。RTCは、1995(平成7年)年12月29日にS&Lの整理という使命を果たしたために解散となった。つまり、不良債権の処理に成功したわけである。この成功した背景には、第1点目、1990年代に入ってからのアメリカが金利の低下を迎えたため預金者への利子を払わなくてもよくなったため銀行の体力を備えることができた。第2点目、RTCがS&Lをの処理をしたときに弁護士や不動産鑑定士を用いて効率的な入札を可能にして速やかな不良債権処理を行った。第3点目、経営破綻に追い込んだS&Lの経営者に対して監督機関が刑事責任などの責任を追及し、公的資金の導入によって行ったS&Lの処理を国民のが理解をしたことである。日本の場合は、第1点目と第2点目は行われているし、行われようとしている。しかし、第3点目は、全く行われていないように感じる。この点がアメリカと日本の違いである。

つまり、日本で住専の処理を成功したいのあれば、警察当局は刑事責任を追求するべきであるし、政府が、国民に対して理解してもらおうとしなければならない。そのようにすれば、国民も納得してくれるのではないだろうか。























第3章 住専の責任問題

第1節 大蔵省の責任

天下り

住専の責任問題の大蔵省の行政責任を問うとき、まず最初に挙がるのは「天下り」であろう。この住専の「天下り」を見ていくときには、金融制度調査会の住宅金融部会が1973(昭和48)年12月18日に取りまとめた「民間住宅金融機関のあり方について」の答申案を見ていくのがよいだろう。その中で、「第二 住宅金融についての考え方」の「四 住宅金専門機関について」の(一)のところに「今後の問題としては、物的担保に主眼をおいた金融を行う住宅金融専門機関が育つのが望ましい」と述べている(資料3−1)。つまりこれは、「住宅金融専門会社が育って欲しいという政府(国)の願い、または期待を示しており、大蔵省のバックアップによって住専が成長したといってもよいだろう。この答申案が出される以前に「日本住宅金融」、「住宅ローンサービス」、「住総」、「総合住金」の4社は営業を既に開始していたが、この答申案が出された後、「第一住宅金融」、「地銀生保住宅ローン」、「日本ハウジングローン」、「協同住宅ローン」の4社が設立されたことを勘案すると、この答申案による大蔵省のバックアップで設立されたと考えてみてもおかしくはない。すなわち、大蔵省のお墨付きがあれば住専は保証されたのも当然である。保証されたとなれば、これ以上住専にとって心強いことはないだろう。この「民間住宅金融のあり方について」の答申案が「人なき天下り」といっても過言ではないと私は思う。では、実際に「天下り」が住専で行われていたのかが気になるところだが、次に住専への「天下り」を考察してみる。問題となっている住専7社が設立した当時の社長を調べてみると、「住宅ローンサービス」を除く「日本住宅金融」の庭山慶一郎氏、「住総」の佐々木庸一氏、「総合住金」の中島晴雄氏、「第一住宅金融」の崎谷武男氏、「地銀生保住宅ローン」の有吉正氏、「日本ハウジングローン」の大月高氏の6名が大蔵官僚出身である。私は「天下り」がすべて悪いとは言っていない。第2の就職先として仕事をするのであれば問題はないと思っている。一般企業に勤めていた人が退職した後、就職先を見つけることは最近では当たり前の光景である。しかし、ここで考えたいのは、退官後の「官僚の就職先の職種」である。それは、官僚のいた省庁から何かしら関係のある企業(会社)に就職する場合のことである。つまり、大蔵省から金融機関へ、または、他の省庁で考えてみると建設省から建設会社への天下りなどに問題があるのである。銀行から見れば「元官僚」という肩書きがあることによって後ろ盾ができるわけである。権力のあるものが後ろに要るだけでも安心出来るのである。我々でもある人があるものに対して権力を持っていてその人がいれば安心してしまうのと同じであり、彼に任せてしまうであろう。銀行はその彼がいることにより、大蔵省からの規制の対象の緩和や免除などが与えられるであろうし、銀行自体がつぶれる心配をしなくてもよくなる。これが、「元官僚」によって銀行と大蔵省を結び付けてしまい「癒着」していると言われるまでになってしまう。住専から少し離れてしまうが、この「癒着」を裏付けているものが、「大和銀行ニューヨーク支店損失事件」であろう。これは、大和銀行ニューヨーク支店元特別嘱託行員の井口俊英被告が米国債の投資に関する帳簿外取引きで約1100億円の損失を与えた事件のことである。この事件では、大和銀行と大蔵省の対応の悪さが如実に現されている。アメリカでは、法律によって巨額の損失が発生した場合には直ちに当局に通報しなければならないことになっていたのだが、大和銀行は報告もせずに事件を隠し通そうとしていた。ここまでは銀行の問題点であったが、実は大蔵省の銀行局はその事件の真相を知っていたにもかかわらず、大和銀行と同様に報告をしなかったのである。結局、大和銀行はアメリカから追放されたわけであるが、このような「癒着」がある限り不祥事はこれからも起こりうるだろう。つまり、「関連職種への天下り」は、即座にやめるべきである、と私は思っている。

不動産融資総量規制

大蔵省の最大の責任は、「不動産融資総量規制」であろう。第1章でも軽く述べられているが、1990(平成2)年3月27日に大蔵省が地価高騰を防ぐねらいで金融機関の不動産業向け融資について、融資残高を規制することを1990(平成2)年4月1日から実施することを各金融機関に通達した。「総量規制」に関しては、列島改造計画で地価が高騰した昭和48年以来17年ぶりに行われたものであった。この昭和48年に行われた「総量規制」の実績はグラフを見ても明らかで、1972(昭和47)年から1973(昭和48)年までの地価の変動率の推移は急激に上がっているが、「総量規制」が行われてから急激に地価の変動率が1974(昭和49)年〜1975(昭和50)年の2年間でマイナスに推移している。つまり、1973(昭和48)年に行われた「総量規制」は効果のあるものであったと言うことができる。1990(平成2)年4月に行われた「不動産融資総量規制」では、同じく2年後に地価の変動率はマイナスに転じている。しかし、1973(昭和48)年の「総量規制」と1990(平成2)年のそれとは規制が行われた後の地価の変動率の推移が異なっている。1975(昭和50)年年後はしだいに回復に向かっているのだが、1990(平成2)年に行われた規制は回復せずにマイナスのままであり、回復はしているものの、なかなか変動率が上がらないものになっている。この地価の下落によって不良債権が発生してしまった。ここで問題にしたいのが、1990年4月の「不動産融資総量規制」の内容であろう。図3−2は、全国銀行の不動産業種向けの貸出残高と総貸出残高の総額と前年比の伸び率である。全国銀行の1989年12月末の不動産業種向け貸出残高は、46兆9019億円で前年同期比で14.9%も増えている。もう一方である総貸出残高は440兆807億円で前年同期比10.9%も増えているのであるが、不動産業種向けの伸び率の方が総貸出残高の伸び率よりもかなり上回っていることが分かる。この傾向は、1988(昭和63)年3月末を除いて1984(昭和59)年頃から続いていた。特に1987(昭和62)年3月末においては不動産融資向けの伸び率が32.7%になっており、これを裏付けるかのように、1987(昭和62)年、1980(昭和55)年と地価の変動率は高くなっていることが分かる(表3−3)。このようなことで、「不動産に融資をしすぎているのではないか」と指摘されるようになった。そのようなわけで、「不動産融資総量規制」を金融機関に通達するのであるが、通達の対象金融機関は、全国銀行協会連合会に加盟している銀行、信用金庫、信用組合、生命保険会社、損害保険会社、外国銀行などほとんどの金融機関が含まれていた。また、融資状況を提示する不動産業、建設業、ノンバンクに対する「三業種規制」も同時に行われていた。つまり、各銀行に送られた通達は、不動産業種向けの融資の伸び率を融資全体の伸び率以下に抑え込んだ行政指導である「総量規制」と不動産業、建設業、ノンバンクへの融資状況を四半期ごとに報告することを命じた「三業種規制」の部分から成り立っていた。しかし、ここで気づくのが、農協系統金融機関と住専が入っていないことである。農協系統金融機関と住専に対しては大蔵省の監視の目が光ることとなった。農協系統金融機関が対象外となったのは、「三業種規制」以上に厳しく融資に制約を設けた「員外規制」があったためである。この「員外規制」とは、組合員の利益を保護する立場から業種を問わず組合員以外に対する融資を組合員向け融資の2割以下に制限しなければならない規制であった。しかし、この「員外規制」は、1980年10月に大蔵省、農林水産省が「信用農業協同組合連合会の農業協同組合法第10条第9項第3号に規定する『その他の金融機関』に対する貸付けについて」という通達を出した祭に、農協系統金融機関の住専向けの融資を「員外規制」の対象外としていたのである。つまり、組合員向け融資の2割以下という規制がなくなってしまったため、貸出の上限額が撤廃されてしまったのである。つまり、農協系統金融機関は、住専へ大量の資金を供給することができたわけである。「不動産融資総量規制」によって不動産業種向けの融資ができなくなった母体行の住専の融資、そして、農協系統金融機関の上限なき住専への融資によってできてしまった不良債権の元を創ったといってもいいだろう。これは、大蔵省(政府)の責任である。

2 銀行・住専の責任

ここで、1つの疑問が生まれてくる。「住専は融資をするときに十分な査定をしていたのか」という疑問である。実態は、融資の際の担保評価額の査定がなされていなかったらしい。つまり、融資に対してはずさんな査定が行われていたみたいである。なぜこのような融資が行われていたのであろうか。そのきっかけとなったのは、第3章の第1節で述べた「不動産融資総量規制」である。母体行への「不動産融資総量規制」通達のため、母体行からの融資の案内が住専へ流れてきたのである。いわゆる、母体行による「紹介融資」である。母体行の紹介融資ということもあり、母体行に対して断ることもできず、融資先の財政状況や査定もせずに融資せざるをえなかった。この時に、母体行に対して紹介融資を断っておくべきだったし、融資先の査定をじっくりと行っていれば、現状のようなことにはならなかったであろう。

3 借り手の責任

借りたら返すというのは、当然の行為ではないだろうか。我々がローン会社からお金を借りる場合でも返すことは当たり前である。また、返すことができなかった場合には裁判所で「禁治産者」にされ、差し押さえがある。返済できない企業はすぐにでも差し押さえをするべきであったし、責任を取るべきではないだろうか。では、一体どのような企業が住専からお金を借りたのであろうか。参考資料として住専7社の大口貸出企業を載せておいた。ここで不思議に思うことは、東京の企業も多いが何故か大阪の企業の名も多いことである。これは、地価変動率を見ることによってはっきりとしてくるだろう(表3−3)。大阪圏の地価変動率の推移を見てみると、1987(昭和62)年に約5%だった伸び率が、1988(昭和63)年で約20%、1989(平成元)年で約30%、1990(平成2)年で約55%と急上昇している。これに対して、東京圏の地価変動率は、1988(昭和63)年に異常な約60%の上昇を記録したが、次の年の1989(平成元)年には、2〜3%の上昇になり、地価高騰が落ち着いている。また、バブル崩壊後の東京圏と大阪圏の地価変動率を見るともっとわかりやすい。大阪圏の地価の下落の度合いが大きいことが分かる。つまり、この地価の下落の度合いが短期的で、急激であった大阪圏の方が不良債権の発生を多くしてしまったのである。ゆえに、大阪の企業が多いのである。とは言うものの、東京圏の企業であれ、大阪圏の企業であれ、金を借りたのであるからしつこいようだが、一生懸命に経営者に働いてもらって返済してもらいたいものである。




















4 これからの日本の金融システムのあり方

これからの日本の金融機関は厳しい環境下の中に置かれてしまうであろう。それは、金融の自由化により預金金利の自由化、新しい金融商品の登場、外国銀行の日本への参入でこれから銀行の統廃合が頻繁に激しく行われるかもしれないからである。また、大蔵省による銀行の保護措置もこれからは、縁遠くなっていくことだろう。このような環境のもとで、預金者は安定した金融システムを望んでいるのは言うまでもない。そこで私は、安定した金融システムであるための7つの条件を提示する。

第1点目は、「大蔵官僚の大蔵省関連職種に対する就職(天下り)の禁止」である。私は、第3章の『大蔵省の責任』の中で、この事を述べているが、天下りのすべてを反対するわけではない。しかし、大蔵官僚が金融機関に天下りすることにより、「大蔵省と金融機関」というつながりが必然的にできてしまう。これでは、いくらこれからの金融が自由化になるからといっても、天下りをしていたようでは本当の自由化とはなり得ないのではないだろうか。そのためには、官僚の関連職種に対する就職の規制を法律として制定すべきではないだろうか。これは、日本国憲法第22条のの1項にある「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業の選択の自由を有する」という部分に抵触してしまうという考え方もあるだろうが、関連職種に就職することが「公共の福祉に反しているように」私には思えてしまうので、あえて法律を制定してもよいのではないだろうか。強制力のある法律が一番効果があるように私は、思う。

第2点目は、「日本銀行の独立性の確保」である。現状の日本銀行は悪い言い方をすれば、「大蔵省の金魚のフン」の状態だといってもよいほどである。それを裏付けるかのように日本銀行法第42条に「日本銀行ハ主務大臣之ヲ監督ス」と書かれてある。つまり、大蔵大臣が日本銀行の監督権を持っているというわけであるが、大蔵大臣が大蔵官僚のあやつり人形であると考えると、日本銀行法第42条の解釈を「日本銀行ハ大蔵省之ヲ監督ス」とすることができるように思える。この第42条を改定する、または、削除することが望まれるところである。これによって、日本銀行の独立性を認めることができ、日本銀行の政府に対する発言権を増やすことができる。また、政策を独自に調整することができるようになるであろう。

第3点目は、「公認会計士協会の独立性の確保」である。これはどういうことかと言うと、公認会計士協会が大蔵省証券局のコントロールの下にあるからである。イギリスでは、イギリス会計士協会(ICA)、アメリカでは、アメリカ会計士協会(AICPA)という独立した職能団体である。つまり、会計士としての能力が一定の水準に達していることを会計士協会自身が認めて、免許を与えることになっている。何を言いたいのかを言うと、「イギリス・アメリカのそれぞれの会計士協会は、政府とは独立した機関である」ことだ。しかし、日本では、公認会計士は大蔵省証券局の企業財務課に所管されており、そこから免許がおりるのである。そこに問題があるのではないだろうか。住専を担当していた会計士たちは、バブル期の会計の監査をどのように行っていたのであろうか。商法第285条の4【金銭債権の評価】の2項に「金銭債権ニ付取立不能ノ虞アルトキハ取立ツルコト能ハザル見込額ヲ控除スルコトヲ要ス」と記載してある。これは、回収不能と思われる債権は会計上処理しなければならないと言っているのである。つまり、住専を担当していた会計士は法律を犯したということが言えよう。これも、大蔵省から免許を与えられている以上仕様がないことであるかもしれないが、公認会計士協会を大蔵省から独立させることにより、公認会計士が大蔵省からの圧力を受けないよう、正確で本来の会計処理を行って欲しいものである。

第4点目は、「「預金者の金融のイメージの転換」である。それは今まで、銀行はつぶれないものであるという概念が預金者にはあった。今でもそう思っている人もいるであろう。この「大蔵省がバックについているから銀行がつぶれない」という金融のイメージを打破しなければならない。それは、これからの金融の自由化により以前までの金融の安定性は保つことができなくなることは明らかである。銀行の統廃合が起きることは明白である。これからは、預金者が銀行を選ぶ時代になるわけで、必然的に高い金利の金融商品のある銀行へ足が赴くであろう。高金利の金融商品を扱う銀行は、倒産の危険性の代償として金利を高くしているかもしれない。そこを預金者がどのように判断できるかが、この先の預金者の金融のイメージを転換する意味でも大変大きな部分である。

5点目は、「ディスクロージャー(情報開示)の必要性」である。今の日本の金融機関は内部事情がよく分からない状態にあるといえる。新聞などで報道される情報開示は、経常利益だけであって、不良債権などの悪い条件の情報開示は公表されていないように思えてしまう。これは、第4点目と第5点目とのセットとして考えることができるが、金融機関、預金者の双方に自己責任に基づいた行動がこれから求められるわけであるから、金融機関の預金者への情報提供はますます重要になってくる。ディスクロージャーを行わなければ、預金者は金融機関を金利や金融商品だけで銀行を選ぶことになってしまう。つまり、ディスクロージャーは、預金者が預金を行う際に金融機関を選択する際の基準となるのである。このディスクロージャーについては、金融制度調査会ディスクロージャー作業部会でも、議論が行われているので、今後ディスクロージャーの範囲を順次拡大する方針でいるようなので、ディスクロージャーに関しては、今まで以上に進んだものになるであろう。

6点目は、「マスコミの報道性のあり方」である。金融不安をあおるような報道は控えるべきである。つまり、「A銀行の経営状態が悪いから、倒産の恐れがある」などの報道を控えるべきであると言っているわけである。これもディスクロージャーの一つとして考える人がいるだろうが、これはそうではないように思える。ディスクロージャーは、銀行側が行えばよいわけだし、また場合によっては政府が行えばいい。これからのマスコミの報道のあり方で、金融機関が斜めに傾いてしまうことも考えられる。

最後の第7点目は、「モラル・ハザードの対策」であろう。これは、金融機関の経営者、借り手、預金者のすべてに当てはまる。特に、官僚のモラル・ハザードの問題は、重要である。上記に書いた者のモラルの改善が、必要になってくるだろう。

私は、以上の7つの改善・行動により、これからの金融の自由化に対応した金融システムへと移ることができ、そして、この7つを達成することにより新しい金融システムのあり方を築くことができると思う。














終章

住専問題をこれまで見てきたが、このようなことはこれから預金を扱う銀行でも増えていくかもしれない。事実、数行の銀行が倒産、整理が行われている。自分のお金を銀行に預けている人は、今度は預金している銀行がつぶれるのではないかと、不安になってくるだろう。これからの金融体制は、以下のようにあるべきではないだろうか。。第一に、金融機関の基本的機能である本来の伝統的な預金貸出業務を行うことである。現在では不良債権を金融機関が抱えているため、貸し渋りがあり、慎重になっている。消極的に融資を行なっていくならば、金融機関の本当の発展はないように思える。第二に、他国の政府に日本の金融機関の信頼を持ってもらうことである。これは重要なことではないだろうか。アジア諸国ではドル離れがおき、円に対するニーズが増してきている。日本政府が「円」を「ドル」並みの国際通貨にしたいのであれば、日本の金融機関の「信頼」の二文字が最重要課題なることは明らかである。これらを貫徹し、私が提示した、7つの条件を満たすことにより、一日も早い金融システムの不安の解消と金融機関の安定を行うことが必要であるし、私が望むところでもある。














参考文献

「地銀・信金・信組」 花原國吉著 同時代社

「世界の中央銀行」 田尻嗣夫著 日本経済新聞社

「金融入門」 日本経済新聞社編 日本経済新聞社

「米銀の崩壊と再生」 掛谷建郎著 日本経済新聞社

「住専の闇」 中北徹・財部誠一著 朝日新聞

「住専問題の本質」 佐高信著 岩波ブックレット

「住専問題って何?」 住専問題研究会著 日本経済通信社

「住専処理策について」 首相官邸のホームページ

http://www.kantei.go.jp:80/jp/jyusen/index-j.html

「日本経済新聞」 日本経済新聞社

「イミダス」 集英社

「六法全書」 有斐閣











































































「民間住宅金融」答申案の要旨
  1. 住宅金融の現状と問題点
  2. 住宅貸付額の推移(略)
  3. 貸付条件の推移(略)
  4. 住宅貸付の金融機関別構成(略)
  5. 住宅金融の問題点
  6. 国民の住宅資金需要は、今後なお引続き強いと考えられるので、これに対応して住宅資金の供給を図る必要があるが、その過程においては、住宅資金量の確保と景気調整政策との関連をどう考えるか。
  7. 住宅金融は、一般の個人を対象とし、不動産を担保とする長期の貸付である。従って住宅金利のあり方については、このような住宅金融の特殊性を考慮した検討を行うことが必要となる。
  8. 預金を受け入れている金融機関がきわめて長期の住宅金融を行っていることから、今後、総貸出における住宅貸付の比重が漸次高まっていくと、住宅貸付債権の流動化が必要ではないか。
  9. 住宅金融専門機関のあり方について、わが国の現状に即した検討が必要である。
  10. 金融機関においては、常に消費者の意向を反映しつつ業務を行っていくことが肝要である。
    1. 住宅金融についての考え方
    1. 住宅資金の安定供給と景気調整との関係

住宅金融は基本的には景気調整の対象外ではありえないが、少なくともここ数年の問題として考えると、国民の居住水準はなお低く、住宅に対する要望が極めて強い現状においては、個人の生活設計に密接に関連した住宅金融は、金融引締め下においても安定的に推移することが望ましい。

二、住宅貸付金利について

新規の貸付金利を引上げるのは、当面、原則として定期預金金利と長期プライムレートが引上げられた場合に限ることが妥当であると考えられる。

新規の住宅貸付金利が変動する場合においても、既往貸付の金利は原則として変更しないことが適当と考えられる。これにより消費者にとっては、安定した返済計画が立てられること、金融機関にとっても、金利変更のコスト負担を要しないという利点がある。ただし、消費者保護の観点を考慮し、新規貸付金利が引下げられて既往貸付の金利と著しくかい離した場合には、既往の貸付金利について所要の調整が行われることが、住宅金融の現状からは妥当な考え方であると思われる。

ただし、長期的な問題としては、次のように考えられる。

(T)住宅貸付金利が、他の金利と比較してアンバランスに低く据え置かれる場合には、住宅貸付へのインセンティブが減退するおそれがあり、反対に住宅貸付金利が相対的に高い場合にそのまま固定するときには、消費者は高い金利負担を負わなければならない。

(U)このような事態に対応して、諸外国ではいわゆる「変動金利制」をとっている例もあるが、既往貸付金利も新規貸付金利の変動に応じて上下する変動金利制には問題があり、諸外国においても必ずしも普及しているわけではない。

わが国において、現段階でただちにこれを採用することは適当ではないと思われる。

(V)しかしながら、今後住宅貸付の累増、住宅金融専門機関の発達が見られ、また資金需要が緩和して金利が上下に動きうる状況になった場合には、返済期間の伸縮による金利負担の調整、金利変動幅の制限等のルールを定めた上、消費者が上記のような「変動金利制」と既往貸付については金利を固定する「固定金利制」とを選択しうることを条件として、変動金利制を導入することも考えられてよいと、思われる。

  1. 住宅貸付債権の流動化について
  1. わが国における民間住宅金融の現状を見ると、前述のようにその約80%は、銀行、信用金庫などの預金を受入れる金融機関によって行なわれている。今後もこれらの機関が引続き住宅金融の分野で大きな役割を果たすと思われるが、住宅貸付残高が増大するのに伴い既往貸付債権の流動化を図る必要性が高まるものと考えられる。
  2. 住宅貸付は15−20年の極めて長期にわたるものであって、流動化の必要性は高いものである。住宅貸付債権の流動化が一般に行われるかどうかは、住宅貸付を行なう金融機関においてその総貸出に対する比重が増加し、債権を流動化する必要性がどれだけ高まってくるか、また金融組織の中において機能が分化し、既往貸付債権を取得する機関がどの程度発達するか等の環境の如何にかかっていると考えられる。

また、保険会社、その他機関投資家が住宅債券(債券)を取得しうるよう措置されること等を通じて流動化の条件を整えていくことが適当であると思われる。

  1. 債権流動化の方法としては、現行制度の枠内において行ないうる手段として個別の債権譲渡方式があるが、この場合、事務の簡素化を図るため、条件を同じくする多数の債権を一定額にまとめ、参考例のような住宅抵当証書のかたちで譲渡する方法も考えられてよいと思われる。
  2. 抵当証券法に基づく抵当証券については、抵当証券に伴う事務の代行などを専門的に営む機関の発足を見たこともあって、住宅貸付債権の一般的な流動化の手段として、今後活用されるものと思われるが、金融機関が住宅貸付債権を大量に処理する手段としては、手続きが煩雑すぎるなどの問題がある。
  3. 現在、住宅金融会社において試験的に実施されている住宅ローン債権信託については、今後他の手段と並んで活用することは差し支えないと考えられる。
  4. 債権の流動化を円滑にするために、必要に応じて住宅貸付債権を買い取り、または売却する機能を持つリファイナンス機構を設けてはどうかという問題がある。

これについては、現段階においては、長期信用銀行が卸売金融において機能しうる特性を生かし、住宅金融を行なう金融機関に対する資金の供給、抵当権付債権の取得などを行い、住宅金融の円滑化に寄与することが望ましい。

なお、将来流動化が進むのに応じて民間金融機関が共同して、リファイナンス機構を設立することも考えられよう。

  1. 住宅金融専門機関について
    1. わが国においては、個人向け住宅金融の大半は、銀行、総合銀行、信用金庫等によって行われている。

今後の問題としては、物的担保に主眼を置いた金融を行なう住宅金融専門機関が育つのが望ましい。

  1. 住宅金融専門機関にとって、資金調達が今後の大きな問題の一つであると思われる。この点については、基本的には母体金融機関等からの資金調達の充実を図る必要がある。

資金調達の手段については、既存の金融機関に加えて預金を受入れる金融機関を新たに作ることは適当ではなく、また金融機関の一般的な信用を背景とする金融債の発行も適当ではない。このように考えると、住宅貸付債権を見合いとする抵当債券の発行は、預金の受け入れを行なわず、不動産抵当貸付を専門に行なうという住宅金融専門機関の特殊性から見ても最もふさわしく、また現在の金融制度のもとにおいても調和しうると考えられる。

抵当債券は、一般的な金融債と異なり、住宅貸付債権を見合いとしてその総額の範囲内において発行される債券であって、住宅貸付債権を有価証券化しその流通を円滑化しようとするものである。

なお、抵当債券の発行については、現行の社債発行限度以上に発行限度を広げるためには特別の法律が必要であり、特に債権者保護の観点からも発行主体について法的規制が必要であろう。この場合営業免許、貸付の限度等資産運用の制限、不動産業等の他業の禁止などを行なうことを住宅金融専門機関の今後の発展の経過に即しつつ検討すべきであると思われる。

  1. 住宅金融専門機関は、利用者保護の観点からこれを規制する必要性は、少なくとも現状から見る限り薄いと思われる。むしろ現段階においては、どのような住宅金融専門機関がわが国の実情に最も適応しているかについてなお当分の間見守ることが適当と思われる。
    1. 消費者の意向の尊重(略)

以上、昭和481219 日本経済新聞7面より抜粋