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ボストン便り 第2回〜1998年10月31日便

当地、ボストンはマサチューセッツ州の州都で、ニューハンプシャー州、バーモント州などと共にニューイングランドと呼ばれているアメリカ北東部の中心地です。ニューイングランドは、其の言葉どおり、ヨーロッパからアメリカに移住してきた初期の移民にとって、遠い母国への懐かしさを込めて新しいイングランドと名づけられたのでしょうか。10月は其のニューイングランドが、最もあでやかな紅葉で彩られる時です。黄、赤、オレンジに染まった木の葉が織り成す様は、澄み切った青空を背景に絶妙なコントラストを示し、冬支度の前のほんのひと時の最後の輝きと見えます。月の前半から中旬までが見ごろですが、今でも其の名残の美しさを十分楽しめます。

そんな中で、17日には古くから親しくしていただいているボストン大学(Boston College)のジョン・フィッツジェラルド先生のお宅へ私たち家族が招かれました。今回は車を持たないため、先生はわざわざ私たちのブルックラインのマンションの前までお出迎えに来てくださり、恐縮しながら車に乗り込みました。ちょうど、それまで一週間近く雨模様の天気が続き、其の日になって初めて青空が広がったため、ご自宅までの一時間あまりの道すがら、紅葉の姿は、より一層輝かしく見えました。ジョン先生は、英文学の御専門で、高いピッチの歯切れの良いトーンで、私がこれまでアメリカで会ったどの人よりも、ゆっくりとかつ丁寧にお話してくださいます。お歳は1919年生まれの77歳を過ぎておられますが、声の張りは初めてお会いした10年前とちっとも変わっておられません。それは、退官後も無理のない形で前期に授業を担当されており、冬にあたる後期にはフロリダに避寒に行っておられるからでしょうか。

もともと先生とは、私がハーバードの大学院生で、ボストンから車で1時間ほどのミリスという町のスタンレーさんというお宅に居候させていただいた折、ふとしたことで知り合い、朝ご飯をいただいた事からお付き合いが始まりました。こんな田舎では珍しかったためか日本から来た留学生のことを気遣っていただき、最後には博士論文の英語の添削までしていただきました。その際、先生は今度は私に、「日本に来た留学生のために同じように助けてあげて欲しい」と言われた事が印象的でした。

ご自宅では、マーガレット夫人と同じボストン大学のデール先生ご夫妻も待っておられ、奥様の手作りのおもてなしを受け、子供の成長の様や、教育、日本の景気の事などを話題にしながら、楽しいひとときを過ごすことが出来ました。帰り道、学生の教育について何を最も大事にしていらっしゃるかと先生に尋ねたところ、勉学への「動機付け」だときっぱりと言われました。将来の職業意識が高く、大学では日本の学生に比べはるかに良く勉強するアメリカの学生においても、勉学への「動機付け」が最も大切であるとする意見を40年以上の教師生活を経験した先生から伺ったため、最近この問題を日本の学生指導の最重要課題にしていた私としては、100万の味方を得た気分がして大いに自信を持つことが出来ました。

続く、日曜日には、最高の天気に恵まれた中、りんご狩りとワイナリーツアーを楽しみました。バスで高速を30分ほど走り、地元Nashobaの小さなワイン工場で何種類かのワインの試飲を楽しんだ後、りんご狩りに出かけました。今年のりんごは異常な夏の暑さのため、近年の中で最も生育が悪いそうで、確かに小粒で味も今一つでしたが、道具を使って高い所のりんごを取る事は意外に楽しく、3袋いっぱいに集める事が出来ました。その後は、りんごが食卓に出て来ない日はなかったことはおわかりになる事と思います。

また、この日曜日は、The Head of the Charlesとよばれるボート大会がチャールズ川で行われる日で、其の日の最後を飾る男子エイトの決戦の模様を幸いにも見る事が出来ました。全米から40数校のチームが参加し、チャールズ川をボストン側から川上に一挙に漕ぎ去るタイムレースは、当地では春のボストンマラソンと並ぶ秋の名物の一つです。コックスの掛け声に一掻きごとに力強く答えて行く漕ぎ手が残す波模様が印象的でした。両側には、行く秋を惜しむかのように大勢の人が詰め掛け、屋台で買ったハンバーグをほおばりながらひいきのチームに声援を送っていました。

紅葉の盛りの週末を堪能した後で、いよいよ大学の研究活動に本格的に取り組む事になりました。其の話に入る前に、皆さんに最初に、ハーバード大学について、ごく簡単にご紹介いたしましょう。この大学は1636年に創立と言いますから、アメリカの国の歴史より古い全米最初の大学で、ピューリタンの牧師のジョン・ハーバードが最大の寄付をした事から彼の名がついたものです。最初は神学校としてスタートしましたが、次第に時代の要請を先取りして今日に見られるような総合大学に変身して行きます。ハーバードの先進性は、例えば、女子を最初に入学させたこと、最初のビジネススクール、行政大学院を開設した事、あるいは夏のサマースクールを最初に取り入れたりしている事からもわかります。また、広く高等教育を普及させようという意欲は、夜間の学部や大学院を作りここで、何年かけても良いから少しづつ単位を取って行き、最後にはちゃんとしたハーバードの学位を受けることが可能なシステムを作ったことなどにも見られ、大学の職員などによって多く利用されています。

大学の構成を見ると、伝統的な学部と研究大学院である文理学大学、大学院(Graduate School of Arts and Sciences)の他、医学大学院、歯学大学院、公衆衛生大学院、法学大学院、経営学大学院、行政学大学院、教育学大学院、建築学大学院、神学大学院の専門職業教育を目的とする大学院で構成されています。ここで注意していただきたい事は、大学の学部生の数は6,656人ですが、大学院生の数は其の約2倍(11、916人)はある事です。即ち、アメリカの研究型の大学は一部の例外(例えば、プリンストン大学)を除いて、大学院主体の大学であると言う事です。大学の学部を卒業しただけでは、良い職とポストに就けず、典型的なハーバードの場合ではほとんどの学生が、卒業後すぐに、あるいは数年の社会経験を経て大学院に進む事です。大学院の教育が研究者養成はもちろんですが、むしろ、実学の専門家を養成することにも大きな力を注いでいる事がこれでわかります。

ただし、この高等教育を受けるための費用の高さは日本の比ではなく、今年度は授業料だけで年間2万ドル(約240万円)、さらに寄宿費が7千ドル(約80万円)、その他を合わせて優に3万ドル(約360万円)は超えています。それも毎年4,5%はあがっていきますから、4年間では15万ドル(約1,800万円)近くに上ると思われます。ただし、医学系大学院はまた別です。大学学部から始まり大学院で最低修士号を取るまでに必要な額は、おそらく22万ドル(2,600万円)以上はするでしょう。

いったい誰がこんな高い費用をまかなえるのでしょうか?

この授業料をまかなうために親は日本の低い利子率に比べると教育資金としては異常に高いローン(7〜15%)を組むか、フェローシップを期待するしかありません。幸いマサチューセッツ州では全米一低い利子率(6.89%)を利用できますが、いずれにしても学校卒業後ほぼ20年近くに亘って教育資金を返し続けなければならない事になります。食費などの生活費が割安に感じる反面、こうした教育費のコストは、医療コストと並んで、その高さには閉口させられます。

さて、ハーバードでは毎日のように世界各国からの研究者による講演会、討論会、セミナーが開かれていますが、私も研究の一環としてこれらに積極的に参加していますので、其の中から幾つかをご紹介いたしましょう。

最初に、ケネディ行政学大学院での講演会です。ケネディ行政学大学院は、ビジネスの世界で経営者を養成する目的で作られた経営学大学院(いわゆるビジネススクール)に対する形で、国および地方の官僚、及び行政専門家の養成を目的に1936年に設立された大学院です。私がここに在籍した1983−84年と比べ、前庭が公園になったり、ベルファストセンター他数多くの建物が立ち並びようやく落ち着いた佇まいを見せはじめました。プログラムの内容の充実も著しく、Institute of Politics, Center for Business and Governmentなど次々と作られており、日本でも近年注目を集めています。

ここの呼び物はフォーラムと呼ばれるオープンスペースにおける毎週のように開催される政策討論会です。今回はアメリカSEC会長Arther Levinの講演会についてお話しましょう。最初にケネデイスクールの学長が講演者の紹介にあたり、1929年のアメリカの株式市場の大暴落を例に挙げ、規制のない株式、資本市場での様々な弊害について強調し、「適当な政府の規制」の必要性を力説していました。SECと金融市場との関係が、公的機関と私的機関との接点を探る良いケーススタディを提供すると締めくくりました。

続いて本題に入りSEC会長はアメリカの金融市場は、1936年ルーズベルト大統領時代に当時ハーバードのロースクールの教授によって基本的な枠組みが与えられて以来、機会の均等性の確保の基本原則を貫きながら、其の規模のみならず、透明性、効率性において、世界で例を見ない市場となったと自信に満ちた態度を示しました。SECの目的はそうした市場における投資家の保護と確信を増進させる事であり、この点については成功してきたのではないかという自己評価を与えています。

会長の今日の講演の中心テーマは、社会保険ファンドの市場における投資の問題でありました。このままでは2032年には、アメリカの社会保障システムの原資は底をつき消滅してしまう事になると予想されています。延命措置としては、給付額の削減、増収、金融市場への運用益によるものがありますが、第3番目の市場での運用において、検討すべき課題が山済みされているわけです。なぜなら、元来アメリカでは退職後の生活の維持には、社会保険による公的年金、私的年金、そして貯蓄の3つの原資がありますが、公的年金が市場での運用益を当てざる得なくなるため、公的な部分と私的な部分が交錯し、複雑な問題を提供して行くわけです。

現在、アメリカの金融市場は数、量ともにシステムの安定性を見ており、リスクプレミアムの低さで比べた場合、アメリカの市場は世界一の安全性を保っていますが、商品の多様性が広がり結果として、利幅の拡大にあわせた形でリスクを大きく伴う事になって来ました。一方で、インターネットの普及などで、投資家層が広がりを見せる中で、商品知識の乏しい一般大衆が其の危険性を知らずに投資を行うケースが増えている事が大きな問題であるとしました。SECとしては、こうしたリスクを避けるために、@投資決定は短期ではなく長期戦略的に考えるべきであること、A初歩的な投資に関する教育の必要性、B自己責任の意識の徹底などを提言しており、現実に教育に関しては大々的なキャンペーンをうっています。また、投資家に幅広い投資の選択の機会を与えるために、高めに留まっている取引費用の削減、管理コストの情報開示などが必要であるとも述べていました。会長は、またオレジンカウンテイの高金利問題、Mutual Fundの誇大宣伝など現実に起きている具体的諸問題についても言及するなど、内容の濃いまた示唆に富む講演でした。しかし、ヘッジファンドの赤字転落など、市場の安全性に対する信頼性が、どこまで保てるものなのか、一縷の不安が残った事も確かです。


ハーバードには数多くの研究所やプログラムがあり、特定の分野の研究にあたっています。私が所属していたThe Program on US-Japan Relationsもそうしたものの一つで、特に日米の政策問題の専門家が集まっています。このプログラムで毎週開かれているセミナーには数々の政策立案にかかわる要人が招かれ活発な議論が展開されていますが、今回はごく最近まで日本の金融危機管理問題の委員会の議長をしておられた、漣洋子先生の研究会が開かれました。

最初にジャパンプレミアムに現れた日本の銀行システムに対する世界の危惧感の話から始まり、不良資産の評価とそれに対する公的資金の投入の経緯が実際に政策の現場におられた立場からお話を伺いました。其の中で興味を引いた点は、1998年3月時点で公的資金の注入に際し、その後大きな問題となった日本長期信用銀行の不良債権の評価額が他行に比べ特段に大きな物ではなかったという点であることです。その後、長期信用銀行問題が不良債権問題のシンボル的存在になり、個別行の救済と公的資金投入問題が常に一緒に議論される事になってしまいますが、公的資金投入の本来の目的は、日本の金融システムの安定化、強化に使われるためであったことがこれで理解されましょう。また、この不良債権の評価についても、いわゆる第2分類の取り扱い方で、各行の自己査定分とSECの査定とが異なっており、このため不良債権の総額の算定の際に違いが出たわけです。自己査定のほうがむしろ厳しい評価になっている事も興味深いものでした。

そのほか注意すべきことと感じたものに、市場がこれまでのいわゆる護送船団方式と競争重視のどちらを評価しているのか見えてこない事です。公的資金の導入は、ある意味で護送船団方式の擁護にもなる可能性が残されており、過度の投入は各行の競争力強化への関心を減らす事もありえましょう。本来金融システムを安定化させ目前に迫ったビッグバンに備え、護送船団方式に対する大胆な改革を実行して競争力をつけなければならない時に、日本の金融システムは過去の負債の処理に手間取り、未来を先取りする余裕がない事が大きな問題です。そうした中で公的資金導入に際し、市場が時によって其の両方の立場を評価しながら振れているのが実態です。いやむしろ、将来が見えないために正しく評価できないといったほうが良いかもしれません。また、その際市場を取り巻く環境の一つであるマスコミの対応がやや一律に短視眼的になりすぎているのではないかとも思えました。

不良債権問題は、実はもっと早くから手をつけるべき課題であったと今でも私は考えており、遅くなればなるほど事態は深刻化しています。政府の対応、民間の姿勢、また学会での検討が十分でなかった事が悔やまれます。

さて、芸術の秋にふさわしい話題を一つ取り上げましょう。ボストン交響楽団の音楽総監督である小沢征爾氏は、1973年に38歳で就任して以来今年で25周年目を迎え、クーゼビッツキーと共に歴代の最長記録に並びました。現役のマエストロとしては他に例を見ないほどの記録で、それだけ彼がボストンでいかに慕われているかが良くわかります。其の小沢氏が今年最後に指揮をした定期講演会の券が運良く手に入りました。席を案内されてびっくりしたのは、なんと前から3列目の中央で、舞台からほんの5メートルも離れていないまたとない良い席でした。彼の演奏振りは、60歳を過ぎても以前と変わらぬ衰える事のない力強さを感じさせてくれます。激しい感情を表現するときの彼の荒い息遣いがはっきり聞こえるぐらいでした。

この演奏会で一番強く印象に残ったのはマーラーの「大地の歌」での、バリトンのトマス・クアストフでした。彼は、生まれながらサリドマイド障害を持っていますが、ドイツのハノーバー大学で法律を学んだ後、ラジオのアナウンサーを経て、音楽に目覚めデトモルド音学院の声楽教授にまでなります。小沢氏とは数年前からたびたび共演をしていまして、日本でのバッハのマタイ受難曲での名演が印象に残っています。体のハンデイをまったく感じさせない声量と表現力で、マーラーの繊細で奥深い精神世界を歌い上げていました。

最後になりましたが、渡米して約一ヶ月たち10歳の娘はローレンス小学校にも次第に慣れてきたようです。教室は日本で言えば幼稚園のような楽しい雰囲気で、コの字型に机が並び、其の中を先生が子供の周りを忙しく立ち回り、子供たちは伸び伸びと勉強をしています。英語がまだ不充分な日本の子供は、算数はまだしも、社会などになると、TBE(過渡期英語教育)の先生に教えを請いに席を立ちます。10時ごろには持参したおやつも食べられます。宿題はしかし、予想以上に量も多いばかりではなく質も高いものです。特に大変だったのはSocial Studyという科目で、日本で言えば歴史が其の一部にあたりますが、古代史、特にメソポタミアの事を一週間かけて学び、それを個々人が自分なりに工夫した新聞にするというものでした。まず、教科書からして日本の薄い教科書とは違い、古代史編だけで3センチの厚さはあろうかというものです。専門家が真剣に子供向けに書いたもので、日本の高校でもここまで詳しくは学ばないと言えるほど実に詳しいものです。毎日夜遅くまで、母親と子供が一緒になってメソポタミア人の生活や、農業、治水、交易などの政治、経済問題にまで立ち入った分析を行う日々が続きました。

ここで考えるべき事は、ただ詳しく歴史を学んでいるのではない事です。例えば、課題の一つに「バビロニア人の業績を3つ挙げ、現代的な意味を問う」がありましたが、これなども自分なりに考え、工夫しながら表現して行くこと自体が、実は創造性を涵養しているという事で、歴史事項を暗記するレベルとは別次元であると感じました。

また、一つ言い忘れてはいけないことは、この教科書が代々上の先輩から引き継がれ丁寧に子供たちの間で持ちまわりで使われている事です。娘は、分厚い数々の教科書、バインダーを一杯詰めた7kgはあろうかというバッグを背負い学校に通っています。

10月31日は子供たちの楽しみにしていたハローウインの日。前の日にはハローウインのパーティも開かれ、既に盛り上がりを見せています。夜6時ごろ暗くなるのを待って子供たちが、お菓子をいただくジャコランタン(かぼちゃの形をしたオレンジ色のプラスチック製バッグ)を持ち、それぞれ思い思いの格好をして学校に集まりました。おどろおどろしい姿に混じって、女の子の中には妖精や天使の格好も見えます。学校の周りの家々はそれぞれ工夫を凝らした灯りをともして、子供たちがやって来るのを待ちます。子供たちが"Trick or Treat!"(お菓子をくれないといたずらをするよ、の意味)と玄関先で口々に叫ぶと、家の中から出てきた住人は笑顔を浮かべながらお菓子を一人一人の籠の中に入れてあげます。子供たちは、"Happy Halloween!"と感謝の言葉を残して次ぎの家に向かっていきます。こうして次々と家々を巡り、かれこれ1時間も歩くと籠の中は一杯になるという次第です。

ハローウインの由来は良くわかりませんが、考えるに翌日がキリスト教の万聖節で、日本で言えばお盆に当たり、聖人と死者を弔う日であるため、其の前日に、悪魔は大暴れをすると言う事でしょうか。すべての大人がこうした楽しみを彼らの子供の時代に体験しているため、今の子供たちにも喜んでもらいたいという暖かい想いがほほえましく感じられました。


望月 宏


住所
Hiroshi Mochizuki
20 Stearns Rd. #52
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電話
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Email Address
mochizuki@isc.senshu-u.ac.jp

なお、「ボストン便り」は以下の私の大学のゼミのホームページ用に書かれたものです。
Home Page : http://www.isc.senshu-u.ac.jp/~the0350/Welcome.htm



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