Topic90 Ono.S
「最後の切り札」

 “燃えよ剣”という小説をご存知でしょうか? 一般に歴史小説にカテゴライズされる小説ですが、個人的にはかなりメジャーなものに当たるのではないかと思っています。したがって、よんだことのある人も多いと思いのではにでしょうか。この内容はいわゆる幕末もので、新撰組が中心に描かれています。 余談になりますが、“もえよけん”と“もえよつるぎ”の二通りで読まれたりしますが、個人的には、時代背景が幕末ですので、“もえよつるぎ”のほうがなんとなく語感にあっているような気がしますが、真相は知りません。もし、知っている方がいれば教えてください。 さて、話がそれましたが、この本を以前にも読んだことがあり、それはそれで面白かったのですが、今回読み返してみるとやはり面白いものです。内容もそうなのですが、読み返すごとに新たな発見があり興味に尽きません。今回読んでみて特に感じたものは“特殊性”と“一般性”です。 当然幕末時代ですので、完全な士農工商の身分制が貫かれています。しかし、幕末になるとそれほど身分制に関して(特に武士階級)あいまいになってきます。新撰組に限って言えば、近藤勇(こんどういさみ)、土方歳三(ひじかたとしぞう)が農家出身であることは有名な話です。この土方歳三がどう生きたか?については本編を読んでいただくとして、今回自分が面白いなと感じたのは、江戸時代からの職業観の歴史による変遷です。 というのも、この時代は役割分担が細分化されていたため、その分野に突出した才能を持つという人が多く出ています。新撰組然り、坂本竜馬然り、これほど連続して出ると時代の因果というものを信じたくもなるといったほどです。しかしここで、時代の因果といってしまうとそこで話が終了してしまいますので、今回なぜそうだったのかについて考えてみることにします。なぜなら、突出した才能を育てる土壌がこの時代に存在したのか?について考えることは今の時代にも通じるのではないかと思ったからです。 まずは分析の基本であるその時代の制度から見ていくことにします。当然身分制があげられます。憲法に法の下の平等がうたわれている現在、特権階級は特定の職業以外は存在していません。しかしながら当時の身分制は頑強なもので例外はありませんでした。ゆえに、武士は武士であることをつらぬき、農民は農民であろうとしました。そういった経緯からそれぞれに特化した技術、人が成長していくこととなります。 一方で明治、昭和、平成と流れてきた現在の日本では、生まれたとき(あるいは生まれる以前)から将来の職業を決め、それを貫こうという人はゼロといっていいでしょう。それぞれが成長の過程で職業というものを選んでいくのが現在の日本です。つまり、江戸時代は「○○にしかなれない」が現在の「すべての職業につける」という風に代わっていっ たわけです。以上からこれが才能を生んだ土壌である。などといってしまうのはいささか性急です。なぜなら、土方歳三は武士として、坂本竜馬は商人としてそれぞれ大成した人間ですが、生まれはそれぞれ、農家と武家です。ほかになれないからそこの才能が育ったというわけではなさそうです。 では、なにが才能を育てたのか?それとも、ただの因果律なのか?人それぞれ意見が分かれると思いますが、自分はその時代の気質に違いがあったのではないかと考えます。 現在、すべての職業に就くことができるため、仮に生まれた直後から俺は陸上選手だと決めたとしても高校に進学せずに、トレーニングのみという選択はとらないでしょう(もちろん例外はありますが)。これはすなわち、可能性を重視した成長過程といえるでしょう。可能性が多くあるため、早い段階でひとつに特化するのはリスクが高いという考え方です。 一方で、江戸時代は可能性に関して文字通りゼロか一の世界です。おとなしく家のあとを継ぐか、それともすべてを捨て、犯罪者となって脱藩するか。それ以外の選択肢は一切ありませんでした。 こういった違いがあるため前者はゼネラリスト、後者はスペシャリストといった傾向が強く出てきます。そういった意味でも、江戸時代はスペシャリストの時代であったといえるでしょう。 幕末に限らずスペシャリストのいる時代では、それぞれが切り札というものを持っています。暗殺術として恐れられた沖田総司の三段突き(当時あまり評価されなかった技にもかかわらず、切り札にまで昇華させたという事実も、スペシャリストならではの成果だと思います)や日本初の商社と賞賛される坂本竜馬の亀山社中に代表される切り札を駆使し彼らは時代を駆け上がっていきました。しかし、この二人のように著名な人物でなくとも、ほとんどの人間が生きるための切り札をそれぞれ持っているそんな時代でした。 それに比べ今の自分を考えてみると、果たして“この分野であれば誰にも負けない切り札“といえるものがあるのかと考えてみると、自信を持ってこれだと答えられるものははっきりいってありません。それでは今後なにで勝負すればよいのかというと、答えに窮してしまうでしょう。 現在は格差社会といわれています。切り札なしでは通じる時代ではないでしょう。自分の特性を見極め、それを切り札のレベルにまで昇華する。それが、今の自分に必要なことだと今回“燃えよ剣”を通して改めて感じました。 過去の偉人に「お前の切り札は何だ?」 と問われ、自信を持って“それ”を答えられるようになりたいと強く感じました。 以上