総合科目「演劇」講義レジュメ (最後に補足コメントがあります。)2001年6月21日
テーマ:悲劇性
T)基礎知識
ギリシャ悲劇の特性:荘重、厳粛、崇高、緊張
歴史的背景:紀元前5世紀の都市国家(ポリス)の民主制とその危機
前502年ー前501年 クレイステネスの改革(世界最初の)民主制度
民主制ポリスの自己表出としての演劇競演制度
前500年ー前449年 ペルシア戦争
前431年ー前404年 ペロポネソス戦争(アテネとスパルタの対立と抗争)
前347年 プラトン死去、アリストテレスがアテネを去る。ポリス社会の崩壊。
文学的背景:紀元前8世紀頃 ホメロス『イーリアス』『オデュッセイア』
代表者:アイスキュロス(前525年頃ー前456年)
ソフォクレス (前496年頃ー前406年頃)
エウリピデス (前485年頃ー前406年頃)
*ギリシャ喜劇 アリストファネス(前450年頃ー前385年頃)
U)drama < gr. dran(する・してみせる)
×叙事詩 Epos
アリストテレス『詩学』←悲劇論 logos 言語・理性 → logic
人間:「ロゴスを持つ動物」:「言葉」による解決<ギリシャ哲学
ロゴスの貫徹するのがドラマ:全体的<秩序>としての「行動=筋」
Dialog(対話) = dia 貫通・横断 + logos
V)tragedy < gr tragoidia (goat song)
祭儀= gr.ドロメノン(なされたること)→ ドラマ
< ハリソン『古代芸術と祭式』1913年
「生け贄」の祭儀としての「悲劇」
狩猟・生産における呪術的一体化=パトス的身体的一体化
→ロゴス的(言語的)象徴的一体化=いけにえの儀式・供儀
呪能から儀式、祭式へと社会的共同化の進展
ロゴス的言語抽象とパトス的身体感覚とのミュトス的統一:儀式(秘教的)
→社会的・共同体的呪文・儀式としての祭式(公共的)
→社会的コミュニケーションとしての演劇「芸術」(公共娯楽的)
「悲劇」がさし示す「いけにえ」の記憶とは?
社会的存在の根源に抑圧された無意識的記憶としての「負の遺産」
それが「神話」ミュトス:ロゴスとカオスの媒介項
「神話は啓蒙である」×「啓蒙は神話である」
(ホルクハイマー・アドルノ『啓蒙の弁証法』)
→ 実存Existenzの根元的不安 他者の苦しみ」は、抑圧した「負の遺産」の記憶 の喚起ではないのか?
W)アガメムノンにおける対立・葛藤
<内的対立> 犠牲にされるイピゲネイアへの愛情と軍司令官としての立場 →40
いわゆる「義理」と「人情」?
しかし物語の最初からすでに定められている結末:個人的心情の敗北=「人間ではなくなる」運命:それが苦悩。すなわち非人間化=死=破滅の運命。
*ただし、<否定的提示>としての苦悩と破滅の説得力←伝統的「悲劇」理解の核
<外的対立> アガメムノン対クリュタイメストラ
男×女 政治×生活 論理・ロゴス×情念・パトス
行動・筋・論理としてのアガメムノンの優位にもかかわらず、クリュタイメストラの説得力と存在感。 →36、152
『グリークス』10本のギリシャ劇の赤い糸としての「女の物語」
そもそも最初の設定:アルテミスへの生け贄に娘イピゲネイアをささげよ!
戦争の前提としての生け贄、つまり愛する娘を殺さなければ戦争には勝てない!
女たちの悲しみ →11
ではアルテミスとは?=月の女神 (対照としてのアプロディテ) →17f
誕生、多産、子供の守り神。同時に人身御供を要求する恐ろしい神。
野獣の山野を支配する。ロゴスに対する自然、大地としてのカオス。
罪の連鎖=復讐が復讐を呼ぶアトレウス家の苦しみの終わり無き<連鎖> =「悲劇」
*苦しみそのものは「悲劇」ではない。
<受難Passion>:苦しみを経て神の栄光に!←キリスト教的発想
古代ギリシャ劇に特有のdeus ex machinaデウス・エクス・マキナ 「機械仕掛けの神」
混乱に突然の最終解決をもたらす「神」。作劇術の未熟よりは、むしろ古代的世界観の現われ。人間の無力さ、全体の見通しがたさが「神々」の恣意として形象化されている。「運命」にもてあそばれる「人間」。
しかしそれは古代に限ったことなのだろうか?→292f(時間があればビデオ)
注 「→数字」は、以下の本よりの引用頁数:ジョン・バートン/ケネス・カヴァンダー『グリークス 10本のギリシャ劇によるひとつの物語』吉田美枝訳 劇書房62年
*ギリシャ悲劇に関するお勧めの参考書
入門:丹羽隆子『はじめてのギリシャ悲劇』講談社現代新書 1998年
歴史的背景:手嶋兼輔『海の文明ギリシア』講談社選書メチエ 2000年
現代との絡みでは 山形治江『ギリシャ悲劇』朝日選書 1993年
女性問題なら 桜井万里子『古代ギリシアの女たち』中公新書 1992年
ドラマ論としては 川島重成『ギリシア悲劇』講談社学術文庫 1999年
<補足的コメント>
例によって盛り込みすぎて、説明不十分になってしまいました。特に大きな反省点は、具体から抽象へと進むべきなのに、いきなり「悲劇性とは・・・」というような説明を始めてしまいました。Tの前提知識はともかく、以後は、W→V→Uというぐあいに講義を進めるべきでした。組み立て方を誤りました。来年以降の反省材料にします。しかしギリシャ悲劇を90分で説明しようと言うのですから、そもそもムチャクチャな試みではあるのです。
それともうひとつ。現代演劇において、ギリシャ悲劇に現れる神話性という論点が、非常に重要な契機になっています。戦後演劇はベケット以降、様々なレベルでの言語批判を基本的な特徴としています。それがパフォーマンス論に典型的に現れるように、身体性の強調にもなっているのですが、そのあたりが20世紀末の1990年代あたりから、若干行き詰まっているのではないか?個人的にはそう思っています。身体性というのとは別の方向での言語批判として、始源の暴力統御装置としての演劇という側面が、今、様々に論議されています。そのあたりを少し考えてみたかった・・・という個人的な動機があったのです。以上、言い訳めいた反省のコメントでした。