〜「りんごの気持ち」について〜 LH 雨宮康弘
りんごの気持ちを考える前にまず、りんごの持っているイメージについて考えてみたい。自分自身がりんごに対して抱いているイメージは、「赤い」「つやつやしている」「みずみずしい」など様々なイメージを待っている。これらのイメージから、私的には恋をして、頬を赤くしている若くてかわいい少女のようなイメージと、りんごは重なっているように思える。恋と言っても、何度も繰り返されてきたようなものではなく、初恋のようにういういしい印象が強い。初恋は人それぞれ時期が異なるが、大体は本格的に異性を意識し始める思春期、具体的に言えば中学生の頃だと思う。
次にりんごの唄の歌詞が意味していることについて、少し細かく考えていきたい。歌詞を四つの段落にわけて見てみると、一から三段落については、二人が付き合い始めた頃、そしてその状態が続いて行く様子が読み取れる。ではどのように二人の関係が展開されていくのか?
第一段落の「りんごは何も いわないけれど りんごの気持ちは よくわかる」の部分。二人が付き合い始めてまだ間もない時期で、お互いの気持ちや考えがよくわからないけれど、心は繋がっている。だから言葉にしなくても、相手の気持ちはわかるのだということが読み取れる。
第二段落の歌詞全体からは、二人が付き合い始めてから少し時間が経った時期であることがわかる。それは「どなたがいったか うれしいうわさ 軽いクシャミも 飛んで出る」の箇所から判断できる。二人が付き合っている事が友達などに知れ渡り始め、それに伴い、周囲から、二人のことについて、なにかしら噂をされて、嬉しいようで、どこか恥ずかしい気持ちになっている様子が伝わってくる。「あの娘よい子だ 気立てのよい娘」は、周囲の人々の評価と付き合うことによって、今まで見えていなかった相手の新しい一面に気づくと同時に、これまで見えていた一面をも改めて実感させられるという二面性を持っていると思う。
第三段落の歌詞からは、二人が付き合い始めてから、ある程度時間が経過した時期であることが「朝のあいさつ 夕べのわかれ」「言葉は出さずに 小くびをまげて あすもまたネと 夢見顔」の部分から判断できる。前者からは、朝方から夕方まで、いつも二人で一緒にいて、素直に自分の気持ちをお互いに言い合っている印象がある。二人の会話が、あいさつとわかれの言葉しか交わさないということはありえないはずである。後者からは、言葉には出さなくても、相手が今、何を考え、何を言おうとしているのかが、お互いに理解しあえるほどに二人の仲が進展していることがわかる。さらに「夢見顔」の部分からは、今日一日を振り返っている姿と、明日のことについて思いをはせ、不安と期待に満ちている少女の姿が連想される
このように第一段落から第三段落までは、二人の間での愛の進展をメインにして展開されているが、第四段落においては、二人の間の愛から全体への愛、つまり地球全体への愛へと広がっている。「二人で歌えばなお楽し」「皆で歌えばなおなおうれし」前者からは、お互いのことを大切に思い、考え、愛することの楽しさが、後者では、人間だけに限らずに、動物や植物も含めた地球規模で、お互いのことを大切に思い、考え、愛することは嬉しいのだと言っている。ところで「楽しい」と「嬉しい」では、言葉そのものも持っているニュアンスに微妙な違いがあると思う。「楽しい」は、自分または少数の集まりにおける感覚であるのに対して、「嬉しい」は自分や少数での感覚を含めた、より全体的な感覚であるように思う。
今度はりんごの唄自体について考えていきたい。りんごの唄は戦後の日本の人々に活力を与えた曲として有名だが、ただ単に人々に活力を与えただけではなく、戦争によって人々が忘れかけていた大事な物を思い出させてくれた一面も持っていると思う。戦争は、人間を人間で無くするための「最良」の手段であり、一度人間で無くなってしまったら、元に戻るには困難を極める。では人間が人間で無くなるということは、実際にはどのようなことなのだろうか?
戦争は仲間同士による裏切り、敵による攻撃などの連続だろう。一向に終わりが見えない悲惨な状況下において、何が正しく、何が間違っているのかの判断基準があやふやになる。敵、味方の区別もつかなくなり、他人を信じることができなくなり、自分以外のものを信じることができなくなり、最終的には自分自身すら信じることができなくなって、心身ともに壊れていってしまう。このような状況下において人々が求めたもの、それは戦争によって人々が失いかけていたもの、つまり「人が人を思いやる心」や「自然を愛する思い」などである。戦争は終わり、人々が普段の生活に戻り始めた時に、りんごの唄との出会いは、人々の気持ちを一新したに違いない。
以上のことから本題である「りんごの気持ち」について考えてみたい。「りんご」が私たちに訴えたいことは、人間はあたかも一人で何でもできるような錯覚に陥りやすく、自分本意であるけれども、実際にはそうではなく、常に自分ではない誰かによって支えられていることだろう。自分一人だけを愛するのではなく、他人をも愛することのできる気持ちを持つことの重要性、「リンゴの歌」は、それを私たちに伝えているのだと思う。