2008年10月6日発表 「クラシックバレー」 中野恵里香
◎中野:発表していて、みんながバレエをどう思っているのかなぁ、と思った。つまらないと思うのかなぁとか。
先生が以前、「革新的なものと伝統的なものはどちらかがイイ、ワルイという問題ではなく互いに依存していて(相互依存性)、常にともにあるものだ。」ということを言っていたので、それを発表のときに言えばよかった!と後から思った。 「型にはまった」バレエに対抗する自由なダンスとしてモダンダンスが生まれ、そこからどんどん体を開放していくダンスや、日常の動きを取り入れたダンス(⇔バレエは非日常のダンス)などが生まれてきた。そういったものももちろんおもしろいけれど、それがおもしろいのは、古典的なものがあるからだと思う。
音楽でも同様に、形式にとらわれない、絶対に調を感じさせない曲を作ろうという新しい作曲家がでてきたのだって、長きに渡ってつくられた形式があるからだ。型があるから 型からはずれたものがおもしろい。両輪そろってはじめて走り出すのだと思う。
それにダンスでも、演劇でも、テレビドラマでも、リアリティ・現実味のあるものばかりじゃなくていいはずだ。確かに、どうにもならないことや不条理も、細部まで描く作品もどちらも価値がある。美しい(とされる)ポーズのない、見られていることを意識しないような、ある種いびつなダンスもおもしろい。でも「そんなの絶対ありえないー」と思うようなストーリーや、徹底的に美しくつくろわれたものもおもしろいと思う。嘘を楽しむ、というか・・・ アイドルとか、「清純派」女優たちについて、本当に清純かどうかなんて考える必要はない。「清純」に見える、また逆に「悪者」に見える、その「虚構」の世界を一緒に楽しめばいいと思う。真実を知る、知らせる必要のあるものも存在するけれど、彼らについてそれを求めるのはナンセンスだ。
とにかく、リアリティのあるものも、うそ臭いもの(虚構の世界)も、どっちにも価値があるんだ!と言いたい。なんか最近「リアルかそうじゃないか」ってことをやたら世間が気にしている気がするので、長々言ってみました。嘘だっていいのに!(寺尾:「虚構」でしか表現できないリアリティ(なんだか形容矛盾ですが)こそが、「芸術」の独壇場でしょう。リアルとは何か、というのは根本的な演劇問題です。演劇とはそもそも「関係性」のダイナミズムだと思っています。)
◎
三浦:現代のバレエのイメージが『女性』であるということが、実は昔の男達のエロに始まったというところが個人的にとても面白かったです。妙にその時代の人達への親しみが湧きました。よくある話で『パソコンもエロがなかったらここまで広まらなかったな!』という力ある戯言を思い出しつつ、エロの純粋なるパワーを再認識しました。男性のエロ目的のせいで芸術性が下がっていったと言われたのを聞いて、エロい芸術というのは成り立たないものかな?とボンヤリと思ったりもしました。
他にはバレエの『基本的な技法』や『回転』などがそれ自体に意味を持っているということを初めて知り『なぜバレエは爪先で立ったり、やけにクルクル回ったりするのだろう』と漠然と思っていたことがなんとなくわかったような気がしました。
二つ目のDVDの音楽は少し説明的すぎる気がしてあまり受け付けなかったです。バレエの映像のほうはこういったものをあまり沢山見ていないので、なんというか芸術を見ているというよりビックリ人間を見ている感覚に近かったです。動きに驚きはしたのですが、美しさのようなものはあまり感じられていなかったと思います。もっと沢山見てみないことにはまだ私には感じることは難しそうです。(寺尾:もともと演劇とエロとは強い関係があります。いわゆる演劇論争の類で、特に宗教の側からの非難・批判です。実はエロも、ビックリも、どちらにも共通点がありますよね。)
◎ 佐藤:オペラの歴史について勉強していたので、バレエの歴史に親近感が沸きました(笑)。バレエもルネサンスの申し子だったとは……。
伊藤るみ子先生の音楽論の授業で、民衆の間で見られていた茶番劇(大道芸のようなもの?)もまた、バレエ・コミック成立に関わっている、というふうなことを聞……いたような気がします。貴族がお忍びで見に行っていたと仰ってたような……。16,7世紀のフランス人たちは、コミカルなのが好きだったのでしょうか。それともやはりオペラ・ブッファのように『コミカル』という名をしながら、悲劇が多かったとか?フランスオペラ創始者のリュリが庶民出だったから?
wikipediaによると、初期のオペラ・コミックはコミカルなものが多かったということですが、バレエ・コミックもコミカルだったのでしょうか。『オデュッセイア』の名前を見る限り、とてもコメディとは思えないのですが……。
あと、岡田暁生さんが、『オペラの運命 十九世紀を魅了した「一夜の夢」』の中で、オペラの場の歴史を書いていらっしゃいましたが、そういえばオペラ劇場はあっても、バレエ劇場は聞いたことがないなあと思いました。バレエにも「場」の興亡の歴史はあるんでしょうか。今回のバレエの発表を聞いて、またフランスが好きになりました。……これだけ書いて、ロシアバレエについて一つも言及がないのはこれ如何に。(寺尾:コミック(喜劇)というのが「笑える」というのは現代的な発想で、演劇論のジャンルとしての喜劇は「庶民的」「民衆的」ということで、神話的な神や英雄の悲劇に対しています。ですから例えば「催涙喜劇」というジャンルもあります。)
◎
大出:バレエもほかの演劇と同じく貴族が鑑賞するものでそれを演じるのは舞踏家だと思っていたので昔はバレエが貴族によって演じられていたと聞いて驚きました。またバレエの基本姿勢も難しく普通の人には立っているのが限界でジャンプはとても無理だと思いました。映像も見ましたが時間の関係上、バラバラの場面を見ることになってしまったのであまりよくわかりませんでした (寺尾:句読点を入れましょう。)
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田所:バレエは、全くというほど興味が無かった。だが、今回の発表で簡単な歴史、そして基本の姿勢などを学び、また違った視線で映像を見ることが出来た。しかし何度見ても、なぜつま先で立てるのかわからない。(寺尾:より美しく見せるため・・・でしょうね。日本の踊りは「腰を落として沈む」のが基本姿勢ですから、対照的です。)
◎
寺崎:これまでの人生でバレエについて考えたこと、興味を持ったことが一度もなかった。講義でdvdをみても本当によくわからなかった。一晩中考えても一言もでてこない。すみません。。。それってたぶんきっと僕がバレエのお約束みたいなものをまるで知らないからで、だからクラシックバレエの様式美を追求した美しさ?も、知らん言語で作られた映画を見てる感じだった。
人のダンスを見てるくらいなら自分で踊ったほうがいい、と思ってしまう。それも、爪先で立ったり足を高くあげたりするようなアクロバチックな感じじゃなくて、Tシャツに短パンで、野原みたいなところで、テクノかなんかをかけながら、酒を飲みながら、ダラダラと、みたいな。
そういう、誰かに見せるという意識のないダンスの方が、自分にとってより意義深い。なぜなら、その方が純粋に自分初の自由な身体行動という感じを受けるからである。そこにはルールも意味も美しさも関係ない、だからこその単純な踊ることの快感みたいなものがむき出しになっていると思う。
多くの人がそうだと思うけど、北朝鮮のマスゲームや学校の朝礼の整列みたいなものを見ると不気味さを感じる。様式美には圧力がある。そういったネガティブな側面がシステムとなって現代社会を覆っている。そんな中で僕たちが踊るべきダンスは、きっとバレエのようではない。
(寺尾:現代音楽好きの寺崎君らしい感想。だ・か・ら、モダンダンスが出てきて、ハチャメチャの現在に至るわけです。しかしまあ、性急に毛嫌いをせずに、より広い視野に立つことで、楽しみが増える方がよいのではないかと思います。古典を楽しむためには、ある程度の素養・教養が必要なのだよ。中野さんの感想と対応させてください。教養なんぞクダラン!ナンジャア!と、シャウトするのがロックでしょうけれども、ねえ、田所君?)
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宇和島:カトリーヌ・ド・メディシスはフォークやアイスクリームをフランスに伝えたらしいが、バレエも伝えていた事に驚いた。実際にバレエの型をやってみたが、なるほど、これは子供の頃からやらないと無理だろうなと実感した。(寺尾:時間をかけて、バレエのからだに作りかえるわけです。)
◎
鈴木:バレエというものはとても奥が深いと思いました。授業のなかで実際に足の形をやってみて、とても難しい動きだなぁと思い、それをやりつつ踊り、表現しているバレエダンサー達には感動いたしました。僕も一度、行ける機会があれば劇場に足を運びたいと思います。(寺尾:バレエに限らないのですが、やはりナマの迫力は映像では出てこない。初台の新国立劇場にも学生割引のシステムがあります。)