2008年9月29日 オペラについて 発表・佐藤麻衣子

 

          黒岩摩理: オペラってとても苦手でした。と言ってもアイーダをビデオで見たくらいしかありませんでしたが。
ミュージカルも同じ理由で苦手意識がありました。オペラもミュージカルも劇がメインでそれに音楽がくっついて
いるだけだと思っていました。ストーリーを見るのに音楽が邪魔とさえ感じていました。
 しかし、映画『ダンサーインザダーク』を見て音楽劇に対する考え方が変わりました。ストーリーも胸が苦しくなるほど迫力を持った作品なのですが、この作品は主人公に独特の個性を持った歌手のビョークを起用し、全体的に歌、音楽が使われています。
 主人公のセルマは辛いときやどうしようもないときに歌を歌います。魂のこもった楽しさや悲しみが表れた歌や音楽に愕然としました。この映画の歌は、人間がどうしようもないときに発する響きであることに気づきました。それはBGMなんかではなくて、うめき声のような台詞のメロディーでした。表現することの枠を超えた人間の感情を訴える方法、それが音
楽であり歌なのだと考えさせられた作品です。音楽のジャンルは違うけど『ヘドウィグアンドアングリーインチ』を見たときにも同じような気分になりました。それ以来、なんとなく見ていたミュージカルやオペラが実はすごいんじゃないかと思っています。ダンスが言葉で伝えられないものを身体で表現するようにオペラやミュージカルは歌で表現するんだと思います。(寺尾:ソナタ形式とは関係ありませんが、音楽と演劇との関係という趣旨の感想。単なるバックミュージックを越えた表現力を利用しない手はないということでしょう。もともと演劇と音楽は一体であったとも言えます。)

          渡辺壮一: オペラのレクチャーだったわけだが、欲を言えばもう少し配布されたプリントのように代表的な作品の紹介などがあると嬉しかった。自分はオペラをみた記憶がなく(中学のときにもしかしたら、程度だ)、今回の発表が初めてだったので、やはり少し馴染みが薄い。台詞が聞き取りづらいこともあるのかもしれないが、身振り手振りだけでは理解まではしにくいように思う。だが、見所、山場に「歌う」ことで盛り上げるという手法はやはり素晴らしいし、それを知ることができて良かったと思う。
 余談だが、オペラで何故かデヴィッド・リンチの「マルホランド・ドライブ」の一場面が思い浮かんだ。全く関係のない話ではあるが。

   (寺尾:デヴィッド・リンチとはいかにも通好みで、そりゃあ、贅沢なオペラとは対極でしょうね。)

 

大出 智大: オペラが生み出される時代背景にルネッサンスがあり、前回の発表も含めてルネッサンスや資本主義、自由主義の時代背景として芸術が進化しています。オペラを知る前に世界史、経済の知識が必要だと感じました。

  「フィガロの結婚」のテンポはとても速く、二重唱、三重唱を取り入れることで喜劇をより楽しくしていると思いました。劇における音楽性の重要さを改めて認識できました。(寺尾:これはもっと知識が必要という感想でした。しかしまあ、まずは「楽しむ」ことが第一でしょう。)

 

        田所康宏: オペラの役者というか歌手の人の声量は聞くたびに度肝を抜かれる。今回も映像がみれて良かったし、レジュメもオペラの歴史が詳しく載っていて、集中して聞けた。(寺尾:もう少しアレコレ書こう。それから「みれて」は「見られて」にしよう。)

 

 中野恵里香: 映像で見た『フィガロの結婚』の第二幕はおもしろかった。ミュージカルを見ているときの独特の違和感を、オペラ『フィガロの結婚』では感じなかった。ミュージカルも好きだけど、ミュージカルは劇中の人物の感情が高まったとき、その思いが溢れるように歌になる、みたいな感じだと思う。台詞から歌につながるその流れが不自然だったり、観客がその高まりについていけなかったりすると、すごく違和感を感じる。でも『フィガロ〜』はレチタティーヴォによって普通の台詞も歌のように聞こえ、また情景描写にふさわしい音楽が流れることによって、観客の気持ちがずっと途切れないでいられる気がした。絶えず流れる音楽によって引き込まれていくようだった。オペラにももっと芝居的な、演劇に近いものなどいろいろあるのだろうけど、オペラが「音楽演劇」といわれる意味がわかった気がする。

でもミュージカルとオペラの違いを、もう少し考えてみたいなとも思った。

  (寺尾:天才?モーツァルトと比べられたら、ミュージカルも、ちょっとかわいそうな気がします。傑作とまあまあの作品との相違でしょう。背景にあるオペラ・オペレッタ・ミュージカルという流行の変化の意味をとらえたいですね。)

 

◎宇和島周平: キリスト教文化においてギリシア文化は敬遠されていたと聞き驚いた。西洋文明はギリシア文明の模倣の上に成り立っていると聞いていたので。(寺尾:模倣と反発は同じコトの両面です。親と子供みたいなものさ。)