2008年12月8日 寺尾教養ゼミナール 

発表E17 高木理加 現代のお笑い史と吉本興業のパフォーマンス

          三浦:我が家はテレビ中毒の家系なので、家に誰かがいれば、寝る時を除いて九割方テレビがついています。昔のことはよくわからないですが、いまのお笑い芸人は映画やテレビドラマにも出ているし、教育番組や歌番組の司会もしていたりする(時々、歌を歌ってたりもする)のでテレビを見ると必ずお笑い芸人を見ることになっています。そういう環境を当たり前にして育ってきた私には先生の『ダウンタウン知らないなぁ』という発言はかなり衝撃でした。最近は映像の毒みたいなことに意識的になってきていましたが、改めて自分がテレビや映像という毒にどれだけ犯されているのかということを実感しました。(寺尾:もう大人になっている子供が小さい時から、ずっとテレビ無しの時代が長く続きました。ここ数年も衛星放送しか見られず、先日、ようやく地上波放送が映るようになりました。吉本についてコメントするどころではありませんね。)

          寺崎:自分がどういうお笑いが好きなのかって考えると、やっぱり当然だと思ってた日常がガラガラ崩れる瞬間みたいな瞬間があるのが好きなんだと思っていた。この場面ではこうなってこうする、という定石みたいなのが、無意識のうちに日々を過ごす中ですり込まれてしまっていて、意識にのぼることはあまりない。けれど、僕が面白いと思う類の笑いは、そこにいちいち立ち止まって、あっと驚くようなことを行う。定石がはずれる、予想が裏切られる、というのが笑いの本質だと思っていた。最近習った言葉でいえば異化だ。けれど、それだけじゃないのかな、と気づく瞬間があった。
  最近、お笑い芸人になった友達がいる関係で、一度だけインディーズのお笑いライブに行った。
面白い人もいれば、全然笑えないんだけど舞台上でもう正気じゃないような感じでその場を異化しまくっている人もいたし、普通にエネルギーもセンスないと思う人もいたし、なんといえばいいのか、ソフィスティケートされてない。要はカオスだった。その時、異化には爆笑につながる異化とそうではない異化があるんじゃないか、そしてその境目は何なんだろうと思った。根本の部分、異化という本質は共通していて、すごい体験をしているという実感はあるのだけど、観ながらドン引きみたいになる人もいたし、普通に腹抱えて笑ったりとかもあった。
  なんの要素が観客にこういう反応の違いを起こさせるのだろう?と講義を機に考えているけどよくわからない。演者が意識しているかどうか?であるとか、観客の性質にも関係あるんだろうか?とか。いろんな要素が絡まり合ってるんだろうと思う。異化効果の種類みたいなものが整理されている書籍とかありますか?あったら教えてください。(寺尾:「笑い」「喜劇的komisch/comic」の理論的追求は、悲劇に比べれば遅れていますが、それなりの蓄積があります。大きく二つの流れを代表するのはカント等のドイツ派が矛盾・コントラスト的アプローチで、ベルグソン等の英仏派が優越のアプローチで云々。)

          西里:バラエティ番組は正直好きではありませんが、フリートークの発展は勉強になりました。また、一昔前といえばドリフ、というイメージが強かったので、吉本興業も歴史の長さが意外でした。2012年には創業100年記念でさらに盛り上がるのでしょうか。

          佐藤:「笑い」とは、一体どういうときに起こるのだろうか。以前、誰か(北野たけしだったか?)が『「侮蔑」や「差別」から笑いは生まれる』と言っていた。確かに、可笑しな格好をして、可笑しな動きをするだけで、人は笑う。チャップリンが部分的に当てはまると言えるだろう。しかし、果たしてそれだけなのだろうか。そこから生まれるものもあるとは思うのだが……上手く言葉にできない。大体、「侮蔑」や「差別」だけで笑いが生まれるならば、何故私や私の母親は猫ひろしで笑わないのか。とても疑問である。にゃー。
 昔、99の「グルナイ」とか、ダウンタウンの「ガキ使」「ごっつええかんじ」、ウッチャンナンチャンの「ウリナリ」など、お笑い芸人たちが仮装をしてワイワイやったりするのが好きだった。あとは「進め!電波少年」や「笑点」なんかも好きだった。要するに企画物が好きだったのである。これらの企画物には『一定の制限(ルール)』や『ドラマ』がある。その限定された中で、上手い切り返しをしたり、時には素の反応をしたりする芸人たちの姿が好きだった。企画物や漫才におけるお笑い芸人たちは、演技者とも言えると私は思う。例えそれがやらせでも、否、やらせだからこそ面白い部分がある、のかもしれない。
 そういえば、関西では日曜日のお昼に、劇形式のお笑い番組がやっていて、幼いころはそれがとても羨ましかったものである。なぜお笑いが主に関西(大阪?)で発展していったのか、というのはなかなか興味深い。愛知の坊主の説法が起源とはいうけれど、成長させていった何かがあるのではないだろうか。

          高木:前回の自分の発表で結局何が言いたかったんだろう、とか思っちゃいました。自分で何が伝えたいのか、どう言うとわかりやすくなるのか自分の考えていることを人に伝えるって難しいですね。友達と話す感じとはまた違って。あとフリートーク、アドリブ、即興といったことが話にでましたが、私がお笑いを発表に決めた元をたどればここかもしれないと思いました。関西の人と話をした時に思ったのですが、話している間にちょこちょこ笑いを入れてくるので、打ち解けやすいと感じました。それも笑わせたる!みたいな構えた感じではなくてごく自然に笑えるんです。でもそれが出来ない人も多いのに、万人に受け入れられるフリートークを出来るお笑い芸人さんは笑いの感覚、表現が通常と異なる気がします。インプット、アウトプットが長けてるのかなぁとか考えました。(寺尾:結局、場数が大事です!)

◎ 田所:吉本の勢いのすごさがわかった。劇場の数など、初めて知ることが多かったのでびっくりした。最近のお笑いブームも自分的には落ち着いてきている感じがする。しかしブームが去っても吉本はまたそのつど新たな策を練ってくるのだろう。

◎ 大出:お笑いというテーマだったので理解しやすいものでした。吉本興業の歴史がメインで劇場の開閉館やNSCなど吉本が行ってきた経営方針についてはよくわかりました。また、質疑応答の中で漫才からフリートークへの笑いの変化の話があり、話も膨らんだと思います。経営面では吉本が発展できた理由や、ほかの会社とは違う点をあげられればより深くなっていくと思いました。

          鈴木: 今回はお笑いがテーマということで、知っていることが多く、わかりやすかったです。
吉本も良いのですが、人力舎や、大田プロ等の歴史も知りたいと思いました。吉本は他の事務所に比べて給料が安いらしいのですが、そこらへんにスポットを当てても面白かったと思います。LIVE STANDの動員数にはびっくりしました。その存在は知っていたのですが、4万人以上の人が来ていたなんて。「笑う」ということは、医学でも研究されていて、つくづく深いなと思います。

          宇和島:お笑いというものは巨大なビジネスなのだと改めて思いました。お笑いライブをやれば数万人のお客が集まり、数億円の利益が出る。現在こうしたイベントを開催しているのは吉本興業だけだと思いますが、今後、他にもこうしたことをやるお笑い事務所が出てくるのかな、と思いました。

          名波:テレビを通して我々の身近に感じられるようになってきたお笑い界であるが、最近はお笑い芸人としてデビューした人たちもその後、司会や俳優などとしてマルチに活躍の場を広げており、女性芸人の活躍もめだっているいると思う。レジュメの年表をみてみるとだいたい10年おきぐらいにお笑いブームがきているが2000年からのお笑いブームは今なお終わっていないように思う。今後どうなるか興味があります。