2008年11月24日 寺尾教養ゼミ発表 LP19渡辺壮一:日本のアニメについて
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三浦:アニメの一番強い部分は全部が作り物であるという部分だと思います。映画では実物がないと撮れませんがアニメは実物が無くても作ることができます。よく『映画では夢と現実が同じ次元にある。つまりそれらがヒトツの画面で交わっても観客には同じ世界の出来事で、だから観客にはその境がわからない』というようなことを聞いたりしますが、そういうようなことをアニメはもう一つ浅い次元で可能にするのだと思います。それは実写の場合は造って撮っても結局嘘は嘘で、それは造りモノです。ただアニメは全てが嘘の世界ですからそこで起こる嘘には嘘がありえない。そして全てが作り物だからという理由でもう一つ言えるのは、アニメは言語的な表現もかなり得意だということです。それは写るもの全てが意味のあるものだからです。(寺尾:嘘のあり得ない嘘、というのは、演劇の本質の議論です。ゴッホの絵を真似て描いても何の価値もありませんが、舞台上のゴッホは、ただの真似ではありません。)
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鈴木:桃太郎の海鷲は動きがとても面白く、いろいろな部分で笑えた。真珠湾攻撃をモデルにした戦争ものなのにほのぼのとした雰囲気があるのはとても奇妙な感じがした。千年女優はひたすら凝ってるなぁと思いました。面白そうなので今度、観てみます。
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宇和島:現在のアニメ製作に関わっている人の多くは低賃金で仕事をしているそうですが、この低賃金で働く、働かされるという源流を作ったのは手塚治虫だそうです。その為、アニメ製作者の中には手塚治虫を批判的に捉える人も多くいるということです。こうした作り手側の環境を改善していく事がこれからのアニメ界には必要なのだと思います。(寺尾:さすが経済学部!中国への下請けの問題もあります。)
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西里:戦前はディズニーに近かったことは初めて知りましたが、今のアニメを思い返してみると、いかに日本国内でアニメが変貌したかが良く分かります。本来アメリカから輸入されたはずの「Animation」が、今アメリカで別存在のように「Anime」と呼ばれるのも無理からぬことだと思いました。同じことは「Cartoon」と「Manga」にも言えます。国内需要があれば、いずれオペラやバレエなどもそうなるかもしれないなと思いました。(寺尾:オペラもバレエもゼイタクさを本質とします。ヨーロッパ近代階層社会のアダ花という側面もあります。)
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大出:桃太郎の海鷲が以外と(意外と:寺尾)よく動いていて驚きました。おそらくアトムより動いていたと思います。リミテッド・アニメということで毎秒8コマということでしたがそれを感じさせませんでした。しかし、アメリカではこのころにはカラーのアニメが製作されており技術的な差はかなりあったはずですが、その後数十年で日本が世界のトップに立てたのはアニメを大人が見る風潮が出来上がり、ストーリーや演習(編集?寺尾)も大人が見るような映画やドラマに近いものを取り入れているからだと思いました。
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塩田:アニメについては近年ではアニメの放送がいつでも見れるアニメ専門番組で昔のアニメをみることもできるようになっているほどで、その中には人間模様を描いた作品も数多く見られると思います。もっとも今は作品を作る過程で色彩なども改良されてより景色などにこだわった作品も見られます。今のアニメというのは子供だけを対象とするものでなく大人が見るために作られているアニメもあるように感じました。(寺尾:塩田君、「、」を入れてください。)
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寺崎:とても良かった!!!!!!!!!!!!!! 子供のころドラゴンボールを見てたころと同じテンションでワクワクしている自分に驚いている。講義でみたアニメは全部続きがみたくて仕方ない。最初海軍が作った戦争アニメを見たが、どーせ戦中の技術なんでしょ、とか思っていたら、相当クオリティが高くてかなりビックリした!しかも歴史を追ってそれぞれのアニメを見ていくと、さらに進化を続けているのがはっきりとわかって、特に最新の「1000年女優」なんて映像がきれいすぎて、もうそれだけで楽しめた。(寺尾:最近、以前にあった批判性が薄くなってません?)
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名波:アニメーションと聞いてまず僕が思いつくのは、ディズニーアニメーションです。幼いころに誰もが見たであろう数々の作品は、今見てもその完成度の高さに驚かされます。白雪姫の公開が1937年で、その時代にフル・アニメーションで長編映画を作る努力と労力は計り知れないものだったとおもいます。そして、今日本を代表するアニメーションはスタジオ・ジブリに違いなく、子供だけでなく大人が見ても考えさせられる作品が魅力なのだと思います。テレビを通して発展してきた日本のアニメには、単に娯楽としての作品ではなく物語の根底に、自然や命の大切さ・脅威等を盛り込んだ見れば見るほどに深い作品もあります。海外の作品にもそのような傾向は見られるのでしょうか?なんとなく例えばアメリカのカートゥーン・アニメなどを想像すると単にコメディであくまで子供向けな印象があるのですが・・・。(寺尾:日本ではあまり話題になりませんが、ヨーロッパにはかなりシビアなテーマのアニメ・人形アニメ・人形劇も数多いようです。)
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田所:アニメをこの年で見るのは正直、オタクくらいだと思ってましたが、小学校のときに見ていて、理解できなかった、「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメを去年見たところ、子供よりも大人向けに出来ているような気がした。今回の発表で見た「千年女優」も、大人向けかはわからないが、映像はきれいで、ぜひ見てみたくなる作品だと思った。
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佐藤:『アニメーション』と『科学力』は、なんとなく切り離せない位置関係にあるのではないだろうか、と思う。松本零士の作品や、手塚治の作品などで、アニメ化されたものは、大概が何らかの”技術”を駆使して問題を解決したり、新たな問題に直面するものであった。これらは1960年・70年代の人々が、『科学の発展』に対して抱いていた畏敬の念を表現したものだったのではないだろうか。だが、畏敬と言っても、親しみのほうが強かったのではないだろうか。タイムボカンシリーズなどはそんな雰囲気がする。
しかし、後半からは路線が違ってくる。ここで外せない作品はなんといっても『機動戦士ガンダム』だろう。今までのアニメ作品が”技術面”を前面に押し出していたのに対し、ガンダムでは主にパイロットの心理や人間ドラマを細かに描写し始めたのである(ガンダムが初か、と問われると、ロボット物に詳しくないので少々困ってしまう)。今までのアニメ作品でのロボット物は、殆ど相手が宇宙怪物・宇宙人だったのだが、同じ人間となるのである。
ロボットアニメはまた、アニメの世界でもスピードによる迫力を追求していったと言ってもいい。『科学力』の迫力を見せ付けるには、どうしても動きとスピードが必要となる。『超時空要塞マクロス』などを手がけた板野一郎の板野サーカスは当時話題になったようである。以降(?)、作画はロボットアニメで重要なポジションを占めていくこととなる。1970年代後半からはロボット物作品が続々と現れていくが、しかし、段々と『個人』を軸にした人間ドラマへと変貌していくように思う。また、ドラマよりもノリで乗り切る作品(マジンガーZなどの踏襲か?ガオガイガーやGガンダムなど)も増えていったように思う。皆がロボット物における格好良さを追求し始め、大人向けになっていった頃ともいえるのではないか(世代の関係も?)。そしてその頂点こそが『新世紀エヴァンゲリオン』なのではないだろうか(私は見ていないが)。
ロボット物の話題になってしまいましたが、私はそうロボット物は実は見ないのです……。アニメ映画監督で注目しているのは細谷守(デジモンシリーズの演出が凄い)・押井守(うる星やつら ビューティフル・ドリーマーは名作)・新海誠(背景が綺麗)・原恵一(『モーレツ!オトナ帝国』と『アッパレ!戦国大合戦』で大泣き)くらいでしょうか。全作品を見たわけではないのですが。ぶっちゃけ細谷守が今のところ一番好きです。(寺尾:いつもながらの佐藤さんの力作です。ロボットSFだと、やはりロボット三原則を作った作家アシモフが重要でしょう。実は言及された作品の半分ぐらいは知らない作家ですので、誰か、きちんと整理してくれないかな。)
◎ 中野:授業で見た昔のアニメは、今見てもおもしろいなぁと思ったけれど、やっぱり最近の日本のアニメはすごい。
絵がきれいだし、細かいし、人間の表情や背景にとてもリアリティがある。どんどんリアリティを追求していっている気がするが、つきつめていったら実写に行き着くのではないのだろうか?リアリティにこだわっても、実写にはならない、アニメの世界にこだわる理由っていうのはなんなのだろうか。
wikipediaに、押井守監督の作品のシナリオ作りのテーマとして「虚構と現実、真実と嘘の曖昧さ」がある、というようなことが書いてあった。どんなにリアルな人物、風景、ストーリー展開が目の前にあっても、「アニメである」ということで決して虚構の世界から出ることはない、ということなのだろうか。それに、どんなにリアルな絵でも、その作品独自の色使いはやっぱり現実の色味とは違う気がする。明らかに虚構の世界であるアニメの中で、とてもリアリティのある世界がつくられているっていうことが、おもしろいのかな、などと考えた。
それとこの夏に、宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」をみたが、全部手書きというだけあって、とても素朴さを感じた。押井守監督のようなリアリティのある絵とちょうど逆行しているような気もする。テレビのインタビューで、宮崎監督が「ポニョは自分の原点回帰である」というようなことを言っていた。映画を見ていてもそれを感じたし、彼の「子供のために、こういうことがやりたいんだー!」っていう思いがぱつんぱつんにつまっているような気がした。インタビューで自分でも言っていたけど、宮崎監督は「子供のために」という想いがすごく強いと思う。一方「トイ・ストーリー」や「ニモ」を製作しているディズニーのピクサーアニメは、同じく子供向けだとは思うが、ジブリアニメとは違う。私は「トイ・ストーリー」を見たとき、全体的に楽しんで見たけれど、主人公の隣の家に住む男の子がとても乱暴な子で、おもちゃに爆竹くっつけたり、たたきこわしたりするシーンが結構印象に残っている。主人公自体もおもちゃを乱暴に投げたりするし。でも、実際こどもって残酷なこと平気でしたりする。そういうところをピクサーアニメはちゃんと入れている気がする。でも、宮崎アニメの子供はそういうことはしない。子供の乱暴さや凶暴さは排除されて、丸く、やわらかいもので包まれている。素朴な作品も好きだし、大切で、価値のあるものだと思う。
でも、あんまり子供のため、といって子供に擦り寄りすぎてもいけないのかもしれない。いや、いいのかな?素朴なものも、リアリティのあるものも、いろんなものが必要で、どれかを偏って見る・子供に見せるっていうことに問題があるのかな。いろいろ考えながら「ポニョ」を見ていましたが、エンディングで唐突に流れる「ぽーにょぽーにょぽにょ魚の子ー!」という歌で思考が停止してしまいました・・・なんだかんだ言いましたが私的にはおもしろかったです。(寺尾:ポニュは残念ながらまだ見ていません。でもアニメだと、みなさん、熱く語るのは、やはりなあ・・・という感じです。ドイツでも日本のアニメは若者にすご〜く人気のようですから。)
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小堺:今回のアニメの発表を聞いて、今まではあまり興味がなかった分野だったんですがこれをきっかけに有名な作品を見たいと思いました。中でも「千年女優」映画さながらのアングルやアニメならではの場面移動、回想など今までのアニメの概念を覆されたような気がしました。そして、タイトルは忘れましたが戦艦に乗っている桃太郎のアニメにも驚きました。子供向けに作られたとは思えないくらいリアルで、少しゾッとしました。昔、読んだコラムか何かに昔の日本のアニメは残酷でリアルでトラウマになるものが多かったと書いているのを読んだことがありましたが、これを見て少し納得しました。あと、これを通して、わかったのが見ていたアニメの名前を出すだけでその人の世代や年までわかってしまうというのは日本だけの文化ではないかということです。それをもっと誇り思って日本の文化の象徴として世界の人たちにこれからは紹介していきたいと思いました。
◎ 渡辺:初めての発表ということで若干緊張しました。なによりもう少し突っ込んで調べられたのかな、と。ただ、今までアニメについて歴史ということで詳しく見ることがなかったので、非常に勉強になりました。日本でアニメが作られ始めてから戦中期のあたりが特に。戦中期の映像のクオリティの高さに驚きましたし。さらにこれから勉強するとしたら、やはり気になるのは近年のアニメの動向でしょうか。今後やるとしたらそのあたりを重点的にやってみたいと感じました。