哲学の道 古書の道
                          経済学部教授 寺尾 格
 
 古くから大学都市として有名なハイデルベルクは、ドイツで有数の観光地でもある。旧市街の石畳を大勢の観光客が忙しく慌しく通り過ぎて行くが、本当はもう少し足を伸ばしてネッカー川の橋を渡り、対岸の丘をぶらぶらと登った所から街並みを眺めることをお勧めしたい。ネッカー川とカールテオドール橋と旧市街とが眼下に広がり、正面のハイデルベルク城とのバランスも絶妙で、もしもそこに夕暮れの光などがあたれば、ウソ!と言いたくなるほどロマンチックな風景が広がっているからである。対岸の小道は瀟洒な家々から、やがてワイン畑へとなだらかに続く。ゆっくり歩いて一時間ほどの散歩道が、有名な「哲学者の小道(フィロゾーフェンヴェーク)」である。京都東山にもハイデルベルクに倣って「哲学の道」がある。こちらは銀閣寺から法然寺、若王子神社へと続く鹿ケ谷疎水沿いの桜並木で、残念ながら冬に歩いたことしかないが、桜吹雪が疎水の上を舞う様は華やかで美しい風情だそうだ。 
 わたしだけで勝手に「生田哲学の道」と名づけているのが、専修大学生田キャンパスの東に広がる生田緑地である。三号館横の食堂グリーントップの脇から尾根伝いに歩く道で、途中、幾つもの脇道を従えている。枡形城址から小田急線の踏切へ、また登戸病院横へ、あるいは民家園の方角にも出られる。いずれも向ヶ丘遊園駅までは少々の遠回りではあるけれども、深い木々の中に続く道は、短い時間ながら、実に閑寂な時間を授けてくれる。
 本場のハイデルベルクに古城とネッカー川があるように、こちらにも枡形城と多摩川がある。どうもあまりロマンチックな名称ではない。しかし「生田哲学の道」はロケーションと規模では本場に負けるものの、もしかしたら四季の変化の多様さでは勝っているかもしれない。うっそうとした木々に包まれて、折々の季節に自然がヴィヴィッドに反応するからである。これは、もちろん北国ドイツと、海に囲まれて夏は亜熱帯とも言える日本との自然条件の相違でもあるだろう。
 生田のお勧めはやはり春で、風が暖かくなると足もとにスミレが咲き始める。レンギョウの黄色やこぶしの白が目立つと、やがて新入生のにぎわいの上に桜の花びらが舞い、新芽が萌え始める頃には八重桜が霞む。特に枡形城址付近は桜の名所でもあり、格好の新入生歓迎野外コンパの場ともなる。
 ワイワイと楽しげな春に対して、静かな秋の夕暮れも捨てがたい。人影の無い山道の落ち葉を踏みしめて歩いていると、梢の向うから夕闇が広がってくる。そんな時は大概、真っ黒い烏がどこかでこちらを見張っていて、時折大きくクワーッと鳴かれると、その後の静寂が一層強く身にしみる。遥か彼方に新宿副都心の高層ビルや東京タワーが見え、夕暮れの都会の灯が少しずつ瞬き始め、やがて星屑のように一面に広がる様子は、いつまで見ていても見飽きない光景である。
 広大な緑地を裏庭とする生田キャンパスの自然に対して、神田キャンパスには全く別の趣がある。「専大前」の交差点から「神保町」を過ぎて、三省堂書店ビルのある「駿河台下」交差点までの500メートルほどに、ずらりと軒を連ねている古本屋の数々である。「生田哲学の道」に対して「神田古書の道」ということになるだろう。わたし自身は普段は生田にいるのだが、二部の講義や委員会などで神田に来る機会も多い。昔々の学生時代、年に何度かは神保町の古本屋街をうろつくのを楽しみとしていたぐらいなので、せっかく神田に来ていながら、店頭の安売り本の山の一つも見ずに帰るような無粋な真似はとてもできない。赤い灯青い灯ではないけれども、ついフラフラとかび臭いほこり臭い古本の山の中に踏み迷って、一時間ぐらいはすぐに経ってしまう。脚が疲れてノドも乾けば、おあつらえ向きにビア・レストラン「ランチョン」も用意されているではないか。
 「ランチョン」は全体がウッディな作りのビアホールの老舗で、明るく大きなガラス窓を通して、古本屋街を歩く人々を上から観察できる。背筋をスッと伸ばしたマダムが、カッカッと靴音を響かせて歩きながら客をさばき、蝶ネクタイのウェイターたちに、いつもきびきびと指示を与えている。ビールを前にして、何事かを議論している風の客が多いのも場所柄のせいであろうか。夏のビールはもちろんおいしいのだが、冬になると熱々のカキフライがメニューに現れる。これにタルタルソースをつけて・・・というのがビールに絶妙に合うのである。
 生田緑地のベンチに座って、自動販売機のジュースを飲みながら自然の風に吹かれるのも良いものだが、「ランチョン」の二階の窓辺に座って、今購入したばかりの古本の頁を繰りながらビールを傾けるというのも、これはこれで、まことに捨てがたい都会の楽しみの一つであろう。
 大学の混迷が叫ばれて久しい。社会の変化の速さに教員も学生も(親も?)アップアップして、移り変わる情報に右往左往してばかりいる印象が強い。当面の知識と技術を早く身に付けなければと焦るのも無理は無いのだが、せっかく貴重な四年間が与えられているのだから、学生諸君には目先のみならず、十年後、二十年後の肥やしになるような勉強を目指して欲しい。そのためには、じっくりと己を見つめ、先人の蓄積を叩き込むことが肝要となる。そこで「自然の中の逍遥」と「古書の積読」をお勧めするわけで、「生田哲学の道」と「神田古書の道」のふたつの道の散策を紹介すると共に、いささかの大学宣伝も兼ねようかという次第なのです。
 
 専修大学 育友 第94号 2001年 34頁〜35頁