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      ドイツ観劇ノート 2002年春         

                         寺尾 格

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 2月の後半に短期間ですが、ドイツに行ってきました。例年ならば3月、ウィ
ーン直行便にベルリン往復を加えるのが通常なのですが、今年はうまく時間を
取れず、コペンハーゲン経由のために、ベルリンとライプチヒで10本、コペン
ハーゲンでオペラを1本、計11本を見てきました。
 ところで「ドイツ」演劇(Deutsches Theater)と一言で括るのは、 厳密に言
えば問題があるのです。   正確には「ドイツ語」演劇(Deutschsprachiges
Theater
)と言うべきでしょう。 社会的にも文化的にも、「ドイツ」という言
い回しには一種の観念的な「理念」の雰囲気が強く、実体はそれぞれの地方性
を色濃く反映している歴史的事情があるからです。例えば演劇に関しても、ド
イツにおける北と南の相違、また戦後ドイツにおける東と西、更にオーストリ
ア、スイスといったそれぞれの相違、それは「ドイツ語」というベースにおけ
る共通性に乗っかった差異ということになりますが、それこそが「ドイツ」演
劇全体を活性化するための非常に大きな要因なのです。
 具体的に言えば、ドイツ語圏における演劇の中心は・・・と尋ねられれば、
たちどころにウィーン、ベルリン、ミュンヘン、ハンブルク、チューリヒ・・
・という具合になります。最近ブームのダンスを念頭におけば、ヴッパーター
ルやフランクフルトも外せません。特に・・・ということであれば、ウィーン
とベルリンの二つでしょうが、ハプスブルク以来の歴史的雰囲気の色濃い古都
ウィーンと、ポツダム広場を中心にクレーンの林立する激動のベルリンとでは、
演劇を取り巻く環境も、観客の反応も全く対照的なのです。
 更にここ10年は、ご存知のようにドイツ統一とヨーロッパ統合という二重の
「統合」の推進が、逆方向のベクトルをも強化しています。いわゆる極右の活
発化、北欧での社民の後退等々ですね。その際にしばしば「外国人憎悪」とい
う言葉が使われますが、その「外国人」と訳される言葉も、正確には「見知ら
ぬ者、 疎遠な者」を示すFremd( = foreign)であって、単なる「外国人」との
言い回しよりは、もう少し根が深く、「統合」の光と影が強い影響を与えると
共に、そこに各地域の自意識が絡まるという複雑な状況を呈しているのが、ド
イツの演劇事情なのです。
 ついでに言えば、「現代演劇」の「現代」も、あるいは「演劇」という言葉
すらもが、あらためて検討すれば問題無しとはしません。でも、まあ、その手
の原理的な議論はここまでにしましょう。まずは今回の観劇リストを以下に挙
げます。 前半5本はライプチヒ、後半はベルリンです。はオススメ、は特
にオススメの舞台です。

 18日 ヴェルナー・シュヴァープ『重すぎる くだらない 無形式』
(ライプチヒ ノイエ・スツェーネ:小劇場)
  19日 ウルリケ・ジューハ『人工芝』(ホルヒ&グック:アングラ舞台)
 20日 イゴール・バウエルジマ『ノルウェイ。今日』
(ノイエ・スツェーネ)
  21日 マキシム・ゴーリキー『避暑地の人々』(ノイエ・スツェーネ)
 22日 シェイクスピア『真夏の夜の夢』
(シャウシュピールハウス:大劇場)
 23日 マーティン・クランプ『田舎にて』
(ベルリーナー・アンサンブル)
 24日 ヨハン・クレスニク振り付けダンス『フリーダ・カーロ』
(民衆劇場)
  25日 テレージア・ヴァルザー『ポツダムの女英雄』
  (ゴーリキー劇場)
 26日 ザーシャ・ヴァルツ振り付けダンス『noBody
(シャウビューネ劇場)
 27
 ダンス(振り付け失念)『オィディプス』(ベルリーナー・アンサンブル)
 28
  オペラ:チャイコフスキー『スペードの女王』(コペンハーゲン歌劇場)

 日本の演劇興行は、ひとつの作品を一週間なり十日なりの期限を切って公演
しますが、これは英米と同様のスタイルで「プロデュース・システム」と言い
ます。ドイツは普通「レパートリー・システム」で、ひとつの劇場が専属のア
ンサンブルを抱え、一シーズンに最低でも78作品のレパートリーを用意しま
す。実はレパートリー・システムの悪口が、ドイツではしばしば話題になるの
ですが、これは「隣りの花は赤い」の良い例で、それぞれに一長一短がありま
す。特に私のような「季節労働者」には、短期間で違った演目が幾つも見られ
るレパートリー・システムはありがたい限りです。なにしろ人気のある舞台で
あれば、何年も前に初演されたものでも、レパートリーに残るからです。
 いずれにせよドイツの劇場の実力は、そのアンサンブルが提供できるレパー
トリーの数と内容で、おおよそのところは判断できます。通常、いわゆる古典
作品、現代劇の名作、新作と、それぞれにバランスをとります。ライプチヒの
劇場も大劇場、小劇場、アングラ実験室と三つの舞台を持っていて、毎日異な
ったレパートリーを提供します。わたしの観劇リストは新作優先ですが、最初
の5本は全て同じアンサンブルです。新作とならんで、ゴーリキーやシェイク
スピアの古典ものも並んでいます。
 人口44万人ほどの中都市ライプチヒに対して、ベルリンは人口350万人
の大都市です。もっとも人口数から言えば、東京やパリ、ロンドンの方が遥か
に多く、口の悪いベルリンっ子は「世界最大の村」と自嘲気味に言います。で
も中都市や小都市を中心とした州(Land)や地方自治体(Gemeinde)レベルでの独
立意識の高いドイツでは、「ベルリンは別」という感覚も非常に強いのです。
事実、ドイツで大都市と言えるのは、やはりベルリンだけでしょう。劇場も、
ライプチヒは実質的にひとつのアンサンブルしかありませんが、ベルリンでは
シャウビューネ劇場、ベルリーナー・アンサンブル、民衆劇場、ドイツ劇場、
ゴーリキー劇場あたりが、それぞれ高水準のアンサンブルを維持しています。
もちろんミュージカルや大衆喜劇等の純粋エンターテインメントの劇場は別に
してです。
 今回のベルリンでの観劇5本のうち、3本がダンスという結果になりました。
これはタマタマなのですが、今のベルリン演劇事情の一面を示すとも言えます。
三年前ならば、こういうことはありませんでしたから。「ダンスも」あるよ・
・・という以前の雰囲気が明らかに変化していて、おおげさに言えば、ベルリ
ンの演劇を引っ張っているのは「ダンス」というような印象すら受けたほどで
す。ひとつには、1990年代の焦点であった演出家カストルフの民衆劇場で、
1994年からヨハン・クレスニクが活躍し始めたことと、何よりも2000
年にシャウビューネ劇場の総監督オスターマイヤーが、ダンスのザーシャ・ヴ
ァルツとコンビを組んだことが決定的でしょう。
 特にザーシャ・ヴァルツの「身体三部作」の最後にあたる新作「noBody」は
印象深いものでした。「舞台」と言うよりも、階段状の観客席から広い体育館
を見下ろす感じの空間で、24名の男女のダンサーが特定の筋や意味は不明な動
きを重ねて行きます。例えば、最初は全員がただ緩慢に歩き回っているだけで
すが、歩くという行為に、やがて様々な突発的な動きが脈絡無く接合され始め
ます。そして個々バラバラの動きが、二人、三人と、徐々に集団性を示します。
ただ、どのような動きであれ、一定のリズムを思わせる度に、必ずそのリズム
を壊すような別の動きが挿入されます。何だかよく理解できないまま、しかし
少しずつ連続と非連続の重なり合う独特の世界に引き込まれて行きます。
 新聞評では「新味が無い」と酷評でしたが、観客の反応は非常に好意的でし
た。往年のペーター・シュタイン時代を思わせる熱気・・・とまで書くと、い
ささかほめすぎになるでしょうが、ベルリンの演劇を、ダンスという新しい方
向から活性化している様子は明らかに見て取れました。それが何故なのか、そ
してどこに向かおうとしているのか、そのあたりが興味ぶかいところなのです。
 
補足:私のホームページhttp://www.senshu-u.ac.jp/~the0372/leistung/  
leistung.htm/
の中に以下の論考があります。ウェッブならではですねえ。
  「ウィーン/ベルリン二都物語 1990年代のドイツ演劇」
  「オーストリアにカンガルーはいない」 
  「演劇する都市ウィーンあるいはブルク劇場 春の巻」「同、夏の巻」
  新作に関しては、5月ごろに出る演劇年鑑に書いた「ドイツ演劇展望
  2001年」をご参照ください。

  ウェッブマガジン 『アルゴノート@21』4月号