土台を固めろ エーンヤコーラ!

                    経済学部 ドイツ語  寺尾 格

 4月最初の講義は、学生諸君の側のみならず、教える側にとっても、独特の緊張が要求される。とりわけドイツ語のように初めて触れる外国語では、導入の良し悪しが決定的に重要となるからである。

 従って導入には多くのエネルギーを投入して、様々な工夫を行うのだが、実は大学での講義とは、外国語であれ、**学であれ、いずれも恐ろしく奥の深い世界を、ほんの少しだけ垣間見る入門過程にすぎない。わずか一年や二年の講義程度では、それぞれの学問分野の初級分野が、かろうじて概観できるかどうか?むしろ学生諸君の様々な興味を涵養しつつ、今後の人生を切り開く知的な土台を鍛えるというあたりが、大学の本来の趣旨であろうと思われる。

 これを外国語に即して見れば、一から十までを懇切丁寧に・・・というのでは、おそらく前提から少なからず違ってしまう。そうではなくて、その言葉を学ぶための「土台」は大切に教え、教わらなければならないが、一応の土台ができあがれば、その後は「教わる」のではなく、むしろ各自が自分で「身につける」ものなのである。

 もう少し具体的に言う。外国語を学ぶとは、「知識」のみに単純化すれば「語彙」と「文法」を学ぶということである。ひとつひとつの「単語」の意味と発音、次にその単語の並べ方の規則、すなわち「文法」が了解されていること、この二つがさしあたりの到達目標である。しかし実は、その二つが本当に確実に土台となっているのだろうか?それは「語彙」が足りないとか、「文法」が苦手だということではない。そんなものこそ、一歩一歩「自分で」積み上げて行けば良いのであって、そうではなくて「土台として」身についているのかどうか?を問題にしたいのである。

 例えば中学程度の英語で、任意の易しい単語や文章を口に出して見よう。それは果たして「外国語」であろうか?つまり相手に通じるレベルの表現となっているだろうか?別に流暢に話す必要は無いし、日本語風の発音でも構わないのだが、いずれのコトバであれ、「そこを間違えたら通じないよ!」というポイントがある。

 失敗談をひとつ。ウィーンの街角の店で言った「クロワッサン!」が通じなかった。なじみのパン屋の親父さんはニコニコしながら、その場で特訓?してくれて・・・「違う!<クロワ>(1音節)<サン>(1音節)だ!」ノドのrと鼻母音も大切なのだが、最も肝心なのは、「ク・ロ・ワ・ッ・サ・ン」と日本語風に6音節ではなくて、わずか2音節という点がミソとなる。

 あるいは・・・いや、まあ、外国語を勉強していれば、失敗談などはいくらでも、本当にいくらでも出てくる。ソウイウモノナノデス!要するに外国語の導入と土台が大切だというのは、ただ机にかじり付いて問題を解くように、「知識」だけを頭に叩き込むだけではなくて、「実際の」「現場の」「直接の」というレベルを自覚してくれれば、何を土台として鍛えればよいのか?が自ずと理解できてくるはずだろう。

もちろん、そういう授業をやりたいと思ってはいるのであるけれども・・・

 

専修大学LLだより 第19号 2003年