ラディカルな挑発の「織物」    エルフリーデ・イェリネクの魅力

 寺尾 格

 

ノーベル賞の受賞は、通常、受賞者の国では大歓迎されるニュースにちがいない。ただし、それが、あと二週間ほどで58歳になる女性作家、エルフリーデ・イェリネクということであれば、彼女の生まれ育ったオーストリアでは、いささか複雑な反応とならざるをえない。というのも、保守頑迷なオーストリアとカトリックに対するイェリネクの辛辣な批判と罵倒とが、今回の受賞で、また一段と激しくなるだろうからである。

 

 日本では、おそらく2001年のカンヌ映画祭でグランプリを取った映画『ピアニスト』の原作者としてしか知られていないかもしれないが、ドイツ語圏でのイェリネクは「ラディカル・フェミニスト」として著名であり、それは1980年の戯曲『家を去った後のノラに何が起こったか』の題名からも伺えるだろう。もちろんイプセンの『ノラ』へのリアルな皮肉に満ち満ちた戯曲で、作家としての評価は、特に1989年の擬似ポルノ小説『したい気持ち』のベストセラー以降、とりわけ高く、様々な文学賞や演劇賞を毎年のようにかき集めている感がある。1998年にはドイツで最も権威あるビュヒナー賞を受賞しているし、ちなみに2004年の今年も、レッシング賞、ミュルハイム劇作家賞等、すでに四つを受賞しているのであるから、ついにノーベル文学賞でダメ押しということになる。

 

 幸いなことに、一昨年に上述の『ピアニスト』が、昨年は『したい気持ち』(どちらも鳥影社)が、また彼女の戯曲『トーテンアウベルク』(三元社)もすでに翻訳されている。いずれの翻訳も、訳者の歯ぎしりと脂汗のしたたる様子が目に浮かぶのだが、イェリネクの問題性は、充分にうかがい知ることの出来る力業である。

 

 というのも、彼女の多くの作品は、女性問題のみならず、例えば「ロマ人へのテロを見過ごす警察国家オーストリア!」とか、「なぜ母親はスポーツという戦場に自分の息子を駆り立てるのか?」という具合に、自らのユダヤ的出自とからませながら、オーストリアの具体的な生活の中に巣くうファシズムの可能性をも具体的にえぐり出してやまないからである。従って、とりわけ保守的な新聞や政治家からは、「国家の敵」「左翼テロのシンパ」「オーストリアで最も憎まれている女性作家」等々の、かなりエゲツナイ政治キャンペーンにさらされたことも度々である。

 

 ただしイェリネクの本当の魅力は、そのようにラディカルな政治的内容よりは、むしろ彼女の独特の文体が、実に難解な挑発を感じさせることにこそあるだろう。一つひとつの言葉や文が、特定の文脈を臭わせながらも、それに統合されることなく、地口と連想と引用とのコラージュという多義的な広がりの中に埋没する。幾つもの意味の流れが、うねるように現れては消えたかと思うと、また不意に現れる。言葉の意味が、身体的存在としての響きとリズムによって多様に喚起されながら、無理矢理に、暴力的に立ち上げさせられ、言葉の幾つもの意味の多層性が多層性のまま、バランスを欠いたまま、洪水のように膨大にあふれ出て来るのである。イェリネクのおもしろさは、何よりもテクストそのものの孕む可能性のおもしろさであり、テクストがテクスチャー(織物・触感・構造)として立ち現れて来るおもしろさと言えるだろう。

                  毎日新聞 2004年10月12日 夕刊