ノーベル文学賞イェリネク  挑発に満ちた難解さ  

寺尾 格 

 

ここ二十年ほどのドイツ語圏で、エルフリーデ・イェリネクほど、しばしば話題になり続けた作家も珍しいだろう。今年日本語に訳された『したい気分』(鳥影社)は、1989年にドイツで出版されてベストセラーとなった“ポルノ小説”だが、実は挑発に満ちた難解な反ポルノである。

あるいはブルク劇場と言えば、音楽と芸術の古都ウィーンを代表する典雅な有名劇場なのだが、94年に初演された『レストハウス』では、舞台上に高速道路の女性トイレを作り、当代の名女優二人が観客に向かいながらスカートをまくりあげて、便器に座ったまま、夫の不能を愚痴り続ける。

今年のノーベル文学賞を受賞したイェリネクとは、そのような小説家であり、劇作家である。ドイツでは「ラジカル・フェミニスト」として、その挑発的な作風がすでに有名で、批評家の評価は非常に高い。多くの文学賞や演劇賞をほとんど総なめにして、何とノーベル賞まで取ってしまった。ただし、「オーストリアで最も憎まれている女性作家」でもある。何しろオーストリアをひたすら罵倒し続けるし、ウィーンの精髄とも言えるブルク劇場を「ポルノ・ピープ・ショー」にしているし・・・

1946年に生まれて、ウィーンで音楽(特にオルガン)を学んだイェリネクの自伝的小説『ピアニスト』(翻訳あり。鳥影社)は、教育ママの抑圧にあえぐ中年女性ピアニストの自虐的欲望を、独特の緊張した文体で表現している内容なのだが、映画は、その緊張感をヒリヒリするような映像に効果的に映し出して、2001年のカンヌ映画祭でグランプリを取っている。

とはいえイェリネクの小説も戯曲も、通常の分かり易いスタイルとはほど遠く、相当に難解なテクストである。その難解さが批評家や演出家を魅了してやまないとも言える。

初期の素材はフェミニスト的な女性抑圧が明瞭であったが、1990年代からは、社会的な抑圧や差別そのものへと内容を深めていった。

特に88年の劇作品『雲、故郷』以来、さまざまなテクストのコラージュあるいは断片的なモノローグの集積という表現方法を確立して、評価が著しく高まると共に、オーストリアの平和な日常と美しい自然の背後に隠された闇をあばくという姿勢が鮮明になり、保守的な新聞・雑誌・政治家やカトリックとの対決姿勢も強くなっている。

イェリネクの文体は、様々な意味レベルがうねるように、回帰的に絡まり合う形で作られており、統一した文脈がしばしば見えにくくなる。いわば無意識が自己増殖するような雰囲気の濃厚な挑発的なテクストであり、現代に生きる我々の生活と歴史の意識そのものに対応した表現意志の表れと言って良いだろう。

            神奈川新聞(共同通信) 2004年10月15日