ドイツ演劇 2003年  イラク戦争への異議申し立て

                                寺尾 格

 米英によるイラク攻撃への緊張が高まる3月半ば、ベルリンの町を歩いていると、随所に「イラク攻撃反対」の文字が目についた。中東地域は、日本では今ひとつ「遠い」感じが否めないのだが、ドイツから見ると、イランもイラクも、すぐ近くのような雰囲気があり、強い切迫感の漂うのは地理的、歴史的な背景の相違でもあろうか。シャウビューネ劇場でも、ベルリーナー・アンサンブルでも、ドイツ劇場でも、もちろんフォルクスビューネ劇場でも、要するにベルリンの主要な劇場のほとんどは、大きな垂れ幕や看板を使って、内外に「攻撃反対」のアピールを表明していた。「ブッシュ戦争」反対表明として、例えば3月3日にアリストファネスの『女の平和』の朗読会が多くの劇場で開催された。これは40以上の国の800を超える劇場と連帯しての行動だったそうである。

 ウィーンでも、観光名所となっているネオ・バロック様式の市役所を脇に回ると、大きなアピール文の垂れ幕が下がっていた。3月20日の攻撃開始はテレビや新聞ではなく、大勢の若者たちが興奮して、緊急デモをリング通りに繰り出す様子で気づいた次第である。身の軽い高校生や大学生たちによって、初日は昼から夕方まで何度も行われたが、二日後の土曜日には一般市民も大勢参加した大規模なデモとなり、五つの方向から中心部を目指して、ウィーン中がデモ隊の人波で埋まった。

イラク戦争に対して日本とは対照的な反応を示すドイツ語圏では、戦争との具体的な関わりを示す演劇作品が幾つか現れている。演出家としても注目株のファルク・リヒター作『七秒間』(10月チューリッヒ・シャウシュピールハウス初演)は、空からビン・ラディンを探すジェット機のパイロットと、地上でドーナツを食べている妻との二重舞台で、戦争と平和の対照を、日常生活と非日常ニュースとを絡めるテクスト・モンタージュである。操作された映像情報の支配している「戦争」は、「のぞき見趣味と露出狂」によって支えられる「ポルノ映画」と全く同じだと言い放ち、「ショーと政治と現実」の相違を溶解させるグローバリズムに対する演劇的な挑発となっている。

エルゼ・ラスカ・シューラー賞を受けたエルフリーデ・イェリネクは、故アイナー・シュレーフに捧げた『作品』(4月ウィーン・アカデミー劇場初演)で、昨年の『アルプスにて』と同様、今度は巨大水力ダム建設にまつわる強制労働を戦後復興の欺瞞のシンボルとして取り上げた内容で、演出のカストルフはハイジとペーターを三人ずつ登場させ、アルムのおじいさんと一緒に歌い、わめき、踊るヒステリックな舞台とのこと。実はそれに続く『バンビの国』(12月ウィーン・ブルク劇場初演)が「戦争とポルノ」で、映画監督で過激なパフォーマーとしても知られる演出家のクリンゲンジーフは、イラク戦争批判を前面に出した作者の長いモノローグ・コメントのテクストには全くこだわらず、ベトナム戦争の前線での手術場面やポルノ映像を多用した舞台を作って、「セックスと血と混乱」という劇評であった。

モーリッツ・リンケ『楽観主義者たち』(11月ボーフム初演)も、ドイツ人旅行者の一団がネパールでテロに襲われて、ホテルに缶詰になって混乱する有様を、セックス談義やら怪しげな環境会議への提言やらを交えたドタバタ風の対話でつなぐテロリズムのとして描くが、底が浅いとの批判もある。

さて、6月までの昨シーズン全体の注目作品をテアター・ホイテ誌の劇評家投票を中心に検討すると、作品ベストがフリッツ・カーター『愛する時死ぬ時』(02年9月ハンブルク・タリア劇場初演)で、ミュルハイマー劇作家賞も受けている。この作品については昨年の報告で触れているのだが、「愛するlieben」を「生きるleben」と間違えたので、ここでおわびして訂正する。なお、初演したタリア劇場は、昨シーズンのベスト劇場となっている。第二位は、ベルリン・シャウビューネ劇場のドラマトゥルクだったローラント・シンメルプフェニッヒの四作目にあたる『その前 / その後』(02年11月ハンブルク・ドイツ座初演)。39名の多彩な登場人物(初演では12名の俳優で演じている)による舞台で、男と女の日常を基本にしつつ、幻想的なイメージも交えるという、ボート・シュトラウス的雰囲気の漂う、様々な断片的な場面をゆるく結びつけて、多様な文体で描き続ける。両作品とも、プロットに依拠することなく「物語」を組み立てようとする試みが注目される。

若手作家の第一位として挙げられたのが、1971年生まれ、スイス人のルーカス・ベールフス『我らが両親のセックス・ノイローゼ』(2月バーゼル初演)。これは知恵遅れの娘が性に目覚めたために、その素朴な質問と行動に両親がふりまわされるという内容で、喜劇味と破局とがバランスを持った佳品。続く第二位が1976年生まれのウルリケ・ジューハの三作目『遊牧民たち』(3月チュービンゲン初演)で、大都会を放浪する人間の「寄る辺なさ」をモノローグとつぶやきのパッチワークで描く。彼女の前作『ドイツのドライブ』(02年12月ハンブルク・タリア劇場初演)も、2002年のクライスト賞を受けた話題作で、サスペンス風味の「方向喪失劇」と言える。ちなみに2003年のクライスト賞はアルベルト・オスターマイヤー。更にマリウス・フォン・マイエンブルク『冷たい子供』(02年12月ベルリン・シャウビューネ劇場初演)は、ベビーカーの中の子供を覗き込みながら、「ご覧よ、唇が真っ青で震えている」と繰り返すだけで何もしない両親という非現実味を醸し出しながら、親子や男女の倒錯した関係を言語化する。デア・ローエル『無実』(10月ハンブルク・タリア劇場初演)も、内容的にはペシミズムなのだろうが、対話とコメントとの間を揺らぎ続けるような知的喜劇風のテクストに注目したい。

続いて演出作品を見ると、フランク・カストルフが充実していて、ドストエフスキー三部作の最後にあたる『白痴』(02年10月ベルリン・フォルクスビューネ初演)がベスト演出となり、これはドイツITI賞とベルリーナー・モルゲンポスト賞も取ると同時に、ベルト・ノイマンによるベスト舞台美術にも輝くし、カストルフはこれで通算五回目のベスト獲得となるのみならず、ブルガーコフによるソ連時代の発禁小説『巨匠とマルガリータ』(02年11月ベルリン・フォルクスビューネ初演)の演出も、昨シーズン二番目の票を集めている。三番目以降はクリストフ・マルターラー演出『グラウンディングス』(2月チューリッヒ・シャウシュピールハウス初演)、アンドレア・ブレート演出『エミリア・ガロッティ』(02年12月ウィーン・ブルク劇場初演)と続く。トーマス・オスターマイヤー演出のイプセン『ノラ』(02年11月ベルリン・シャウビューネ劇場初演)はウィーン・ネストロイ賞で、オスターマイヤーは2004年のアヴィニヨン演劇祭をコーディネートすることが決まっており、狂乱のノラを演じたアンネ・ティスマーはシーズン・ベスト女優となった。ハンブルク・タリア劇場の『ノラ』主役のヴィクトリア・トラウスマンスドルフも票を集めているので、女優はノラづくしとなり、二人とも3sat放送局賞を受けている。男優ベストはマルティン・ヴトケが『白痴』その他の演技で獲得。

ミヒャエル・タールハイマー演出のシュニッツラー『輪舞』(02年11月ハンブルク・タリア劇場初演)は「サブテクストとしての新しい身体言語」と好評だが、残念ながら未見。ただしチェーホフ『三人姉妹』(2月ベルリン・ドイツ劇場初演)の方は、雨だれを思わせるジャズ風音楽の流れる中を回転し続ける壁と対抗するかのような「沈黙」の舞台であり、個人的には昨シーズン・ベストの感銘を受けた。

最も多く上演された同時代作品は、98年にトニー賞で35カ国語に訳された世界的ヒットのヤスミナ・レツァ『芸術』で、ただ真っ白に塗っただけの絵画を高額で買った美術批評家をめぐる、男三人の軽妙皮肉なだけの軽い喜劇。同様にアメリカのニール・サイモン『サンシャインボーイズ』(3月ウィーン・アカデミー劇場初演)も、往年の人気ペアの再会と再結成をめぐるブロードウェイ喜劇で、深刻味はまるで見られないのだが、何しろゲルト・フォスとイグナツ・キルヒナーという黄金コンビの掛け合いの絶妙さに、現実と虚構とが自ずと二重写しになってしまう舞台。

 旧東ドイツの演劇を代表していたペーター・ハックスが、奇しくもゲーテの生まれた日と同じ8月28日に75歳で亡くなっている。夏のザルツブルク祝祭は、前売りだけで30億円あまりの記録更新。オペラは4万円を超える高額の席が完売という贅沢すぎる雰囲気の定着と、2006年のモーツァルト生誕250年に向けたオペラ優先プランを批判して、演劇監督のユルゲン・フリムが降板。

 ベルリンは財務大臣が「お手上げ」発言を行うほどの赤字に苦しみ、40億円削減を目指した劇場廃止案が出された。『都市は舞台』という文化政策の名著を書いているインテリ文化大臣クリスティーナ・ヴァイスが間に入って、劇場廃止は棚上げされたものの、首のつながった三つのオペラ座には一層の赤字削減努力が要求されて、ダンス部門の統合・削減は避けられない見込み。それに対してウィーンでは、今やミュージカル劇場となってしまったウィーン最古のアン・デア・ウィーン劇場を、再来年のモーツァルト年のために、第三のオペラ劇場に編成替えする計画が出されている。

 最後に一言。昨年5月に発刊のドイツ文芸誌『デリ』(沖積舎)は、文学作品のみならずドイツの現代戯曲の翻訳も載せている。第1号はウィーンの奇才ヴェルナー・シュヴァープ『かぐわしきかな天国』、第2号はベルリンのテクスト破壊者ルネ・ポレシュ『マイホーム・イン・ホテル』と鼎談「ベルリン演劇の今」、5月に出る第3号はトーマス・ベルンハルト『リッター・デーネ・フォス』の予定。  (本文 40字×106行=4240字)