それで?お前自身は一体どうなんだよ?  ドイツ演劇における裁判劇について

                             寺尾 格

 ドイツ演劇の「ドイツ」という自意識が、いつ頃から明確になってきたのかは、実はそれほど簡単な問題ではない。しかしそのような細かな詮索を別にすれば、16世紀の「ドイツ」宗教改革と共に、ルター派擁護のニュルンベルク市民を中心としたハンス・ザックスの謝肉祭劇成立あたりが、「ドイツ」演劇の始まりとなるだろう。もちろん常設の劇場ではなくて、酒場の隅などで演じられる事が多かったらしいのだから、教会での中世的宗教劇のように、典礼をめぐるシカツメラシイ内容を核とするものではなく、より自由な素材を用いた茶番狂言風味の軽い寸劇である。

 

例えば『判官と女たらしと遊び人と呑み助』という謝肉祭劇がある。「呑む・打つ・買う」それぞれの特性を代表する三人が裁判官の前で、我こそは遺産相続の資格ありと自己主張を行う。三人がそれぞれの特性を弁護するのみならず、他の二つの欠点をあげつらいもするので、言われた方が怒って反論すると、更に再反論と続くのだから、非常に単純なスタイルながらも立派な裁判劇と言える。

 

ところで、この最初期の作品の素朴さからは、以後のドイツの裁判劇を巡る重要な方向性が、素朴であるがゆえに、かえって明瞭に見て取れる。それは舞台と客席との一体感に由来するもので、なにしろ役者は専門の俳優ではなくて、お隣さんの仕事仲間である。祭りでほろ酔いの観客は、仮設舞台で語られる弁護と告発の台詞のひとつひとつに、「そうだ、そうだ」「それは違うぞ」とチャチャを入れたりしながら、みんなで気分を盛り上げたに違いない。お互いに笑い合いながらも、「酒と女と賭博」のプラスとマイナス論議となれば、観客の誰もが「スネに傷持つ」「身に覚えのある」切実なテーマである。笑いの向こうに、いささかの苦さも含まれざるをえない。「娯楽」ではありながら、そこにプロテスタント的な道徳性をしっかりと溶け込ませるのがハンス・ザックスの謝肉祭劇である。

 

役者と観客との区別が限りなくあいまいな謝肉祭劇における裁判劇では、舞台と観客のみならず、弁護と告発という裁判機能もまた錯綜している。弁護士と検事とが互いに分化・分業していないのだから、演じる側も見る側も、そして演じられる内容も、実はどれもがイカガワシイのである。厳粛であるべき裁判に対するイカガワシサへの意識と言っても良い。そこに、教会で行われる説教や典礼的な道徳劇とは異なった素朴な「世俗劇」の意味があるだろう。何しろ「カーニヴァル」という価値逆転のお祭り世界なのだ。

 

ドイツの裁判劇の古典的名作として欠かせないのが、クライストの喜劇『こわれがめ』(初演1808年)である。ド田舎の好色な村長の前に、近所の産婆が大事にしていた家宝のカメを割った犯人として、娘の婚約者の若者が引き立てられてくる。そして損害賠償の裁判が始まるのだが、ところが真犯人は、実は娘に横恋慕する村長自身なのである。村長の権力で事態をウヤムヤにしようとしても、たまたま中央からの司法顧問官が傍聴しているのだから、あまりイイカゲンなこともできない。そこで村長は、裁判官としての真実追究の建前と、真実を隠蔽しようとする本音との間に引き裂かれて、四苦八苦の言い逃れと嘘八百を並べ立てる。若者に罪をなすりつけようとすればするほど、あるいは自己弁護のための説明を重ねれば重ねるほど、村長の言葉の矛盾がますます増幅して、結果的に自分で自分を追い込んで行くのだから、裁判官である村長は、探索者でありながら犯人であり、検察官でありながら弁護士でもある。クライスト自身が序文の中でギリシャ悲劇『オイディプス王』の名前を挙げているように、自分に向けられた告発の言葉という点では、喜劇と悲劇との、あるいは意識的と無意識的とのベクトルの相違はありながらも、オイディプスも村長も、共に「自己告発」者としてのイカガワシサを体現している。

 

「自己告発」という状況が重要になるのは、古典よりもむしろ現代劇である。『こわれがめ』と同様に自分で自分を追いつめるビュヒナーの『ダントンの死』(初演1902年)は名前を挙げるだけにとどめ、ドイツ現代劇の土台に位置するブレヒトに移ろう。『コーカサスの白墨の輪』(初演1948年)と『処置』(初演1930年)では裁判場面が中心となる。どちらも「革命」という「価値逆転」を背景として、「何が真実であるのか」という基本的な問いかけが観客に投げかけられる。『コーカサス』では、裁判そのものが、ひどくイカガワシイ主人公アツダク裁判長によって、清濁併せ呑むようにイカガワシク進行する。

 

教育劇としての『処置』は、単純な正義感から革命活動を危機に陥れた党員を「処置する」という政治テロ的な内容であるために、東西冷戦の状況下では「殺人の正当化」というイデオロギー的レベルでしか理解されなかったのだが、従来の伝統的なドラマとは全く異なった演劇のあり方を模索する作品と言える。大勢の登場人物をわずか三人で代わる代わる演じたり、集団のコロスを多用したりしながら、「処置」を実行した行為者自身が「ぼくたちの行為は間違っていたのだろうか?」と問題提起を行う。このような「場」の作り方では、一見真摯な問いかけの向こう側に隠されたグロテスクさに対して、かなり先鋭な意識化が行われる。従って「真実はひとつ」という発想の単純さを暴き出そうとする「自己告発」のイカガワシサの側面を見過ごせば、『処置』の、あるいはブレヒトの最も重要な核心部を取り逃す事になるだろう。

 

戦後のドイツ演劇の抱える最大のトラウマが「アウシュヴィッツ」であることは指摘するまでもない。演劇に限った事ではないのだが、ユダヤ問題から意識的、無意識的に目をそむけるためには、東西分裂の現実をイデオロギー的に対置するのはなかなか効果的な戦略であった。戦後ドイツの「自己弁護」的態度と、「日本とは対照的に戦争責任を直視したドイツ」という虚構の神話に立ち向かったのが、西ドイツ1960年代のブレヒト受容であり、それに続く1970年代以降のいわゆる「演出家演劇」であった。そこに強い影響を与えた作品がペーター・ヴァイスの『追求』(初演1965年)で、フランクフルトで行われた膨大なアウシュヴィッツ裁判の記録を再構成した裁判劇である。

 

そもそもアウシュヴィッツの問題そのものが、ドイツ人にとっては「自己告発」とならざるをえないテーマなのだが、ここでは「法廷を再構成しようと試みてはならない」という作者の注釈に目を向けたい。つまり事実の「再現」ドラマではないということで、ダンテの『神曲』にならったオラトリオ形式の自由律韻文(ブランクヴァース)のテクストは、ブレヒトのソングと同様に、語られる事実に対する観客の「判断」を引き起こすために不可欠な客観的距離を生み出す工夫であろう。それはハンス・ザックスの謝肉祭劇が、クニッテル詩句と呼ばれる二行一対の素朴な韻文によって、軽妙な笑いの中に社会的なモラルを溶け込ませたのと同じである。ちなみに『こわれがめ』もまた、『追求』と同じブランクヴァースを用いている。韻文のリズムに見られるような、舞台への意識を途絶えさせずに、しかも「距離」を保とうとする劇作態度は、いかにもブレヒト的な発想と言っても良いし、いささか大げさに言えば、ナチズムと東西分裂という二重のトラウマに対抗することで獲得した、戦後ドイツの貴重な遺産ともなっている。そう簡単に「ブレヒト以後」とは言えないのだ。

 

ドイツの「現代」演劇にとっての「裁判劇」には、一方的な「お説教」や、イデオロギー的な「断定」という野蛮な二者択一への拒否のみならず、ナイーヴな「真実追求」の姿勢そのもののイカガワシサに対して疑問符のまなざしを向けるという基本発想が見られる。それは裁判という形式を問題視するのみならず、告発と弁護という「対話」的ドラマ形式への疑問をも本質的に内包する。「裁判」どころか、そもそも「劇」に対してすら解体的に対応した、すぐれた反・裁判劇として、ペーター・ハントケの『自己告発』(初演1966年)の名前を挙げて、ドイツ現代演劇の「ポスト・ドラマ」状況を指摘しておきたい。あるいはブレヒトの教育劇を批判的に再構築したハイナー・ミュラーは、『モーゼル銃』(初演1975年)の注釈の中で、このように述べている。「失敗の可能性無しに成功がありえないように、素材への抵抗感無しに芸術はありえない。」蛇足ながら「素材」とは、「裁判劇」というスタイルそのもののことでもありうるだろう。

 

                   (本文 40字×80行=3600字) 

 

  『悲劇喜劇』 2004年5月号(No.643) 早川書房 27ページ〜29ページ